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名所江戸百景053 第67景 逆井のわたし 東京国体 旧中川の白サギ(3)

2013-07-19 07:55:41 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、シラサギ撮影より先に、スポーツ祭東京2013(東京国体)を記念して、行われた「旧中川ふれあいレガッタ」(平成25年7月15日)の写真を先にします。

【スポーツ祭東京2013(第68回国民大会)】
 今年2013年9月に、54年ぶりにスポーツ祭東京2013(東京国体、9/28~10/8)が開かれます。
 (神奈川県は1998年、埼玉県は2004年、千葉県は2010年に開催済みです。隣県は山梨県しか残っていません。)


 「江戸川区開催分」には競技にボートがあります。(詳細はインターネット等で検索してください。)
 ボート   9/11(水)~9/15(日) (会期前開催ですので、注意!!!)
   場所: 荒川特設ボートコース(江戸川区平井運動公園付近) JR平井駅が近い。
(絵画調)


 下が、昨年2012年の7月末頃に、シラサギ撮影していた時の写真です。
 場所は「ふれあい橋」(旧中川の真ん中付近にある橋です。)


 いま、思い返すと、今年の「スポーツ祭東京2013」に向けての、前準備していたのですね。
(絵画調)



 続いて、旧中川(きゅうなかがわ)での白サギ撮影の奮戦記(ふんせんき)の3回目ですが、
 梅雨明け直後で、日は差しているのですが、空は青さがなく、風景撮影には向かない日です。

 まず、シラサギ撮影に名所江戸百景の「逆井のわたし」の所に行きましたが、シラサギは見つかりませんでした。
 前回、シラサギのいた都営新宿線(とえいしんじゅくせん)の東大島駅(ひがしおおじまえき)に移動しました。
 ハゼ釣りをする方の数も増えていました。

 河川敷には、ひまわりの花が咲き始めて、真夏らしくなってきました。
 ここも、シラサギが見当たらなかったので、名所江戸百景の「中川口」の所に移動することにしました。

 中川口の移動すると、どこにいたのか、右の方から、一羽のシラサギが飛んできました。
 慌てて、カメラを起動させるが、起動が間に合わず、スカイツリーの前をむなしく通り過ぎていくことに・・・・・。
 「しかたがない」とあきらめると、また、同じコースで、また、白鷺が一羽が飛んできた。
 カメラを構えて、タイミングを合わせたが、見てのとおり、拡大しないと、何が飛んでいるのかわからない。


 スカイツリーの左上を飛んでいるシラサギ部分だけの画像です。

 しばらくして、上空から「ギャー」という泣き声が聞こえた。(「くまドン」には、そう聞こえました)。
 見上げてみると、もう一羽シラサギが10m程上空を飛んでいました。撮影は間に合いませんでしたが、少し、びっくりしました。全部で3羽いたことになります。

 天気が冴えないので、撮影を終了して、引き上げようとした所、正面の小名木川(こなきがわ)からも、ボートが一艇(てい)、中川口に向かって出てきました。
 ボート競技の練習のような雰囲気でしたが、合流点の所で、再び、小名木川の方に戻って行きましたので、これで撮影終了・再挑戦となりました。


 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 ブログの作成は、撮影の3倍以上の手間暇がかかります。
 大丈夫なのかと、計算してみた所、・・・・・・・・・・・・・
 8月15日までに2日に1回ブログを更新する必要がある計算となりました。・・・・・・・・・・・・・・(汗)
 事実上、とても無理で、計画が破たんしていますが、8月後半に回せる景もありますので、なるべく多くの景を載せる努力をしてみます。シラサギ撮影の話は、後回しにします。

 次回は、夏らしいイベントに関する景の予定です。


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名所江戸百景052 第67景 逆井のわたし 旧中川の白サギ(2)

2013-07-17 07:55:20 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、旧中川(きゅうなかがわ)での白サギ撮影の奮戦記(ふんせんき)の2回目です。

 今年は、梅雨明けが早く、暑い日が続いています。皆さま、体調の管理にはお気をつけください。
 昨年2012年の7月下旬の話です。昨年の梅雨明けは遅く、7月25日が関東甲信地方の梅雨明け日でした。
 学生は、テストも終わり、すでに夏休み中になっている時期です。

 この頃になると、旧中川にも、デキハゼ(今年生まれたばかりの小さなハゼ)が釣れるようになってきます。
 釣りをする人の姿が、旧中川の中間付近に架かる「ふれあい橋」でも、ちらほらと見えます。


 注意して探すと、橋の近くの草の茂みの中に、1羽の「コサギ」を見つけました。
 近づき過ぎると、サギが逃げてしまいますので、レンズを望遠に回して撮影できました。
(絵画調)


 しばらくすると、シラサギは、「くまドン」に気がついたのか? 川の対岸に飛んで行ってしまいましたが、
 川の対岸にある石の上を歩いて、川沿いに移動を始めています。エサ(餌)を探しているようです。
 移動が難しい所は、ジャンプするような感じで飛びます。
 (対岸で距離が遠く、シラサギが少し小さい為、1/2程度のトリミング(画像の切り取り)しています。

 カメラの「手振れ補正」機能と「連写」機能を併用(へいよう)しているとはいえ、350mm望遠ズームを手持ちで、鳥撮影できるのですから、便利になったものです。
 高速シャッターになるように、「ISO200」設定です。(上の写真のシャッター速度は1/500秒)

