くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景022 第68景 深川八幡山ひらき 深川(2)

2013年04月22日 07時55分09秒 | 名所江戸百景
 こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、深川(ふかがわ)の富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)の続きです。

 前回、江戸初期の現在の江東区にあたる一帯は荒川・利根川の河口部にある中洲(す)のような小島と海だったことをお話ししました。
 下の写真は、江東区の横十間川(よこじゅっけんがわ)親水公園です。横十間川は江戸時代に造られた運河です。

 その後、利根川を江戸川・銚子方面に付け替え、荒川を隅田川に付け替えたことにより、その中間部あたる東京の下町一帯の広大な土地が開発可能になります。
 さらに、隅田川から向島への流れを築堤により止めたことにより、現在の江東区付近の水の流入が止まり、急速に陸地化が始まります。

 下の説明板は、江戸中期の地図です。すでに現在の江東区の半分以上が陸地化しています。

 地図の南北に流れている大きな川が隅田川で、その河口部右側が深川のある所です。この時代は埋め立ての最先端部ですね。
 その右に大横川(おおよこがわ)、横十間川(よこじゅっけんがわ)、そして一番右端に中川が続いています。
 地図の東西(横)に直線的に走る川の一番下が、徳川家康が行徳から塩を運ばせる為に造らせた小名木川(こなきがわ)です。その北(上)に並行して流れているのが、竪川(たてかわ)です。
 川の名前にタテ・ヨコがついているのは、江戸城(西)から見た場合の名前の付け方だそうです。(地図で見ると、タテ・ヨコ逆になるので、混乱します。)

 下の写真は、現在の横十間川と仙台堀川(せんだいほりかわ)の交差部ですが、上の地図では、小名木川の南側にある仙台堀川はまだなく、地図から判断すると、この辺は海岸線だったでしょうか?現在の木場(きば)も半分は海にあるように見えます。


 さらに、下の江戸後期の地図になると、埋め立てはさらに進み、この辺は陸地となり、江戸時代の仙台堀川が造られます。
 この頃の仙台堀川は大横川との交差部まで伸びていますが、この付近が木場(きば)にあたります。


 下の写真は、「名所江戸百景010 深川木場」でも紹介した木場にある親水公園の写真です。
 前回とは逆に北から南方向に撮影しています。途中から正面にある首都高速9号線の下を流れるようになります。

 下の広重の名所江戸百景「第106景 深川木場」を意識して、太鼓橋が設置された公園です。

 公園には、その他にも深川木場の風景を残す銅像などがあります。


 親水公園の最後の所が永代通りです。
 ここを右に永代通り沿いに500m行くと、右手に深川八幡(富岡八幡宮)があります。

 一応、江東区内の各河川毎のプログは、以下にあります。
「名所江戸百景001」、「名所江戸百景007」~「名所江戸百景012」


 今回はこれで終了です。ありがとうございました。
 次回は、深川八幡の続きです。

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