2008年11月1日秋晴れ
ベランダから東京新宿西口高層ビル群 竿はえんどう豆の支柱
ツタンカーメンのえんどう豆のツルが支柱に巻きつきました。
アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文 審査委員長渡辺昇一(上智大学名誉教授)に、現職の航空幕僚長田母神(たもがみ)俊雄(60)が「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」と主張する論文を応募し、最優秀藤誠志賞(懸賞金300万円・全国アパホテル巡りご招待券)を獲得しました。この論文は旧満州・朝鮮半島の植民地化や第2次世界大戦での日本の役割を一貫して正当化し、集団的自衛権の行使を禁じる現行憲法に疑問を呈している内容でした。満州事変・日中戦争・アジア太平洋戦争を日本の侵略だったということを否定する歴史観は、日本政府見解とは異なると言うことで即座に持ち回り閣議がおこなわれ、航空幕僚長を更迭しました。
アパグループのHPにその論文が全文掲載されていると言うので、早速、読んで見ました。
多数の書物の裏づけに基づき明快に先の戦争を侵略ではなく正当性のある戦争であったと論を進めていました。侵略戦争と認めたくない人々にとっては心地のよい響きの論文に仕上がっていました。審査委員長の上智大学名誉教授並びにアパグループの代表元谷志雄氏にとっては最高の論文と評価したようです。しかし、田母神氏が論文の資料とした書物の大半は先の戦争を侵略戦争と認めたくない学者や評論家の書物です。先の戦争を正当化する見解の書物をつまみ食いして、頭のいい人間が書き上げた論文だと思いました。
田母神氏が中国・韓国・インドネシア・フィリピンなどの政府要人や有識者にこの論文を配布することが出来るでしょうか。
過去の歴史を振り返ると、
1931年9月18日の満州事変勃発に始まる満州侵略によって日本が設立した実質上の傀儡国であった満州国を、国際連盟は「満州国は地元住民の自発的な独立ではない」と結論づけたリットン調査書による報告に基づいて総会決議を行った結果、賛成42、反対1(日本)、棄権1(タイ)となり、満州国を否認しました(1933年2月24日)。この時の全権代表松岡洋右(後の外相)は、「日本は、国際連盟総会の勧告を断じて受け入れることは出来ない」と演説し、その1ヵ月後の1933年3月27日、日本は国際連盟を脱退を宣言しました。
1933年4月、交渉に失敗した松岡洋右は失意の中に帰国しました。しかし、そこで思いもよらぬ光景を目にしました。松岡洋右を待っていたのは、国民の大歓声だったのです。新聞は、次のように報じました。「松岡の姿は、凱旋将軍のようだった。わが国は始めて、[我は我なり]という独自の外交を打ち立てるにいたったのだ」。松岡は、一躍、国民的英雄となっていました。しかし、日本は国際社会で孤立の道を深めていくことになったのです。
自国の正義を主張するだけでは国際社会に通用しません。幸い、今回は田母神氏の論文が発表されるや否や麻生政権は即座に政府見解と異なるということで航空幕僚長田母神俊雄を更迭しました。
しかし、政府の指導的立場の人物の歴史認識が政府見解と異なると言うことは、15年戦争の検証を政府として行なっていないことが露呈されたわけです。
アメリカ発の世界恐慌に始まる経済悪化から内向きな民族主義のファシズムが第二次世界大戦を引き起こしました。今また、アメリカ発のサブプライムローンが巻き込んだ世界経済の先行き不安の現状に、ふたたび、内向き思考の政治・経済・文化にならないことを望みます。
今回の航空幕僚長田母神俊雄論文事件が集団的自衛権行使論の重石なればと思います。
ベランダから東京新宿西口高層ビル群 竿はえんどう豆の支柱

ツタンカーメンのえんどう豆のツルが支柱に巻きつきました。

アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文 審査委員長渡辺昇一(上智大学名誉教授)に、現職の航空幕僚長田母神(たもがみ)俊雄(60)が「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」と主張する論文を応募し、最優秀藤誠志賞(懸賞金300万円・全国アパホテル巡りご招待券)を獲得しました。この論文は旧満州・朝鮮半島の植民地化や第2次世界大戦での日本の役割を一貫して正当化し、集団的自衛権の行使を禁じる現行憲法に疑問を呈している内容でした。満州事変・日中戦争・アジア太平洋戦争を日本の侵略だったということを否定する歴史観は、日本政府見解とは異なると言うことで即座に持ち回り閣議がおこなわれ、航空幕僚長を更迭しました。
アパグループのHPにその論文が全文掲載されていると言うので、早速、読んで見ました。
多数の書物の裏づけに基づき明快に先の戦争を侵略ではなく正当性のある戦争であったと論を進めていました。侵略戦争と認めたくない人々にとっては心地のよい響きの論文に仕上がっていました。審査委員長の上智大学名誉教授並びにアパグループの代表元谷志雄氏にとっては最高の論文と評価したようです。しかし、田母神氏が論文の資料とした書物の大半は先の戦争を侵略戦争と認めたくない学者や評論家の書物です。先の戦争を正当化する見解の書物をつまみ食いして、頭のいい人間が書き上げた論文だと思いました。
田母神氏が中国・韓国・インドネシア・フィリピンなどの政府要人や有識者にこの論文を配布することが出来るでしょうか。
過去の歴史を振り返ると、
1931年9月18日の満州事変勃発に始まる満州侵略によって日本が設立した実質上の傀儡国であった満州国を、国際連盟は「満州国は地元住民の自発的な独立ではない」と結論づけたリットン調査書による報告に基づいて総会決議を行った結果、賛成42、反対1(日本)、棄権1(タイ)となり、満州国を否認しました(1933年2月24日)。この時の全権代表松岡洋右(後の外相)は、「日本は、国際連盟総会の勧告を断じて受け入れることは出来ない」と演説し、その1ヵ月後の1933年3月27日、日本は国際連盟を脱退を宣言しました。
1933年4月、交渉に失敗した松岡洋右は失意の中に帰国しました。しかし、そこで思いもよらぬ光景を目にしました。松岡洋右を待っていたのは、国民の大歓声だったのです。新聞は、次のように報じました。「松岡の姿は、凱旋将軍のようだった。わが国は始めて、[我は我なり]という独自の外交を打ち立てるにいたったのだ」。松岡は、一躍、国民的英雄となっていました。しかし、日本は国際社会で孤立の道を深めていくことになったのです。
自国の正義を主張するだけでは国際社会に通用しません。幸い、今回は田母神氏の論文が発表されるや否や麻生政権は即座に政府見解と異なるということで航空幕僚長田母神俊雄を更迭しました。
しかし、政府の指導的立場の人物の歴史認識が政府見解と異なると言うことは、15年戦争の検証を政府として行なっていないことが露呈されたわけです。
アメリカ発の世界恐慌に始まる経済悪化から内向きな民族主義のファシズムが第二次世界大戦を引き起こしました。今また、アメリカ発のサブプライムローンが巻き込んだ世界経済の先行き不安の現状に、ふたたび、内向き思考の政治・経済・文化にならないことを望みます。
今回の航空幕僚長田母神俊雄論文事件が集団的自衛権行使論の重石なればと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます