ネズミ取りの罠(檻)に捕えられたネズミが、上から覗き込んでいる人間に対してギャーギャーと威嚇をしている。絶対に逃げられない環境下であるにもかかわらず、自分よりも遙かに強く賢い人間を侮辱し、見下し、一泡吹かせてやろうと無い知恵を絞って狭い檻の中で必死に抵抗している。
しかし人間はそんなネズミなんてちっとも怖くないし、逆にその光景が非常に滑稽に見えて嘲け笑うだろう。むしろ、ネズミの檻を水の中に沈めればネズミは数秒で息絶えるのは明白だし、人間のさじ加減ひとつで何時でもネズミの息の根を即座に止めることができるのだ。
しかしそのネズミは非常に頭が悪いので、まさか自分がそのようなことになるなんて微塵も理解していない。それどころか、自分を罠に嵌めた人間の周囲にいる人間たちに向かって必死に「助けてくれ!」と懇願する。しかし、その人間たちは蔵に保管してあった大事な米をそのネズミに食い荒らされた農家の被害者たちである。そんな性悪ネズミを捕えてくれた人間は、さぞかしこの農家の人たちからみたら救世主そのものである。そんな被害者たちにネズミは助けを求めているのだ。これほど滑稽なことはない。
このネズミは生まれたばかりの頃、みなしごで極度に痩せていて今にも死にそうだったところを通りかかった人間に拾われ、手厚い看病を受け、栄養のある食事を与えられ、みるみる元気になっていった。そして健康で丈夫な大人になったこのネズミは、その人間に恩を感じるどころか、逆に「余計なことをしやがって!」とか「自分ひとりでも生き延びることができたんだ!」と人間を逆恨みするようになった。
このネズミの両親は人間の作った作物を散々食い荒らし、このネズミと同じようにネズミ捕りに掴まって人間に処分されたのである。しかし子ネズミには何の罪もない。この子ネズミを拾った人間は、自分たちが愛情を持って育てれば、いつかは人間の役に立ってくれるだろうと思い、自分たちが必死に働いたお金を使って過保護にそのネズミを育てたのだ。そして何の不自由もなく育ったこのネズミは、やがて両親と同じように振る舞い、人間への恩を仇で返すようになったのである。まさにカエルの子はカエルなのである。
人間とネズミは生物学的に共生はできず、永遠に敵対関係にあるのだ。だから人間はネズミに愛情や仲間意識を持ってはいけないのである。中には「可哀想だからもう一度チャンスを与えてあげたらどうか」と提案する人もいるだろう。だが、ネズミも生きるためには餌を食べないといけないが、一度人間界で楽に生きられる術をおぼえてしまったネズミは野生に戻ることなど決して出来ないのだ。
だが、それだからといってネズミ捕りの罠に嵌り、決して檻から出ることのできないこのネズミに、チクチクと100以上もの拷問を加え続け、徐々に弱らせて公開処刑するなんてのは見るに忍びない。通常このようなネズミはそのまま檻ごと水の中に沈めて処分されるのだから、どうせ助からないのなら、いっそのことひと思いに息の根を止めてあげたほうがいい。それがこの子ネズミの本性を知らずに過保護に育ててしまった人間の責任でもあるのだから。
このネズミはもうこの世で生きていく事はできないが、今度こそは人間と共生できる生物に生まれ変わってほしいと切に願うばかりである。