こだっちとくうすけの冒険

熱く、熱く、いつまでも熱く。
そんな気持ちになれる
ブログにしたいです。
  
 こだっちとくうすけ より

「花珊瑚」、「踊り言葉」、「長夏」

2011年06月12日 07時25分25秒 | 言葉の面白さ・楽しさを知ろう
おはようございます

いつもいつも、遠路はるばるこだっちとくうすけの冒険へ、

お越しいただきありがとうございます

今日は、1年にひとつ免許や資格を取ろうシリーズの、

危険物取扱試験の日です。

去年の乙種3類、5類、6類に続いて、

甲種も問題集のみで、合格できるか調査してきたいと思います。

僕の予想では、問題集だけで合格できるはずなのですが、

あとは、問題次第

ちょっとでも、ひねられたら、

チィーンですが

一問でも多くの問題を覚えて、

免許・資格シリーズのところにアップしたいと思いまっしゅ


それでは、今日は言葉の面白さ・楽しさを知ろうをお届けします


「花珊瑚」(はなさんご)

・・・珊瑚樹(さんごじゅ)の花のこと。

「珊瑚(さんご)」は、磯巾着(いそぎんちゃく)や水母(くらげ)などと
同じ仲間の動物です。

年に一度だけ、それも、初夏の満月のころ、一斉に産卵をするといいます。
無数の白い小さな卵が、海底から、水面に向かって、
浮かびあがっていく光景・・・。

想像するだけでも、幻想的ですね。

昔は、植物だと思われていたのかもしれません。
「太平記」には、「海底に生(お)ふるなる珊瑚樹の枝」という記述が見られます。

また、木の枝の形をしている珊瑚の骨軸を、
「珊瑚樹」といったりもするようです。
ですが、地上にも「珊瑚樹」と呼ばれる木があるんですよ。

真夏に、たわわにつける真っ赤な実は、まるで、赤い珊瑚樹のよう・・・。
そこから、「珊瑚樹」という名前がつきました。

「花珊瑚」という種類の珊瑚もいるようですが、
歳時記で、「花珊瑚」といえば、
「珊瑚樹」の花のことです。

不思議なことに、海底で珊瑚が産卵するころ、
「珊瑚樹」もたくさんの蕾をつけます。
やはり、白い小さな卵のような蕾を枝いっぱいに・・・。




「踊り言葉」(おどりことば)
・・・同音の語を重ねた言葉。

「とんとん」「ひらりひらり」「じゃなりしゃなり」・・・。
今でも、よく使われる「踊り言葉」。
あげれば、きりがありません。

「踊り言葉」というと、いかにも楽しそうですが、
「くよくよ」「いらいら」「むかむか」「びくびく」・・・。
楽しくない言葉にも、よく使われます。

「踊る」という言葉の語源は袖を折り、足を動かすところから、
「折取(おりとり)」ではないかといわれています。

でも、もうひとつ、「復(おつ)」に関係しているのでは
ないかという説もあります。

「復」は、元へ戻るとか、繰り返すということ。
「踊り言葉」の場合は、こちらに関係しているのかもしれません。
だいたい、擬音語や擬態語として、使われることが多いですね。

日本語の擬音語、擬態語は、英語の3倍はあるといわれます。
日本語って、とても踊り好きだったのですね。



「長夏」(ちょうか)・・・旧暦6月の異称。

もともと、「長夏」は、夏の盛りの、日の長いころをさす言葉です。
日中の長さが一番長いのは、ご存じ「夏至(げし)」ですね。

現代の暦では、毎年6月21日ごろ。
旧暦では、例年、5月に迎えることになります。

ですが、この時期は、日本では梅雨のさ中。
その後に、真夏の日射しを実感する日々が待っているわけです。

旧暦で、6月というと、「晩夏」ですが、
最も、暑い盛りの時期に当たります。

そこで、「長夏」も、旧暦6月の異称として
用いられるようになりました。

このごろでは、5月に、初夏を感じる人が多いのではないでしょうか。
そして、6月、7月、8月・・・。まさに、長い夏です。
「長夏」という言葉も、現代の6月にこそ、ふさわしいのかもしれません。
「長」には、「すぐれた」という意味もあります。

温暖化が進む中・・・。

なんとか、すばらしい夏という意味で、
「長夏」と呼べるようにしたいものですね。


こだっち的は、エンドレスサマーがいいと思います

理由は一つ、波乗りが海パンとラッシュでできるから

それでは、今日は、練習の成果を十分に発揮して、

新しい資格をゲットしたいと思いまっしゅ


      
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「蝉の羽月」、「英桃」、「青水無月」、「水鏡」

2011年05月31日 23時30分11秒 | 言葉の面白さ・楽しさを知ろう
おつかれさまです

1日1日の時の流れの速さに、

最近流されっぱなしの僕ですが、

みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

何か楽しいイベントがあって、

早く来てほしいと思いながら過ごすと、

なかなか来ないのに、

試験の日程が近づくのは、

とてつもなく早く感じます

時間がもっと欲しいと思っても、

これがまた増えないんだなぁ

なので、1日1日を全力で、

頑張りたいと思います。

現時点での合格率は60%ぐらいだと思います。

問題は、化学

今回、危険物の試験を受けられる方は、

あと12日ファイトです

最後の最後まであがきましょうぞ

ということで、明日から6月なので、

6月っぽい言葉をご紹介いたします


「蝉の羽月」(せみのはづき)

