栗太郎のブログ

一人気ままな見聞記と、
手づくりのクラフト&スイーツ、
読書をしたら思いのままに感想文。

杜の都仙台を行く(3) 大崎八幡宮

2015-12-03 04:11:58 | 見聞記 東北編
大橋を渡り、左手の公園に「源吾茶屋」の看板を見つける。さっそく食べログで検索すると、地元では有名な店らしく、創業130年を超えるらしい。ずんだ餅が名物とのこと、こりゃ疲れた身体にちょうどいいい一服。でてきたずんだ餅、620円也。枝豆をすりつぶしたブツブツ感がよい。でも、お漬物ってこちらでは添え物として普通なのか?5分もかからず平らげ、外に出ると、正面にはイチョウの木。黄色い葉っぱに埋もれたぎんなん . . . 本文を読む

杜の都仙台を行く(2) 政宗と魯迅

2015-11-29 20:38:57 | 見聞記 東北編
踏み出したレンタサイクルはすこぶる快調。市立博物館を後回しにして、上機嫌で本丸を目指した。まずは、仙台城の象徴、大手門脇櫓の横を通り抜け、左へ折れる。電動でもやっぱりキツイ。道路が狭く、バスが通ると行き違いも容易ではなさそうだ。自転車をバス停にとめ、ようやく本丸跡にたどり着いた。学生のときに一度来ているので、おおよそ27か28年振りになる。「こんなだったかなあ?」もう記憶なんて忘却の彼方。政宗の騎 . . . 本文を読む

杜の都仙台を行く(1) うなぎと瑞鳳殿

2015-11-25 21:26:43 | 見聞記 東北編
近頃、あいかわらず休みは取れないが、おこづかいが増えたおかげで遠出も増えた。そのせいか、ブラタモリを観ては知識欲を刺激され、「街道をゆく」を読んでは旅愁を駆り立てられる。それが高じて、ついつい「街道をゆく」のDVD完全版をヤフオクで買ってしまう始末。高野山のブログを書ききらないまま、週末の僕は、始発の在来線に乗り込み、遠路仙台まで北へ向かっていた。栃木県を抜ける頃に東の空が白みだし、車窓からの小峰 . . . 本文を読む

出羽三山の旅(9) 羽黒山五重塔

2015-10-02 21:43:37 | 見聞記 東北編
羽黒山参道の門前町、手向(とうげ)の駐車場に車をとめる。いまでも数軒の宿坊があるが、江戸時代にはひしめき合うほどに宿坊が並んでいた名残を感じる。明治以前は仁王門と呼ばれた、随神門。ここから羽黒山へとつづく石段は2446段、1.7km。随神門をくぐり、石段の続く継子坂を下る。神域に足を踏み入れた気配。下ってきた継子坂を振り返る。石畳は直角に折れ、秡川(はらいがわ)にかかる神橋にいたる。ここがあの世と . . . 本文を読む

出羽三山の旅(8) 羽黒山

2015-09-30 04:53:50 | 見聞記 東北編
日暮れ前に、羽黒山に着いた。朝に宇都宮を出て、月山を参詣して羽黒山までやって来れるのだから、ありがたい時代になったものだ。羽黒山は、再訪。今から1400年の昔。推古元年(593)に、崇峻天皇の第一皇子・蜂子皇子(はちこのおうじ・能徐太子とも)が羽黒山を開いたとされる。崇峻天皇といえば、蘇我馬子に暗殺されたひと。その子であるなら、難を逃れてはるか遠くこの庄内に逃げ延びてきたのだろうと思う。諏訪のタケ . . . 本文を読む

出羽三山の旅(7) 月山

2015-09-23 17:37:03 | 見聞記 東北編
湯殿山と即身仏を拝観した一日を過ごした、その数日後。「今度の休みに予定がないんだけど、山形、また行く? 月山とか、羽黒山とか。」とJ君に水を向けると、「行く」と即答。せっかく「出羽三山」の一つに行ったので、ほかの二つも熱が冷めないうちに行かないとどうも気が済まなかったのだが、J君も同意見のようだった。そこで、まるで数日前をなぞるような時刻に宇都宮を出て、東北道を走り、山形市内の風景を横目にして、奥 . . . 本文を読む

出羽三山の旅(6) 海向寺

2015-09-17 19:28:52 | 見聞記 東北編
南岳寺を辞して、高速に乗り、右手に広がる庄内平野の広々として豊かな田園を感嘆のまなざしで眺め、酒田市内へ入る。土門拳記念館をあきらめ、本間家を素通りし、進路をナビにまかせながら海向寺へ向かう。庄内地方にある湯殿山系と言われる即身仏6体のうち、4体が鶴岡市内にあるが、残り2体がこの海向寺にいらっしゃるのだ。「庄内って映画のロケ地が多いけど、どこか寄って見たいとこってあった?」と、どうせ寄る気もないく . . . 本文を読む

