2時間半、2時間半、の合計5時間ぶっ通し。当初の不安はどこへやら、ぐいぐいと引き込まれた。
タイトル、悪党。ゆえに、ずっと頭の中に”悪党”の単語がこべりつく。こいつか、こいつもか、一番はこいつか、こいつは違っていてくれよ、と悪党探し。見事に迷い込んだ。疑心暗鬼に駆られ、その反動で、悪党と決め込んでいた奴の独白と涙に胸をえぐられる。隙のない映画だった。
ドラマ全6話を3話ずつ、二部構成の映画に分けてある。それぞれのエピソードが深くて、重い。重大事件の加害者を追いかける探偵の話なのだから当然なのだが、東出ふんする探偵こそが負けず劣らずの重い過去を背負っているから余計に話が重くなる。が、その東出がもう抜群にいいもので、まったく辛気臭くなり過ぎない。これほどいい役者だったのか。プライベートから、演技から、声から、なにかとバッシングを受けることが多いようだが、やはりこの役者のポテンシャルはめっぽう高いのだ。やや姿勢を崩してヤツれた人物造形にはしているものの、元がスマートなだけにその佇まいは見映えがいい。なにより、佐伯になり切っている。もっとも、なり切れているのは、散々世間から袋叩きにあったからなのかもしれない。そこを擁護するつもりはないが、少なくとも彼の芸の肥やしにはなったんだろうと推察できるほど、この役が似合っていた。
そして、その東出の押し出しに負けぬ存在の松重豊。何この役者、「しゃべれども~」の頃はどこにでもいそうな長身役者だと侮っていたけど、硬派軟派変幻自在、主役脇役その立ち位置の絶妙さ、そんな近年の凄みたるや、同世代の役者陣の中では随一ではなかろうか。彼の扮する小暮所長が、対極の軟かなキャラとして存在してこそ、佐伯という人物が輝いている。
ほか、キャストの誰一人として欠かせぬ役者なし。とくに篠原ゆき子には、がっつり心を奪われた。一緒に叱って一緒に泣いた気分になれた。あ、山口紗弥加が崩れる場面もつらかったなあ。寛一郎もそれを言うか、って思ったものな。
映画が長いので、語りたいエピソードはごまんとある。その数だけ、この映画の良さもごまんとある。終盤が近づいてくると、これだけ佐伯がもがいてて、どんな結末が待っているんだよ?とだんだん不安が膨らんでいく。結末がハッピーなのか、バッドなのか、ハッピーアーなのかは明記しないけど、少なくとも、犯人に対する佐伯の落とし前の付け方は、過去の事件と決別するにふさわしいものと思えた。そしてこの映画の、ありきたりのような結末も、これでいいと思えた。
❻ サヨナラまでの30分
冒頭の疾走するようなカメラワーク、一気に時間を共有させるその演出の上手さ。
「おれ、幽霊?」あたりでは、コメディ路線で行くのか、シリアス路線で行くのか半信半疑。ネガティブ思考の颯太と、超ポジティブ思考のアキの対比はありきたりで、熱量の高すぎる青春ものか?との懐疑心も、颯太が歌いだしたときに吹っ飛んだ。なに、こいつ歌うま!!って。それも、へえって微笑むくらいの上手さじゃなくて、涙がこぼれてくるほどだった。曲もキャラにあっていた。
展開は王道ゆえの安定感、そこにバンドメンバーの見事な成りきりぶり、ちょくちょく挿し込まれる切なさの予感。
いやがおうにも感情が高ぶっていく。
アキってウザいなあと思わせといて、「上手くいかなかったら、上手くいかすんだよ。」の台詞で引っ張っていく。
このご時世にカセットテープ?とこちらが失笑しそうな設定を、「あったかいだろ!」で納得させる。
アキの心情や、ストーリー展開を「百万回生きたネコ」の絵本や、曲のタイトル「真昼の星座」で暗示させる。
アキとカナの心の通い合うシーンを、"トロイメライ"でロマンチックに彩る。もしかして、かつて亡命していたホロヴィッツが何十年ぶりに帰ったモスクワで演奏した、あの名演を想起させようとしているのであれば心憎い。
颯太の身体を借りることで起こり出す肉体と感情のすれ違い。アキと颯太が交互にカナと積み重ねていく新しい思い出は、カナにとっては、アキとのものではなく颯太とのもの。颯太のなかにアキを見つけて、颯太に心を許すということは、アキを忘れていくということなのだ。そこにお互いが気付いた時、徐々にお互いに対して嫉妬を覚えだす切なさもいい。
これじゃあどっちかが身を引く辛い結末が待つのか、と焦れながら、なるほどだからカセットテープなのか、デジタルじゃなくアナログなのか、って納得させる道筋は見事。ちょっと匙加減を間違えば嫌味になるところを、三人とも確かな終着点を見つけることができたラストはここち良かった。
