戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

コアラの鼻は可愛いが・・・22/03/31

2010-03-31 13:29:38 | Weblog
身体の一部分、どんなに小さな所でも、異変があれば其処ばかり気になって仕方がない。私も転倒して顔面を強打し、未だ3日目、如何に昨日より爽やかだとはいえ、こんなていたらくでは辛い。
どのような?と聞かれれば私の鼻の半分より上のところにコアラの鼻が乗っかっているようだ、と答えるしかない。コアラがどんなに可愛くても、自分の鼻の真ん中に、コアラの鼻を置いてみれば分かる。
色は全体が茶っぽくて真ん中の部分は薄黒い。可愛いコアラも自分の鼻の上に鎮座ましますと非常に醜くなるものだと思った。
醜いという段階ではない。哀れ・・とさえ云える。醜くても人には人の顔しか無いのだと思った。倒れた時、身体のあちこちに無理がかかったと見えて変なところが痛む。治るまでプールは休もう。
1月から殆ど休まずに通ったのだから、今回は春休みだ。新学期は大体4月8日位に始まるからその頃にはコアラの鼻も元通りになっているだろう。運動不足なので毎日カロリーオーバーにならないように栄養素などの勉強をしている。今日のお昼はそうめん茹で上がり180グラムとお豆腐3分の1丁、春菊と鶏肉60グラムで標準よりは少ない。
オーバーよりは良いだろう。転倒したのも間違いなく年齢が関係している。75歳という事を身体に刻み込んで気をつけるようにしたい。
このところ、テレビで階段を手すりにつかまらないで上がれるか、などと老化の基準にしているようだが、私は手を離して上がる事も降りる事も出来る。けれど見栄は張らず、必ず手すりにはつかまる。若い人でもまれには足を踏み外す。この年齢で余計な迷惑をかけたくはない。いつまでもひとりで自分が賄えるようにしておくのが周りの人に対する礼儀だと思っている

 鼻は骨折していなかったが・・・22/03/30

2010-03-30 09:53:29 | Weblog
昨日転倒して得意の鼻をへし折られかに見えたが、ほりえ外科でレントゲンを撮った結果、前面からも横からも骨に異常は見られなかった。けれど鼻の真ん中より少し上は青黒く異常に腫れていて触れば痛い。薬もつけるような物はなく、時間が経つのを待つしかないようだ。
マスクで顔を隠しても少しは見える部分で、明日からはそれが全体に散らばるからもっと酷くなるという。それが次第に黄色くなって消えるまでには相当な時間がかかると思った。まずい顔にひけはとらないが、一層まずくなると聞いてうんざりした。大きい濃いサングラスをかけると良いでしょう、と先生はおっしゃるが、顔全体に内出血の血が散らばり、幾らか浮腫んで黄色く変化して消えるまでには少なくとも1ヶ月かかると私は思った。サングラスよりお面のほうが良いけれど、そのようなお面はない。仮装舞踏会に付けるようなメガネは売っているが、お面はない。第一、そんなお面を付けていては仕事にならない。みんなが心配して何か薬はないんですか?とか冷やせば?といってくれるが、堀江先生も松本薬局の薬剤師さんも「冷やすと血の拡散が遅くなり、時間が余計長引く」との事で打つ手はない。随分気をつけていたのに・・・今週はプールもお休みしよう。たまに休むのも良いかもしれない。打ち身は冷やすと思っていたが、打った場所によっては対処が違う事を知らなかった。目が避けられただけ幸いだったと思っている。いつもプールに行く時、疲れてはいないが、今日はやっぱり身体全体が熱っぽく、重苦しく、目も霞んでいるようで、眼科には行っていないが、鼻の内出血のような事が目の奥で起きていたら・・・今晩寝て明日の朝にはもっと重大な事態が起きていたらと一晩怖かった。が・・・起きてみたら爽やかだった。昨日1日続いた重苦しさは全く感じられなかった。いつも私の朝は忙しい。今日も台所仕事や少しばかりの片付けをして、自分のえさの用意もしなければならない。ジェニーのえさと私のお弁当のおかずが同じ時もある。味を付けていない長時間煮た鶏肉である。今日も犬にやったあと、自分の鶏肉をパックに詰めた。すっかり用意が出来上がり、では・・・と鏡の前に立った。
なーんだ・・・気分は爽やかであったが、鼻のところは昨日と同じか、幾らか腫れはひいているようだが、みてくれはそれ以上の感じで醜いことおびただしい。そっと触ってみたら、痛いけれどそれでも昨日よりは良い。しょうがない、自分でやった事なのだから、あと半月もすれば元どおりになるだろう。元々美しさから見放された顔だと思っていたが、改めてみるとやっぱり前の方が良い。マスクをしないで済む日が近いように祈った。マスクもかけてみると鬱陶しいものだと思った。

