「高知ファンクラブ」 投稿者別の記事1

「高知ファンクラブ」への投稿者別の記事をまとめたブログです

HN:史跡探訪者 さんの目次

2011-01-01 | HN:史跡探訪者

HN:史跡探訪者 さんの目次

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その9  ⑥中江兆民誕生地

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その8  ⑤岡本寧浦塾跡

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その7  ④武市半平太道場跡

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その6  ③河田小龍生誕地

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その5  ②はりまや橋3 からくり時計

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その4  ②はりまや橋2 地下広場ギャラリー

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その3 ②はりまや橋1

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その2 ①魚の棚 

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その1 新堀コミュニティホール前に集合

高知市さえんばの横堀公園 ②武市半平太の道場跡の碑・めおと石


高知市さえんばの横堀公園で、「半平太まつり」がありました①
武市半平太の旧宅と墓、瑞山神社 を訪問しました・・・その3 瑞山神社・瑞山の墓など
武市半平太の旧宅と墓、瑞山神社 を訪問しました・・・その2 瑞山記念館
武市半平太の旧宅と墓、瑞山神社 を訪問しました・・・その1 旧宅
高知市・柴巻の田中良助旧邸 八畳岩を訪問3
高知市・柴巻の田中良助旧邸 資料館を訪問2
高知市・柴巻の田中良助旧邸 資料館を訪問1
高知市観光ボランティア・ガイドの人達と、植木枝盛邸跡を訪ねました
高知市観光ボランティア・ガイドの人達と、植木枝盛の生誕地を訪ねました
高知市観光ボランティア・ガイドの人達と、徳弘董斎邸跡を訪ねました
高知市観光ボランティア・ガイドの人達と、婦人参政権碑を訪ねました
高知市観光ボランティア・ガイドの人達と、野中婉女宅址碑を訪ねました
高知市観光ボランティア・ガイドの人達と、朝倉古墳を訪ねました
高知市観光ボランティア・ガイドの人達と、朝倉神社(あさくらじんじゃ)を参拝2
高知市観光ボランティア・ガイドの人達と、朝倉神社(あさくらじんじゃ)を参拝
桂浜~JR高知駅・・・MY遊バス時刻表
高知市観光ボランティアの人達と、「遊覧船」に乗りました4
高知市観光ボランティアの人達と、「遊覧船」に乗りました3
高知市観光ボランティアの人達と、「遊覧船」に乗りました2
高知市観光ボランティアの人達と、「遊覧船」に乗りました1
高知市観光ボランティアの人達と、「要法寺」を訪ねました・・・その4
高知市観光ボランティアの人達と、「要法寺」を訪ねました・・・その3ミカドアゲハとオガタマノキ
高知市観光ボランティアの人達と、「要法寺」を訪ねました・・・その2
高知市観光ボランティアの人達と、「要法寺」を訪ねました・・・その

 

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はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その9  ⑥中江兆民誕生地

2011-01-01 | HN:史跡探訪者

さる10月23日、北街コミュニティ計画推進市民会議が主催する、「はりまや橋界隈史跡めぐり」が企画されていたので、参加しました。

9時30分、30人を超える参加者が、新堀小学校内の新堀コミュニティホール前に集合しました。

史跡めぐりは10時にスタートして、 ①魚の棚 ②はりまや橋 ③河田小龍生誕地 ④武市半平太道場跡 ⑤岡本寧浦塾跡 ⑥中江兆民誕生地 をゆっくりと巡って、12時少し前に出発地点に帰ってきました。

地元の参加者が、自分が住んでいるところに、こんな史跡があることを知りませんでした・・・と話していました。

また、家族連れで参加された方も多く、中でも新堀小学校の4年生の二人は、歴史に関心が深く、説明をメモを取りながら熱心に聞いていました。

その子達は、すでに相当な知識を持っているのです。"歴女"ならぬ、歴史好きのこども"歴チル"とでも言うような感じで、大変嬉しく思いました。

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その1 新堀コミュニティホール前に集合 

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その2 ①魚の棚

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その3 ②はりまや橋1

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その4  ②はりまや橋2 地下広場ギャラリー

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その5  ②はりまや橋3 からくり時計

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その6  ③河田小龍生誕地

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その7  ④武市半平太道場跡

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その8  ⑤岡本寧浦塾跡

 