出羽三山の旅(5) 南岳寺

2015-09-11 23:53:36 | 見聞記 東北編
次に、山近くのロケーションを離れ、鶴岡市街へ。はじめて足を踏み入れた鶴岡の町は、ゆったりした平野部の中核都市らしく、建物が高くなく、道幅も広く、空も大きい。目的地の南岳寺は、鶴岡市内旧国道7号線からわずかに入ったところ。周りは住宅に囲まれた場所にある。こちらもかつては注連寺の末寺で、御行寺と呼ばれていた。コンクリ造りの本堂。かつての堂舎は、昭和31年に火難にあい焼失している。事前予約もなしに訪れて . . . 本文を読む

出羽三山の旅(4) 本明寺

2015-09-10 03:34:46 | 見聞記 東北編
次に訪れたのは、注連寺の末寺にあたる本明寺。ちょうど、十王峠を平野部に下りてきた位置にある。ここで即身仏となっている本明海上人は、もと庄内藩の下級武士、富樫吉兵衛。39歳の時、藩主酒井忠義の病気平癒を願って湯殿山に代参し、そこで霊感を受けた富樫はそのまま湯殿山に残った。帰参の命を無視した富樫は藩主の怒りに触れ、妻子追放、家禄没収の処分を受ける。彼はそのまま注連寺に入って出家し一世行人となり、本明海 . . . 本文を読む

出羽三山の旅(3) 注連寺

2015-08-30 18:45:17 | 見聞記 東北編
次に、同じ大網地区のなかのお隣の集落、七五三掛(しめかけ)にある注連寺へ。集落の七五三掛という名前からも、寺の名の注連寺からも、その名から連想されるのは「しめ縄」であり、神社の神域の中にあるお寺であることがわかる。このお寺が、森敦が寄宿し、のちに芥川賞をとった『月山』の舞台だ。森は、戦後間もない貧しい時代、本堂の奥にある二階屋の二階に一年弱居候した。その二階屋の前に、森を顕彰した石碑があった。「月 . . . 本文を読む

出羽三山の旅(2) 大日坊

2015-08-23 03:07:01 | 見聞記 東北編
湯殿山神社から下って、大日坊へ。大日坊は、湯殿山の本寺として栄えた。神仏習合の時代、ここも湯殿山神社とふかく結びついていたわけだ。そして湯殿山が女人禁制の頃(戦後に解除された)は、女性はこの寺までしか参拝できなかった。国道から案内に従い坂道をのぼり、ぽつぽつと民家の建ち並ぶのどかな田舎の風景の中に寺はあった。藁葺きの仁王門が目立つのですぐにわかった。鎌倉時代建立という。中を覗くと、風神様と雷神様が . . . 本文を読む

出羽三山の旅(1) 湯殿山神社

2015-08-11 23:45:52 | 見聞記 東北編
羽黒山、月山、湯殿山、その三つを総して出羽三山という。そのなかで湯殿山は、三山の奥宮とよばれ、修験道の霊場であった。古来より『語るなかれ、聞くなかれ』と戒められ、参拝したものはその体験したことを秘匿すべしとされた。と言いいながら、観光案内のチラシには拍子抜けするほど手軽に、この社に本殿はなく、御神体は岩だと書かれている。しかし、本殿がないだの岩だのと聞いてはみても、行ってみて見てみないとやはり気が . . . 本文を読む

奥州三春観桜記

2015-05-23 13:22:51 | 見聞記 東北編
郡山市から東に行くと、小さな城下町・三春がある。三春は、梅 桃、桜、三つの花が一度に咲くから三春という。幕末、ここ三春藩は、新政府軍が奥州の地に踏み入るや、奥羽列藩同盟から離脱した。離脱したというよりは、あからさまな裏切りで、武士の節義もどこへやら、地理に不案内な新政府軍の先導を務めた。おかげで、白河・棚倉を経てきた板垣退助率いる新政府軍は、三春を悠々と通り抜け、留守部隊が守る手薄な二本松をおとし . . . 本文を読む

陸奥の旅 '13初夏(3) 末の松山

2013-07-15 18:16:07 | 見聞記 東北編
JR仙石線、本塩竃駅から仙台に向かおうとしてた。目的は、開演6時の柴田淳のコンサート。時計をみると、4時半前。これは少し寄り道ができそうだ。そこで僕は、多賀城駅で下り、末の松山を訪れることにした。駅から歩いてほどなく、末松山寶国寺に着く。この裏手に、末の松山がある。これがそうだ。かの芭蕉も、奥の細道で訪れている。まあ、そのときはこんなにデカイ松ではなかったろうけど。 石碑に、古今和歌集、東歌の一 . . . 本文を読む

陸奥の旅 '13初夏(2) 陸奥一之宮塩竈神社

2013-07-11 03:09:23 | 見聞記 東北編
古代、多賀城から海路へ向かう港町は塩竈だった。だから、塩竈は国府津(コウヅ)とも呼ばれていた。今でも、呼び名が転化した「香津」という地名が残っている。多賀城の東門(北東の位置)から、陸奥の総社前を通って塩竈にいたる道は、当時の官道にあたり、塩竈神社のある高台の南角に行き着く。その高台を、一森山(イチモリヤマ)という。JR東北本線に乗って塩竈駅で下り、徒歩でここにたどり着いた僕は、その交差点に立ちど . . . 本文を読む