・・・旧暦6月の異称。

蝉の羽のように、薄く、透けるような
着物や布のことを、
「蝉の羽衣(せみのはごろも)」といいます。

略して「蝉の羽」、

また「蝉衣(せみごろも)」「蝉の衣(きぬ)」
などともいいました。

その「蝉の羽」を着始める月なので、
「蝉の羽月」というわけです。

旧暦6月といえば、ひと月ほど先のこと。
そろそろ蝉たちが、鳴き出すころでしょう。
薄く透明な羽・・・。
よく見ると、夏の陽射しにきらきら輝いて、
とってもきれいですね。

蝉は、美人の生まれ変わりとか・・・。
薄物をふわっとはおって、
「蝉の羽衣」を気取ってみたくなります。

現代では、ちょっと気が早いかもしれませんが、
こんな歌もあることですし・・・。

~鳴く声は まだ聞かねども 
蝉の羽の 薄き衣は 裁ちぞ着てける~
           (「捨遺和歌集」大中臣能宣)




「英桃」(ゆすらうめ)
・・・バラ科の落葉低木。

枝葉が、びっしりと茂り、かすかな風にも揺れる花。
その「ゆするる」と朝鮮語の「移徒楽(イズラ=Yisulat)から、
「ゆすらうめ」と呼ぶようになったといわれます。

「英桃」は、「梅桃」とも書きます。

でも、「桃」よりも、「梅」よりも、
「桜」に似ているような気がします。

古くは、この「英桃」のことを、
「桜桃(おうとう)」と呼んでいたとか。

現在、「桜桃」といえば、
「さくらんぼ」がなる木のことですね。

「さくらんぼ」は、本来、「桜ん坊」。
桜の実を、擬人化したものです。

ところが、「山桜」などの実は、小さくて、
食べてもおいしくないのだそうです。

その点、「英桃」の実は、
食べられるそうです。

赤い宝石「桜桃」のおいしさには、
とうてい及びませんが・・・。

口にすれば、ちょっとした風にも、
心揺れていたころの、甘酸っぱい思いが、
胸をよぎるのではないでしょうか。





「青水無月」(あおみなづき)
・・・旧暦6月の異称。

6月の異称の中で、最も一般的に使われてきたのが、
「水無月」ですね。

その語源説は、さまざまです。
旧暦6月といえば、梅雨も終わって、
夏の日差しが照りつけるころ。
文字通り、水が無くなる月だからという説。

農作業を、すべて、し尽くしたという意味の
「皆仕尽(みなしづき)」が変化したという説。

「水無月」の「無(な)」は当て字で、
「の」という意味の「な」。
つまり、田んぼに水を引く「水の月」だという説・・・。

さて、青葉が生い茂る時期でもあるので、
この「水無月」に「青」をつけて、
「青水無月」ともいいます。
青葉と関連付けると、「水の月」という解釈を、
採用したい気持ちになりますね。

ちょうど、現代の6月は、梅雨の時期です。

雨に濡れて、いちだんと鮮やかさを増していく
緑を眺めていると、
まさしく、「青葉の水の月」だと思えてきます。

来る日も来る日も、降り続く雨に打たれる、青葉たち・・・。
こうして、次にやってくる日照りに負けない強さを、
つちかっていくのでしょうね。





「水鏡」(みずかがみ)
・・・静かに澄んでいる水面に物の影がうつって見えること。

「鏡」は、「影見(かげみ)」が変化したものだそうです。
なんと、紀元前5世紀には、
青銅の鏡が、中国で流行したといいますから、
その歴史の古さには、
驚かされます。

ですが、それ以前は、水面に姿を映すことが、「影見」でした。
器に水を張り、鏡として用いていた時期もあったようです。
つまり、「水鏡」だったということですね。

鏡に映る「影」は、単なる姿形ではなく、
魂や、霊的なものと思われていたようです。

ですが、鏡が、澄み切っていればいるほど、
ありのままの姿が映るものですね。
「水鏡」もそう。

もしかしたら、心も、「水鏡」なのかもしれません。
つらいときは、心が揺らぎがち。

でも、そんなときこそ、
穏やかな水面に映ったものだけを、
見つめるべきなのでしょう。

大切な今を、ゆがめてしまわないためにも・・・。
どうか、さざ波に映る風景に、
とらわれないように・・・。


           
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「思し召し」、「駒返り」、「白日」、「油断」

2011年04月30日 01時35分47秒 | 言葉の面白さ・楽しさを知ろう

『思し召し』(おぼしめし)