 とりあえず、シラサギの撮影ができましたが、名所江戸百景が描かれた「逆井の渡し」から離れているので、下流の「逆井の渡し」に移動することにしました。
 「ふれあい橋」を渡り、下流側に移動していると、先ほどのシラサギが後方からエサを探しながら、移動してきました。
 シラサギは、「くまドン」が堤防の上にいて距離がある為、生きる為のエサ探しが先で「くまドン」を気にしていないだけなのか?エサ探しに夢中で気がつかないのか?
 ひらすらエサを探して、石の上を歩いていました。自転車が通り過ぎても気にしません。
 かなりの時間(10分~20分程度)と距離(200m程)を撮影することができました。
 (下の写真の中下にシラサギがいます。)


 シラサギは獲物に気付かれないように、「抜き足、差し足、忍び足」で進んでいきますが、
 結局、一匹も獲れないで、「逆井のわたし」方に飛んで行きました。
(絵画調)

 白さが目立つシラサギも数が増えすぎると、サギ山と言われるコロニー(巣)を作って、フン害(悪臭)を発生させてしまうのですが、自然界で生きる事は大変そうです。

 「逆井の渡し」の付近に、シラサギはいませんでしたが、その先の都営新宿線(とえいしんじゅくせん)の東大島駅(ひがしおおじまえき)の近くに、シラサギが3羽もいました。先ほどの1羽もいるのでしょうか?

 とりあえず、2羽のシラサギを入れて撮影することはできましたが、残念ながら、後ろの背景が橋桁(はしげた)とボート置き場の金網で、逆井の渡しを背景に入れることができませんでした。
 シラサギを大きく画面に入れようとして、望遠にすると、背景が思うように入れる事ができず、
 逆に、背景を整えようとすると、シラサギが小さくなってしまいます。
 シラサギとの距離を短くしようとすると、シラサギが逃げてしまいますので、結構、難しいです。
 撮影後にシラサギは、対岸に飛んでいき、「くまドン」も当日は疲れていたので、これで撮影終了・再挑戦となりました。


【スポーツ祭東京2013(第68回国民大会)】
 今年2013年9月に、54年ぶりにスポーツ祭東京2013(東京国体、9/28~10/8)が開かれます。


 7月15日に、前回のブログでお伝えしました「旧中川ふれあいレガッタ」を、わずかな時間ですが、見に行ってきました。
 小・中学生とはいえ、多人数乗りボートが進む速度は早く、カヌーも上手に漕ぐ有様は驚きでした。
 「スポーツ祭東京2013」の江戸川区分の日程が書いてある「ちらし」をもらいました。
 情報として「江戸川区開催分」を載せます。(詳細はインターネットで検索してください。)

(1)ボート   9/11(水)~9/15(日) (会期前開催ですので、注意!!!)
   場所: 荒川特設ボートコース(江戸川区平井運動公園付近) JR平井駅が近い
  (昨年2012年に、ボートやカヌーの練習風景が多く感じたのは、この国体を目指していたのですね!)

(2)ラクビーフットボール(少年男子) 9/29(日)、9/30(月)、10/2(水)、10/3(木)
   場所: 陸上競技場(江戸川区清新町2-1-1)、臨海球技場第一(江戸川区臨海町1-1-2)

(3)ローラースポーツ(デモスポ行事) 10/6(日)予定
   場所: 水辺のスポーツガーデン

(4)ちらしに、江戸川区でも大会運営を支えるボランティアを募集(7/31まで、50名の定員になり次第、募集終了。)していました。
  活動内容は、美化運動や競技記録(撮影機器(カメラ等は持参))です。
  詳細は、インターネットのGOOGLEなどで、「スポーツ祭東京2013 ボランティア募集 江戸川区」と検索すると、先頭の方にあります。

 責任感があり、15歳以上(中学生は不可)で、期間中3日間以上参加できる方はいかがでしょうか。
 あくまで、情報提供です。「くまドン」は大会とは無関係です。
 (「くまドン」は、休暇日がなかなか決まらず、仕事次第では、休暇取り消しになる可能性もあるので、無理です。)

 東京の他の自治体でも、各種競技が行われます。(東京都を始め、ボランティア募集も行っているはずです。)



 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 次回は、旧中川でのシラサギ撮影奮闘記の続きの予定です。


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名所江戸百景051 第70景 中川口 勝海舟と西郷隆盛

2013-07-15 09:30:11 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、旧中川(きゅうなかがわ)での撮影奮戦記(ふんせんき)に戻りますが、
 勝海舟(かつかいしゅう)と西郷隆盛(さいごうたかもり)の話を入れてします。
 下の写真は、江戸川区(えどがわく)大島小松川公園(おおじまこまつがわこうえん)の「風の広場」の遊歩道です。
 梅雨が明け、夏の強い日差しが、さんさんと照りつけ、道を歩いていると、木陰がありがたい季節になりました。
(絵画調)


【勝海舟と西郷隆盛】
  勝海舟と西郷隆盛と言えば、思い浮かぶのは、幕末(ばくまつ)の最後となる「江戸城(えどじょう)無血開城」を決める勝・西郷会談を思い出される方も多いと思います。

 明治時代になり、前回の灯篭流し(とうろうながし)で話をしました大田区(おおたく)洗足池(せんぞくいけ)の景観を、勝海舟が気に入り、「千束軒」という邸宅に移住したそうです。(戦災で焼失)
 西郷隆盛も、ここを訪ねて勝と歓談したと言う話もあります。

