栗太郎のブログ

一人気ままな見聞記と、
手づくりのクラフト&スイーツ、
読書をしたら思いのままに感想文。

「海炭市叙景」 佐藤泰志

2019-08-03 18:18:54 | 見聞記 栃木編
「そこのみにて光り輝く」「黄金の服」等の佐藤泰志。自死したのちに評価されるのも皮肉なものだが、むしろそんな人生を選んでしまった繊細さゆえの作品の気高さかとも思ってみる。架空の町、海炭市。そこに住む人々の暮らしを丁寧にあぶる。モデルはまぎれもない函館市だが、廃鉱やらもう少し肉付けをされていた。寂れていく旧市街と、無機質さを覚える郊外の開発地の対比が、時間や貧困や親子の対比と妙にシンクロしている。重松 . . . 本文を読む

坂東三十三観音 午歳特別結縁巡礼で、西明寺へ

2014-09-13 07:11:34 | 見聞記 栃木編
すっかり忘れていた。今年は午歳。かつて源頼朝が、西国霊場を模範として発願したのをはじまりとする坂東三十三観音札所の「午歳特別結縁巡礼」の年で、各寺でご本尊のご開帳をしているのだった。観音さまの住まう補陀落浄土は南の方角。十二支で言えば、午。それにあわせて、12年に一度の午歳に、特別にご開帳をしているというわけ。遠出は無理でも、せめて近所の札所のご開帳くらい拝んでおかねば、ホトケさん好きを公言できな . . . 本文を読む

とちぎを歩く 太平山大中寺

2014-07-21 18:09:42 | 見聞記 栃木編
江戸時代の国学者・上田秋成(1734~1809)は、茶人、俳人、医者のほかに読本作家の顔を持つ。その代表作が、怪奇ものをまとめた『雨月物語』。先日、熊野新宮市にあった浮島の森に住む大蛇の話(蛇性の淫)を知りたくて、いくつかの『雨月物語』本を取り寄せた。その『雨月物語』のなかには、栃木に実在の寺の話も収められていた。 それが、『青頭巾』という話。かいつまんで言うと・・・この寺の住職が、越の国に行っ . . . 本文を読む

とちぎを歩く 出流原湧水池

2014-07-12 18:54:36 | 見聞記 栃木編
先週末。いつものJ君とJ君の彼女との3人で、足利へ歌舞伎を観に行く道すがら、国道293号線そばの出流原湧水池に寄った。僕は、毎回この国道を通るときに遠望できる、山の中腹にある懸造のお堂の正体が気になっていた。懸造(かけづくり)という建築形式とは、山や崖の斜面に張り出して建物を建てる工法。懸とは、崖でもあるのだろう。そのお堂が、湧水池脇の石段をあがったところにあるのだ。 登り口「弁才天」という扁額の . . . 本文を読む

「日本近代洋画への道 山岡コレクションと高橋由一の名品を中心に」@栃木県立美術館

2014-02-07 18:27:30 | 見聞記 栃木編
高橋由一、たかはしゆいち。恥ずかしながら、その名前をしかと意識したのは数年前。県立美術館が館の40周年を記念して、由一の「驟雨図」を購入したというニュースだった。記事を読んではじめて、ああたしか教科書に載ってたあの「鮭」の人か、と気がついた。 これです。→     明治10(1877) 東京芸大所蔵知っていたとはいえ、だいたい、あんな吊るされただけの鮭の油絵の何がすごいのか、若い頃の僕に . . . 本文を読む

弥生人の祈り ―東国の再葬墓― @県立博物館

2013-11-17 00:20:43 | 見聞記 栃木編
先日。発掘調査に携わる知人から、一枚の招待券をいただいた。それは、県立博物館でやっている「弥生人の祈り -東国の再葬墓-」。まず、そのタイトルにある「再葬墓(さいそうぼ)」とは、なにか。「遺体を白骨化させたあと、その骨を土器などに入れて埋納する葬法」という。もう少し言い直すと、土葬、鳥葬などで一度葬った遺体が骨になってから、焼いて、その一部を土器などに入れてあらためて埋葬すること。では、なぜそんな . . . 本文を読む

終戦のとき、司馬遼太郎は佐野にいた。

2013-08-15 23:55:55 | 見聞記 栃木編
作家司馬遼太郎は、終戦のそのとき、栃木県の佐野にいた。日本陸軍、戦車第一連隊第五中隊の小隊長であった。当時、アメリカ軍との本土決戦にそなえて、大陸から移動してきた戦車部隊が佐野に駐屯しており、若き青年将校・福田定一少尉(司馬遼太郎)もその部隊のひとりであった。戦後、作家として名を成した司馬さんは、胸躍らされる幾多の歴史小説を書き、多くのエッセイ・対談、紀行文を残している。日本の歴史への造詣はことの . . . 本文を読む