 ☆-----お考え-----

「思(おぼ)す」は、

「思う」の尊敬語です。

「思ふ」に尊敬の助動詞「す」がついて、

「思はす」になり、

 やがて、「おもほす」→「おぼす」と

 変化していったのだそうです。
 
 その上に、さらに尊敬の意を強める

「召す」がついた「思し召す」は、最上級の尊敬語。

 昔は、敬語を、身分によって、

 何段階にも使い分けていました。

 この「思し召す」などは、

 帝(みかど)や中宮(ちゅうぐう)に限って、

 用いられる言葉だったそうです。
 
 その感覚が、現代にも残っているのでしょうか。

 今でも、神に近い存在に対して、使われる言葉ですね。
 
 人の力では、どうしようもないこと……。

 それを、運命とか、宿命と呼ぶ人もいるでしょう。
 
 でも、『思し召し』と、とらえてみると…。

 そこに、天からのメッセージがあるのではないかと、

 思えてきませんか。
 
 『思し召し』と、尊んで受け取る気持ちがあれば、

 きっと、何事も、よい方向に、

 いかしていけるのではないかと思うのです。



『駒返り』(こまがえり)
 
 ☆-----若返ること-----

 今では、あまり使われなくなりましたが、

 歳時記には、「駒返る草」「草駒返る」などの

 表現として、残っています。
 
 冬の間、枯れていたように見えた草が、

 青々とよみがえってくること。

 もちろん、春の季語です。
 
 昔は、人が若返るという場合にも、

 「駒返る」といいました。
 
 語源は、「子めき返る」が

 変化したものではないかといわれます。
 
 「めく」は、「春めく」「ほのめく」などの

 「めく」と同じ。

 それらしい状態になるという意味を添える、

 接尾語です。

 子どものような状態に戻るということですね。
 
 もともとは、「若返る」と書いて、

 「こまがえる」と読ませていたようです。

 「駒」は、子馬をあらわす漢字。
 
 「こま」という言葉も、

 「子馬(こま)」からきたという説もあります。
 
 『駒返り』の「駒」は、当て字ですが、

 若々しい駿馬のような、躍動感が感じられますね。
 
 春の息吹を感じて、さまざまな命が、

 いきいきと、よみがえる季節。
 
 それらを見つめる私たちの心も、

 駒返っていくような気がします。



『白日』(はくじつ)
 
 ☆-----照り輝く太陽-----
 
 「白」という漢字は、象形文字。
 
 頭蓋骨をかたどったものだという説と、

 月が輝いている様子を映したものだ

 という説とがあります。
 
 たしかに、光の輝きは、

 その強さが増すほどに、

 白く感じられるものですね。
 
 『白日』は、もともと、

 晧々(こうこう)と照り輝く太陽を、
 
 あらわした言葉。
 
 やがて、そんな太陽が照っている、

 昼間のことも、さすようになりました。
 
 白日青天(せいてん)、または、青天白日……。

 晴れ渡った、雲ひとつない青空に、

 太陽が輝いている様子です。
 
 身の潔白や、

 何の障害もなく自由なことのたとえに、

 よく使われます。
 
 やがて、『白日』だけでも、

 同じ意味を持つようになりました。
 
 私利私欲のない心境という意味でも、

 使われるようです。
 
 輝く太陽の下で、何にもとらわれずに、

 生きていけたら…。

 こんな想いを托した「白日夢」を、見たいものですね。




『油断』(ゆだん)

 ☆-----注意をおこたること、気をゆるすこと-----

 『油断』の語源については、

 諸説あって、決め手はないようです。

 まず、『涅槃経』の故事に由来するという説。
 
 昔、王が、ある家臣に、

 油の鉢を持って歩くよう、命じたそうです。

 「もし、一滴でもこぼすと、命を断つ」

 と言い添えて。
 
 油がこぼれると、命が断たれる……ここから、

 『油断』という言葉ができたとか。
 
 ただ、『ゆだん』という言葉には、

 「弓断」「遊端」などの漢字が、

 当てられている例もあるのです。
 
 そこで、この『涅槃経』説は、

 疑わしいともいわれます。
 
 素直に、

 「火を灯す油が断たれると、

 真っ暗になり、危険であるから」

 という説もあります。
 
 また、ゆったりとした様子をあらわす古語、

 「寛(ゆた)に」が、変化したという説も……。
 
 これは、後に『油断』という漢字が

 当てられるようになったということです。
 
 たしかに、気持ちがゆるんだときに、

 『油断』してしまうことが多いものですね。
 
 ゆったりとした心地よさの影に、

 『油断』がひそんでいる…。

 語源説ともども、その可能性があるということですね。
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「本丸」 「許色」 「春衣」 「封切」

2011年04月20日 05時55分55秒 | 言葉の面白さ・楽しさを知ろう
おはようございます

今日は、水曜日です

あと、木・金で休み

ちょっと早いかもしれませんが、

休みのカウントを行わずにいられいっしゅ

でも、悲しいかな休みは、

数えなくても勝手に過ぎてしまいますが・・・

そうそう、この週末は、

こだっち宅の田植えでっしゅ

今年もまた2011田植え風景を現場からレポートしたいと思います

それでは、今日は言葉の面白さ・楽しさを知ろうをお送りします



『本丸』(ほんまる)