“得意の鼻“を今朝転倒してへし折ってしまった。 

2010-03-29 10:34:37 | Weblog
うちは電気屋なのでいろんな電化製品が出ると同時に買わされる事が多かった。自分でも良いと思えば売りつけられる事はないので、直ぐ自然に買う事が出来た。その残骸が未だ沢山置いてある。その中にビーマーという電気毛布のようなマットレスタイプの物があった。サンビームという物を発し、身体に良いというもので、S電気が特に力を入れ、四十数万するけれど、一円たりとも値引きをしてはいけないという触れ込みだった。勿論たいして売れはしなかったが、私も買わされた。電気毛布としての役目しかないと思った。その一年後に私は独協に緊急入院して四ヶ月にわたる闘病生活を送った。役に立たないではないか、と思った。退院後、ベッドのマットレス代わりに敷いてその上に薄いふとんを敷き、電気毛布代わりに使っていたが、そのマットも電気が通じなくなり、現在/はその上に敷布団を敷き、電気毛布を敷いて使っている。毎日、コードが邪魔だと思いながら、大物なので出すのも面倒だし、マットレス代わりにそのままにしておいた。いつも気をつけていたが、今日は足に引っ掛かってしまった。倒れたところには小さいパーソナル冷蔵庫が置いてある。甥がいた頃、自分用に部屋において使っていた物で、壊れないので缶詰など入れてそのままにしてある。倒れたところが冷蔵庫で、丁度顔がぶつかった。無意識に目は避けたが鼻が当たってしまった。多分他の部分もあおなずみになっているだろうが、万一の当たり所によっては救急車をお願いするところだった。下に降りて洗面所の鏡の前に立った時には、一分も経っていないのに内出血らしく鼻の真ん中よりやや上が既に腫れており、赤黒くなっていた。こんなインチキに近いビーマーなどをS電気の口車に乗って売った報いがこれだ!と思った。私もビーマーなど、半信半疑だった。使いながら信じた事はなかった。バブルの最盛期、何でも売れた時代だった。
今日はゴミ出しの日、痛む鼻を我慢しながら用意しておいたゴミを大きい袋に詰め、三袋作って車に乗せてゴミステーションに向かい、そのまま会社に出勤した。ああ、良かった、ゴミステーションには誰もいなかった。早くマスクを買って隠そう。でも、痛いわ!

“もの言わざれば腹ふくるる” 22/03/28

2010-03-28 14:35:42 | Weblog
私がこんなに書きたい事が嘗てあったとは思ってもみなかった。
けれどパソコンを習い始めてキーボードの打ち方を練習する為に、先生が「日記のようなものを書いてみたら?」と勧めてくださったのが始まりで、1年余に亘り、祖父の代から現在までの殆どを随筆風に書いてしまった。それを書いた結果、今まで胸につかえていたもやもやの殆どが消失してしまった。少しは人に読んでいただいているし、1部は同人誌にも発表している。何人かに、いや何十何百人かに胸の“もやもや(つかえ)“を理解していただいただけでこんなにも違うものかと思った。
悩みや困り事があった時、まわりにその事を話したり、訴えられる人がいるだけで違うという事も良く聞く。話しても「そんな事、誰にでもある事じゃない?」とか「私だってその位あるわ」などと聞いてやらないと逆効果でもあるが、一応は兎に角聞いてやるという姿勢は大事だと思う。その上で自分の思った事を話してやると良い。訴えている人より自分のほうが余ほど苦労をしている事だってある。
人は自分の事をあまり話さない。特に貧乏した話などは隠したがる。自分が不遇であった事を話せるようになるには相当の時間と決心を要する。人生の晴れがましい事は何度でも話す。又?というほど話す。
けれど話せない、話したくない事のほうがずっと多いのだ。
そんな事は誰でもたんすの引き出しに沢山詰まっている。札束を入れる人など一般の人にはいない。
私も紙幣など1枚も入っていないが、心の引き出しに未だ詰まっているものがある。
この次に引き出しから出して書きたい事は私の学校時代、“干されていた2年間“の事だ。
干されていた2年間がその後の私のつきの始まりだった。その”干されていた2年間”が無ければ”こんにちのわたくし”は無い。