「足利尊氏展 その生涯とゆかりの名宝」 @栃木県立博物館

2012-12-06 03:20:36 | 見聞記 栃木編
※いまさらながら、11月17日の見聞記です。 足利尊氏展足利尊氏は、郷土で一番の出世人でありながら、栃木県人はそれをあまり自慢しない。戦乱によって時代が変わったほかの時代、例えば、源平の争いののちの鎌倉幕府、関ヶ原ののちの江戸幕府、戊辰戦争ののちの明治政府など、ほかの歴史の転換期とくらべて、室町幕府成立という出来事にはロマンがないのか。尊氏を描いたといえば、吉川英治『私本太平記』(全8巻)。原典で . . . 本文を読む

「戊辰戦争 ―慶応四年下野の戦場―」 @県立博物館

2012-05-24 03:17:38 | 見聞記 栃木編
今、県立博物館で「戊辰戦争 -慶応四年下野の戦場-」展、開催中。幕末、旧幕府軍と新政府軍が日本各地で戦火を交えた戊辰戦争は、ここ宇都宮でも激戦があったのだ。久々に幕末ものに触れたくて、いそいそと僕は出掛けてきた。 入口のポスター会場に入るとまず、緑色の錦旗が目に入る。鳥羽伏見で戦端を開いた戊辰戦争で、新政府軍は各軍の先頭にこの錦旗を押立て進軍した。これこそ『官軍』の証しであった。はじめ、長い徳川幕 . . . 本文を読む

私をホッケーに連れてって!

2012-01-29 18:07:04 | 見聞記 栃木編
先日、夜のバイトで偶然、アイスバックスの選手と話す機会があった。日光アイスバックスは、その名の通り、日光に本拠地を持つブロアイスホッケーチーム。古河電工時代から続く、日光の誇るスポーツ文化なのだ。だからもちろんご当地では、小中学生からして全国レベルである。日本のアイスホッケーリーグの現状といえば、ずいぶん前に、西武系列の西武鉄道と国土開発がリーグから撤退してからこのかた低迷し、今では韓国と中国のチ . . . 本文を読む

永徳寺の秘仏、62年目の千手観音様のこと

2010-12-05 21:13:05 | 見聞記 栃木編
先日の11月28日、日曜日。下野三十三観音札所のひとつ、市貝町の永徳寺で、62年振りにご本尊のご開帳があった。前回のご開帳といえば、昭和23年のことになる。ほんとは60年目の一昨年に御開帳のはずだったのだが、その年は、ここの自治会がたまたま地元鎮守社のご祭礼当番にあたっていた。一年間にふたつものお祭りを負担するのは大変と、2年後にずれて今年となった次第。さて、ふだんの永徳寺は、観音山の山頂に残る小 . . . 本文を読む

「なすのゆりがね・産金の歴史」@県立なす風土記の丘資料館 湯津上館

2010-11-10 21:30:38 | 見聞記 栃木編
湯津上村にある県立なす風土記の丘資料館湯津上館で、企画展「那須のゆりがね-産金の歴史-」を観てきた。 なす風土記の丘・湯津上館 企画展のチラシなす風土記の丘HP 古代、那須国は陸奥国と並んで黄金が採れる土地として中央では広く知られていた。タイトルにある「ゆりがね」とは、川の砂利をさらって砂金を選り分けていた採取方法のことである。国内での金の産出といえば、749(天平21)1月の陸奥国小田郡での発見 . . . 本文を読む

とちぎを歩く  シモレン煉瓦窯

2010-06-03 21:14:02 | 見聞記 栃木編
先週の5月29日土曜日。野木町にある、明治時代の煉瓦窯の説明会に行ってきた。町の所有なので、役場の生涯学習課の職員さんのご案内です。 『ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする』と謳われたように、ご一新が明けて明治の世の中になると、「殖産興業」「脱亜入欧」などに代表される新政府の政策により、日本人はとり憑かれたかのように洋風を好んだ。もちろん都市部の町並みも、木造建築から煉瓦造り . . . 本文を読む

「土佐源氏」坂本長利 一人芝居 @ 佐野・ギャラリー小楢

2010-02-27 23:21:40 | 見聞記 栃木編
小汚い身なりの盲目の老人が、一本のロウソクの明かりのなかで語り始める。 「あんた、よっぽど酔狂者じゃ。乞食の話を聞きに来るとはのう・・・」 冒頭、こう切り出し、一人語りで終始するこの芝居。 高名な民俗学者・宮本常一が、高知の梼原で聞き取ってきた話である。 高貴な公家の世界が「光源氏」なのに対して、田舎の馬喰(ばくろう)の色恋は「土佐源氏」というわけらしい。 はじめて土佐源氏と聞いたとき、てっき . . . 本文を読む

とちぎを歩く   広済寺の円空仏

2010-01-17 21:01:53 | 見聞記 栃木編
古墳を見たあと、空いた時間で鹿沼に足を延ばした。たしか、円空仏があったような記憶がちらり。手元の資料を調べると、例幣使街道沿い脇の広済寺という寺らしい。地図をたよりにやってきた。山門をくぐり、案内を請おうとしたところ、目の前のお堂に人影が。「円空仏がこちらにあると聞いて伺ったのですが、御開帳とかされているのですか?」そう問いかけると、苦笑しながら返ってきた答えは、「それは今日だよ。で、今鍵を閉めた . . . 本文を読む