⑥中江兆民誕生地

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出典: 土佐の歴史散歩 中江兆民誕生地

(1847~1901)
 「東洋のルソー」「日本のルソー」といわれる思想家で、約100年前にルソーの「民約論」を翻訳しました。
 はじめて留学に出た長崎で坂本龍馬や後藤象二郎、岩崎弥太郎たちと知り合いました。
 彼の語学力はすばらしく、岩倉遣欧使節団に参加フランスに行きルソーの著書に出会いました。
 東京外語学校校長、元老院権少書記官を経て「東洋自由新聞」を創刊しました。

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出典: 中江兆民誕生地

弘化4年(1847年)11月1日に中江兆民が誕生した地。

住所 高知県高知市はりまや町3丁目19−18 周辺

地図 http://chizuz.com/map/map55764.html

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出典:南国土佐へ来てみいや 東洋のルソー - 中江兆民生誕地

[ 高知県高知市はりまや町3丁目 ]
弘化4年(1847)に土佐国高知城下の下山田町部屋町の、土佐藩足軽の家に生まれ、文久元年(1861年)14歳の時、父の死により家督を相続し足軽の身分となっちゅう。

翌年「土佐藩校文武館」に入学し、慶応元年(1865)土佐藩の藩費留学生として長崎に出てフランス語を学ぶがですが、この時、「龍馬」は長崎で"海援隊"を組織しちょったき、出会ちゅうようながです。

その後、幕府の語学所学頭・平井義十郎からフランス語を学び、慶応3年(1867)江戸に出たのち、兵庫が開港されると上方へ赴き、フランス外交団の通訳を務めるがです。

明治4年(1871)にフランスへ留学し、明治7年(1874)年に帰国すると、自身が創設した仏蘭西学舎を中心に、フランス流の自由民権論を唱え、自由民権運動の理論的指導者となるがです。

そのなかでも「ルソー」を日本に紹介した功績は大きく、「東洋のルソー」とも呼ばれるようになったがです。

「兆民」は号で、「億兆の民」と言う意味じゃそうです。

また「秋水」とも名乗っちょたようですけんど、この号は弟子の「幸徳秋水」に譲り渡したそうなが。


[ アクセス ]
・土佐電鉄「高知橋」電停より、徒歩約5分

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閉会のご挨拶は、地元新堀小学校の校長先生でした。ずっと熱心なこども達に、同行されていました。

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岡本寧浦(おかもとねいほ) に関する記事

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はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その8  ⑤岡本寧浦塾跡

2011-01-01 | HN:史跡探訪者

さる10月23日、北街コミュニティ計画推進市民会議が主催する、「はりまや橋界隈史跡めぐり」が企画されていたので、参加しました。

9時30分、30人を超える参加者が、新堀小学校内の新堀コミュニティホール前に集合しました。

史跡めぐりは10時にスタートして、 ①魚の棚 ②はりまや橋 ③河田小龍生誕地 ④武市半平太道場跡 ⑤岡本寧浦塾跡 ⑥中江兆民誕生地 をゆっくりと巡って、12時少し前に出発地点に帰ってきました。

地元の参加者が、自分が住んでいるところに、こんな史跡があることを知りませんでした・・・と話していました。

また、家族連れで参加された方も多く、中でも新堀小学校の4年生の二人は、歴史に関心が深く、説明をメモを取りながら熱心に聞いていました。

その子達は、すでに相当な知識を持っているのです。"歴女"ならぬ、歴史好きのこども"歴チル"とでも言うような感じで、大変嬉しく思いました。

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その1 新堀コミュニティホール前に集合 

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その2 ①魚の棚

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その3 ②はりまや橋1

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その4  ②はりまや橋2 地下広場ギャラリー

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その5  ②はりまや橋3 からくり時計

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その6  ③河田小龍生誕地

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その7  ④武市半平太道場跡

 

⑤岡本寧浦塾跡

  

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横堀公園から北へ、高知市桜井町1丁目で、意外と目に付きにくいところにありました。しっかり場所を覚えていないと、次回に一人で来るには・・・と言う感じです。

 

出典・・・土佐の人物伝: 岡本寧浦(おかもと ねいほ)

寛政6年(1794年) - 嘉永6年(1853年)

藩末にその名を博した儒学者。その門下には、岩崎弥太郎や中江兆民、清岡道之助、河田小龍など幕末から明治にかけて活躍した人物もおり、その総数は千人を超えています。
寧浦は吉田東洋や武市瑞山といった要人との交流がありました。また、岩崎弥太郎は寧浦の甥にあたります。