本当は今日書きたいと書き始めたが、又引き出しの奥深くしまいこんだ。小説形態として作品の中の人物に訴えさせれば良いのだ。この為にも書く事に修練を積んでおきたい。

卒業式のシーズンでも春は名のみの冷たい風 22/03/27

2010-03-27 14:11:20 | Weblog
あちこちで桜の便りが聞こえる。その時必ずといって良い程「夜桜見物には寒いので厚いコートをお召しになって・・・」とか「傘をお持ちになって・・・」のアナウンサーの言葉だ。昨日も赤門前を何度も通ったが、うすらに赤くもなっていなかった。地球温暖化の煽りを受けて春は確かに早く、そして温度の高い地域も少しずつ北上しているけれど、その合間に入る冷たい寒気団は何だ!!!1週のうち半分は物凄く寒い。今朝も薄いけれど氷が張った。
今朝のテレビでは昭和20年3月10日から始まった東京大空襲で、卒業式の出来なかった77歳の人達が、念願叶って小学校の卒業式に集まったという夢のような話を伝えていた。あの時、校長先生が手書きで1人ひとりに作ってくれた卒業証書も映っていた。見事な毛筆だった。考えてみると私の卒業証書など一体何処にあるのだろう?最後のだけは洋服ダンスに入っている。お花の免状も非常に立派な物が2つ入っているが、何の役にも立ってはいない。嫁入り道具になるか、教える時役に立つか位の役目であるが、それにしては随分とお金がかかった。
卒業証書が必要だった事は1度もない。せいぜい履歴書に書けば済む事で、書くのは暗記するほど何度も書いたけれど、このように空襲でやれなかった卒業式というのは、誰もがやった卒業式より何十倍かの思いが籠められているに違いない。
77歳といえば私の姉と同じ歳、そんな女の人達が昔の小学校に集う姿を見て涙が浮かんだのは私だけではないだろう。
2度と戦争を起こしてはならない。

黄泉路(よみじ)の旅

2010-03-26 12:44:49 | Weblog
病み疲れし身に、黄泉路(よみじ)の旅は辛からむ。護らせ給え、南無阿弥陀仏。

弟の死後、私の父方の親戚の大谷家の方が、紺色の地に金泥で阿弥陀様の像を書いて送って下さった。
その仏画は左上方に阿弥陀如来がおわし、右手にこの文言(もんごん)がしたためられてあった。
芸術的にも格別に優れたものであるのは見ただけで分かった。
癌で倒れ、周りの者に別れを告げて黄泉路に向かった弟は、家族の全員に多大の衝撃を与えていた。
その悲しみのさなかにあった我々に届けられたこの仏画の功徳は少なからぬものであった。高貴でお優しいお顔の阿弥陀様がお手を合わせられるお姿に我々はすがった。勝ちゃんは阿弥陀様にまもられている。大丈夫だと安堵したものだった。
我が家は仏教徒で南無阿弥陀仏である。父の母方の家は信心深く、いつも京都西本願寺にお参りをしていた。
事ある毎にお札などを届けていてくれた。
悲しみの極みにあった我々に届けられたこの仏画は、お札(おふだ)より何より私達を癒してくれた。私はそれほど信心深くない。両親もきょうだいも同じであった。私が30歳になる前、我が家を訪ねて来られた知り合いのお坊さんに連れられて、高野山にのぼった事がある。厳かな深山幽谷の中に林立する杉の大木の間を縫うように歩くと、おのれの身体が清められる感を味わった。数え切れぬほどのお寺があり、其処で私は先祖の供養をお願いした。少なからぬお布施を必要としたが、20名ほどの僧達に依る読経は詠うが如く高く、低く流れて溢れてくる涙を拭ういとまも無かった。四国88ヶ所をめぐり、高野山にお参りをして終わるというのも頷ける。
それは神々しくさえあった。仏画も読経も残された者への為にある、と思っている。

