高知市観光ボランティア・ガイドの人達と、植木枝盛邸跡を訪ねました。
記念碑は、昭和2年(1927)5月、市村合併記念として小高坂村が建立したもの・・・だそうです。
高知市の城西公園横の江の口川西側に位置する、越前町の小路にありました。
出典:土佐の歴史散歩植木枝盛旧邸&高知市中心部歴史地図
出典:植木枝盛(うえきえもり)= 民権かぞへ歌
1890(明治23)年の第1回衆議院議員選挙に高知3区から当選、第1回定国議会における予算案の議決で政府側に妥協し、東洋のルソーといわれた中江兆民をはじめとする他の民権派から裏切者と非難され、自由党脱退を余儀なくされた。第2回総選挙立候補準備中の1892(明治25)年1月23日、持病の胃腸病が悪化し36歳の若さで東京にて没した。
平易な文体で民権思想を説いた『民権自由論』、世界政府構想を示した『無上政法論』をはじめ、『天賦人権弁』『一局議院論』『東洋之婦女』『植木枝盛日記』など多数の著作や論説を残しているが、「海南新誌」の創刊号巻頭で彼が言った「自由は土佐の山間より出づ」という言葉は、土佐の自由民権運動を表す最も代表的な言葉となる。
植木枝盛は明治11年からこの家に住み、憲法の草案を書いた・・・
HN:史跡探訪者