江戸時代から明治にかけて、刑場において「首切り」を専門に行ってきた山田浅右衛門の物語。当主の名は代々受け継がれ、幕末は7代目を吉利、その跡を長男吉豊が8代、三男の吉亮(よしふさ)が9代を継ぎ、明治の代となる。明治12年の高橋お伝の処刑をもって、200年続いたその家業を廃した。(ただし、この小説の中では明治14年の処刑をもって最後としてある) 家職
小説仕立ての進行でありながら、関係する事件の詳細を記述し、筆者の推量にて種々の経緯や人物の心情を説明しているので、「浅右衛門に関する膨大なレポート」と言ったほうが近い。山田家としては本来、首切りは副業で、刀剣の鑑定が本業であったらしい。人斬り包丁である刀は、人間を斬る切れ味こそが価値で、そのため鑑定には実際の試し切りが必要となる。その試し切りには処刑人の死体を用いるのが常で、その関係から処刑行為も請け負うことになったわけだ。また、山田家は「浅右衛門丸」なる丸薬を製造していた。その調合には人の肝が重用されており、つまり、処刑後の死体から取り出した生胆も山田家の大事な薬剤となった。役得といえる。
ここでは、世間から”首切り浅右衛門”と恐れられた山田家の面々の、江戸末期から明治の世に移り変わる時代に取り残されていく様が描かれている。序盤、世間から賎業と蔑まされぬよう、山田家の男たちが襟を正す矜持が清々しい。しかし、明治の新しい世の中のなった時点で家業を取り上げられなかったとはいえ、ほどなくして廃刀令がでるわけだし、処刑自体は職人を必要としない、作業としてはごく機械的な仕組みへと変えられていくのは目に見えており、山田家の廃退は必定であった。はたして、山田家の老父、その後妻、そして四兄弟の間には波風が立ち、家そのものが瓦解していく。浅右衛門は、徳川の世の中と共に去る運命だったのだ。彼らの誇りや技量は、明治の世には必要とされないものだった。最後の当主、吉亮の苦悩が重なり、自分こそと張りつめていた矜持を揺さぶられるように砕かれていく様は気の毒になった。
ただ、山田家の置かれた実情を補足するあまり、情報が過多となっている点は否めない。たしかによく調べ上げているが、その中には筆者独自の推理も多く(例えば三島由紀夫割腹事件、後妻の素伝の人物像など)、この小説をドキュメンタリに近い史実と見ていいのか、あくまでフィクションととらえた方がいいのか迷う部分があった。
ラスト、明治14年の最後の処刑の場面が秀逸である。そこには「呪われた山田家」の末路が惨めにも描かれている。その惨めさゆえに、記録では明治12年を最後としている、わけか。
満足度10点満点中6.5★★★★★★☆
新装版 斬 (文春文庫) | |
綱淵 謙錠 | |
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