栗太郎のブログ

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出羽三山の旅(4) 本明寺

2015-09-10 03:34:46 | 見聞記 東北編

次に訪れたのは、注連寺の末寺にあたる本明寺。ちょうど、十王峠を平野部に下りてきた位置にある。
ここで即身仏となっている本明海上人は、もと庄内藩の下級武士、富樫吉兵衛。
39歳の時、藩主酒井忠義の病気平癒を願って湯殿山に代参し、そこで霊感を受けた富樫はそのまま湯殿山に残った。
帰参の命を無視した富樫は藩主の怒りに触れ、妻子追放、家禄没収の処分を受ける。
彼はそのまま注連寺に入って出家し一世行人となり、本明海と名乗った。



大日坊、注連寺と違い、ここは予約がいる。というのも、住職は別に仕事をもっているからだ。
石段を上り、正面の本堂へ。
前もって在宅を確認してから来てみると、老齢の婦人が案内をしてくれた。

 本堂

本堂の右奥にある即身仏堂。



お堂の扉を恭しく開け広げると、正面の厨子の中のホトケ様は白い法衣を纏っていた。
手は、おそらく合掌していたままらしく、胸の前で固まっている。
このホトケ様、当の本人である本明海上人が藩主の眼を治したことから、眼病に効があると言われている。
そのほか、このホトケ様の伝承は本当はまだいろいろとあったのだろうが、先代住職が早くに亡くなってしまったがために、詳しくは伝わっていないらしい。

話を伺いながら、このホトケ様も土中入定なのか気になって、
「上人は、仙人沢で入定されたのですか?」と尋ねると、
「お堂をでて左手に行くとすぐに、その場所がありますよ。」という。
案外身近にあることに驚きながら、看板通りに歩いてみると、まさしく寺のすぐ裏手にあった。



本明海上人は、千日の五穀断ち、千日の十穀断ち、さらに、松の甘皮だけで五か月を過ごし、天和3年(1683)、61歳で土中入定。
身辺の世話をしていた弥右衛門は、上人から3年3か月後に掘り起こしてくれと頼まれていたが、怖くてできなかった。
すると5年後、枕元に上人が現れて催促され、ようやく掘り出したのだという。
即身仏になった上人は、防腐効果のために全体に漆を塗られているのだが、上人の眼が怖く感じた大工が、特に眼に漆を多く塗った。
のちにその大工は眼を患い、それからは、上人の身体に触れると祟りがあると言われるようになったという。
現在、庄内地方に残る即身仏の中では最も古く、損傷も少ない。

帰ろうかと振り返りふと足元を見ると、クルミの殻が落ちていた。
野性の小動物の食事のあととも思えるこの殻は、お供物をつまみ食いしたものだろうか。
はたまた、山から下りてくるときにわざわざ持参して、塚の前で上人の供養をしながら食べた残骸なのか。



拝観料をたずねると特にいただいていないという。
御朱印のお代として納めた600円(2冊分)では余りにも心苦しいというYちゃんの提案で、志料を別途納めさせていただいた。





そもそもここ庄内地方に、なぜ多くの即身仏があるのかを考えてみた。
それを問えば、湯殿山が真言宗であり、即身成仏は真言密教の教義であり、宗祖空海の名にちなみ「海」の字を付けられたホトケ様が多い、という答えが返ってくる。
まあ、それはそうなのだが、じゃあ、なんで他の真言密教の修験場と呼ばれる土地に、即身仏がないのか?そう不思議に思った。

その答えは、松田壽男氏の著書『古代の朱』にあった。

古代の朱 (ちくま学芸文庫)
松田 壽男
筑摩書房

(これは、朱、つまり水銀に関わる詳細な実地検証をまとめた本なのだが、抜群におもしろい。機会があれば後日レビュー)

その中に、「日本のミイラ」という項目があり、また巻末近くにそれを改めてまとめたであろう「即身仏の秘密」という論文もある。
そこで、湯殿山系の即身仏が多い理由に、水銀をあげているのだ。僕が湯殿山を訪れたときに想像していたとおり、やはり、湯殿山は水銀の産地だったのだ。
湯殿山近くの土壌の水銀含有量が高い値(0.04%というが、通常値は未記述)であることを調べた氏は、即身仏の体内の含有量を測ろうと試みるのだが、
宗教上、ホトケ様の身体を毀損する行為は許されない。
そこで、即身仏を食い散らかしたネズミの細胞を測定する機会を得て調べてみると、案の定水銀値が高い。となると即身仏自体も高いということにある。
なんで高いのか?、それは、とりもなおさず行人が木食行の最中に口にする菜草類の土壌自体が高い水銀値であるからで、食事から摂取した水銀はそのまま体内に蓄積していく。
それが、彼らの身体のバクテリアの減少に効果を発揮し、防腐の条件を与えることになるというのだ。
となると、防腐作用は、死の直前に飲むという漆によるものだけではなかったことになる。
だいたい、漆を飲んだところで、血液にまで浸透する訳もなく、となれば、身体の隅々までの防腐効果など望めないのではないか?
おおよそ漆は、掘り出してから身体の表面に塗るために使われるものもの。
もしかしたら「漆」というワードを使うことで、水銀の存在をカモフラージュしたのではないか?とさえ思えてきた。
ただ、けして水銀は完全悪ではなく、水銀の適量使用は人体の新陳代謝に効用はあることは忘れてはいけない。
おそらく、不老不死の薬といわれる「丹薬」はその類であろう。
しかし、何年も五穀十穀断ちをしている行人にとっては、その水銀摂取量は限度を超えていくのだ。
氏も、「そのころには水銀が脳をも冒すから、意識も混濁してくる。比較的に苦しまずに死ねるわけである。」とまで言っている。
崇高な死の覚悟を決め、死の間際まで経を唱えていると思っていた行人は、じつは意識もうろうの状態だった、というわけか。

(つづく)



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