❼ タイトル、拒絶
❾ 本気のしるし
「なんだこの女は?!」それが、浮世に対する当初の印象だった。いつからだろう、この女の行動を理解するようになり、その環境を憐れみ、そして物語が急展開のあとからは、この女を応援していた。おそらく、ここからの役柄を踏まえての土村芳なのだろう。これが桃井かおり的(例えにだす女優が古くて恐縮だが)キャラだったら、お前の自業自得でしょうが、と感情移入はしづらかったことと思う。
「お前はずるいね」そう思いながら、辻を見ていた。人を本気で愛することができず、けして距離を縮めることもない。たぶん、愛されることなく、裏切られるほうが多い人生を生きて来たんだろう、そう思った。
辻が浮世に惹かれたのも、たしかに「自分でもわからない」ことだったのだろう。脇田の言うように、いい女だから放っておけなかったのは確かだろうが、他者に対する興味がなかった自分がなぜか浮世が気になって仕方がないことは自覚している。でも、それが性的対象ではないと自分に鎖をつなぐように、抱くことはしないのだ。ほんと、面白くない(脇田)。ただし、その「面白くない」があるからこそ、この二人の行く末が気になってしまう。どんな地獄をみるのだろう?と。そう、脇田のように。
この映画、ひどい奴ばかりが出てくるじゃねえか、と思う人にはホントつまらない映画だろう。けっこう、みんな狡いので、見ていて厭になってくるだろうから。でも、みんな悪人になり切れない。それは人を助けてあげようという優しさではなく、自分可愛さゆえの言い訳のような些細な罪滅ぼしでもある。だけど、そんな人間の浅ましさは、誰にでも持ち合わせているものではないか?自分がこいつの立場になってみたら、どう感じるよ?
・・・・そう、こいつの立場になってみたら。
そのとき、あれ?あれ?こいつら、立場がズレてっている...。それに気づいた時、ぞっとした。立場が逆転ではなく、ズレ。スライド、とでもいうか。でも、当の本人たちにはその自覚がないようだ。ああ、なんて悲しいのだろう、人の心というものは。寄り添おうとする人間を、いともたやすく突き放す。それが無私の心情であろうがなんであろうが、自ら心を開かない限り、二人が分かり合うことはない。そんな人間関係の悪しきループをながめながら、涙がこぼれてきた。
❿ ミッドナイトスワン
切ない。そして、儚い。草彅剛の演技はどうかと聞かれれば、どうも男が抜けていない、と感じた。例えば肩が張った歩き方とか。でも、まったく女にしか見えないトランスジェンダーを演じ切るよりもリアリティはあった。そこに、世間からゲテモノ視されながら生きている悲哀が漂っていたからだ。
そんな、一人で生きてきたナギサの目の前に、一人ぼっちにされてきたイチカが現れる。どん底同志の二人ながら、一人は夢を自らの手で掴んでいき、一人は我が身を捧げながら朽ち果てて行った。でも、二人とも同じ思いだろう。幸せかと言ったらそうでもないだろうけど、少なくともお互い自分の出来ることに精一杯向き合い、結果としてイチカの夢を叶えられた(ようとしている、が正しいが)のだから。だから、僕にはハッピーエンドに思えた。
主演はもちろん草彅剛なのでストーリーはナギサを追いかけるのだが、これをイチカ視点で物語を進めてみてはどうだろう?とも思った。・・・笑顔が素敵で、社交的とは言えずとも凛とした、NYで成功した日本人バレリーナがいる。さぞこれまで恵まれた環境で英才教育を受けてきたのだろうと周りは才能と出自を誉めそやす。しかし、彼女はその過去を語らなかった。そんな彼女の成功の陰には、身を削って尽くしてくれたトランスジェンダーの親戚のオジサン(!)と、イチカの人格すべてを愛してくれながらも失意のまま去っていった友人の存在があった。的な。イチカの華やかさだけでなく、人間そのものの強さが際立つと思う。
それにつけても、イチカとリンの二人のキャスティングの絶妙さ。草彅の存在はもちろんながら、この映画のクオリティは、この二人がいてこそだと言って過言ではない気がする。
正直、トランスジェンダーの方々の本当の気持ちなんてわからない。むしろ、わかっているっていうのは偽善だと思っている。だけど、それで生きている人がいることの事実はわかっている。そして彼ら彼女らが、苦しみながら生きているということも。
その他のレヴューはこちら→https://eiga.com/user/92050/review/
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