 上野公園にある西郷さんの銅像(写真左、絵画調)と、墨田区役所(墨田川沿い)にある勝海舟の銅像(写真右)です。
 勝海舟は、墨田区(すみだく)本所(ほんじょ)付近で生まれ、育ちました。
 

 その後、西郷さんは、明治10年に発生した西南戦争(せいなんせんそう)に盟主として巻き込まれ、命を落としました。
 勝海舟は、明治12年に、西郷さんの死を悼み、東京府南葛飾郡(現在の東京都葛飾区)の浄光寺境内に、西郷隆盛の「瑠魂祠(りゅうこんし)」と「留魂碑(りゅうこんひ)」を自費で建てたそうです。
 浄光寺は、江戸時代において、浅草寺(せんそうじ)の末寺筆頭格でしたが、江戸城紅葉山(もみじやま)の歴代将軍霊屋の別当(神社を管理するお寺)職を勤めるなど、徳川将軍家との関わりが深い寺でした。
 「カキツバタ」の名所で、勝海舟が訪れる事も度々あったそうです。

 ところが、大正2年に、荒川放水路の開削(かいさく)に伴い、浄光寺が荒川放水路の真ん中にあった為、300m程移転(現在は、葛飾区東四つ木1-5-9)する際に、西郷隆盛の「留魂祠」と「瑠魂碑」は、洗足池に移転となったそうです。

 前回のプログにも載せました洗足池公園にある海舟(かつかいしゅう)夫妻の墓(写真左)と、西郷隆盛留魂碑(さいごうたかもりりゅうこんひ、写真右)です。


 忠魂碑(ちゅうこんひ)は、城を見に行くと、よく見かけるのですが、「留魂碑」とは聞きなれない言葉です?
 漢詩の「願留魂魄護皇城(ねがわくはこんぱくをとどめてこうじょうをまもらん)」という言葉から来ているそうです。
 ここで、「くまドン」は考えてみました。
 西郷さんは、明治政府に弓を引いた朝敵として亡くなった人です。勝海舟も徳川幕府側の人でした。
 西南戦争の記憶も消えない時に、不用意に西郷さんの「慰霊碑」を建てると、過去の経緯から明治政府から反政府の疑いをかけられるかもしれません。
 皇城(皇居)を護るという意味の言葉を使って、朝敵では無い事を示したのかもしれません・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 再度、旧中川の話に戻ります。下の写真も「大島小松川公園」の写真(絵画調)です。


【旧中川と荒川放水路】
 荒川放水路の話がでましたので、旧中川との関連を地図で説明します。
 左下の地図は、現在の旧中川付近の地形図です。
  「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用しました。」
 右下の地図は、北区(きたく)にある荒川知水(ちすい)資料館にあった荒川放水路開削前(明治時代)の地図です。
  水色の線が荒川放水路の計画線です。

 南北(上下)に太く流れる川(濃い青色)が「荒川放水路」です。左(西)側を蛇行(だこう)している川が「旧中川」で、右上を蛇行している川が「中川」です。この付近は、江戸時代の蛇行していた川の地形が残っています。
 現在の旧中川周辺は、海抜0m地帯なので、標高はマイナスがつきますので、ほとんどの場所が、川と同じ濃い青色(0m以下)となっています。

 明治時代までは、右の図のように、「中川」と「旧中川」は一つの川でした。荒川放水路の開削により、中川が分断されてしまい、取り残された川が「旧中川」となりました。
 上流の「中川」は、荒川放水路と並行して流れる「中川放水路」を通り、東京湾に流れています。
 この地図では、分かり難いですが、荒川放水路の開削に合わせて、綾瀬川(あやせがわ)が並行して流れるようになり、「中川」と「綾瀬川」が合流して、「中川放水路」になります。
 この合流部の所に、上で説明した「浄光寺」があります(緑丸の印)。江戸時代は、荒川放水路のど真ん中にありました。

【小名木川(こなきがわ)、新川(しんかわ)、竪川(たてかわ)】
 広重の名所江戸百景で描かれた「第67景 逆井のわたし」と「第70景 中川口」は、地図で赤丸で示しています。

 この付近の川の流れが、上流の蛇行部に比べて、ゆるやかな曲線を描いているのは、江戸時代初期においては、この付近が荒川(現在の旧中川)の河口部にある海岸線だった為です。
 (以前のブログ「名所江戸百景021 第68景 深川八幡山ひらき 深川(1)」で説明しました。)

 下の写真は、現在の中川口の風景(東から北西方向を望む)です。

 当日は7月中頃の晴天日だったのですが、なぜか西側の空だけ雲があり、別の日に撮影やり直しとなりました。
 スカイツリーの左上に小さく鳥が写っていましたが、ハト(鳩)でした。

 江戸時代になり、左側の江東区が陸地化していくと、徳川家康(いえやす)将軍の命により、千葉県(ちばけん)行徳(ぎょうとく)からの塩(戦国時代は重要な戦略物資)を、安全に運ぶ為に、小名木川(こなきがわ)が開削されます。
 この小名木川と中川(現在の旧中川)との交差部が、中川口です。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第70景 中川口」(夏景)です。上の写真とは逆に西から東方向を望んでいます。

