くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景256 第84景 目黒爺々が茶屋 目黒のさんま祭り

2015年09月05日 19時30分48秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、目黒のサンマ祭りです。以前のブログでお話しましたが、目黒のサンマ祭りは目黒区主催「目黒SUNまつり」と渋谷区主催「目黒のサンマ祭り」の2つがあるので、ややこしいです。(目黒駅は渋谷区にあるのです)
 堅い話が続いていますので、久しぶりに元の「名所江戸百景」の話に少し戻します。

 下の写真は3年前の平成24年に撮影した目黒区主催の「目黒SUNまつり」の写真です。


 平成27年(西暦2015年)は、
(1)明日、9/6(日)に目黒駅の前で、目黒のサンマ祭り(渋谷区)が行われます。
 岩手県宮古港直送新鮮さんま6000尾を和歌山県みなべ町産の本格備長炭で焼いた「炭焼きさんま」が食べられますが、数に限りがありますので、午前9時からの整理券配布でも、はたして、食べられるか?

(2)9/20(日)に目黒SUN祭り(目黒区、田道広場公園、目黒1-25-8)が行われます。
 こちらは、宮城県気仙沼市からの新鮮なさんま5000尾を炭火焼にします。

 目黒駅から目黒川に下っていく大通りをそのまま行かず、左手の細い道を降りて行くと、結構、急な坂があります。
 ここが、行人坂(ぎょうにんざか)と呼ばれる坂です。

 江戸時代は、目黒川に架かる太鼓橋(たいこばし)を渡って、目黒不動に参拝に詣でる参拝者が多かったそうです。江戸時代には坂上からは富士山がよく見える富士見の名所として富士見茶屋が置かれていました。
 下の絵は、広重の名所江戸百景「第84景 目黒爺々が茶屋」(秋景)です。


 「名所江戸図会(えどめいしょずえ)」の行人坂(ぎょうにんざか)の説明には、
 同所同じく西の方(かた)、目黒(めぐろ)へ下る坂をいふ。寛永(西暦1624~44年、3代将軍・家光の時代)の頃、湯殿山(ゆどのさん)の行者(ぎょうじゃ)某(それがし)、大日如来の堂を建立(こんりゅう)し、大円寺(だいえんじ)と号す。(この寺、今は亡びたり)。
 般若塚(はんにゃづか)(同じ坂の半ば、道の側ら(かたわら)にあり。延享3年(西暦1746年、9代・家重の時代)、縁山清林院(えんざんせいりんいん)の木食心誉一道(もくじきしんよいちどう)和尚、往来の大地成就(だいちじょうじゅ)のためにとて、般若心経(はんにゃしんぎょう)三千巻を書写ありて、この地中に埋蔵せられし印の碑なり)。
 五百阿羅漢(あらかん)の石像 (同じ道の左にあり。明和9年壬辰(西暦1772年、10代・家治の時代)3月28日・29日両日の大火に焼死せし者の迷魂を弔(とむら)はんがため、ある人これを建立すといへり。
 と記載されています。

 現在も行人坂の途中には、大円寺(だいえんじ、天台宗の寺院)があります。

 名所江戸図会には、「この寺、今は亡びたり」との記載がありますが、これは、「五百阿羅」の記載にある明和の大火(行人坂火事)の火元となった寺であった為、責任問題から、江戸幕府から再建の許可が得られず、名所江戸図会が造られた天保年間(西暦1830~44年)には寺が亡くなっていたからです。
 その後、嘉永元年(西暦1848年)になって薩摩藩主・島津斉興(しまづ なりおき)の帰依を得て、その菩提寺として再建されたそうです。


 また、名所江戸図会に記載されている「五百阿羅漢」も大円寺の境内にあります。
 大円寺石仏群(東京都指定有形文化財)
 520躯(釈迦三尊像 3躯、十大弟子像 10躯、十六羅漢像 16躯、五百羅漢像491躯)
 (この場合の躯(く)は、仏像を数えるに用いられます。「体」と同義語)

 江戸三大大火の一つといわれ明和の大火(行人坂火事)の大火の犠牲者を弔う為に作られた阿羅漢像です。
 出火元は目黒の大円寺でしたが、放火犯は武州・熊谷・無宿(むしゅく)の真秀という坊主だったそうです。


 「名所江戸百景084 第84景 目黒爺々が茶屋 目黒のサンマ」
 「名所江戸百景143 第111景 目黒太鼓橋夕日の岡 目黒の雪景」

 今回は、これで終わりとさせていただきます。

 体調が治ったと思ったら、またもや、土日は仕事日でした。サンマ祭りは行けません・・・・。
 最初は、ブログ作りでぎりぎりでしたが、他の方のブログ見る余裕がでてきました。でも、8/20頃からの分が溜っているので、大変です・・・・(汗)
 次回から、また脱線となりますが、オリンピック競技場関連は一段落ですが、政治がらみの話は、正直面白くない話なので、さっさと終わらせたいのです。

 最近、サンマの漁獲量が激減したと思ったら、テレビの放送で日本の排他的経済水域(EEZ)より東側の沖合の公海上で、台湾や中国、韓国が乱獲していたことが原因という番組が流れていました。台湾や中国は、大きさに関係なく稚魚も乱獲し続けているようです。
 今年・平成27年(2015年)7月に「北太平洋漁業資源保存条約」が発効されました。(参加国は日・アメリカ・ロシア・カナダ・台湾・韓国・中国)。北太平洋の公海で漁をする国々が協調し、漁獲制限などの資源保護に取り組むことを目的にしているそうです。9月に「「北太平洋漁業委員会(NPFC)」の初会合で、2017年中に公海でのサンマの乱獲を防ぐ漁獲量を算定して、資源を国際的に保護することで合意したそうです。
 日本の排他的経済水域(EEZ)内でも、中国や韓国などの漁獲枠を認めないでべきですが、公海の漁業も漁業技術が進歩するにつれて乱獲による漁業資源枯渇が危惧されるようになり、現代では、しっかりとした漁獲量管理が当然の時代です。北太平洋の公海上でも、中国や韓国、台湾の漁獲量の割り当てを認めないで、日本の漁獲資源をしっかり確保して欲しいと思います。
 9/3のニュースによると、日本の排他的経済水域(EEZ)に隣接する太平洋の公海上で、主にサバ類を捕獲しているとみられる中国の漁船が急増して、乱獲しているとの情報もありました。サンマだけでなく、日本周辺の各種漁獲資源も外国に横取りされないようにして欲しいと思います。北太平洋だけでなく、日本の南側の公海上の漁獲量もアメリカ(グアム・北マリアナ連邦)やパラオ、フィリピンと協議して、フィリピン海の公海でも乱獲する中国や韓国から漁獲資源を守るようにして欲しいです。(フィリピン海の公海に排他的経済水域(EEZ)が面している国はこの4カ国です)(青字追記)
 それから、密猟を取り締まる法律も、昨年・平成26年に発生した小笠原、伊豆両諸島周辺で中国のサンゴ密漁船の違法乱獲で、密漁の罰金を大幅に増やす改正法が可決されましたが、現在も違法な密漁が続いています。
 逃げ回る密漁船を会場保安庁の巡視船が2時間も追いかけまわすだけでも大変ですし、波の荒い中を逃げ回る密漁船に移動したりする保安庁職員も命がけなのですから、密漁を無くすためにも、罰金だけでなく、密漁船や漁獲品の没収や、停船命令を無視して逃げまわる密漁船に対して、巡視船からの射撃(しゃげき)を認める(国際的に標準的方法)など、しっかりとした取り締まり体制を築いて欲しいと思います。

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