 ☆-----日本の城郭で、もっとも主要な部分-----

 上代は、「城」を、「き」と読んでいました。

 「城」のほかに、「柵」という漢字を

 当てていたことからもわかるように、

 当時は、山の上に柵(さく)をめぐらせただけの、

 簡素なものでした。

 山を削って、平らにし、柵で囲むので、

 自然と丸い形になります。

 そこで、城を構成する部分を

 「丸」と呼ぶようになりました。
 
 時代がさかのぼるにしたがって、

 『本丸』を中心に、「二の丸」「三の丸」と、

 次第に規模が大きくなっていきます。
 
 丸かった『本丸』も四角くなり、

 土塁(どるい)や石垣、堀までめぐらし、

 何重にも、守りを固めていくようになりました。

 でも、戦国武将の武田信玄が、

 こんな言葉を残しています。
 
 ~人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇(あだ)は敵なり~

 堅固な城を築くより、人と人との強い絆を結ぶ方が、

 ずっと確かな平和への道だということですね。


              



『許色』(ゆるしいろ)

 ☆-----誰もが着用を許された衣服の色-----

 その昔は、身分によって、

 着用してもいい色が決まっていました。
 
 特に、一般の使用が禁じられた色のことを、

 「禁色(きんじき)」といいます。

 その代表は、深い紫。
 
 親王と、一位の身分の者にしか、許されない色でした。
 
 また、深紅は、大量の紅花(べにばな)と、

 複雑な工程を必要とするため、値が高騰し、

 「禁色」に指定されるようになったといいます。

 ただ、色めは同じでも、淡い淡い色なら、

 誰にでも、許されたそうです。
 
 それが、『許色』というわけですね。

 『許色』は、特定の色の名前ではありません。
 
 それでも、いつからともなく、

 代表的な『許色』である、

 淡い紫や淡い紅色のことをさすようになりました。
 
 「聴色」と書くこともありますが、意味は同じです。

 「ゆるす」は、ゆとりがあるという意味の

 「緩(ゆる)」からきた言葉。
 
 「ゆるい」「ゆるむ」「ゆるやか」なども、

 同語源だといいます。
 
 なるほど、『許色』は、

 ゆったりとした気持ちにしてくれる色でもありますね。


                       


『春衣』(はるごろも)
 
 ☆-----春着る着物-----

 
 「冬衣」「夏衣」という言葉もありますが、

 おしゃれ心が含まれるのは、

 やはり、『春衣』ですね。
 
 単に、あたたかいから薄物を着るというだけではありません。
 
 春の風景や、輝きにあわせて、

 春らしい装いをしてみたい……。

 そんな思いにかられます。
 
 「しゅんい」と読むと、

 新年の晴れ着をさす場合もあるそうです。
 
 「春着(はるぎ)」「春服(しゅんぷく)」なども、

 新年と、春、両方の衣服という意味を持っています。
 
 それだけに、『春衣』という言葉に、

 格別の情緒を感じるのかもしれません。
 
 春の衣といえば、

 もうひとつ、

 霞(かすみ)をあらわす言葉としても、使われました。
 
 野山も、『春衣』をまとって、

 春の彩りを楽しんでいるようですね。

 霞だけでなく、花の色、若葉の色、空の色……。
 
 そう思うと、街は、春のおしゃれ心が感じられなくて、

 少し、味気ない気がします。
 
 だからこそ、私たちの『春衣』が、

 いっそうひきたつのかもしれませんけど。


                 


『封切』(ふうきり)
 
 ☆-----新作映画をはじめて上映して、一般に見せること-----
 
 今では、映画に対して使われる言葉ですね。

 でも、映画が伝わるずっと前から、

 『封切』という言葉は、ありました。
 
 実は、新刊の本をさす言葉だったのです。

 江戸時代、小説本は、

 袋に入って、売られていたそうです。
 
 読者は、その袋の封を切って、

 新しい本を読みました。

 そこから、『封切』という呼ぶように

 なったというわけです。
 
 映画の場合は、少し違います。

 明治時代、海外から入ってきた映画フィルムは、

 まず、検閲を受けました。
 
 一番最初に上映する映画館が、

 検閲済みの封印を切って使ったことから、

 『封切』といったのだそうです。
 
 『封切』という言葉を、

 「物事のしはじめ」という意味で使った時代もありました。
 
 封を切るときの、わくわくする気持ち……。

 それは、新しい本のページを開くときも同じ。
 
 封を切ったり、ページを開いたり……。

 そんな、ちょっとしたしぐさが、

 はてしなく広がる世界へ、導いてくれることもあるのですから。


        
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「旬」 「妻恋鳥」 「料峭」

2011年04月14日 06時55分15秒 | 言葉の面白さ・楽しさを知ろう
おはようございます

今日は、ちょっぴり寝坊助をしてしまいました。

たぶん、朝がちょっとヒンヤリしてたせいで、

巣からでることができませんでした

そのうち、暑くて目が覚めることだと思います

それでは、今日は言葉の面白さ・楽しさを知ろうシリーズをお楽しみください


   『旬』(しゅん)

☆-----季節の食物が出盛りの時-----

 「旬」は、十日間を意味する漢字です。

 今でも、上旬、中旬、下旬という言い方が残っていますね。
 
 中世、朝廷では、毎月1日、11日、21日に、

 天皇が臣下から政務を聞く「旬儀(しゅんぎ)」という
 
 儀式が行われたそうです。

 これを略して『旬(しゅん)』というようになりました。
 
 この日には、季節に最も適したものや、

 その時期にもっとも味のよい食物などが支給されたのだそうです。
 
 そこから、季節の食物が出盛りの時や、

 最も味がよい時を、『旬』というようになったというわけです。
 
 最近では、『旬』がわかりにくい時代になってしまいました。
 
 昔から人々は、めぐる季節に思いをはせながら、感謝の気持ちでいただいてきたはず。
 
 そう……。

 『旬』は、それぞれの季節からの贈り物なのですから。





  『妻恋鳥』(つまごいどり)