 交差部の手前の川が「小名木川」、奥の川が「新川」、左右に流れる川が「中川」です。
 江戸時代は、多くの船が行き交っていた事が絵から見る事ができます。

 さらに、中川口~行徳間は、現在、古川(ふるかわ)と呼ばれる川を使用していました。
 船の通航に不便であった為、3代家光(いえみつ)の寛永年間に東半分を直線的に開削して、現在の新川ができました。(現代の地形図では、分かり難いので、荒川放水路の箇所は、オレンジ色の線を引いてあります。)

 下の写真は、荒川放水路開削時に、荒川と旧中川の間の水位調正・洪水対策の為に、新川の残存箇所に造られた小名木川閘門(こうもん、パナマ運河の水門と同じような二重式水門)です。

 現在は、大島小松川公園の「風の広場」が造られた時に、新川の一部と一緒に埋めたてられていて、閘門の上半分だけが地上に出ています。(古い建造物で、危険なので、柵があり、近づけません。)
 替わりに、南(地図の下)に「荒川ロックゲート」が造られています。船が通行するときは、水門の開閉と水位調正を見る事が出来ます。

 さらに、江戸時代に小名木川の物資や人を運ぶ船の往来が多くなると、小名木川の上(北)側に並行して、竪川が開削されていきます。(現在は、首都高速が川の上を走っているので、地形図では分かり難く、オレンジ色の線を引いてあります。)
 この竪川と中川の合流部が「逆井のわたし」があった所です。

 下の写真は、旧中川に架かる「ふれあい橋」(人道橋)です。橋の下にカヌーが1隻います。最近は、旧中川で色々な種類の船を見かけるようになりました。

 できれば、広重の名所江戸百景「中川口」に対応する「くまドン版」の写真は、中川口で舟を入れたいと思って撮影していました。(その為、何度も撮影に行く事になりました。)
 今年2013年は、「スカイダック」の水陸両用船が運航されていますが、昨年2012年は無かったのです。(泣き)

 今年2013年は、9月に東京国体が開かれます。
 これを記念して、旧中川で小・中学生対象のボート競技が行われます。プログ完成日が開催当日となってしましたが、一応情報として提示します。
【旧中川ふれあいレガッタ】
 日時: 平成25年7月15日(月)午前10:00から
 場所: 旧中川(平井7丁目) JR平井駅が最寄りの駅

 前回、洗足池の灯篭流しの話をしましたが、旧中川でも、毎年、灯篭流しが行われていますので、紹介いたします。
【旧中川の灯篭流し】
 日時: 毎年、8月15日(終戦記念日)に行われています。(今年平成25年は、まだ、開催の通知は無いです。)
 場所: 旧中川の「ふれあい橋」付近
 内容: 東京大空襲(昭和20年)で、小松川平井地区の被災者(ひさいしゃ)は約40,000人、
      旧中川での死者は約2,800人と伝えられています。
      東京大空襲の犠牲者の慰霊(いれい)の為、恒久平和を願い、旧中川で灯篭流しが行われています。


 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 次回は、旧中川での白サギ撮影奮闘記の続きの予定です。


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名所江戸百景050 第110景 千束の池袈裟懸松 洗足池の灯篭流し

2013-07-13 22:05:35 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、大田区(おおたく)にある洗足池(せんぞくいけ)の灯篭流し(とうろうながし)の話です。
 お盆(東京は7月)になりましたので、お盆関連の話題を選びました。
(絵画調)


【洗足池の灯篭流し】
 日時:  平成25年 7月16日(火) 夕方 (毎年7月16日に行われますので、今年は平日です。)
 最寄駅: 東急池上線(とうきゅういけがみせん)洗足池駅

 洗足池の東側(駅から見て右側)にある御松庵(ごしょうあん)妙福寺というお寺の「送り火」のお盆行事です。
 多くの灯篭が、ボートから池へ流され、暖かみのある色で光る灯籠が、水面を揺らめいて浮かびます。
 洗足池で見る事ができますが、事前にお寺に灯篭を奉納することも可能だそうです。
 その他に、洗足池公園でホタル(蛍)が見れる可能性があります。

 下の写真が、洗足池の南側(駅のある方)から眺めた写真です。
 右手の木がある岸辺が、灯篭流しを行う妙福寺のある所です。

 手前にボートがあります。当日の夕暮れ以降は、灯篭流しに使用するので、夕方からは貸出不可です。
 桜の季節も、湖畔に桜の花が咲くので、ボートを前景に写真になるスポットです。

 池を右回りに歩いて行くと、御松庵(ごしょうあん)妙福寺があります。

 念のため、申し上げておきますと、洗足池の灯篭流しは、お寺の仏事(行事)であり、お祭りではありません。
 その為、地元の大田区内でも、洗足池の灯篭流しは、知らない人がいる穴場スポットです。

 広重が江戸百景を描いた江戸時代末期は、妙福寺は浅草(あさくさ)にあったそうです。関東大震災(大正12年)で焼失した後、昭和2年に妙福寺と御松庵(所以は後述)が合併して、現在の寺号「妙福寺」となりました。
 その為、今でも、地元の詳しい人は御松庵と呼んでいるそうです。

