こんにちわ、「くまドン」です。
今回も、日暮里(にっぽり)のアジサイ(紫陽花)の話の続きです。
下の写真は、日暮里の富士見坂(ふじみざか)の上から西側を見た風景です。
ここは、見晴らしが良いので、有名な夕日の撮影スポットです。
名前の通り、秋から冬にかけては、富士山が見える場所として、「関東富士見百景」の一つとして知られていましたが、そこに高層ビルが建つので、建設の是非が話題になっています。
下の絵は、前回もお見せしました広重の名所江戸百景「第14景 日暮里寺院の林泉」です。
絵の説明は、前回しましたので、省略させていただきます。
江戸時代は、この付近のお寺は、花や木を植えて、風光明媚な土地とした為、江戸の多く人が訪れる名所となりました。
特に「青雲寺」「修性院」「妙法寺」などは、競って庭を造り花見寺と呼ばれました。
江戸時代中ごろになると、「一日過ごしても飽きない里」という意味で「ひぐらしの里」と呼ばれるようになりました。
元は「新堀」という地名でしたが、明治10年に「日暮里」が正式地名となりました。
現在でも、日暮里付近の寺は、四季折々の花を咲かせ、日暮里に訪れる人たちを喜ばせてくれます。
前回の最後にお話ししました谷中銀座(やなかぎんざ)の「夕焼けだんだん」の階段を下りた所にある道を右に行きます。
右手に「南泉寺」を見て、しばらく行くと、このプログ先頭でお見せした「富士見坂」の下に着きます。
その少し先に行くと、右手に修性院と青雲禅寺があります。
【修性院 (しゅしょういん)】 日蓮宗の寺院です。
江戸時代、修性院は、妙隆寺(修性院に合併)、青雲寺と共に花見寺とも呼ばれていました。
また、谷中七福神の一つである「ひぐらしの布袋」が祀られています。
寺の塀には、四季をモチーフにした布袋尊のイラストが何枚も描かれており、道行く人々に親しまれています
【青雲禅寺】 臨済宗妙心寺派の寺院です。
境内には、「南総里見八犬伝」で有名な滝沢馬琴(たきざわばきん、曲亭馬琴)の筆塚(ふでづか)の碑や硯塚(すずりづか)の碑などがあります。
谷中七福神の恵比寿(えびす)神が祀られています。(正月の10日間のみ拝観可)
青雲寺を拝見した後、道を戻り、富士見坂を登ります。
【日暮里諏訪の台】
JR日暮里駅~西日暮里駅間(500m程)の西側にある台地の部分は、台地の幅が狭く、南北に細長く連なっていて、台地上を東西方向に少し進むと、すぐ坂があります。
この付近を諏訪の台(すわのだい)と呼んでいました。
江戸時代は高い建物はありませんので、諏訪の台は、東にも西にも展望が開けていました。
下の絵は、広重の名所江戸百景「第15景 日暮里諏訪の台」です。
こちらは日暮里の諏訪の台の上からの見晴らしです。
春景ですから、桜が咲いていて、観光客が現在のJR線のある東側の坂から登ってきている所です。
台地から北東方向に、なにも遮るものが無い東京低地部(下町)を望む風景です。
絵の奥に見えるのが筑波山(つくばさん)です。左の山は日光方面の山々です。
絵に描かれている諏訪の台の所には、諏訪神社(すわじんじゃ)や浄光寺がありました。
台地の向こうから人が登ってくる坂を地蔵坂です。現在も諏訪神社境内にあります。
富士見坂を登った所で左に行くと、右手に浄光寺と諏訪神社があります。
浄光寺は、江戸時代は雪見寺として知られており、風流を好む文人が数多く訪れました。
下の写真は、JR日暮里駅東口にある「太田道灌」の銅像です。
この付近は、室町時代の武将「太田道灌(おおたどうかん)」が城を築いた所と伝えられています。
武士でも鎧(よろい)は無く、いかにも室町時代と言った雰囲気ですね。
諏訪の台は、別名「道灌山」とも呼ばれていました。江戸時代は、秋の虫聞きの名所となっていました。
道灌山の公園まで行くと、説明板があります。この公園からは、JR西日暮里駅をすぐ下に臨む程の近さです。
この先は、道潅山通りを通した時の切り通しで分断されています。切り通しの向こう側に、「船繋の松」という松があったそうです。
再び、諏訪の台沿いの道を戻り、JR日暮里駅の方に進むと、富士見坂を過ぎた左手に養福寺(ようふくじ)があります。
【養福寺(ようふくじ)】 真言宗豊山派の寺院です。
