水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

初参り浜松2 社宮神社 <浜松市浜北区津田町吉影>

2019-01-23 | ├ 静岡(ひとり旅)

 

浜松つづき。

 

 

 

 

 

 

バスに揺られること約35分。

宮口駅へと戻りました。

 

 

 

電車から降りた時にも気になってたんですが、
このホーム、とっても大きなベンチが設置してあるんです。

 

 

どうやら、自然の音を楽しんでもらおうというコンセプトのようです。

大きな背もたれ部分が集音器の役割を果たしているんでしょうね。
座って耳をすませると、風の音が心地よく耳に届きました。

 

 

・・で、この時ベンチの写真を撮っていてふと気付いたんだけど、
ファインダーを覗くと画面の右上・右下に黒いカーブが・・。

レンズをはずしてシャッター幕をトントンしてみたら直りましたが、
何やら嫌ーな予感。

実はシャッター幕には劣化というものがあって、
撮影枚数が10万枚前後になると不具合が起きてくるらしいんです。

E-M10を使い始めたのが、ちょうど4年前の1月。
一神社につき少なくとも300枚は撮るんで、
そろそろ撮影枚数が限界超えてる気がするんですよねー。

ヤバイかなー。

でもまだ浜松旅は始まったばかり。

お願い、もう少し頑張ってくれ。

 

 

そう願いつつも、やはりガンガン撮りまくるのであった。(笑)

 

 

一瞬、さるぼぼに見えましたが、
この子たちは庚申信仰にまつわるもので、「くくり猿」というらしい。

 

 

 

昔から、
庚申の日の夜に寝てしまうと、人の体から三戸の虫が出てきて、
当人の罪科を帝釈天に告げ口してしまうと言われていた。

帝釈天は人の寿命を決める力があるので、
虫が苦手な猿を各家の軒先にくくり付けて、
人々は寝ずに夜通し語り合ったそうな。

それがこのくくり猿。

延命と厄除けの象徴なのですね。

 

 

 

続いて、常葉大学前駅へと移動します。

 

 

・・と、やって来たのはなんと
先ほど降りたマリメッコ号ではありませんか。

 

 

さっきの列車が、終点の掛川まで行って再び戻って来たのか・・。

二度も乗れるなんてラッキー

 

 

およそ10分間の乗車でしたが、楽しくて幸せなひととときでした。

またね、マリメッコ号。

 

 

 

目指す神社はここから徒歩で5分弱。

 

 

 

通りから一歩中へ入り、民家の合間を縫って北上するこの感じ・・。

ふと島根の出雲井神社を思い出しました。(御祭神も同じだしね。)

 

 

駅方向を振り返ったところ。

 

 

 

 

スマホのグーグルマップ頼りにどんどん進む。

 

 

 

あったあった。

住宅地や田んぼの一角に、わさっと木々が小山状にかたまってたら、
大抵そこが神社です。

 

 

 

社宮神社(しゃぐうじんじゃ)

 

 

幟立て(旗杭)があるので、ここが正面ですね。

 

 

 

ちょっとした小さな森みたい。わくわく。

 

 

 

社殿がチラリ。 

 

 

拝殿かな。

 

 

 

真っ先にこの手前の木に釘付けになりましたが、
まずはご挨拶。

 

 

御祭神:船戸神(岐神/クナト神)

 

 

別名を、
来名戸祖神(くなとのさえのかみ)、衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)。

 

 

「来るな」&「さえぎる」ということで、
入って来ることを拒否し、さらに越境を遮って人々の身体・命の安全を護る神さん。

集落の災い除けとして、塞の神・道祖神・辻の神などとされるほか、
道開きの猿田彦神や、塩土老翁神とも同一視されます。

 

 

水神、龍神に続き、個人的にとても好きな神さんです。

 

 

日神のクナト神と、水神のアラハバキ神。

水神・龍神祭祀の神社の社家だったご先祖さんや、
龍蛇伝承(蛇婿入り伝説)が残ってたご先祖さんの事もあるので、
きっとクナト神を信仰していたケースもあったんだろうと想像する。

 

 

そんな意味もあって、遠路遥々ここへやって来ました。

 

 

あ、中に入れるのね。

 

 

扉をあけると、外観からは想像もつかない光景が。

 

 

右端には、「奉鎮祭 拝殿・奥殿 新築」と書かれています。

案内には、平成25年に遷宮としてありましたので、
再建からまだ5年ほどの、新しい社殿のようです。

 

 

さらに、
彦狭知神、舩句々能知神、舩豊受姫神、阿須波神 の名もありますが、
この四柱は合祀神という訳ではないでしょう。

彦狭知神は工匠の守護神として、
舩句々能知神(久久能智神)&舩豊受姫神(豊受大神)は家屋の守護神として、
地鎮祭や上棟式において、産土神と合わせて祀られる神さんたちなのです。

