こんにちわ、「くまドン」です。
今回は、根津神社(ねづじんじゃ)のツツジの続きです。
根津神社の文京つつじまつり開催期間の情報です。
平成25年4月6日~5月6日開催
つつじ苑(入園時間9:00~17:30)
GW中は、根津権現太鼓などの催し物がある日があります。
根津神社の境内には、稲荷神社が二つあります。一つは乙女稲荷神社です。
両側には奉納された鳥居が連続して立ち並んでいます。西日本では良く見かけますが、東京の方では珍しい風景です。
根津神社は、六代将軍家宣が生まれた甲府屋敷跡ですから、写真の左側の鳥居の近くに家宣の胞衣塚(えなづか)があります。江戸時代の習慣で、家宣の胎盤が納められているそうです。 境内の反対側には家宣の産湯井戸(うぶゆいど)があります。
鳥居にも、奉納した方の各々の思いが込められているようです。
根津神社は甲府屋敷時代に上州(群馬県)から運ばれたツツジが植えられており、ツツジの名所でした。
ツツジの中に鳥居が連続しています。(絵画調)
もう一つの稲荷神社は、駒込(こまごめ)稲荷神社です。
元は徳川綱重(5代綱吉の兄)の邸内社だったそうですが、近くにあった狐像の方が興味を引きました。
根津神社のツツジは、約100種3000株もあるそうです。早咲きと遅咲きの品種があります。
根津神社のツツジ苑は、団子坂と同じ台地の斜面にありますので、ツツジ苑の一番高い所からは根津神社境内がよく見えます。
ついに日が射してきました。普段は、この道を見学の方々の行列で埋め尽くされているのですが、雨が降った日で夕方閉苑間際になったため、人が居なくなってしまいました。
このプログは名所江戸百景の現代版「くまドン版」を作ることを第一目標としています。
根津神社の定番のような場所で撮影した写真ですが、上の写真を名所江戸百景「第16景 千駄木団子坂花屋敷」に対応する「くまドン版」の景(確定)とさせていただきます。
江戸時代は「つつじ」と「さつき」は区別されておらず、旧暦の5月(夏)の花とされていましたので、「夏景」になります。
絵画調に変換すると、暗い部分が明るく表現されるため、全く違う雰囲気になります。
ここで、「くまドン」にとって、一つ謎があります。
山野に咲いていた霧島ツツジが江戸に運ばれ、園芸品種として改良が始まったのは、江戸時代初期です。
広重のいた時代、幕末の頃は、様々な品種のツツジが作られていたはずです。それにも関らず、「名所江戸百景」には一枚も描かれていません。何故でしょうか?
(1)ツツジは、元禄時代に一代ブームが発生して、栽培も容易で花も奇麗なため、一般庶民にも愛好されていた。
(2)その後ブームは一段落したが、幕末まで一定の人気は維持していた。根津神社以外にもツツジの名所はあった。
→これを見る限り、特に「ツツジ」が描かれない理由は見当たりません。
(3)江戸時代は徳川家の世の中ですから、6代将軍家宣が生まれた場所は、8代将軍吉宗以降が紀州系統とはいえ、江戸庶民には神聖な場所扱いでしょう。
(4)根津神社の例大祭は天下祭と呼ばれ、6代家宣の時には、山車が江戸城に入って将軍に見せることが許されていました。他に天下祭を行える神社は、神田神社の神田祭と日枝神社(ひえじんじゃ)の山王祭のみでしたから、根津神社はかなり有名だったはずです。
(5)「名所江戸百景」は、江戸の庶民が、庶民向けに作成した民間旅行関連出版社の発行となります。
武士向けの官報ではありませんので、町の人に売れることが求められます。
→当然、桜の絵は人気がありますので、「千駄木花屋敷」の方を選んだ可能性はあります。
(6)「名所江戸百景」は、民間出版です。CM(コマーシャル)もやります。
名所江戸百景の中にも、店からお金をもらって、絵の中に店名をいれたり、店の宣伝になるような場所の絵を描いたものがあります。
→「千駄木花屋敷」がスポンサーだった場合は、根津神社ではなく、「千駄木花屋敷」を描くでしょう。
これらの事から、根津神社が選ばれなかったとしても、他のツツジの名所はありましたので不思議です。
ツツジは「鉢植え」が可能で庶民の家にも植えられていたので、あまりにも身近過ぎたのでしょうか・・・・???