赤い仁王門は、5代綱吉(つなよし)の宝永年間の造られたそうです。門の裏側には、広目天と多聞天の二天王像が安置されています。
江戸時代初期の俳句である談林派歴代の句碑などがあります
養福寺から先に進むと、谷中銀座の「夕焼けだんだん」の階段の上に続く道にぶつかります。
ここを左に曲がるとJR日暮里駅です。
途中の左手に、経王寺(きょうおうじ、日蓮宗、大黒天)、江戸時代に月見寺として有名だった本行寺(ほんぎょうじ、日蓮宗)などがあります。
また、JR線をまたぐ陸橋から、前回のプログにありました諏訪の台に沿って新幹線が走っている写真が撮影できます。
JR駅東口にあった太田道灌の銅像を撮影した後で、バスステーションの左奥にある「ステーション・ガーデンタワー」に立ち寄りました。
昔は、ここに駄菓子屋(だがしや)さんの問屋(とんや)が10軒ほどあったのですが、時代の流れで駄菓子屋の数も減り、再開発で高層ビルが建っています。
現在では昔の面影はありませんが、「ステーション・ガーデンタワー」の低層階が店となっていて、1階と2階に1軒ずつ駄菓子問屋が残っていました。
「くまドン」は、昔、文化祭で駄菓子を仕入れたことがありました。せっかく来たので、2袋(問屋はまとめ買いです)買っていくことにしました。親戚のおばさんが、喜んで持って行ってくれました。
この店に行く2週間前に、群馬県のテレビでも放送されたことがあったそうで、わざわざ群馬県から買いに来た方もいたそうです。
日暮里周辺の寺院は、現在も花の名所で、四季折々の花が咲きますので、
名所江戸百景「第15景 日暮里諏訪の台」に対応する「くまドン版」の景は、また別の季節にやりたいと思います。
どの寺も、まじめなお寺ですので、迷惑のかからないように、拝観・撮影に心がけましょう。
今回は、これで終わりとさせていただきます。
山王祭の期間は長く、週末も続きますので、次回は、山王祭からもう一景を選ばさせていただきます。
今週は特に忙しく、パソコン立ち上げる暇もないので、週末には間に合わないかもしれません。・・・・・(汗)
日本プログ村に参加してみました。時間があれば、どれか一つ「ポチッ」と押してください。
今回も、日暮里(にっぽり)のアジサイ(紫陽花)の話の続きです。
下の写真は、日暮里の富士見坂(ふじみざか)の上から西側を見た風景です。
ここは、見晴らしが良いので、有名な夕日の撮影スポットです。
名前の通り、秋から冬にかけては、富士山が見える場所として、「関東富士見百景」の一つとして知られていましたが、そこに高層ビルが建つので、建設の是非が話題になっています。
下の絵は、前回もお見せしました広重の名所江戸百景「第14景 日暮里寺院の林泉」です。
絵の説明は、前回しましたので、省略させていただきます。
江戸時代は、この付近のお寺は、花や木を植えて、風光明媚な土地とした為、江戸の多く人が訪れる名所となりました。
特に「青雲寺」「修性院」「妙法寺」などは、競って庭を造り花見寺と呼ばれました。
江戸時代中ごろになると、「一日過ごしても飽きない里」という意味で「ひぐらしの里」と呼ばれるようになりました。
元は「新堀」という地名でしたが、明治10年に「日暮里」が正式地名となりました。
現在でも、日暮里付近の寺は、四季折々の花を咲かせ、日暮里に訪れる人たちを喜ばせてくれます。
前回の最後にお話ししました谷中銀座(やなかぎんざ)の「夕焼けだんだん」の階段を下りた所にある道を右に行きます。
右手に「南泉寺」を見て、しばらく行くと、このプログ先頭でお見せした「富士見坂」の下に着きます。
その少し先に行くと、右手に修性院と青雲禅寺があります。
【修性院 (しゅしょういん)】 日蓮宗の寺院です。
江戸時代、修性院は、妙隆寺(修性院に合併)、青雲寺と共に花見寺とも呼ばれていました。
また、谷中七福神の一つである「ひぐらしの布袋」が祀られています。
寺の塀には、四季をモチーフにした布袋尊のイラストが何枚も描かれており、道行く人々に親しまれています
【青雲禅寺】 臨済宗妙心寺派の寺院です。
境内には、「南総里見八犬伝」で有名な滝沢馬琴(たきざわばきん、曲亭馬琴)の筆塚(ふでづか)の碑や硯塚(すずりづか)の碑などがあります。
谷中七福神の恵比寿(えびす)神が祀られています。(正月の10日間のみ拝観可)
