日本のみならず、朝鮮半島や中国において、鉄とかかわってきた時代風景を、司馬さんの文章で綴る今回の旅。
司馬さんの知識の舟に身をゆだねるような読み心地は、いつもどおりの安定感があり、進む先への好奇心を駆り立てられる。
このときの一行は、司馬さんと須田画伯のほかに、朝鮮姓をもつ4人の、計6人の大一座。
この4人の存在が、日本に鉄を伝えてきた朝鮮への憧憬という雰囲気を醸していていいエッセンスとなっていた。
司馬さんが、鉄の歴史をなぞる。
東アジアの製鉄は、中国においては殷の末期ごろ(BC1100年前後)には出現していて、紀元前3世紀以後には大いに普及していたという。
ヨーロッパにおける製鉄は古代より鉱石によるものだったのに対し、東アジアでは主として砂鉄だった。
砂鉄は、花崗岩や石英祖面岩のあるとこならどこにでもあるらしい。
問題は、砂鉄の採取ではなく、燃料となる木炭の確保だった。
山陰山間部で製鉄業が盛んだった江戸期の書に、「一に粉鉄、二に木山」とある。
砂鉄から1200貫(4.5t)の鉄を得るのに、4000貫(15t)の木炭を使ったという。
それは、山をひとつ、丸裸にしなければならない木の量で、それだけの木炭をわずか3昼夜で使い切ってしまう。
だから、鉄を継続生産するための必要条件は、豊かな山林なのだ。
日本で製鉄がさかんにおこなわれた背景には、朝鮮半島や中国にくらべ森林地域が多いというだけでなく、高温多湿で山そのものが水を多量に含んでいる恵まれた環境があったのだ。
朝鮮や中国内陸部の気候は乾燥しており、日本ほど雨が降らない。
司馬さんは、おそらく古代のかの地は森林が豊かであったのに、製鉄のための伐採のおかげで、樹木のすくない荒野になったのだろうという。
日本においては、平安中期ころには鉄生産が盛んになり、鉄製農機が普及しだした。
農機具の普及・多様化は、開墾意欲を促進し、勃興した武装農場主が武士へと変化し、組織された農業はその生産高があがる。
となれば、非農業者の食い扶持も安定し、食物の確保に追われない社会は、人々のエネルギーがその他産業の発展へと向けられる。
たとえばそのひとつとして、普請(大工仕事)のための大工道具や指物道具が多種類うまれた。
そして、その道具の加工においてもまた、鉄が欠かせなかったのだ。
江戸期の商品経済の充実は、大量普及した鉄が支えていたといって過言ではないわけだ。
そして、たたらにもふれる。
『管子』の「山木ヲキリ、山鉄ヲ鼓(コ)ス」という言葉に、鉄をつくる風景を思い浮かべる。
日本刀の場合、古刀が文句なしにイイ理由はモト、つまり玉鋼にあるという。
その玉鋼こそ、たたら製鉄から作られるのだ。
そこから展開する話は、現在稼動する日立金属「安来製鉄所」について、金屋子神について、和鋼記念館についてなど。
ヤマタノオロチは「古代の砂鉄業者」で、スサノオは「辰韓の主」だという話にも、僕は興をそそられる。
2000年ほど前。朝鮮の慶州の迎日湾から、はじめに古代日本にやってきた製鉄技術者の集団は、宍道湖畔に定着していた農民に歓迎されたに違いないと、司馬さんは言う。
彼らは、自らが作った鉄の鍬で山野を拓き、土豪として成長する。
その後から来た集団は、すでに権力者が存在していたために、技術集団として独立し、技術や生産した鉄を売ったのだろう。
そして、日本に統一国家が成立すると、国家レベルで朝鮮から招びよせて、彼らは飛鳥・白鳳文化をささえる技術者になっていく。
司馬さんはそういうふうに、朝鮮半島からやってきた製鉄技術者の歴史を推測する。
その歴史のどこかで、鳥上山のヤマタノオロチ一族は、天ツ神一族(朝鮮半島からきた別の集団)のスサノオに侵略されたのだ。
なんだかそれって、スペインの部隊に制圧されたインカ帝国とアタワルパと同じような悲劇のような気がしてくる。
それから司馬さんは、吉田村をたずねる。
かつて奥出雲で製鉄を営んでいた大家は数軒あったが、そのひとつ、田部家タナベケの当主・長右衛門氏から、たたら製鉄について聞くくだりはワクワクしてしまう。
司馬さんはまた、同行の4人の在日コリアン諸氏への配慮も怠らなかった。
朝鮮鐘の話、金達寿氏「対馬まで」の話、津山の百済姓をもつ質屋の話、この旅は彼ららがいてこそ広がっていった話題が多い。
そして、旅一行に漂う上品で他人を気遣う空気は、日本人と韓国人という壁を感じることなく、同好の志への敬愛がうかがえてうれしくなってくる。
最後に一行は、岡山県加茂町に残る、たたら遺跡を訪れて旅を締めくくる。
実を言うと、僕にはそれが不満なのだ。
せっかくそこまで行っているのならば、そこを流れる加茂川から吉井川へとくだり、瀬戸内海までたどって欲しかった。
その土地こそ、中世、刀剣の生産地として名を馳せた長船、福岡なのだから。
僕にとって砂鉄の話は、面白くって仕方なく、まるで教本のように傍線を何箇所も引きながらの読書。
だけど、やはり最後は長船まで行って欲しかった気分がつよく、尻切れ感が否めない。
これのあとに、司馬さんのエッセイ集『この国のかたち・5』の「鉄(一)~(五)」を読むことをオススメ。
満足度は6★★★★★★
街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか (朝日文庫) | |
司馬 遼太郎 | |
朝日新聞出版 |
http://www.nihontomessageboard.com/articles/Study_of_Japanese_sword_from_a_viewpoint_of_steel_strength.pdf