高齢者に仲間入りしました!

還暦を越えて久しい「くに爺&たか婆」の、デジカメによるハイキング、山登り、旅行、神社仏閣お参り・・・等の行動記録で~す!

高野山上を散策しました・・・・・・

2015年10月06日 | ハイキング
10月5日(月)、高野山めぐりの締めとして山上の散策です
朝6時30分に榛原を出発、約2時間半で極楽橋駅に到着、高野山へはケーブルカーで5分です

9時過ぎに高野山に・・・・・

今日は千手院橋までバス、そこから壇上伽藍、金剛峯寺を参拝し、奥之院御廟まで歩く予定です

高野山上マップ(和歌山観光協会のパンフレットより借用しました。ごめんなさい)

山上の紅葉は若干色づいていますが、まだまだの様です・・・・・

まずは高野山町石の慈尊院側第一町石を訪ねます。6町石から1町石間は未踏破ですが・・・・

いよいよ「壇上伽藍」に・・・・・

今年(2015年)、172年ぶりに再建された「中門」は色鮮やかな朱塗りです・・・

中門に、運慶快慶の一派「慶派」の松本明慶大仏師により造立された増長天像、広目天像が・・・
増長天像の甲冑には「決して退却しない」という強い意志を、前にしか飛ばないトンボで象徴し、広目天像の胸には「すべてを見ている」ことを表現して、どこまでも声が届くセミがとまっています

一山の総本堂「金堂」、昭和7年に再建され、薬師如来がご本尊です

             たか婆はいつものように御朱印を戴きました
             
「六角経堂」、経蔵の下部が回転式で1回転すると一切経を1度読んだご利益があるといわれ、たか婆は一生懸命回転させていました。ご利益があったのかな

「登天の松」と「杓子芝」

説明板

弘法大師が高野山を開創された際に守り神として、丹生明神、高野明神を御祀りされた「御社」です

木立の中にひっそりと「西塔」が・・・・

「三鈷松」、弘法大師が、密教の修行場所を占うため、唐から日本に向かって密教の法具「三鈷杵」を投げ、探すと高野山のこの松の枝にひっかかっており、以来この松を三鈷の松として植えられているそうです

「御影堂」、弘法大師がお住まいになっていたと言われるお堂です

「根本大塔」、高さ50m余りあり、内の16本の柱と壁に極彩色に描かれた諸尊が安置されています

             またもや「根本大塔」の御朱印
             
「大塔の鐘」、直径が約2mと非常に大きく、日本で4番目に大きいことより「高野四郎」と呼ばれています

「不動堂」、1197年に行勝上人により建立された住宅風の仏堂として有名、国宝です・・・・

奥之院側の「一番町石」、36番目は奥之院御廟です

「東塔」

「蛇腹路」、弘法大師は高野山を「東西に龍の臥せるがごとく」と形容し、壇上伽藍が龍頭、この小道が龍のお腹にあたることより蛇腹路と呼ばれ、「紅葉のトンネル」として知られていますが、まだ少し早いようです・・・

午前6時から午後10時まで、2時間置きに、1度に12回撞き刻を告げる「六時の鐘」・・・・

「金剛峯寺」の入口

「金剛峯寺」、一山の総本堂です

金剛峯寺の日本最大級の石庭「蟠龍庭」

             「金剛峯寺」の御朱印
             
高野山らしい?道を往くお坊さんの列

刈萱道心と石童丸の物語で名高い「苅萱堂」、私も知りませんが、戦前はよく知られた説話らしいです!

             苅萱堂で戴いた御朱印です
             
「一の橋」から奥之院参道へ

参道入口にある「十七町石」、奥之院御廟まで約2Kmです・・・・・

参道には20万基をこえる建ち並んでいますが、ここでは参道脇のお地蔵さんもおおくあります

優しい顔のお地蔵さん

六地蔵です

おおきな杉のムロの中にも・・・・

苔むした切り株の上にもお地蔵さんが・・・・

弘法大師が休憩のため腰を掛けた石であるという「腰かけ石」、石くみの枠で座れませんが・・・・

一の橋と御廟橋の中間にあるので中の橋と云われ(正式には手水橋)、昔は此処で身を清めたそうです

人々の苦しみを身代わりに引受けているので、いつも汗をかいていると伝えられている「汗かき地蔵」

汗かき地蔵の傍に「姿見井戸」が、この井戸を覗きこんで自分の顔が映らなければ三年以内に死んでしまうと言われているそうで、たか婆も一心に覗き込んでいます。彼女の寿命は?

真言宗中興の祖、興教大師覚鑁の尊像を安置する「密厳堂」は木立の中に・・・・・

数多くの奥之院参道の石碑のなかで、2番目の大きさの広島浅野家の「五輪塔」です

身代わりとなって苦しみ、痛みを受け取ってくださると言われている「頬きり地蔵」

化粧をして差し上げると、美人になる?と言われている「化粧地蔵」

錫杖を持つ手の親指が下を向いている「逆手地蔵尊」、別名「安産地蔵」とも言われ、たか婆は11月に生まれる孫のために熱心にお願いしていました

「水向け地蔵」

広い「豊臣家」の墓所

「織田信長」の墓所

「御廟橋」、ここから先は霊域で、撮影禁止です・・・・・

             最後に「奥之院」の御朱印
             
「英霊殿」への参道のもみじもあと少しです

奥之院前からバスで千手院橋へ、ここで「精進料理」昼食をとり、みやげを物色してウロウロ歩き回りました
帰りの極楽橋駅で南海電車が誇る特急「こうや号」と「天空」のツーショットです・・・





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