水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

初参り浜松5 井伊谷宮 <浜松市北区引佐町井伊谷>

2019-02-13 | ├ 静岡(ひとり旅)

 

浜松ラスト。

(※天白磐座遺跡と同じく、スマホ写真です。)

 

 

 

 

 

 

渭伊神社を出てから、神宮寺川に沿って東へ。

(右端の住宅の奥、木々が密集しているところが渭伊神社)

 

 

歩き出すと、白山古墳と書かれた看板を発見。

このへん一帯が古墳なのか。

 

 

ググってみたところ、
白山古墳群は、白山神社周辺に散在する群集墳で、
古墳時代後期(7世紀前半)の築造と考えられているそうです。

 

 

現在、6基から成る白山古墳群ですが、
元々は10基存在したのだとか。

 

 

今は、みかん畑広がる穏やかな光景ですが、
かつてはどなたのお墓だったのですね。

 

 

 

歩き始めて10分弱で到着。

 

 

井伊谷宮

 

 

 

この時点で既に16時です。

撮影的にも帰りの電車の予定的にも、ギリ。

 

 

 

15分ぐらいしか居られないので、
早速おじゃまします。

 

 

 

 

二の鳥居

 

 

手水舎

 

 

拝殿

お正月仕様がうれしい。

やっぱり日の丸はいいですね。

 

 

本殿

 

 

御祭神:宗良親王(後醍醐天皇第四皇子)

南北朝時代に征東将軍として関東各地を転戦した
宗良親王一柱が祀られています。

 

 

縁起によれば、創建は1869年。

明治維新の際に建武中興に尽力した人々を祀る神社が次々に作られ、
ここ井伊谷にも宗良親王を祀る神社が創建されました。

1872年に井伊谷宮と改称。

 

 

井伊社摂社)

明治8年創建。
御祭神:井伊道政公(井伊家の第12代当主)、高顕公(=宗良親王※道政公の娘婿でもある。)

 

 

 

宗良親王は、
建武の新政崩壊後、吉野(奈良県)の南朝方として活躍した方。

1338年に伊勢国より陸奥国府へ渡ろうとするも座礁により遠江国に漂着し、
井伊道政のもとに身を寄せました。

 

 

1340年に井伊谷城が落城すると、越後国や越中国などに滞在。
1344年には信濃国入り、その後およそ30年以上にわたり信濃を拠点としました。

 

 

比叡山の最高位である天台座主であったものの、
父の後醍醐天皇と足利尊氏の対立に及び還俗し、南朝のため、
征東大将軍として各地を転戦・・。

ご本人的には、好きで戦をしていた訳ではないだろうにと
その心情を思いはかる。

 

 

 

あぁ、もっとゆっくりしたいんだけど、
撮影はスマホだし、時間は押してるしで、
長居することも儘ならず・・。

短時間の滞在でしたが、心が落ち着く素敵な神社でした。
御祭神が穏やかなお人だったのかなぁ。

前述のとおり、年に一度のおみくじがまた大吉で、
新年早々、幸先のよいスタートを切ることができたし、
井伊谷の神さん、幸せな時間をどうもありがとうございました。

 

 

 

ここから金谷駅までは徒歩で30分前後なので、
帰りはバスに乗らずに歩きます。

 

 

君が代を 絶えせず照らせ 五十鈴川

我は 水屑と 沈み果つとも

 

 

茜色に染まる景色を眺めながら、御祭神の宗良親王について考えておりました。

幼い頃から和歌に親しみ、御仏に仕えていたはずが、
その対極ともいえる道に身を置くなんて、
宿命とは言え、お気の毒としか言いようがない。

きっと歌人として生きていたかったでしょうに、
生まれた時代と立場がそれを許すはずもなく。

もちろん、勝手な想像にすぎないのかもしれませんが、
でも残された歌の一片からその心情を垣間見ることはできる。

 

 

思ひきや 手も触れざりし 梓弓 

おきふし我が身 なれんものとは

(思いもしなかった。
昔は手さえ触れなかった弓矢や武具を、寝ても起きてもそばに置き、
これほど我が身に慣れ親しもうものとは。)

 

 

歎かじな しのぶばかりの 思ひ出は

身の昔にも ありしものなり

(今さら嘆くまい。
ただ耐えるしかない辛い思い出は、昔もあったのだ。)

 

 

霞めただ いづれ都のさかひとも

見ゆべきほどの 旅の空かは

(いっそ、ただ霞めばよい。
どの辺りが都との境なのか、見分けられる程の生易しい旅の空ではないのだ。)

 

 

古郷は 恋しくとても み吉野の

花のさかりを いかが見捨てむ

(いくら故郷の都が恋しくとも、
花の盛りの吉野をどうして見捨てることができようか。)

 

 

君がため 世のため 何か惜しからむ

捨ててかひある 命なりせば 

(御上の御為、世の人々の為、何を惜しむことがあろう。
捨ててこそ甲斐のある命なのだから。)

 

 

われを世に ありやと問はば 信濃なる

いなとこたへよ 嶺の松風

(もし誰かが私のことをまだ生きているのかと尋ねたら、
信濃の伊那という所にいると・・。
否、
もうこの世を去ったと答えよ、峰の松風よ。)

 

 

磐座、南朝、アラハバキ というキーワードで始まった、新年の浜松旅。

旅の終わりに、心は再び吉野に飛び、
理由は分かりませんが、
やっぱり自分は南朝に惹かれるんだなぁと改めておもいました。

今年は延暦寺を始め、天台宗系の寺院も幾つか参拝してみるつもりです。

 

とても楽しい一日でした。 

 

 

 

 

 


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