寧浦は、寛政6年(1794年)に、安田浦の裏宗西本願寺派乗光寺に生まれました。
幼い頃から勉学に励んでおり、安芸国(広島)や大阪で、詩文、儒学、仏教などを学びました。その後、仏教から儒学に転向しました。
そのうち寧浦の評判は高くなり、土佐藩主に招かれ藩の教授方となりました。そして、その才を大いに振るった寧浦は、大学者へと成っていったのです。

寧浦の門下には、岩崎弥太郎や中江兆民、清岡道之助、河田小龍など幕末から明治にかけて活躍した人物など多くの人材を輩出しました。門下の総数は千人を超えています。
寧浦は土佐にとっての吉田松陰のような存在でした。武市瑞山、吉田東洋、岩崎弥太郎、河田小龍といった人物にも影響を与えたと言われています。

嘉永6年(1853年)、60歳で没しました。

 

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 http://video.moglik.com/t/%E5%AF%A7%E6%B5%A6.htm

 ★2010 10 03 高知の街めぐりウォーキング&動画サービス#1 №2  寧浦

 

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出典・・・南国土佐へ来てみいや:岡本寧浦塾舎跡

NHK大河「龍馬伝」1回目に出て来た、岡本寧浦生の塾・紅友舎跡の碑ながです。

劇中、岡本寧浦に関しては唯の塾の先生程度の表現しかしちゃーせんき、土佐人としてこりゃー遺憾と思うて書いちょります。

岡本寧浦ちゅう人は、幕末の土佐藩屈指の儒学者で、長州の吉田松陰よりもすごい人物じゃと言うたら長州人が怒るかも知れんけんど、げにまっこと吉田松陰に劣らぬ重要人物じゃたがです。

また、岩崎弥太郎との関係もあやふややったけんど、弥太郎の母の姉の夫が岡本寧浦じゃき、弥太郎は「甥」になるがよ。

せめてこれくらいの説明は、ナレーションででも入れて欲しかったぜよ。

門人は1000人以上で、「岩崎弥太郎」は勿論のこと、東洋のルソーと呼ばれる「中江兆民」、龍馬に西洋事情を解いた「河田小龍」、坂本龍馬や武市瑞山に次いで幕末の土佐を代表する人物の一人「清岡道之助」など、幕末期に活躍した逸材を多く輩出しちゅうし、土佐藩の参政「吉田東洋」や土佐勤皇党首領「武市瑞山」とも交流があったがです。

兎に角、多くの志士達を倒幕に駆り立てた根本的な思想は、此処から始まっちゅうかも知れん。


IMG_8983.jpgHN:史跡探訪者

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はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その7  ④武市半平太道場跡

2011-01-01 | HN:史跡探訪者

さる10月23日、北街コミュニティ計画推進市民会議が主催する、「はりまや橋界隈史跡めぐり」が企画されていたので、参加しました。

9時30分、30人を超える参加者が、新堀小学校内の新堀コミュニティホール前に集合しました。

史跡めぐりは10時にスタートして、 ①魚の棚 ②はりまや橋 ③河田小龍生誕地 ④武市半平太道場跡 ⑤岡本寧浦塾跡 ⑥中江兆民誕生地 をゆっくりと巡って、12時少し前に出発地点に帰ってきました。

地元の参加者が、自分が住んでいるところに、こんな史跡があることを知りませんでした・・・と話していました。

また、家族連れで参加された方も多く、中でも新堀小学校の4年生の二人は、歴史に関心が深く、説明をメモを取りながら熱心に聞いていました。

その子達は、すでに相当な知識を持っているのです。"歴女"ならぬ、歴史好きのこども"歴チル"とでも言うような感じで、大変嬉しく思いました。

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その1 新堀コミュニティホール前に集合 

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その2 ①魚の棚

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その3 ②はりまや橋1

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その4  ②はりまや橋2 地下広場ギャラリー

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その5  ②はりまや橋3 からくり時計

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その6  ③河田小龍生誕地

 

④武市半平太道場跡

 

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横堀公園内の北側にある、武市半平太の道場跡の碑もきれいに手入れされ、また"めおと石"が新しく設置されていました。

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高知市さえんばの横堀公園で、「半平太まつり」がありました①

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高知市さえんばの横堀公園 ②武市半平太の道場跡の碑・めおと石

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横堀公園で休憩です。お茶の用意がされていて、皆さんおいしくいただいていました。

IMG_8962.jpgHN:史跡探訪者

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はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その6  ③河田小龍生誕地

