栗太郎のブログ

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杜の都仙台を行く(1) うなぎと瑞鳳殿

2015-11-25 21:26:43 | 見聞記 東北編

近頃、あいかわらず休みは取れないが、おこづかいが増えたおかげで遠出も増えた。
そのせいか、ブラタモリを観ては知識欲を刺激され、「街道をゆく」を読んでは旅愁を駆り立てられる。
それが高じて、ついつい「街道をゆく」のDVD完全版をヤフオクで買ってしまう始末。

高野山のブログを書ききらないまま、週末の僕は、始発の在来線に乗り込み、遠路仙台まで北へ向かっていた。
栃木県を抜ける頃に東の空が白みだし、車窓からの小峰城を眺め、いつの間にか学生が増えて、二本松の城跡を見つけたころにようやく半分の行程になる。
宇都宮から仙台まで、乗り継ぎしながら5時間もかかる。じつに遠い。
でもそのおかげで、ぬるめの湯舟につかるように、じんわりじんわり身体全体が仙台気分になっていく。
手には「街道をゆく」仙台・石巻編。たぶん、仙台分を読み切るにはちょうどいい時間。
スマホには、夕方開演のサニーデイサービスの曲が100曲以上入っていて、今日は会場に着くまでそれをずっとヘビーローテーションする予定だ。


10時すぎ。「街道をゆく」の中の司馬さんが塩釜神社の石段を登っているあたりで、仙台に着いた。




仙台の街には、いくつものアーケードがある。
そのどこかに、支倉常長がローマ法王に謁見している場面をモチーフにした時計があるのでそれを探そうとするのだが、観光マップを見ても見当たらなかった。
とにかくめくらめっぽうでもいいやと歩き出し、ようやく見つけた。
しかし、近寄って憮然とした。
まるで駅前の自転車のカゴにゴミを置く輩のイタズラのように、真ん中の人物が両手の間に飲み終えたコーヒーカップを持たされていた。しかも、2個もだ。
ふざけたやつがいるものだ。
ひざまずいているせいで、それが何かの刑にも見えてきた。誰なのかと調べたら、どうやら常長に同行した宣教師ソテロらしい。
後ろに立っている人物は、特徴のあるモミアゲを生やしているから常長だとわかるが、法王のまえで突っ立てるって非礼ではないのかな?と心配してしまう。
時計の支柱の影のせいで、なんだか、扉の陰に隠れて法王のご機嫌の様子見をしているかのようだ。
僕はソテロを謂れのない刑から解放してあげてから、1枚カメラに収めた。
そのせいか、撮れた画像はどこか晴れやかな場面のように見えてきた。




アーケードを歩いた目的はもうひとつあった。
アーケードのひとつサンモール一番町には、いろは横丁と言って、アーケードの横っパラからはみ出したような古いバラック街がある。
ここに、先日のブラタモリで、タモさん一行が立ち寄ったうなぎ屋があるのだ。
茶色い「うなぎ」の幟のおかげで遠くからでもすぐにわかった。



店の名は、明ぼ乃。あけぼの、と読む。創業150年という堂々たる老舗。
開店の11:30と同時に席に座った。すぐにあとからぽつぽつと客が入り、あっという間に満席。
といっても、席が空いてても相席にはしないようだから、すぐに満席になるのだ。気遣いなのだろうかと思うとうれしかった。

うなぎ丼の上と、肝焼きを頼んだ。
待っている間、狭い店内は御主人のパタパタと叩く団扇の音と、換気が十分でないせいで充満してくる煙。
手持無沙汰にきょろきょろするのだが、自然と頬も緩んでくるのだから不思議だ。
一食分にしては少ないながらも、幸せ気分でじっくりとかみしめる。身が厚くてうまかった。あわせて3,000円也。




ブラタモリで紹介していた四ツ谷用水の名残りの井戸も、横丁の一角にあった。
まだまだ現役のようで、レバーを上下してみると、地下水もたっぷりと出てきた。
江戸の街もそうだったが、清潔な水の確保は都市生活者にとっては大事なインフラのひとつ。
太陽の日に照らされながらあふれ出る水を眺めていると、今ここにいない人々の喧騒が遠くから聞こえてくるような錯覚になる。




腹ごなしをすませたあと、バスに乗って、瑞鳳殿(ズイホウデン)に向かった。
官庁街を走りぬけて最寄りのバス停で降り、広瀬川に架かる霊屋橋(オタマヤバシ)を渡ってからしばらく歩き、霊屋下に着いた。



長い登坂をあがる。坂の勾配はあんがいキツイ。
登り切ったご褒美かのように、坂の上の木がまぶしいくらいに紅葉していた。




拝観料550円。
まずは絢爛豪華な涅槃門が出迎える。




門の脇をくぐると、正面に唐破風の門。




伊達政宗の廟所、瑞鳳殿は、その先あった。
かつて国宝であった瑞鳳殿は、太平洋戦争時の空襲で焼失し、この建物は昭和54年に再建されたもの。
新しいせいか、装飾の彫刻や金具は色映えのするきらびやかさ。それでいて、嫌味を感じないのは、下地の色が黒を基調にしているからか。









公開はされていないが、中には政宗像が安置されている。独眼竜の異名をもつ政宗なのに、その像には、両目がちゃんとあるという。
実は政宗は、せめて死んだ後に残す像には、両目を入れてくれるように言い残したのだとか。隻眼は、それほどのコンプレックスだったのだ。
横にある資料館には、発掘された骨から割り出された容貌を復元した像があった。
政宗は、身長159cmだったらしい。渡辺謙のイメージがあるせいで大柄な印象があるが、案外小柄だったようだ。(とはいえ当時の平均身長くらいだが)