 ☆-----雉(きじ)の異称-----
 
 ~春の野に あさる雉(きぎし)の 妻恋に 

 己(おの)があたりを  人に知れつつ~ (『万葉集』大伴家持)
 
 春の野に、餌(え)をあさる雉は、妻恋しいと鳴くばかりに、

 自分の居場所を人に知られてしまうんだなあ……。

 この歌から、雉(きじ)は、『妻恋鳥』と呼ばれるようになりました。

 ところで、つっけんどんな態度を、「けんもほろろ」といいますね。

 これは、雉の鳴き声からきた言葉です。
 
 雄は求愛する時、全身の力をふりしぼるように、「ケーン」と鳴いて、

 「ホロロ」とあの美しい羽根を打ち鳴らすのだそうです。
 
 その「ケン」を「剣突(けんつ)く」「慳貪(けんどん)」などの

 「ケン」にひっかけて、

 深い意味もなく「ほろろ」をつけただけのことだそうですが……。

 語呂がいいので、親しまれたのでしょうね。
 
 もちろん、雉の雌が、「けんもほろろ」な態度をとるわけではありません。



     『料峭』(りょうしょう)

☆-----春風が肌に寒く感じられること-----

 「料」は撫でるという意味、「峭」はきびしいという意味。

 よく、「春寒料峭(しゅんかんりょうしょう)」

 「余寒料峭(よかんりょうしょう)」などと、

 四文字熟語にして使われます。

 あたたかくなってからの、きびしい風は、

 とりわけ頬に冷たく感じるということでしょう。
 
 「立春」を過ぎてから、また、寒さがぶり返すことを、

 「寒(かん)の戻り」といいますね。
 
 ここでいう「寒」は、「小寒」と「大寒」の時期を指します。

 ほかにも、「春寒(はるさむ・しゅんかん)」「冴え返る」…。

 どれも、春が来た後に感じる寒さをあらわす言葉です。
 
 まるで、浮きたったり、はやったりする心を、いさめるかのような、冷たい風。
 
 でも、そんな風の中に、まぶしい光を感じます。

 きっと、私たちも……。
 
 何度も何度も、後戻りを繰り返しながら、春に近づいていくのですね。


お楽しみいただけましたでしょうか?

言葉言葉の歴史って、面白くないですか?

知らず知らずのうちに、自分の口から発しているものですが、

言葉には、それぞれの歴史があって、

その中から、生まれているものです。

どんな経緯で生まれた言葉なのかを知ることは、

日本人として必要なことだと思います。

昔は、筆を入れていたことから、

筆箱といいますが、今の時代はシャープペンシルなので、

SPケースかな

昔は、下駄を入れていた下駄箱は、

今はスニカーや革靴、運動靴などをいれますね。

逆に学校に下駄をはいていけば、

起こられることだと思います

なので、昔の言葉を大事にしていく中でも、

今を生きる我々は、日々時代に即した新しい言葉を

使っていく生き物だと思います。

なので、流行語なども、

その時代その時代を表現する上で、

歴史ある言葉になっていくのだと思います。

言葉って、本当に面白いですね


      
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「花月」 「花嵐」 「催花雨」 「花一華」 「花便り」

2011年04月07日 20時22分07秒 | 言葉の面白さ・楽しさを知ろう
今日も一日お疲れ様です

今日は、暖かくて過ごしやすかったんではないでしょうか?

花粉症もちの僕にはちょっとつらいところもありますが、

それでも春は気持ちがいいですね

気持ちがよかったので、久々にチョコボールを

10個まとめ買いしてしまいました

また、チョコボール生活が始まろうとしている今日この頃ですが、

本日の言葉シリーズは、花をテーマにお送りいたしマッシュ



『花月』(かげつ)

 ☆-----旧暦3月の異称-----

 日本では、中世以降、「花」といえば、桜をさしました。

 旧暦3月は、いよいよ、桜が咲く月ですね。

 「花(はな)つ月」ともいいます。

 「つ」は、「の」という意味の助詞ですから、

 「花の月」ということです。
 
 また、漢語で「かげつ」と読むものに、「佳月」「嘉月」があります。
 
 どちらも、「めでたい月」ということから、3月の異称となりました。
 
 桜以外の花も、咲き乱れ、あたたかさも増してくるころ。
 
 「かげつ」という響きから、

 人々は、あふれる喜びを感じたのかもしれません。
 
 『花月』は、3月の異称のほかに、単に、花と月という意味でも、使われる言葉です。
 
 そういえば、春の夜を形容した言葉に、「花天月地(かてんげっち)」があります。
 
 梢を見上げると、花が咲き誇り、足元に目をやると、月の光が明るく照らしている……。
 
 花も、月も、天と私たちとを結ぶ、美しい絆なのですね。

 それを実感できる季節も、もうすぐです。





 『花嵐』(はなあらし)

