黒ウサギ外伝

本編『黒ウサギ的こころ』のブログです。

山鹿流陣太鼓

2021-12-22 17:23:53 | 戯言
もう過ぎましたが、12月14日は、元禄15年(1702年)赤穂浪士47人が江戸・本所松坂町の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた日です。

この時打ち鳴らしたのが、山鹿流陣太鼓。

毎年この時期は、なぜ山鹿流陣太鼓を打ち鳴らしたのか、その山鹿流とは何なのか書こうと思ってたんです。

とりあえず山鹿流とは、山鹿素行という人によって著された兵法の流派ですけどね。

これね、調べるとすごく面白くて、歌舞伎や演劇・映画等々では、浅野内匠頭が善人で吉良上野介が悪者と描かれてます。

それを説明しようと思ってたけど、話が長くなるし読む人もいないと思ってボツにしてました。

けど、今はユーチューバーさんの小名木善行先生が、講談調で判り易く解説してました。

30分と長い動画でありますが、興味ある人は引き込まれるかも知れませんし、一つお利口さんになると思います。


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
忠臣蔵 (川崎鉄馬)
2021-12-22 22:37:46
>浅野内匠頭が善人で吉良上野介が悪者と描かれてます
まだ動画を見ていませんが、松の廊下で刀を抜けばお家取り潰しになり、臣下の民が路頭に迷うことはわかっているのにかっとなって抜いてしまう。忠臣蔵ファンには申し訳ありませんが、私に言わせれば単なる「おばか」です。
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Unknown (ぽんた)
2021-12-23 05:10:03
最後まで観ました!
お利口さんになりました。
ありがとうございます!
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川崎鉄馬さんへ (黒ウサギ)
2021-12-23 06:36:50
山鹿素行という人について調べたら、結局忠臣蔵に辿り着いたのが数年前の事でした。
私が書くと動画を見なくて済みますが、かなりの字数になるので動画を見れば分かります。
浅野内匠頭は決しておバカじゃないって事を。
そして、当時の民衆は、それをみんな知ってたってのも驚いたんですよ。
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ぽんたさんへ (黒ウサギ)
2021-12-23 06:38:58
長い動画でしたので見る人はいないかと思ってました。
観てもらえてありがとうございます。
ホント、一つ利口になったでしょ(笑)
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動画はみていないですけれど… (みちのく好き)
2021-12-23 18:36:02
陣太鼓は創作とされているようですね。
山鹿で有名なのは、長州藩の尊王思想でしたか。
吉田松陰氏を調べていたときに、目にした記憶があります。
北方の土着民を指す、攘夷の夷は気に入らないですけれど(笑)

吉良氏との深い交流も記録にあり、赤穂にも縁が有るらしいですね。
そして後年評価を転換させた細川氏ですが、その領地内で密かに守られた、預かり十七士の遺髪菩提があるのが山鹿市だとか。
由来は会津の山鹿町なのでしょうけれど、奇妙な縁が巡っているように感じました。
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みちのく好きさんへ (黒ウサギ)
2021-12-23 21:10:41
山鹿陣太鼓を鳴らした鳴らさないはどうでもよくて、それほど赤穂藩士らは、山鹿素行の儒学や兵法、そして尊王思想『中朝事実』を叩き込まれてたそうです。
反する吉良家は、足利御三家の親戚で・・・
書くと長くなりそうなので止めておきます(笑)
動画を見ると解ります。
数冊の本を読んで『へぇ~』と思った事が、この30分の動画に集約されてますからね。
しかしまあ、今は便利な時代だと思いますよ。
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殿!! 殿中でござる!! (ポン吉)
2021-12-23 21:53:42
大阪時代、仕事(半分は観光)で播州は赤穂を訪れたことがあります。
大石神社や赤穂の歴史(塩の生産なども)に触れられました。瀬戸内海もまた美しい場所です。
(近くにあるたつの市は渡島当別のトラピスト修道院の先生もしていた三木露風先生の故郷)
そして月日は流れ、私は東京に飛ばされました。
東京での勤務先は地下鉄「泉岳寺駅」の上にありました。
その勤務先から徒歩数分の場所にあったのが浅野のお殿様はじめ赤穂義士の眠るお墓のある泉岳寺。
二日酔い+寝不足の日、春の桜の花見どき、毎年幾度となくお寺にお参りに行っていました。
お墓の入り口に売っている線香の束を買ってはお墓参りをしたものです。(こっちにある自分のご先祖の墓参り以上に)
幾つかの書物も読みましたが、本当のところは想像するとして、日本人の心に刺さる出来事であったことは事実ということで……、以下略。
北海道で生まれ育つと、東北以南の倭人としての歴史が長い地方に行くと、素直に感動したりしたものです。
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ポン吉さんへ (黒ウサギ)
2021-12-24 06:37:14
実際に赤穂市も泉岳寺も行かれましたか。
それなら史実がこの地にあった事を実感されたでしょうね。
当時の赤穂は、塩でかなり財政が良かったそうで、現在でも塩は作られてるみたいですね。
まあ、近年はしまなみ海道の島の一つ伯方島の伯方の塩の方が有名になっちゃいました(笑)
どっちも行ってみたいですよ。
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動画をみました! (みちのく好き)
2021-12-24 09:10:53
なるほどです。
更なる強大な日王を目論んだ織田氏が倒れ、後の豊臣氏は皇室を敬い配慮して幕府を築かなかった。
そして西欧との関係も確立されたことから、朝鮮出兵で明との悪弊を断ち切る。
で、徳川氏はそれら多くをリセットしたってことでしょうか。
ですから、豊臣恩顧五奉行の傍系である浅野氏が、あのような行為に及んだと。
そんな感じでしょうか…

何かで読んだのですが、バチカン門外不出のイエズス会史には、日本は明の属国で後にポルトガルの植民地になったと記載されているそうな。
戦国時代に多くの奴隷商人(切支丹宣教師など)が、膨大な数の日本人を売買していたそうですから、鎖国政策や強力な遷都幕府など、そうなっていったのも必然だったのかな…
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みちのく好きさんへ (黒ウサギ)
2021-12-24 11:28:29
30分の長い動画を見て頂きありがとうございます。

この小名木善行氏がどういう人かまだ分かってません。
けど、多岐に渡りなんだかよく研究してると思います。
チャンネル登録数が23万もあるんだから、やっぱり凄いのかも知れませんけど・・・
で、秀吉の朝鮮出兵についても出てるんですけどね。
まだ見てないので分かりませんが、私が本を読んで知った事とは、また別な事を言うんじゃなかろうかと思ってます。
長い動画なのですが、本を読むより早いけど、自分で調べて知った知識と違い、ようつべでちょこっと見て知る知識、これで良いのかとも思っちゃってね(笑)
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