どこの炭坑町もそうだが、現在の炭住(今は市営住宅?)には人が殆んど住んでません。
7年前に行った時は、数軒に一軒ぐらい住人が居た記憶があります。
それもそのはずで、現在の三笠市の人口が約8000人、7年前が約9000人ですから。
簡易舗装もダート状態。
どこか思い出せないけど、こういう所にも住人がいました。
分かりづらいですが、人は減っても『シカ注意』の看板は増えていた。
誰もいやしません。
道幅が広くて公園もあるから、当時は子供の声が聞こえてたでしょう。
窓にコンパネが貼られてる家ばかりです。
議員さんのポスターを貼って意味あるのかと思った。
奔別炭鉱付近は、まだ結構住人がいます。
弥生抗坑口付近です。
この道の広さを考えると、当時は車の往来も凄かったんだと思います。
ダートに見える道ですが、しっかり舗装です。
アスファルトの所と・・・
コンクリートを敷き詰めた道は、トラックが沢山走ってたんでしょう。
戸建ての家には人が住んでますね。
奔別立坑付近だとまだ人が結構いました。
アカダモの木へ向かいます。
アカダモの木のそばにいるおばあちゃんが、第一幾春別住民です。
誰もいないから幾春別橋も写真撮り放題。
川の水が汚いのが玉に瑕でした。
清流だと良いのにね。
ここが当時の幾春別の繁華街だそうで、右にチョット見えるのが大正時代からの更科食堂でした。
賑やかだったんでしょうね。
人が住む所に神社ありですから。
『魚染の滝』でした。
奔別と幾春別のトラックログ。