これで、今回は終了です。ありがとうございました。
春の進みが早いので、次回分も早めの作成が必要になりそうです。
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今回は、根津神社(ねづじんじゃ)のツツジの続きです。
根津神社の文京つつじまつり開催期間の情報です。
平成25年4月6日~5月6日開催
つつじ苑(入園時間9:00~17:30)
GW中は、根津権現太鼓などの催し物がある日があります。
根津神社の境内には、稲荷神社が二つあります。一つは乙女稲荷神社です。
両側には奉納された鳥居が連続して立ち並んでいます。西日本では良く見かけますが、東京の方では珍しい風景です。
根津神社は、六代将軍家宣が生まれた甲府屋敷跡ですから、写真の左側の鳥居の近くに家宣の胞衣塚(えなづか)があります。江戸時代の習慣で、家宣の胎盤が納められているそうです。 境内の反対側には家宣の産湯井戸(うぶゆいど)があります。
鳥居にも、奉納した方の各々の思いが込められているようです。
根津神社は甲府屋敷時代に上州(群馬県)から運ばれたツツジが植えられており、ツツジの名所でした。
ツツジの中に鳥居が連続しています。(絵画調)
もう一つの稲荷神社は、駒込(こまごめ)稲荷神社です。
元は徳川綱重(5代綱吉の兄)の邸内社だったそうですが、近くにあった狐像の方が興味を引きました。
根津神社のツツジは、約100種3000株もあるそうです。早咲きと遅咲きの品種があります。
根津神社のツツジ苑は、団子坂と同じ台地の斜面にありますので、ツツジ苑の一番高い所からは根津神社境内がよく見えます。
ついに日が射してきました。普段は、この道を見学の方々の行列で埋め尽くされているのですが、雨が降った日で夕方閉苑間際になったため、人が居なくなってしまいました。
このプログは名所江戸百景の現代版「くまドン版」を作ることを第一目標としています。
根津神社の定番のような場所で撮影した写真ですが、上の写真を名所江戸百景「第16景 千駄木団子坂花屋敷」に対応する「くまドン版」の景(確定)とさせていただきます。
江戸時代は「つつじ」と「さつき」は区別されておらず、旧暦の5月(夏)の花とされていましたので、「夏景」になります。
絵画調に変換すると、暗い部分が明るく表現されるため、全く違う雰囲気になります。
ここで、「くまドン」にとって、一つ謎があります。
山野に咲いていた霧島ツツジが江戸に運ばれ、園芸品種として改良が始まったのは、江戸時代初期です。
広重のいた時代、幕末の頃は、様々な品種のツツジが作られていたはずです。それにも関らず、「名所江戸百景」には一枚も描かれていません。何故でしょうか?
(1)ツツジは、元禄時代に一代ブームが発生して、栽培も容易で花も奇麗なため、一般庶民にも愛好されていた。
(2)その後ブームは一段落したが、幕末まで一定の人気は維持していた。根津神社以外にもツツジの名所はあった。
→これを見る限り、特に「ツツジ」が描かれない理由は見当たりません。
(3)江戸時代は徳川家の世の中ですから、6代将軍家宣が生まれた場所は、8代将軍吉宗以降が紀州系統とはいえ、江戸庶民には神聖な場所扱いでしょう。
(4)根津神社の例大祭は天下祭と呼ばれ、6代家宣の時には、山車が江戸城に入って将軍に見せることが許されていました。他に天下祭を行える神社は、神田神社の神田祭と日枝神社(ひえじんじゃ)の山王祭のみでしたから、根津神社はかなり有名だったはずです。
(5)「名所江戸百景」は、江戸の庶民が、庶民向けに作成した民間旅行関連出版社の発行となります。
武士向けの官報ではありませんので、町の人に売れることが求められます。
→当然、桜の絵は人気がありますので、「千駄木花屋敷」の方を選んだ可能性はあります。
(6)「名所江戸百景」は、民間出版です。CM(コマーシャル)もやります。
名所江戸百景の中にも、店からお金をもらって、絵の中に店名をいれたり、店の宣伝になるような場所の絵を描いたものがあります。
→「千駄木花屋敷」がスポンサーだった場合は、根津神社ではなく、「千駄木花屋敷」を描くでしょう。
これらの事から、根津神社が選ばれなかったとしても、他のツツジの名所はありましたので不思議です。
ツツジは「鉢植え」が可能で庶民の家にも植えられていたので、あまりにも身近過ぎたのでしょうか・・・・???
これで、今回は終了です。ありがとうございました。
春の進みが早いので、次回分も早めの作成が必要になりそうです。
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