 本堂に着くと、ちょうど、本堂から灯篭を池に運び出す所でした。
 堂内には、お坊さん(住職)がお経をあげており、灯篭が数基残っていました。お盆らしい風景です。


【洗足池と日蓮】
 この付近の地名は千束(せんぞく)といいます。
 この池の名前が「洗足池」になった理由は、「鎌倉時代に日蓮宗(法華宗(ほっけしゅう))を始めた日蓮(にちれん)上人が、静岡県の身延山(みのぶさん)久遠寺(くおんじ、日蓮宗の総本山)から常陸(ひたち、茨城県)へ湯治(とうじ)に向かう途中、池で休息して、足を洗った」という言い伝えからきています。
 日蓮上人は、この後、近くにある現在の本行寺(日蓮宗本山、大田区池上、池上本門寺の近く)で病状が悪化して、亡くなったそうです。
 その為、妙福寺を含めて、大田区には、日蓮宗の寺が多いようです。

 下の写真は、日蓮が袈裟(けさ、お坊さんが付ける布状の衣装)をかけたと言われる「袈裟掛けの松」です。
 「袈裟掛けの松」を護る「護松堂」が建立され、護(御)松庵といわれるようになりました。
 その時代の松はすでに無く、現在の松は、3代目だそうです。(鎌倉時代の事ですからね・・・・)

 暗くなってきましたが、本日は、仕事の帰りに寄りましたので三脚がありません。
 今回は、手振れしないようにISO感度200、または、ISO400設定と、ストロボで撮影です。
 露出(ろしゅつ)も手振れしないように暗めに撮影しておき、画像データで明るめに補正しています。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第110景 千束の池袈裟懸松」(冬景)です。
 中央にある池が洗足池(千束池)です。絵の構図としては、絵の中央に池を三日月状に配置して、左右を切り取って、画面の外に出すことにより、池の横方向の広がりを想像させています。
 右側中段にあるのが、袈裟懸松(けさがけのまつ)です。「名所」ですから、袈裟掛けの松を見物する人がいて、良く見ると、木の左下に石碑があります。

 さらに、分かり難いですが、池の奥の左寄りの森にある神社があります。千束八幡神社(せんぞくはちまんじんじゃ)です。
 池の手前の人馬が行き交う道が、中原街道(なかはらかいどう)です。中世以前からある古道で、徳川家康(いえやす)が江戸時代の東海道(とうかいどう)を整備する以前は、東海道の一部として利用されていました。
 広重のいた江戸時代は、東海道の本筋から離れ、のんびりした風景だったことが絵からも見る事ができます。

 絵の奥行きを持たせている遠方の山は、どこかと考えました。絵と地図を照らし合わせてみると、北方向になりますので、北関東(赤城山(あかぎやま)、日光(にっこう)方面かな?と思います。(北西の奥秩父方面でしたら、ごめんなさい)

 さて、妙福寺境内の池岸に行きますと、灯篭をボートに乗せる準備中でした。


 灯篭流しの写真と一緒に、お盆について説明します。
【お盆(おぼん)】
 お盆は、日本古来の祖先霊拝(神道)と、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ、サンスクリット語(古代インドの言葉)の「ウランバナ」が語源)とが、習合(しゅうごう、混同)されてできた日本独特の形になった風習です。
 江戸時代においては、お盆の期間は、旧暦の7月1日~24日までとする所が多かったようです。
 (地方差が大きい為、日本全国共通はありません。)

 さて、妙福寺は、お寺の私有地ですので、お寺の北側にある洗足池公園の所で、灯篭流しが始まるのを待つことにしました。ボートが池の所定の位置に移動して、灯篭流しが始まるを待ちます。
(絵画調)

 昨年2012年の時は、梅雨の終わりに近づいていたので、風は強いのですが、夕方には晴れ間が見える良い天気でした。

【お盆の行事】
 お盆の行事は、日本全体で行われていますが、地方独特の内容や風習(ふうしゅう)があります。
 大雑把に代表的な行事を取り上げて説明します。

(1)釜蓋朔日(かまぶたついたち):1日の行事
 あまり聞いたことが無い日ですが、1日は「地獄の釜の蓋が開く日」であり、通常は1日~24日がお盆となります。
 地方によりばらつきがありますが、この日を境に墓参り(はかまいり)や、ご先祖様の霊を迎える準備を始めます。

 灯篭流しが、始まりました。


(2)七夕(たなばた):7日の行事
 仏教の行事としては、7日は棚機(たなばた)と表記し、ご先祖様の霊をお迎えするための精霊棚(しょうりょうだな)とその棚に安置する幡(ばん)を拵える日でした。
 現在の七夕については、「名所江戸百景048 第90景 猿わか町よるの景 浅草 七夕祭り」で説明しました。

 次から次へと、灯篭に火が灯され、流されていきます。かなりの数です。
 通常、灯篭は、亡くなった親族や、先祖の霊の為に流されるので、「○○家先祖代々・・・」と書くそうです。特に奉納理由は、「世界平和」でも良いそうです。
 2年前の2011年は特に多く、東日本大震災の慰霊(いれい)の為に奉納した人が多かったそうです。


(3)迎え火(むかえび):13日の行事
 ご先祖を迎える為に、13日の夕方に野火(のび)をたきます。
 13日から精霊棚のご先祖様への色々なお供え物をします。
 地方によっては、御招霊など大がかりな迎え火も行われます。
 迎え火の変形として、盆提灯(ちょうちん)がある。これも、ご先祖様の霊を迎え入れるための目印です。
 「名所江戸百景047 第21景 芝愛宕山 ほおずき市」で、盆提灯の代用として、「ほおずき」を飾る話をしました。