 ☆-----桜の花の咲くころに吹く嵐-----
 
 桜の花が咲くころは、例年、お天気が荒れ模様になるようです。

 急に冷え込む場合は、「花冷え」「桜冷え」。
 
 雨が降れば、「花の雨」「花時の雨」「桜雨」。
 
 花を咲かせるようにうながした雨が、こんどは、散れとばかりに、無情に降りかかります。
 
 桜を散らしてしまうほどの雨は、「桜流し」。そして、花に吹きかかる荒々しい風は、『花嵐』……。
 
 ~あすありと 思う心の あだ桜 夜半(よわ)に嵐の 吹かぬものかは~(伝 親鸞)
 
 明日は、どうなるかわからない……。せっかく咲いた花も、一夜の嵐で散ってしまうかもしれない……。
 
 それでも、短い命を、爛漫に咲こうとする花たち。
 
 私たちは、そこから、命を輝かせる術(すべ)を感じとりたいですね。





『催花雨』(さいかう)

 ☆-----花が咲くのを催促するように降る春の雨-----

 次々と、春の花が咲き始める頃……。

 昔の人は、この時期の雨が、花をうるおわせ、育てていくのだと思ったようです。
 
 「育花雨(いくかう)」「養花雨(ようかう)」という呼び方も残っています。
 
 また、生きとし生けるものに生命を与えるということで、

 「万物生(ばんぶつしょう)」ともいいました。
 
 花を育てた雨は、やがて、花を咲かせる雨に移り変わっていきます。

 ちょうど、菜の花が咲く季節。
 
 『催花雨』を「菜花雨」と書くようになり、

 そこから「菜種梅雨(なたねづゆ)」という言葉がうまれたともいわれます。

 「雨は花の父母」というように……。

 思えば、親の愛情も、この頃の雨に似ているのかもしれません。
 
 時にはうっとうしく感じることもあるけれど……。

 やはり、どこまでも、やさしく身にしみる雨です。





 『花一華』(はないちげ)

 ☆-----アネモネの和名------

 アネモネは、英語で wind flower。
 
 アネモネの語源も、ギリシャ語で「風」を意味する「anemos」からだそうです。
 
 早春の穏やかな風に、撫でられるようにして咲くところから、

 こう呼ばれるようになったといわれます。
 
 鮮やかな色あいの花を咲かせますが、

 摘みとると、すぐにしおれてしまう、そんなはかなさも持った花です。
 
 『花一華』は、花がひときわ美しい「一華(いちげ)」ということでしょう。
 
 「一華」は、ひとつの茎に、花が一輪だけ咲く植物につけられる名前です。
 
 ところが、仏教では、よく悟りを求める心のたとえに使われます。

 「一華開(ひら)けて天下の春」……。
 
 直訳すれば、一輪の花が開くことによって、天下に春が来たことを知るということです。
 
 そこには、心眼が一度開けると、今あるそのままが、

 すばらしい宇宙だと悟るようになる……そんな意味がこもっています。
 
 風に翻弄されるようなはかない命だからこそ、

 私たちは、そこに意味を求めようとするのでしょう。
 
 そして、心の中に、一輪の花を咲かせようとするのでしょう。
 
 悟りとか心眼とか、そんな高尚なものではなくても、

 ともし火のような想いが心に咲くだけで春が来る……。
 
 あなたの心の『花一華』、いつも咲いていますように。





『花便り』(はなだより)

 ☆-----花の咲いたことや見頃を知らせる便り-----

 同じ意味の言葉に、「花信(かしん)」や「花音(かいん)」があります。

 「信」も「音」も便りをあらわす漢字です。 

 「花音」は、美しい言葉ですが、あまり広まらず、「花信」のほうが、よく用いられました。

 「花信」といえば、『花便り』のほかに、「花信風」をさすこともあります。

 正確にいえば、「二十四番花信風(にじゅうしばんかしんふう)」。

 暦の「小寒」から「穀雨」の期間の二十四候に、それぞれ新たな花を咲かせる風が吹くというものです。

 梅に始まって、椿(つばき)、水仙(すいせん)、沈丁花(じんちょうげ)、
 
 蘭(らん)、黒灰(くろばい)、黄梅(おうばい)、英桃(ゆすらうめ)、

 辛夷(こぶし)、 菜の花、杏(あんず)、李(すもも)、桃、山吹(やまぶき)、
 
 薔薇(ばら)、海棠(かいどう)、梨(なし)、木蓮(もくれん)、桐(きり)、

 麦、柳、牡丹(ぼたん)、頭巾薔薇(ときんいばら)、栴檀(せんだん)……。

 異説もありますが、だいたい、以上の二十四種です。お気づきでしょうか。
 
 中国から伝わった「花信」には、「桜」が入っていません。
 
 ですが、日本では、普通『花便り』というと、とくに、桜の便りになります。
 
 南北に伸びる日本列島。『花便り』が飛び交う季節となりました。

 花の様子を知らせるだけなのに……。
 
 なぜか、希望もいっしょに届けられるような気がします。


どうでしょうかお楽しみいただけましたでしょうか?