老齢になった政宗は、自身でこの峰にたち杖を突き、わが遺骨をここに埋めよと言った。
高名な行者、万海上人の塚があった場所らしい。その万海も隻眼だったらしく、政宗は万海の生れ変わりなのだという説が家中にはあった。
秀麗を好み、芝居がかったことの好きであった政宗のことだから、自分の死後の演出も忘れなかったのだろう。


順路を行くと、二代藩主忠宗の御廟、感仙殿。



向かって左に並ぶのが、三代藩主綱宗の御廟、善応殿。
どちらも、やはり昭和20年の戦災で焼失し、昭和60年にともに再建された。




参道途中に、位牌を安置している瑞鳳寺。
山号は、正宗山。「政」ではないようだ。




参道の外れに、穴蔵稲荷というお社があった。
立ち寄ってみると、小さな社殿が郷社然と据えられていた。
伊達家は古くからお稲荷さんを信仰していたという。
かつて青葉城の近くにあったが、広瀬川の洪水でここに移転したのだとか。



境内の縁に行くと、崖下は広瀬川が蛇行しながら流れていて、川の向こうに仙台城本丸のあった青葉山がみえた。
なるほど、廟所のあるこの経ヶ峯から政宗は、お城を見守っているのか。
山の右寄りの、やや樹のない平坦な場所が、石垣のある当たりなのだろう。
そのあたりには政宗の騎馬像があるはずなのだが、当然、眼を凝らしてみたところで見えるわけがなかった。




このあと大崎八幡宮に行こうと、さっきよりも目的地に近いバス停まで行った。
時刻表を見ると一本で行けるバスの路線はあったのだが、20分くらい時間があるようだったので、広瀬川の崖上を添うように北へ歩き、次のバス停を目指してみた。
歩きながら、何度も本丸石垣の上の騎馬像を見つけようとするのだが、そもそも角度的に見える位置にあるのかどうかさえ知らず、見つけることができない。
そうこうするうちに、大手門に通じる橋の上まで歩いてきていた。
仙台観光マップで確認すると、橋のすぐさきに市立博物館があり、その敷地内に魯迅の碑がある。
このときの僕は、つい数時間前から魯迅について気になりだしていた。
それというのも、「街道をゆく」のなかで、魯迅の随筆『藤野先生』についての文章があったからだ。
その藤野先生という人物は、江戸期の日本の知識人のもっていた堅実さや誠実さ、厳格さを残しているような人だった。
電車の中で僕は、司馬さんの文章を読みながら、そんな人物が青年期の魯迅の人間形成において大きな影響を与えただろうことを、うれしく思ってつい眼を潤ませてしまっていたのだ。
時刻をみると、まだ1時まえ。立ち寄るくらいの余裕はある。
もともと本丸まで登る予定は立てていなかったが、魯迅の碑くらいならせめて見納めておきたいと道を曲がった。
橋の手前まで来てみると、古本屋があった。
じつは仙台に着いてからの僕は、「街道をゆく」で魯迅の行を読んだものだから、何軒かの本屋に寄って『藤野先生』の載っている本を探していた。
あ!ここなら魯迅の本があるかもしれない!
なんといっても橋の向こうには、魯迅の碑があるくらいなのだ。この古本屋に有らずして、どこの本屋に魯迅の本が充実しているというのだ!
そう自分勝手に決めつけながら、入り口すぐのレジに立っていた店主に「『藤野先生』の載ってる文庫本、なにかないですか?」と尋ねてみた。
その返事は、「魯迅ですか?さあて、なにしろ最後に売れたのは江沢民が来たときだからねえ。」と意外なものだった。
江沢民っていつのことだよ?と面食らいながら、冗談でも言っているのかと思って店主を見ても、本人はいたって真面目な顔をしている。
とりあえず、魯迅の本がありそうな棚まで案内してもらうと、魯迅がらみの本は10冊程度あった。
その中の作品集の一冊に「藤野先生」は納められていた。
しかし、それは単行本程度の大きさで、この先ずっと持ち歩くにはいい荷物になってしまう。
そこで、「いったん買うとして、すぐに買い取りしてもらうってOKですか?」と聞くと、
「まあ、50円ってとこでしょう。持って帰ったほうがいいですよ」とにべもない。魯迅は、もうそこまで需要がないのだ。
なんだか、急に気持ちがしぼんでしまい、迷い迷って買うのをやめた。

大橋のたもとでスマホを出して調べてみると、江沢民が来日したのは1998年のことだった。その際、ここ仙台まで足を延ばしていたらしい。
17年もか。僕は仙台で見つけることはあきらめてamazonで古本を注文した。


市立博物館の近くまできて、改めて本丸石垣を見上げてみた。
政宗騎馬像が見えるのかどうか、逆光のせいでよくわからない。




ま、いいかと歩きだしたところ、妙なものが目に留まった。
なんだこの幟は?
なに?「DATE BIKE」?、レンタサイクルだと?、あ、電動だ。
人がいないけど・・・。え?ネットで申し込んで、即、利用可能!?
しかも、市内いくつかあるサイクルポートで貸出・返却ができるって!?




じゃあ、これで本丸まで登っちゃえばいいんじゃない?、と欲が出てきたのは僕にとっては必然のことだった。


(一回で終わらず、つづく)



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