 池の対岸にも、多くの人が来ています。洗足池の弁財天社(べんざいてんしゃ)がある弁天島に渡る橋が見えます。

 この写真を、広重の名所江戸百景「第110景 千束の池袈裟懸松」に対応する「くまドン版」の景(秋景・確定)とさせていただきます。七夕の時も申しました様に、お盆は旧暦7月(秋)の行事ですので、秋景となります。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作る事を第一目標にしています。)

(4)送り火(おくりび):16日の行事
 お盆に帰ってきたご先祖様の魂を、現世から再びあの世へと送り出す為、16日に野火をたきます。(例として、京都の五山送り火)
 地方によっては、川(ご先祖様の通り道)へ送る風習もあり、灯籠流しが行われます。
 今回の洗足池の灯篭流しもこの日に当ります。

 ここで、予想外の事態になりました。当日は風が強かったので、灯篭がどんどん写真の右に流されてしまいました。岸に灯篭が固まると、灯篭の紙に火がついて火事になりかねませんので、岸に集まった灯篭はボートで回収されていきます。

 風の弱い普通の年は、1時間以上、多くの灯篭が、池の上に揺らめいているとのことでしたが、
 暗いのでピント合わせや、手振れにも苦労しましたが、残念ながら、昨年は、これ以上の灯篭を画面に入れる事ができませんでした。

(5)地蔵盆(じぞうぼん):24日の行事
 ご先祖様を送る期間は、16日~24日であり、お迎え同様に墓参りなどをする。
 仏教では、地獄の王は閻魔王(えんまおう)ですが、その王と対(つい)になるのが地蔵菩薩(じぞうぼさつ)であり、
24日の地蔵菩薩の縁日までがお盆となるそうです。

(6)盆踊り(ぼんおどり)も、お盆の風習でしたが、別の機会とさせていただきます。

 灯篭流しが始まってから30分程度で、池に浮かぶ灯篭のほとんどは回収されてしまいました。
 風下の池岸には、数基の灯篭が残されていて、ゆっくりと揺らめいていました。


【洗足池の歴史と千束八幡神社】
 洗足池の歴史は古く、中世において、湧水地(ゆうすいち)だった所の水を堰き止め(せきとめ)て作られた池だったそうです。
 下の写真は、池の北西にある千束八幡神社の「池月」の絵馬です。
 西暦1180年に源頼朝(みなもとよりとも)が平家討伐の旗を揚げ、安房(あわ、千葉県の南)から鎌倉(かまくら)へ向かう途中に宿営した場所であり、名馬「池月」を捕らえたという伝承が残ります。池月の像もありますが、暗くて思うようには撮影できませんでした。

 この為、現在の洗足池も、近隣から流れてくる湧水を水源としています。
 自然の水の為、大田区は、ホタルの自生に取り組んでいるそうです。
 今年も、6月17日に近隣の大田区立大森第六中学校で育成されたホタルの幼虫が放流されたそうです。
 (この中学校は、環境美化教育の最優秀校に選ばれ、農林水産大臣賞を受賞したそうです。)
 昨年2012年に行った時も、放流先の池に居ないかどうかを見た所、短い時間で2匹程度光っているのを見つけました。当日は風が強かったので、ホタルは飛ぶことはできず、草むらにいましたが・・・・
 7月中ごろから羽化(うか)し始めるそうなので、運が良ければ、ホタルを見ることができるでしょう。
 【地元の方から聞いた情報、追記です】
 現在は、池の北東付近で、ホタルをカゴに入れた状態でお見せしているそうです。

 洗足池公園には、勝海舟(かつかいしゅう)夫妻の墓(写真左)と西郷隆盛留魂碑(さいごうたかもりりゅうこんひ、写真右)があります。長くなりましたので、説明は次回にさせていただきます。


 洗足池を一周して最初の所(上から2枚目の写真の所)に戻ってきた所、灯篭が岸辺近くに固まっていました。
 風上なので、一つも無いと思っていましたので、意外でした。
 状況から判断すると、この付近の洗足池の岸辺は、高さがある為、吹く風を遮断する状態となり、逆に、上を流れる風が、巻き込む形で反対方向に風上側に流れた結果、風上側の岸辺に引き寄せたようです。

 できれば、今年の灯篭流しは、池に揺らめく灯篭の風景を、ゆっくり眺めてみたいものです。

【お盆の日】
 毎年8月15日の前後に、テレビのニュースなどで「お盆休みの帰省(きせい)で交通渋滞」とのニュースをきいていますので、今回のお盆の日を7月15日で話をしているのが、不思議に思う方もいるでしょう。
 (実は、「くまドン」もお盆は8月15日と思っていましたが・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 「名所江戸百景048 第90景 猿わか町よるの景 浅草 七夕祭り」のでも説明しましたが、
 もう一度、旧暦(太陰歴)と新暦(太陽暦)との関係で説明いたします。

 江戸時代のお盆は旧暦の7月15日(現在の8月頃)で、秋(旧暦の7月~9月)の行事でした。
 明治時代になり、新暦(太陽暦)に変わった時に、各月が一ヶ月近く前にずれました。
 現在の日本では、お盆の日は3つに分かれます。