2011-01-01 | HN:史跡探訪者

さる10月23日、北街コミュニティ計画推進市民会議が主催する、「はりまや橋界隈史跡めぐり」が企画されていたので、参加しました。

9時30分、30人を超える参加者が、新堀小学校内の新堀コミュニティホール前に集合しました。

史跡めぐりは10時にスタートして、 ①魚の棚 ②はりまや橋 ③河田小龍生誕地 ④武市半平太道場跡 ⑤岡本寧浦塾跡 ⑥中江兆民誕生地 をゆっくりと巡って、12時少し前に出発地点に帰ってきました。

地元の参加者が、自分が住んでいるところに、こんな史跡があることを知りませんでした・・・と話していました。

また、家族連れで参加された方も多く、中でも新堀小学校の4年生の二人は、歴史に関心が深く、説明をメモを取りながら熱心に聞いていました。

その子達は、すでに相当な知識を持っているのです。"歴女"ならぬ、歴史好きのこども"歴チル"とでも言うような感じで、大変嬉しく思いました。

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その1 新堀コミュニティホール前に集合 

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その2 ①魚の棚

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その3 ②はりまや橋1

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その4  ②はりまや橋2 地下広場ギャラリー

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その5  ②はりまや橋3 からくり時計

 

③河田小龍生誕地

  

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はりまや橋交差点を南に渡って、東へ・・・すぐ近くに老舗料亭「得月楼」があります。

宮尾登美子作「陽暉楼」でも有名です。

この前を取って東へ50メートルくらいに、河田小龍生誕地の記念碑がありました。

はりまや橋観光バスターミナルの手前です。

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出典: 土佐藩絵師・河田小龍生誕地

河田小龍1824-1898は土佐藩の絵師で、高知城下・浦戸片町に生まれると南宋画の画家である島本蘭渓に入門する。 また、土佐藩の儒学者・岡本寧浦に入門し吉田東洋のすすめで23歳の時に京都・大阪に遊学し長崎で蘭学なども学んだ。 1852年、吉田東洋の命によりジョン万次郎の取調べを行ったことから英語や西洋事情などの知識も得た。 この西洋事情や思想などは小龍を通して坂本龍馬や多くの志士に多大な影響を与えたと言われている。 ジョン万次郎は14才の時に遭難し、アメリカの捕鯨船に助けられ、約十年間の留学の後日本へ帰国する。 そのときの取調官・吉田文次はさじを投げて吉田東洋に報告する。 東洋は直ぐに河田小龍を呼びよせ、長崎で学んだ蘭学により話が通じるだろうと考えた。 彼らは十二年の間に日本語を忘れていたという。 小龍は万次郎を自宅に連れ帰り生活の中から言葉を思い出させることで小龍も英語を学び、二人の間に信頼と友情が生まれた。  一方、坂本龍馬が剣術修行に出た江戸で黒船騒動にであって異国の進んだ文明を目のあたりして悶々としていた時に小龍に出会う。 小龍は海洋に乗り出し航海術をまなび、外国との貿易によって利益をあげ国を富まし、異国に追いつく事が日本のとるべき道だと説く。

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河田小龍生誕地

カワダショウリュウセイタンチ

地図:高知県高知市南はりまや町2-1-34 JR高知駅下車・電車桟橋行・はりやま橋下車、徒歩3分 

IMG_8936.jpgHN:史跡探訪者

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はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その5  ②はりまや橋3 からくり時計

2011-01-01 | HN:史跡探訪者

さる10月23日、北街コミュニティ計画推進市民会議が主催する、「はりまや橋界隈史跡めぐり」が企画されていたので、参加しました。

9時30分、30人を超える参加者が、新堀小学校内の新堀コミュニティホール前に集合しました。

史跡めぐりは10時にスタートして、 ①魚の棚 ②はりまや橋 ③河田小龍生誕地 ④武市半平太道場跡 ⑤岡本寧浦塾跡 ⑥中江兆民誕生地 をゆっくりと巡って、12時少し前に出発地点に帰ってきました。

地元の参加者が、自分が住んでいるところに、こんな史跡があることを知りませんでした・・・と話していました。

また、家族連れで参加された方も多く、中でも新堀小学校の4年生の二人は、歴史に関心が深く、説明をメモを取りながら熱心に聞いていました。

その子達は、すでに相当な知識を持っているのです。"歴女"ならぬ、歴史好きのこども"歴チル"とでも言うような感じで、大変嬉しく思いました。

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その1 新堀コミュニティホール前に集合 

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その2 ①魚の棚

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その3 ②はりまや橋1

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その4  ②はりまや橋2 地下広場ギャラリー

 

