7日の日に画家桐弘史郎さんの個展に行ってきました。
ここのところ私の予定は目いっぱい
忙しいので、気が付いたら終わっていたということにならないように、会期中の早い時期に行こうと、お仕事が早めに終わる水曜日に出かけました。会場は千駄ヶ谷駅から5分ほどの観音坂ギャラリーでした。私の職場から直線距離だと近い処ですが、新宿御苑の北側と南側(ギャラリー)という位置なのでちょっと厄介なアクセスなのです


この日太ももが急に筋肉痛に襲われ、少し時間が遅れて両腕の筋肉痛が始まったので、徒歩はやめて、都営地下鉄を一駅、JRに乗り換えて、2駅乗りましたあ~~~
筋肉痛の原因は????5日の日にボブちゃん&ママで新宿にご用で出かけました。ところがボブちゃんが途中でぐっすり寝ちゃったので、私が30分くらい抱いていたかなあ~~座るところもなかったので、デパートの休憩室とも思ったのですが、帰った方がいいと、タヌキに迎えに来てもらうことにしたのですが、新宿西口・ロータリーで待つこと20分

落としちゃ大変と踏ん張りました
桐 弘史郎展 2014年5月5日~17日

ギャラリー 観音坂http://www.geocities.jp/kannonzaka2007/index.html







人間の内面を表現したのかしら~~~~~
ここのところ私の予定は目いっぱい




この日太ももが急に筋肉痛に襲われ、少し時間が遅れて両腕の筋肉痛が始まったので、徒歩はやめて、都営地下鉄を一駅、JRに乗り換えて、2駅乗りましたあ~~~
筋肉痛の原因は????5日の日にボブちゃん&ママで新宿にご用で出かけました。ところがボブちゃんが途中でぐっすり寝ちゃったので、私が30分くらい抱いていたかなあ~~座るところもなかったので、デパートの休憩室とも思ったのですが、帰った方がいいと、タヌキに迎えに来てもらうことにしたのですが、新宿西口・ロータリーで待つこと20分




桐 弘史郎展 2014年5月5日~17日

ギャラリー 観音坂http://www.geocities.jp/kannonzaka2007/index.html







人間の内面を表現したのかしら~~~~~

桐氏との付き合いは20年以上前からの数年間、それはかなり創造的な意味でディープなものでした。私のウキペディアを見ていただければ書いてありますが、そのころカンバス・コンサートを盛んにやっていた時期で、氏の原画をお借りしたりしながらそれの音楽への翻訳に努め、その原画を舞台正面に据えて生演奏をし、観客の方々の内部で視覚と聴覚との連係プレーを通して超越的アイデンティティ感覚⇒自我を超越する意識
になりきる瞬間を演出しようとしたものであり、そのモデル≪翻訳元≫とさせていただいた現役画家の作品の中で、最も優れた、というよりダントツに優れたものが市の絵画でした。今回、プログを見させていただいて、その実感を再認識。感謝に堪えません。
なお、当時は哲学者の八木雄二氏には演劇的題材で、また同じく中島義道氏には評論サイドでかかわっていただいておりました。
とにかく、桐氏の絵画は超分析的といいたくなるような、卓越せる内的顕微鏡的自己分析力、洞察力の成果であり、それに徹し続ける彼の清潔さ、純粋さは称賛されてしかるべきもので、もっと多くの知的文化的方々の目に触れるようになってもらいたいものです。いま、私はホームページを持ち、おおくの作品を動画の形アップいたしておりますが、いずれは桐氏の音楽翻訳版もアップさせていただく所存です。
画家としての中期以降、自分の手法に拘り、形式的には、いや様式的においてすら同一性を保ちつつも年を重ねるごとに絵の実質的な力≪本人が気づいている場合もあれば気づいていない場合もありましょう)が低下しつつあるというのは枚挙にいとまがないほどですが、桐さんの場合は、そんな「桐屋さん」ではないと信じるものであります。
今後も氏がその恵まれたアイデンティティにしがみつくのではなくアイデンティティを自由に謳歌し続けることをこころより願っております。
なお、何かの機会がございました氏にくれぐれもよろしく!とお伝えください。
2014.11.20夜 東京西東京市 ロクリアン・スタジオにて記す 作曲家:ロクリアン正岡
桐氏の絵画が見たくなり、開かせていただきましたところ、偶然あなた様のプログ(サイト)だったという出会いですがお許しください。
桐氏との付き合いは20年以上前からの数年間、それはかなり創造的な意味でディープなものでした。私のウキペディアを見ていただければ書いてありますが、そのころカンバス・コンサートを盛んにやっていた時期で、氏の原画をお借りしたりしながらそれの音楽への翻訳に努め、その原画を舞台正面に据えて生演奏をし、観客の方々の内部で視覚と聴覚との連係プレーを通して超越的アイデンティティ感覚⇒自我を超越する意識
になりきる瞬間を演出しようとしたものであり、そのモデル≪翻訳元≫とさせていただいた現役画家の作品の中で、最も優れた、というよりダントツに優れたものが市の絵画でした。今回、プログを見させていただいて、その実感を再認識。感謝に堪えません。
なお、当時は哲学者の八木雄二氏には演劇的題材で、また同じく中島義道氏には評論サイドでかかわっていただいておりました。
とにかく、桐氏の絵画は超分析的といいたくなるような、卓越せる内的顕微鏡的自己分析力、洞察力の成果であり、それに徹し続ける彼の清潔さ、純粋さは称賛されてしかるべきもので、もっと多くの知的文化的方々の目に触れるようになってもらいたいものです。いま、私はホームページを持ち、おおくの作品を動画の形アップいたしておりますが、いずれは桐氏の音楽翻訳版もアップさせていただく所存です。
画家としての中期以降、自分の手法に拘り、形式的には、いや様式的においてすら同一性を保ちつつも年を重ねるごとに絵の実質的な力≪本人が気づいている場合もあれば気づいていない場合もありましょう)が低下しつつあるというのは枚挙にいとまがないほどですが、桐さんの場合は、そんな「桐屋さん」ではないと信じるものであります。
今後も氏がその恵まれたアイデンティティにしがみつくのではなくアイデンティティを自由に謳歌し続けることをこころより願っております。
なお、何かの機会がございました氏にくれぐれもよろしく!とお伝えください。
2014.11.20夜 東京西東京市 ロクリアン・スタジオにて記す 作曲家:ロクリアン正岡