(1)明治政府の改歴に合わせて、新暦の7月15日をお盆の日とした。
 東京などの都市部・市街地は、この日が多いです。

(2)新暦の7月中は農作業の忙しい時期であり、農作業に支障があるので、旧暦の7月15日に近い、新暦の8月15日をお盆の日とした。
 北海道・東日本は、この日とする地方が多いです。帰省ラッシュの原因は、東京などから田舎の実家に帰る人の移動が原因です。

(3)旧暦の7月15日を現在でもお盆の日としている。
 沖縄・奄美諸島など。(前回は西日本も入れましたが、最近は(1)または(2)の日に変わった所が多いようです。)
 旧暦は太陰歴(月の満ち欠け約29.53日を基準)としていますので、1月が30日弱となります。(大月が30日、小月が29日)
 その結果1年12月が約354日となり、1年で約11日も早くなり、季節がずれていってしまいます。
 このズレを修正する為に、3年に一度ぐらいの間隔で、閏月(うるうづき)を挟んで調整することになります。
 この結果、旧暦の日は、年によって1月近い違いが発生することになります。
 例えば、
  今年2013年のお盆(旧暦)は8月21日ですが、
  昨年2012年は、遅い方になり、9月1日、2017年はさらに遅く、9月5日となっています。
   沖縄出身の方は、9月にお盆休みを取る事があります。
  来年2014年は、早い方になり、8月10日に当ります。

 撮影終了後に去る時は、亡くなった方々の冥福(めいふく、冥界での幸福)を祈り、合掌(がっしょう、日本では死者への哀悼の意)が礼儀とのことです。宜しくお願いします。(宗教上の問題が無ければですが・・・)


【撮影の必須道具・その他対策】
(1)三脚 (暗いので、手振れし易いです。)
(2)夏の夜の蚊(か)対策
・虫除けスプレー、虫さされの塗り薬(ぬりぐすり)など、お忘れなく準備してください。
 (ホタルもいますので、いたずらに殺虫剤や蚊取り線香は使用しないでください。)
・できる限り、長袖(ながそで)などで肌を隠すことをお勧めします。
・蚊は低い所にいて、足の臭い(におい)を好みますので、足も靴・靴下・長ズボンなどで肌を守る方が望ましいです。
・団扇(うちわ)があると、涼しい上に、蚊除けにもなります。
  蚊の飛行能力は低く、少しの風で思うように飛べなくなります。
  蚊は人体から出る二酸化炭素(CO2)・熱・においを検知します。
  つまり、団扇で仰ぐと二酸化炭素や「におい」を拡散させ、体温を下げると、蚊が目標物を補足するのが難くなります。
・激しい運動などすると、呼吸数が増え、体温が上昇するので、蚊が寄ってきます。注意しましょう。
・ビールなどを飲むと、蚊が「におい」に寄ってくるので、飲酒は帰宅時にしましょう。(未成年の飲酒はダメですよ!)

 撮影終了時間を見たら、夜の9時を過ぎていました。
 夕食を食べていなかったので、駅前のラーメン屋さんで済ませましたが、毎度のことながら写真撮影を忘れて食べていました。
 「くまドン」は、写欲より、食欲の方が強いのは治りません。(笑)


 今回は、これで終わりとさせていただきます。
 長くなりましたので、2回に分けようとしたのですが、うまく分割できませんでした。

 次回は、次の景まで間がありますので、旧中川の「逆井のわたし」の挑戦の話を続けます。
 基本的に、夏は、「祭りの風景」と「水の風景」の話が並行して進みます。


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名所江戸百景049 第67景 逆井のわたし 旧中川の白サギ(1)

2013-07-10 07:55:43 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 前回の七夕(たなばた)の景のプログ作成後、一週間程のんびりさせていただきました。
 「くまドン」のプログを見ていただき、ありがとうございました。
 梅雨明けまでは、マイペースでプログ作成できると思っておりましたが、いきなり、テレビのニュースで、

 (平成25年7月6日のニュースです。)
  「気象庁は、平年より15日早く、昨年より19日早く、関東甲信地方が梅雨明けしたとみられると発表しました。」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(汗)

 今年は季節が早く、プログ開始早々から振り回され続けていますが、前回のプログで申しましたように、梅雨明け後から8月末までに確定する景が多いので、再び、頑張ってプログ作成していきたいと思います。
 今後とも宜しくお願いします。

 今回は、比較的ローカルな話題となりますが、旧中川(きゅうなかがわ)でのシラサギ(白鷺)の撮影奮戦記(ふんせんき)となります。
 「名所江戸百景007 第67景/第70景 旧中川の桜」からの続きにもなります。

 「くまドン」は、風景写真を中心に撮影していた為、のんびりした撮影では鳥の写真は難しく、大口径(だいこうけい)の明るい超々望遠レンズ(とても高価です)でなければ無理とあきらめて、野鳥は、ほとんど撮影したことが無かったのです。
(実際に、フィルムカメラ時代は、300mm~400mmの超望遠レンズでも、大型の鳥しか撮れないという特殊な分野だったのです。)
 しかし、百景の完成させる為には、鳥の撮影は、避けて通れません。挑戦あるのみです。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第67景 逆井(さかさい)のわたし」(夏景)です。

 シラサギの姿が印象的な風景です。絵に描かれているシラサギは、「コサギ」です。
 夏羽の頭に長い冠羽(かんう、かんむりばね)があり、日本画では良く描かれています。
 (他のシラサギである「ダイサギ」と「チュウサギ」には、冠羽はありません。)