言葉って、本当に面白いですね

言葉には、歴史がありますね。

知らず知らずのうちに使っている言葉ですが、

そんな歴史をたまには勉強するのも面白いと思います。

勉強というと重たく思いますが、

勉強を趣味という言葉に置き換えてみたら、

勉強も好きになると思います

本来勉強は、自分の知りたいことを追求すべきものだと僕は思います。

だから、決して人にやるように言われるべきものでもなければ、

勉強しないとだめだということでもないと思います。

ただ、必要なのは知りたいことを追求する、

やりたいことを追求する果てなき好奇心ではないでしょうか?

だからこそ、自分がやりたいことにまっすぐになること。

それが大事なんだと思います

自由に

    
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「惚れる」と「器量」について

2011年04月01日 06時01分19秒 | 言葉の面白さ・楽しさを知ろう
おはようございます

今日から新しい年度が始まりますね。

新しい人、新しい物、新しい環境

希望と不安が入り混じった複雑な時ですが、

希望を胸に今年度も頑張りましょう

どんな時も希望はあなたの胸の中

今日という日に希望をこめて、

今日も一日がんばりましょう


   『惚れる』(ほれる)
 
☆-------------人、特に異性に心を奪われて、ぼんやりする-------------

『惚れる』の原型は「ほる」。

ぼんやり、放心するという意味です。

どちらかというと、老いたり、病的なことで、呆(ほう)けるという

意味合いが、強かったといいます。

「ほる」が、「ほれる」に変化していく中で、本来の意味をあらわす

場合は、「ぼれる」と濁るようになったのだとか。

やがて、同じ意味の「ぼける」という言葉の中に吸収されていきました。

そうして、『惚れる』の方は、もっぱら、恋心を担当するようになった

のだそうです。

意味が明確に分かれたのは、室町時代ごろだといいます。

ですが、漢字は、「ほれる」も「ぼれる」も「ぼける」も、

「惚」を用いますね。

春霞(はるがすみ)や、朧月(おぼろづき)……。

春に、恋が生まれやすいのも、『惚れる』の心理状態を映したような、

風景のせいなのでしょうか。

そういえば、「醒める」「冷める」は、「寒い」と同根の言葉だそうです。

とすると、相手をぼ~っと眺めることが、恋の秘訣なのかもしれませんね。

そう、春の景色を、背景にして……。



   『器量』(きりょう)

☆------------------------力量、または、容貌------------------------

本来の意味は、字のごとく、「器(うつわ)」に入る量。

「器」だけでも、才能や心の広さにたとえられますが、

『器量』も同じく、才能や力量という意味で使われるようになりました。

「器量人(きりょうじん)」といえば、才能や人徳を備えた人をいいます。

ところが日本では、いつのまにか、

容貌や顔立ちのことも意味するようになりました。

明治以降では、こちらの用法が主で、特に女性に対して使われます。

ですから、「器量よし」といえば、美人のこと。

「器量好み」は、顔立ちの美しい女性ばかりを選ぶ人、

いわゆる、「面食(めんく)い」のことです。

目に見えない人の器。

それを、無理やり測ろうとすると、中身より、外見に目がいってしまう

のかもしれません。

「器量より気前」ということわざもあります。

この『器量』も、外見の美しさ。 

「気前」は、この場合、気立てのことです。

器からあふれるようにして、出てくる気持ち……。

本当は、そちらの方を、よく見つめるべきなのですね。
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「魅力」と「桜言葉」

2011年03月25日 21時11分19秒 | 言葉の面白さ・楽しさを知ろう

『魅力』(みりょく)

 ☆----------------人の心をひきつけて、夢中にさせる力----------------

 実は、この『魅力』という言葉、日本でできた「和製漢語」だそうです。

 「魅」という漢字は、「鬼」と「未」からできていますね。

 「未」は、木の枝先をかたどった象形文字で、

 この場合は、はっきりわからないという意味になります。

 「鬼」と組み合わせて、なんと、

 物の怪(け)とか妖怪をあらわしているとか。

 『魅力』という言葉ができた背景は、

 「見入る」を「魅入る」と書くようになったことだといいます。

 「見入る」は、我を忘れて見とれるという意味。

 それを「魅入る」と書くと、魂を奪われた感じが強くなりますね。

 まるで、魔性のものに取り付かれたような雰囲気が、ぴったりきたのでしょう。

 そこで、「魅」を使った漢語が次々と作られたのだそうです。

 「魅了」「魅惑」、そして『魅力』……。

 たしかに、人をひきつける力というものは、不思議なもの。

 得体(えたい)の知れない物の怪の力と考えたくなるのもわかります。

 「魅力的だよ」と言われて、妖怪呼ばわりされても……。

 それがかえって、嬉しいのです。





         『桜言葉』(さくらことば)