青雲寺を拝見した後、道を戻り、富士見坂を登ります。
【日暮里諏訪の台】
JR日暮里駅~西日暮里駅間(500m程)の西側にある台地の部分は、台地の幅が狭く、南北に細長く連なっていて、台地上を東西方向に少し進むと、すぐ坂があります。
この付近を諏訪の台(すわのだい)と呼んでいました。
江戸時代は高い建物はありませんので、諏訪の台は、東にも西にも展望が開けていました。
下の絵は、広重の名所江戸百景「第15景 日暮里諏訪の台」です。
こちらは日暮里の諏訪の台の上からの見晴らしです。
春景ですから、桜が咲いていて、観光客が現在のJR線のある東側の坂から登ってきている所です。
台地から北東方向に、なにも遮るものが無い東京低地部(下町)を望む風景です。
絵の奥に見えるのが筑波山(つくばさん)です。左の山は日光方面の山々です。
絵に描かれている諏訪の台の所には、諏訪神社(すわじんじゃ)や浄光寺がありました。
台地の向こうから人が登ってくる坂を地蔵坂です。現在も諏訪神社境内にあります。
富士見坂を登った所で左に行くと、右手に浄光寺と諏訪神社があります。
浄光寺は、江戸時代は雪見寺として知られており、風流を好む文人が数多く訪れました。
下の写真は、JR日暮里駅東口にある「太田道灌」の銅像です。
この付近は、室町時代の武将「太田道灌(おおたどうかん)」が城を築いた所と伝えられています。
武士でも鎧(よろい)は無く、いかにも室町時代と言った雰囲気ですね。
諏訪の台は、別名「道灌山」とも呼ばれていました。江戸時代は、秋の虫聞きの名所となっていました。
道灌山の公園まで行くと、説明板があります。この公園からは、JR西日暮里駅をすぐ下に臨む程の近さです。
この先は、道潅山通りを通した時の切り通しで分断されています。切り通しの向こう側に、「船繋の松」という松があったそうです。
再び、諏訪の台沿いの道を戻り、JR日暮里駅の方に進むと、富士見坂を過ぎた左手に養福寺(ようふくじ)があります。
【養福寺(ようふくじ)】 真言宗豊山派の寺院です。
赤い仁王門は、5代綱吉(つなよし)の宝永年間の造られたそうです。門の裏側には、広目天と多聞天の二天王像が安置されています。
江戸時代初期の俳句である談林派歴代の句碑などがあります
養福寺から先に進むと、谷中銀座の「夕焼けだんだん」の階段の上に続く道にぶつかります。
ここを左に曲がるとJR日暮里駅です。
途中の左手に、経王寺(きょうおうじ、日蓮宗、大黒天)、江戸時代に月見寺として有名だった本行寺(ほんぎょうじ、日蓮宗)などがあります。
また、JR線をまたぐ陸橋から、前回のプログにありました諏訪の台に沿って新幹線が走っている写真が撮影できます。
JR駅東口にあった太田道灌の銅像を撮影した後で、バスステーションの左奥にある「ステーション・ガーデンタワー」に立ち寄りました。
昔は、ここに駄菓子屋(だがしや)さんの問屋(とんや)が10軒ほどあったのですが、時代の流れで駄菓子屋の数も減り、再開発で高層ビルが建っています。
現在では昔の面影はありませんが、「ステーション・ガーデンタワー」の低層階が店となっていて、1階と2階に1軒ずつ駄菓子問屋が残っていました。
「くまドン」は、昔、文化祭で駄菓子を仕入れたことがありました。せっかく来たので、2袋(問屋はまとめ買いです)買っていくことにしました。親戚のおばさんが、喜んで持って行ってくれました。
この店に行く2週間前に、群馬県のテレビでも放送されたことがあったそうで、わざわざ群馬県から買いに来た方もいたそうです。
日暮里周辺の寺院は、現在も花の名所で、四季折々の花が咲きますので、
名所江戸百景「第15景 日暮里諏訪の台」に対応する「くまドン版」の景は、また別の季節にやりたいと思います。
どの寺も、まじめなお寺ですので、迷惑のかからないように、拝観・撮影に心がけましょう。
今回は、これで終わりとさせていただきます。
山王祭の期間は長く、週末も続きますので、次回は、山王祭からもう一景を選ばさせていただきます。
今週は特に忙しく、パソコン立ち上げる暇もないので、週末には間に合わないかもしれません。・・・・・(汗)
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