 旧中川は、「くまドン」の家からは比較的近くであり、思うように撮影できずに何回もチャレンジしたので、撮影回数は多いです。(今回は広重の絵の説明も何回かに分けて説明してみます。)
 第1回目の撮影は2012年5月に撮影した写真からです。
 (5月中は確定する景を優先させた為、プログを作る時間がありませんでした。)

 さて、シラサギを探しに「逆井のわたし」付近の旧中川に行きましたが、シラサギが見つかりません。
 下の写真は、逆井の渡しがありました付近の写真です。
 旧中川に架かる橋は逆井橋、上は首都高速7号線です。写真に向かって、右岸は江戸川区(えどがわく)小松川(こまつがわ)、左岸は江東区(こうとうく)亀戸(かめいど)です。(上の広重の絵とは逆方向に見ています。)

 たまに、旧中川の道を自転車で移動していると、シラサギを見かけることがあったので、当てが外れました。

 さらに上流に移動して、「ふれあい橋」付近まで行きましたが、サギはいませんでした。

 この付近の右岸は、江戸川区の平井(ひらい)になります。

 JR総武線(そうぶせん)の橋を過ぎると、江東新橋(こうとうしんばし)が見えました。
 江東新橋の左後方で北十間川(きたじゅっけんがわ)が合流しています。この付近は少し川幅が広くなっています。
(絵画調)

 写真の真ん中に親子がいました。網(あみ)を持ちながら親子で話しています。
 バケツが置いてあります。水中の生き物(魚?虫?)を捕まえていたのでしょうか?
 休みの日の楽しい親子の一日は、小さな子供にとって懐かしい思い出として残るのでしょう。

 江東新橋・北十間川を過ぎた先からの左岸は、墨田区(すみだく)立花(たちばな)になります。
 なかなか、シラサギが見つからず、ついに旧中川の中で一番上流にある「ゆりのき橋」まで来てしまいました。

 「ゆりのき橋」」の後ろには、荒川放水路(あらかわほうすいろ)に並行して流れる中川放水路(なかがわほうすいろ)に架かる「かつしかハープ橋」の吊り橋が見えています。

 ここまで来て、やっと、シラサギが1羽見つかりました。川沿いの杭(くい)の上にいました。
 頭に長い冠羽があります。広重の絵で描かれた「コサギ」です。

 撮影しながらシラサギに近づいていくと、シラサギが気がついた時点で、飛んで逃げられてしまいました。

 あきらめて、旧中川の最後の上流部にあたる「木下川(きねがわ)排水機場」まで行ってみることにしました。

 写真の左岸に当る墨田区東隅田地区は、以前は「木下川(きねがわ)」という地名でした。
 この旧中川沿いの付近は、海抜0メートル地帯で、東京都下町の中でも最も低いエリアに当ります。
 以前は、旧中川の最上流部でしたが、洪水防止の為、旧中川を含む内部河川を閉め切り、排水機場から内部河川の水を排水することにより、A.P.(干潮時の潮位)の-1.0mまで常時下げています。

 旧中川沿いに帰る途中で、「ゆりのき橋」の所に行くと、また、シラサギがいました。
 この付近は餌場(えさば)のようです。

 「くまドン」が近寄り過ぎると、シラサギが警戒して、逃げてしまいますので、シラサギと一定の距離を取っての撮影となります。
 (クマドンのカメラCoolpixは、28mm~350mmのズームがあるので、なんとか超望遠側で撮影できました。)

(絵画調)

 コサギをダイサギと見分けるもう一つのポイントは、「背の飾り羽は先が巻き上がる」のがコサギ、「巻き上がらない」のがダイサギなのです。いずれも夏はクチバシが黒い。ダイサギはクチバシが目の後ろまで伸びている。
 頭に長い冠羽が見えないのでダイサギか? コサギ? う~ん、どちらでしょう・・・・???
 「クマドン」は、バードウォッチャーには程遠いです。(トホホ・・・・・・・・・・・・・・)
 しばらくすると、「くまドン」に気がついて、逃げて行ってしまいました。

 一応、今回の撮影ルートを地形図で説明します。
 「国土地理院ホームページ掲載のデジタル標高地形図画像データ(図名等)を使用しました。」

 旧中川周辺は、海抜0m地帯なので、標高はマイナスがつきますので、ほとんどの場所が濃い青(0m以下)となっています。
 真ん中の赤丸の部分が広重の「逆井のわたし」が描かれた場所です。同じく濃い青色で上下(南北)に蛇行している川が「旧中川」です。「逆井のわたし」あった所から上(上流方向)へ移動して生き、終点の「木下川排水機場」まで移動しました。
 その右(東)側を流れる川が「荒川放水路」と「中川放水路」です。

 今回は、名所江戸百景が描かれた「逆井のわたし」の付近に、シラサギがいませんでした。
 「5月頃はサギの数は少なく、夏になって、サギの餌のハゼが大きくなると、「逆井のわたし」付近にも、シラサギが来るようになる。」との情報を入手しました。
 自然の野鳥相手ですから仕方ありません。再び、夏を待って、撮影やり直しとなりました。

 今回の第1回シラサギ撮影の挑戦は、これで終わりとさせていただきます。

 次回は、東京のお盆(7月15日)が近づきましたので、別の話題を入れさせていただきます。


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