はりまや橋公園  からくり時計

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高知市HP: はりまや橋

「♪土佐の高知のはりまや橋で,坊さんかんざし買うを見た」とよさこい節のフレーズにもなり,純信とお馬の悲しい恋物語でも知られているはりまや橋。

江戸時代に,堀川を挟んで商売を行っていた「播磨屋」と「櫃屋」が,両者の往来のため私設の橋を架けたことが「はりまや橋」の由来といわれています。

その後,何度か橋は架けかえられ,堀川も埋め立てられましたが,現在は,はりまや橋公園として整備され,川のせせらぎを再現。昔のはりまや橋も復元し,純信・お馬のモニュメントも設置されています。

大きな地図で見る

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高知市HP: 「はりまや橋」・・・


映画『The Harimaya Bridge−はりまや橋−』 はりまや橋 からくり時計 路面電車  

はりまや橋観光バスターミナル  はりまや橋商店街 魚の棚商店街 

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はりまや橋の西側から、地下広場ギャラリーを見て、はりまや橋の東側に出ました。

ちょうど時間は11時、からくり時計が1時間おきに登場するタイミングでした。

私達の班以外にも、近くの保育園や託児所のこども達が既にお待ちかねでした。

道行く、観光客なども興味を示しながら、写真を撮ったり、しばらく見て・・・通り過ぎていきました。

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高知市HP: からくり時計

はりまや橋の東側にあるからくり時計。1時間おきに,よさこい節のメロディーに合わせて,よさこいの踊り子,高知城,はりまや橋,桂浜が登場します。

「からくり時計」についてはこちら。

はりまや橋の東側設置されています。午前9時から午後9時まで,1時間おきによさこい節の音楽に合わせて,からくり時計の上から高知城,下にはよさこいの踊り子人形,右にはりまや橋,左に桂浜が登場します。夜間にはライトアップも行われています(天候等により中止になることもあります)。

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はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その4  ②はりまや橋2 地下広場ギャラリー

2011-01-01 | HN:史跡探訪者

さる10月23日、北街コミュニティ計画推進市民会議が主催する、「はりまや橋界隈史跡めぐり」が企画されていたので、参加しました。

9時30分、30人を超える参加者が、新堀小学校内の新堀コミュニティホール前に集合しました。

史跡めぐりは10時にスタートして、 ①魚の棚 ②はりまや橋 ③河田小龍生誕地 ④武市半平太道場跡 ⑤岡本寧浦塾跡 ⑥中江兆民誕生地 をゆっくりと巡って、12時少し前に出発地点に帰ってきました。

地元の参加者が、自分が住んでいるところに、こんな史跡があることを知りませんでした・・・と話していました。

また、家族連れで参加された方も多く、中でも新堀小学校の4年生の二人は、歴史に関心が深く、説明をメモを取りながら熱心に聞いていました。

その子達は、すでに相当な知識を持っているのです。"歴女"ならぬ、歴史好きのこども"歴チル"とでも言うような感じで、大変嬉しく思いました。

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その1 新堀コミュニティホール前に集合 

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その2 ①魚の棚

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その3 ②はりまや橋1

はりまや橋公園 地下広場ギャラリー

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はりまや橋公園 地下広場ギャラリーがあることを、実は私は知りませんでした。

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        地下広場にギャラリーが設置された「はりまや橋公園」

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多くも方にお知らせして、ここを活用していただきたいものだと思いました。

P1170588.jpgHN:史跡探訪者

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はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その3 ②はりまや橋1

2011-01-01 | HN:史跡探訪者

さる10月23日、北街コミュニティ計画推進市民会議が主催する、「はりまや橋界隈史跡めぐり」が企画されていたので、参加しました。

9時30分、30人を超える参加者が、新堀小学校内の新堀コミュニティホール前に集合しました。

史跡めぐりは10時にスタートして、 ①魚の棚 ②はりまや橋 ③河田小龍生誕地 ④武市半平太道場跡 ⑤岡本寧浦塾跡 ⑥中江兆民誕生地 をゆっくりと巡って、12時少し前に出発地点に帰ってきました。

地元の参加者が、自分が住んでいるところに、こんな史跡があることを知りませんでした・・・と話していました。

また、家族連れで参加された方も多く、中でも新堀小学校の4年生の二人は、歴史に関心が深く、説明をメモを取りながら熱心に聞いていました。

その子達は、すでに相当な知識を持っているのです。"歴女"ならぬ、歴史好きのこども"歴チル"とでも言うような感じで、大変嬉しく思いました。

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その1 新堀コミュニティホール前に集合 

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その2 ①魚の棚

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はりまや橋商店街のアーケードを抜けると、はりまや橋の横断歩道です。