さらに阿須波神は足盤、足場の神さんでもあるので、
上記の四柱は単純に、社屋の新築に伴って祀られた神さんという事ですね。

 

 

由緒によれば、
明治維新後の国家神道政策によって御祭神を岐神としたが、
本来の祭神は御社宮司みしゃくじであったとのこと。

御社宮司神は白蛇の姿をしており、
諏訪大社近くのミシャクジ社が本宮なのだそう。

たぶん、神長官の守矢氏邸内にある、
御頭御射宮司総社のことですよね。
(今度また諏訪へ行く機会があったら、絶対参拝する。)

 

 

御社宮司神といえば、縄文からつづく信濃古来の土着神(諏訪神)で、
主に長野・中部・関東地方に祀られている神さん。
諏訪大社上社前宮の御祭神でもあります。

建御名方神が諏訪を制する前の先住の神、洩矢神も、
御社宮司神と同一視される神さんです

(※国譲りで出雲を追われた建御名方神も、
諏訪の先住民にとっては出雲から侵入してきた“外来神”。
今も地元の人が崇敬するのは『諏訪神(御社宮司神/洩矢神)』で、
建御名方神は、「よそから来たやんちゃな明神さん」なのだそう。)

 

 

御社宮司神は岐神とも同一視されますが、
多様な神性と呼称を持ち、信仰の形態も様々。

その実態を掴むのは容易ではありません。

ただ、縄文時代から信仰されてきた、
『記紀の神々よりも古い神』なのは間違いない。

 

 

 

さて、この社宮神社ですが、
「社宮司」「産宮神」とも称され、子宝安産の霊験あらたかな神社なんだそうです。

拝殿内には杓文字が供えてありました。
御社宮司神は、「おしゃもじ様」とも呼ばれます

 

 

杓文字のお供えで思い出すのが、地元名古屋の石神社

あちらは、歯痛や神経痛に霊験があるとされ、
お礼に杓文字をお供えしたことから「おしゃもじ様」と呼ばれたとの事でした。
(もしかしたら御祭神は岐神/御社宮司神なのかも?) 

 

 

ひっそりと目立たない場所に鎮座する神社。

神社というより、木々に守られた聖地といった感じで、
知らずに前を通り過ぎたら、
きっとここに社があるなんて気付かない。

ただ、子宝や安産祈願に訪れる人は多いようです。

 

 

この樹齢約四百年の鹿子木(カノコ)という古木

よく見れば、まさに女性の木。

 

 

 

そして拝殿右にある、杓文字の形をした鎮め石

こっちは男性ですね。

 

 

 

まるで生きているかのようなその姿に、
しばし魅入ってしまいました。

生命力を感じる樹は数多くあれど、
「生」を感じる樹ってのはなかなかありません。

 

 

 

境内には二つの祠がこれまたひっそり佇んでいます。

 

 

津島牛頭天王社

牛頭天王社といえば御祭神はスサノオ尊かと思いきや、
中にあった説明書きの御祭神名は、菅原道真公でした。

牛つながり?御霊つながり?

 

 

その奥には、阿弥陀如来を祀る祠も。

神仏習合の跡を今なお残す神社です。

 

 

 

 

毎度、神社の片隅でこんなん見つけると嬉しすぎてテンション上がる。

 

 

現役を退いた社殿の一部が、
私には宝の山に見えるのですよ。

 

 

拝殿前に腰かけて、のんびり外を眺める。

あー、いいわこの神社。

アラハバキ神社に続いて、ここもパワスポってやつだわね。

 

 

小さな小さな鎮守の森には、
これまた小さくて丸い、金色の光がいくつも浮かんでいる。

球体というより、光の輪か。

水や力を感じる神社は沢山あったけど、
無数の光の輪がふわふわ浮かびまくってる神社ってのは、初めてかも。

浄化され癒される上に、
とてもあったかいから居心地いいし。

なんなん。ここ。
もう、めっちゃ好き。

 

 

ホントはすぐ近くの別の神社へ行こうと思ってたのに、
おかげで結局ここから離れられなかった。

近所の方いいなあ。
こんな素敵な神社がそばにあって。

もし近くに住んでいたら毎日通っちゃうわよ。

 

 

 

いっそここでお昼寝してしまいたかった(笑)けど、
次の予定もあるので、後ろ髪をひかれつつ移動します。

 

 

ミシャグジさん、素晴らしい時間をありがとう。

 

 

その3へつづく。

 

 

 

 


この記事についてブログを書く
« 初参り浜松1 荒鎺(アラハバ... | トップ | 初参り浜松3 渭伊神社 <浜... »
最新の画像もっと見る