 ☆--------------------口先だけで言うほめことば--------------------

 江戸時代、芝居小屋では、役者に声をかけて、盛り上げる人を、

 入れていたそうです。

 その席を、「太郎桟敷(たろうさじき)」、

 あるいは、「桜」と呼んだといいます。
 
 派手な掛け声で、ぱっと、にぎわせてくれるという意味を、

 「桜」になぞらえたというわけです。
 
 『桜言葉』も、ここからきたのでしょう。
 
 ちょっとしたお世辞を、「お上手」といいますが、

 『桜言葉』と呼ぶと、さらに、聞こえがよくなるような気がします。

 さて、現代でも、客のようなふりをして、購買意欲をそそることを、

 「さくら」といいますね。

 「偽客」という当て字を使って、

 「さくら」と読ませたりもするようです。
 
 こちらの語源は、諸説ありますが、

 この、芝居小屋の「桜」からきているという説が、有力になっています。

 ~うつせみの 世にも似たるか 花桜 咲くと見しまに
         かつ散りにけり~ (よみ人知らず『古今和歌集』)

 昔の人にとって、「桜」は、はかなさの象徴。

 たわいないものならともかく、実質の伴わない「偽客」は、

 結局、空しいものだということなのでしょうか。
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「辻褄」と「梢」

2011年03月18日 05時33分55秒 | 言葉の面白さ・楽しさを知ろう
お疲れさまです

今日も、花粉症にやられ、

4時44分に目が覚めました

5時55分は、なんかラッキーな気がしますが、

4時44分に起きると、

なぜか、不吉な感じがします

僕だけでしょうか?


ということで、

早起きしたので、

昨日の続きのお勉強とブログ更新です

夜にする勉強は、

眠くなりますが、朝早く起きて、

勉強すると結構清々しいですよ





「辻褄」(つじつま)・・・物事の道理、すじみち

「辻」は、道が十文字に交差しているところですが、

裁縫でも、縫い目が十字に合うところを、

「辻」というそうです。

「褄(つま)」は、着物の裾(すそ)の、左右の両端部分。

これらをきちんと仕上げることは、和裁の重要なポイントでした。

そこから、きちんと合うべき、物事の道理や筋道を、

指すようになったということです。

昔、裁縫は、大切な女性の仕事でした。

家族のために、ひと針、ひと針、心をこめて、

仕立てていったのでしょう。

ぴしっと縫い目が合った着物からは、

細やかな愛情と、

丁寧に暮らす日本女性が、しのばれます。

はじめから、ごまかしておいて、あとで、

「辻褄合わせ」をしようなどとは、

思いもよらなかったことでしょう。

着物を縫える人は減りましたが、

その心まで失いたくはない・・・。

そんな気がします。




「梢」(こずえ)・・・枝の末、幹の先。

語源は、木の末ということで、

「木末(こずえ)」。

漢字の「梢」の部首、「肖」は、

からだを小さくするという意味を持っています。

この場合の「月」は、お月様のことではなく、

からだをあらわす「肉」の省略形なのだそうです。

昔の人は、ことあるごとに、

「梢」見ていたようです。

「梢」の様子が、いかにも春めいてくるところを、

「梢の春」といいます。

はかにも、「梢の夏」「梢の雲」「梢の嵐」「梢の雪」・・・。

そして、「梢の空」は、「梢」をとおして見る空のこと。

人は、「梢」ごしの大空に、

明日を見つめていたのでしょう。

ひたすら、幹を、枝を、大空にむかって伸ばす樹木たち。

その姿に、自分自身を重ねながら・・・。

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「初音」と「見返り」

2011年03月16日 05時55分55秒 | 言葉の面白さ・楽しさを知ろう
おつかれさまです

今日は、この二つの言葉を

ピックアップしていきたいと思います


「初音」(はつね)・・・

鶯(うぐいす)がその年はじめて鳴く声を、

「初音」といいます。

ただ、単に「初音」といえば、

それは、鶯が初めて鳴く声のことです。

昔から、人々が待ち焦がれ、こよなく愛した声ですね。

「春告鳥(はるつげどり)」とも呼ばれる鶯。

ほかにも、「歌詠み鳥」「人来鳥(ひとくどり)」

「花見鳥」「春鳥(しゅんちょう)」・・・・・。

今では禁じられていますが、

中世から江戸時代は、

鶯を飼うこと流行したそうです。

鳴き声の優劣を競う「鶯合わせ」も行われました。

そのために、きれいな声の鶯を先生にして、

美しい鳴き方を仕込んだとか。

鶯にも大変な時代があったのですね。

なんといっても、鶯が感じたままの、本物の春の歌が最高。

今年も、「初音」の季節がやってきました。






「見返り」(みかえり)・・・振り返ること。

江戸時代、吉原遊郭の大門へ下る坂道にあったという「見返り柳」。

各地に残る「見返り松」・・・。

立ち去る時に、心ひかれ、

何度も振り返ったことから、こう呼ばれるようになりました。

「見返る」は、やがて、気にかける、

かえりみるという意味でも、使われるようになります。

「愛」という感じの成り立ちには、

いくつかの説があるのですが、

そのひとつに、後ろをかえりみて、

たたずむ人の形である・・・という説があります。

立ち去ろうとして、

後ろに心がひかれる人の姿だというのです。

まさに、「見返り」の姿です。

担保や代償という意味で使われだしたのは、ごく近代のこと。

振り返るといういみでも、

あまり使われなくなった「見返り」は、

なんだか愛を失ってしまったような気がします。

求めるものではなかったはずなのに・・・。

自分の行く手を見ることばかりでは、

見失ってしまうものもあるのですね。
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