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家族連れで参加された方も多く、中でも新堀小学校の4年生の二人は、歴史に関心が深く、説明をメモを取りながら熱心に聞いていました。

歴史好きのこども"歴チル"を、テレビ高知のカメラが取材していました。そして、妻の話によると、この日のお昼にこの様子が流れたそうです。

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電車の向こうには、からくり時計が見えています。

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高知市HP: はりまや橋

「♪土佐の高知のはりまや橋で,坊さんかんざし買うを見た」とよさこい節のフレーズにもなり,純信とお馬の悲しい恋物語でも知られているはりまや橋。

江戸時代に,堀川を挟んで商売を行っていた「播磨屋」と「櫃屋」が,両者の往来のため私設の橋を架けたことが「はりまや橋」の由来といわれています。

その後,何度か橋は架けかえられ,堀川も埋め立てられましたが,現在は,はりまや橋公園として整備され,川のせせらぎを再現。昔のはりまや橋も復元し,純信・お馬のモニュメントも設置されています。

大きな地図で見る

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高知市HP: 「はりまや橋」・・・


映画『The Harimaya Bridge−はりまや橋−』 はりまや橋 からくり時計 路面電車  

はりまや橋観光バスターミナル  はりまや橋商店街 魚の棚商店街 

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おすすめ画像: はりまや橋 

IMG_8871.jpgHN:史跡探訪者

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はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その2 ①魚の棚 

2011-01-01 | HN:史跡探訪者

さる10月23日、北街コミュニティ計画推進市民会議が主催する、「はりまや橋界隈史跡めぐり」が企画されていたので、参加しました。

9時30分、30人を超える参加者が、新堀小学校内の新堀コミュニティホール前に集合しました。

史跡めぐりは10時にスタートして、 ①魚の棚 ②はりまや橋 ③河田小龍生誕地 ④武市半平太道場跡 ⑤岡本寧浦塾跡 ⑥中江兆民誕生地 をゆっくりと巡って、12時少し前に出発地点に帰ってきました。

地元の参加者が、自分が住んでいるところに、こんな史跡があることを知りませんでした・・・と話していました。

また、家族連れで参加された方も多く、中でも新堀小学校の4年生の二人は、歴史に関心が深く、説明をメモを取りながら熱心に聞いていました。

その子達は、すでに相当な知識を持っているのです。"歴女"ならぬ、歴史好きのこども"歴チル"とでも言うような感じで、大変嬉しく思いました。

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その1 新堀コミュニティホール前に集合 

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魚の棚、北からの入り口です。

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高知市HP: 魚の棚商店街

はりまや橋商店街から北へ,全長約80メートル,幅約3メートルに約20店が軒を並べるこじんまりとした商店街。その歴史は古く,江戸時代初期(1661頃)に,土佐藩3代藩主の山内忠豊によって開設されたといわれています。その名の通り,魚を扱う店が多く,そのほか数百種類のコロッケを販売する惣菜店も人気です。

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高知タウン:魚の棚商店街 

300年前の名残を今に残す、はりまや橋徒歩2分の商店街です

魚の棚は、藩政時代の寛文年間(1661~1671)に、三代目藩主山内忠豊から開設を認められ、
高知の台所として現在まで愛され続ける商店街です。
さらに、開設時より西側の店舗屋根より日除けを掛け渡すことを特に許され、高知の中心商店街に掛かるアーケードの第一号発祥地でもあります。
道幅、天幕とも昔の名残をそままとどめ、TV・雑誌など多くのメディアの取材でもよく取り上げられ
ています。  

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 気軽にお店の方たちと、ご挨拶が交わせる雰囲気で、心あったかい気分でした。

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魚の棚、南からの入り口です。

はりまや橋商店街では、街頭を活用した物産市がにぎやかに開かれていました。 

P1170553.jpgHN:史跡探訪者

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はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その1 新堀コミュニティホール前に集合

2011-01-01 | HN:史跡探訪者

さる10月23日、北街コミュニティ計画推進市民会議が主催する、「はりまや橋界隈史跡めぐり」が企画されていたので、参加しました。

9時30分、30人を超える参加者が、新堀小学校内の新堀コミュニティホール前に集合しました。

史跡めぐりは10時にスタートして、 ①魚の棚 ②はりまや橋 ③河田小龍生誕地 ④武市半平太道場跡 ⑤岡本寧浦塾跡 ⑥中江兆民誕生地 をゆっくりと巡って、12時少し前に出発地点に帰ってきました。

地元の参加者が、自分が住んでいるところに、こんな史跡があることを知りませんでした・・・と話していました。

また、家族連れで参加された方も多く、中でも新堀小学校の4年生の二人は、歴史に関心が深く、説明をメモを取りながら熱心に聞いていました。

その子達は、すでに相当な知識を持っているのです。"歴女"ならぬ、歴史好きのこども"歴チル"とでも言うような感じで、大変嬉しく思いました。

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北街コミュニティ計画推進市民会議の小松会長より、ご挨拶がありました。 

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北街コミュニティ計画推進市民会議の小松会長より、今日の案内役のお二人のボランティア・ガイドの紹介がありました。

私たちを案内されたガイドの方は、地元で育った・・・と、昔の事も含めながら分かりやすく解説・紹介していただきました。 

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私にこのイベントを紹介してくださった福島明市会議員も、お世話役として参加されていました。                     2班に別れて、出発です。 

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素晴らしいマップを、地元で熱心に活動されている、「新堀川界隈草の根ネットワーク」の世話人・西岡さんより、いただきました。 

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高知市さえんばの横堀公園 ②武市半平太の道場跡の碑・めおと石

2010-12-31 | HN:史跡探訪者

9月26日の日曜日、 高知市さえんばの横堀公園で、第2回「武市半平太まつり」 があり、行って来ました。

余り長くは居れなかったのですが、雰囲気だけでも感じたいと訪問しました。

横堀公園内の北側にある、武市半平太の道場跡の碑もきれいに手入れされ、また"めおと石"が新しく設置されていました。

 

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         武市半平太の道場跡の碑

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高知市HP:武市瑞山道場跡

武市瑞山は安政2年(1855)に道場を新築し、妻の叔父である島村寿之助と共同経営で道場を開いた。午前は寿之助が槍術、午後は瑞山が剣術を教え、門人も120人を数えるに至ったという。若き日の中岡慎太郎や"人斬り以蔵"と恐れられた岡田以蔵なども武市道場の門人である。

その後、人柄と実力を買われた瑞山は、安政2年(1855)の秋以降、藩命を受けて安芸郡奉行所(現田野町)、香美郡奉行所(現香南市赤岡町)に出張し、剣術の指導にあたっている。

この碑は、当初現在地より約30mほど東北の駐車場に建てられていたが、近年に横堀公園内に移された。

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       "めおと石"が新しく設置されていました。

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みやちゃんブログ:武市半平太「めおと石」

今日の高知新聞の朝刊に高知市桜井町にある横堀公園に武市半平太道場跡

「めおと石」などの清掃を町内の世話役の方々が・・

という記事が掲載されていたので、早速出向き撮影してきました。

この26日の日曜日には、半平太祭りを賑やかにするそうですので、楽しみです。

 

武市半平太夫婦 めおと石もできたぜよ: 新堀川知行合一塾

武市半平太夫婦 めおと石もできたぜよ. 半平太は愛称は「あぎ」、あごのことである。 向かった右側の石はあごの出た顔に見えんかよ. 2010.09.16 in 元気が出るまちづくり |

 

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高知市さえんばの横堀公園で、「半平太まつり」がありました①

2010-12-31 | HN:史跡探訪者

9月26日の日曜日、 高知市さえんばの横堀公園で、第2回「武市半平太まつり」 があり、行って来ました。

余り長くは居れなかったのですが、雰囲気だけでも感じたいと訪問しました。

 

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おすすめブログ記事: 「半平太の邸宅・道場跡を初めて知る」 

 おんちゃんは武市半平太邸・剣道道場跡を最近の新聞報道などで初めて知った

 その場所は
高知市菜園場町にある横堀公園だ。

 今、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」でほんのこの前、大森南朋の扮する武市半平太が切腹し悲しい最期を遂げたことで、記憶に新しいところ。

 そして、半平太の道場で剣道の稽古をしているシーンも何度も見たが、一体その道場がどこになるのか気にも留めず、ましてや菜園場とはまったく知らなかった。

 おんちゃんが病院勤務していたときにしょっちゅうその公園の前を通っていたり、またそこのトイレを使用したことは数多いが、恥ずかしいことながら、半平太の碑のことにはまったく気付かなかった。

 その横堀公園へ行ってみたら、確かにあるある、その碑が

 

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武市半平太の旧宅と墓、瑞山神社 を訪問しました・・・その3 瑞山神社・瑞山の墓など

2010-12-31 | HN:史跡探訪者

観光ボランティアガイドを熱心に取り組んでいる、歴史家の根木さんに、武市半平太の旧宅と墓、瑞山神社 を案内していただきました。

武市半平太の旧宅と墓、瑞山神社 を訪問しました・・・その1 旧宅

武市半平太の旧宅と墓、瑞山神社 を訪問しました・・・その2 瑞山記念館 

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             瑞山資料館の扉を開くと、瑞山神社につながっていました。

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瑞山資料館の横の階段を登ると、瑞山の墓などがありました。きれいに手入れされており、若いカップルが静かに手を合わせていました。

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武市半平太の旧宅と墓、瑞山神社 を訪問しました・・・その2 瑞山記念館

2010-12-31 | HN:史跡探訪者

観光ボランティアガイドを熱心に取り組んでいる、歴史家の根木さんに、武市半平太の旧宅と墓、瑞山神社 を案内していただきました。

武市半平太の旧宅と墓、瑞山神社 を訪問しました・・・その1 旧宅

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武市半平太の旧宅から右手に伸びている道路を歩くと石段があり、その先には瑞山神社や瑞山資料館、瑞山の墓などがある。

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瑞山記念館には、武市半平太の歴史を示すパネルなどが展示されており、訪れた方たちが熱心に読んでいる姿が印象的でした。 

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武市半平太の旧宅と墓、瑞山神社 を訪問しました・・・その1 旧宅

2010-12-31 | HN:史跡探訪者

観光ボランティアガイドを熱心に取り組んでいる、歴史家の根木さんに、武市半平太の旧宅と墓、瑞山神社 を案内していただきました。

地図はこちらです。


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道路脇に駐車場がありました。 

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武市半平太の旧宅が民家として残っており、ちょうど民家の方が居られたので、ご挨拶をして見せていただきました。

家の周りには梨園があり、ちょうど出荷時期でお忙しそうでした。 

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手入れが行き届いておりました。「龍馬伝」ブームもあって、訪れる方は毎日相当おられるようです。

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高知市:武市半平太旧宅及び墓

土佐勤王党の盟主、武市半平太旧宅と墓は、昭和11年(1936)9月に国の史跡に指定された。旧宅は、半平太が城下に出たとき以来、武市家の所有を離れているが、母屋・土蔵などは郷士屋敷の面影を残している。

旧宅から右手に伸びている道路を歩くと石段があり、その先には瑞山神社や瑞山資料館、瑞山の墓などがある。

※武市半平太旧宅は現在個人宅につき、立ち入りできません。

 

高知市:文化財情報 史跡 武市半平太旧宅及び墓

解説

下田川にかかる瑞山[ずいざん]橋をわたって南にのびた道を進むと昔のたたずまいを残した家並みと田園が開けてくる。途中の小道を東に進むと武市半平太の旧宅につきあたる。もとは、藁葺で間数6室、客室は8畳で柱に半平太が字を刻んだ痕がある。東南の客室の前面に池や庭をつくってあり、土蔵(現存しない)、物置もあって、典型的な郷士屋敷である。半平太は1829(文政12)年9月27日生まれた。家は郷士で約52石を領したが祖父・父は白札格となり上士待遇であった。1849(嘉永2)年家督を相続。高知城下新町田渕の郷士島村源次郎の娘、富と結婚し、妻の叔父島村寿之助とともに田渕に剣術・槍術の道場を開いた。1861(文久元)年江戸に赴き、長州の久坂玄瑞・桂小五郎、薩摩の樺山三円らと交わり薩長土の提携に尽力した。同年8月大石圓[まどか]らとはかって土佐勤王党の盟約書をつくり、党主となった。土佐藩の一藩勤王を説いたが、吉田東洋に書生論として退けられ、1862(文久2)年4月8日東洋を暗殺して土佐藩を勤王化することに成功した。同年10月半平太は柳川左門と称し、副勅使姉小路公知の雑掌として護衛にあたり東下の大任を果たした。1863(文久3)年3月には京都留守居加役となったが、4月には帰国し、その後山内容堂に藩政改革をせまったが、容堂の公武合体論をかえることはできなかった。同年8月18日の公武合体派による政変の結果、土佐勤王党も弾圧をうけ、9月21日半平太は投獄された。1865(慶応元)年閏5月11日切腹を命ぜられ37歳の命を絶つ。「花は清香に依って愛せられ、人は仁義を以て栄ゆ。幽囚何ぞ恥づべき、只赤心の明かなるあり」は半平太の獄中の作である。
 半平太の墓は旧宅の前の小道を南に進むと、瑞山神社があるが、その上の丘陵にある。

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