地獄の沙汰も金次第・・・22/03/25

2010-03-25 17:11:42 | Weblog
死んだとて知らせてやれば来にゃならぬ  つい忘れたとうっちゃっておけ (3月23日の読売新聞の編集手帳から)

こんなに不景気になると嘗て思った事はなかった。物は有り余り、賞味期限がこんなに取り沙汰された事もない。ごみステーションには使えるような電化製品やら鍋、食器類が並んでいる。捨てに来るのは老人、しかもおばあさんだけ。まれに若い女性が犬などの散歩がてらに立ち寄るが、古くから住んでいる顔見知りではない。
捨てる物は溢れているけれど、決心がつかずなかなか捨てられない。ピカピカに光ったステンレスのセットのお鍋もやはり早く捨てよう。持つだけでも重いし、新品に近いので決心がつかないのでなかなか持って来られないのだ。結局無いのはお金だけだ。
年寄りばかりなのでお葬式が出るとあっという間に5、6回のお葬式が続く。
私が元住んでいた所でも半年の間に6人が亡くなったという。
増えたのはお返しのお茶だけ・・・
昔から“葬式の費用だけは残しておかないと・・・”と云っていたけれど、葬式なんてどうでもいい。
死ぬまでのお金が今は1番必要なのだ。今にゴミを捨てるさえお金が必要になる。

“クレクレタコラ”の存在。 22/03/24

2010-03-24 11:25:20 | Weblog
“くれくれたこら”というアニメの存在など、甥を育てなければ知らないで過ぎてしまったかもしれない。漫画は田河水泡の“のらくろ”と長谷川マチ子の“まちこさん”しか知らずに育った年代の私が、昭和48年に弟を失い、幼い2人の甥と生活を共にするようになってから、時には母親のように一緒になって東武の8階にエイトマンが来たといえば東武へ・・・仮面ライダー、ゲゲゲの鬼太郎など諸々のアニメの主人公を追って遊ぶようになっていた。そうだっけ、最初は姉の子供、今は50歳を過ぎた甥に、彼と等身大位のアトムの人形を買ってやったのが最初だった。彼はアトムと同じに空を飛べると思って、下に小さないとこ達の見守る崖の上から両手を広げて飛び降りたっけ・・・神通力の無いアトムはあえなく墜落、足を骨折して泣いていた。それから10年は過ぎている。鬼怒川温泉のホテルで夏休みの親子を引き寄せようとする企画にまんまと引っ掛かり、おじいちゃんの運転でおばあちゃんと4人で宿泊させた。漫画そのものは見ていないが、大概のキャラクターは知っている。宇宙戦艦ヤマトなどは学校の勉強があの位暗記出来れば・・・という位に暗記していた。
「阿耨多羅三藐三菩提」(あのくたらさんみゃくさんぼだい)と唱えながらへんしーん!(変身)といえば何にでも変身出来ると思っていたらしい幼稚園の頃の甥が懐かしい。
その中に“クレクレタコラ”というユーモラスな名前があった。読まなくてもどんな意味なのか分かる。子供たちが何かを買って欲しいとねだると、いつから“クレクレタコラ”になったの?などと笑ったりして誤魔化した。そのうちに大きくなって漫画のアニメからは卒業した。
ところが、“クレクレタコラ”は今でも存在する事を知った。それも小さい子ではなく、大のおとなの“くれくれたこら”が・・・
蛸のお化けのようなこのアニメの主人公が、何でも呉れ、呉れとねだるのかどうか知らないけれど、私には何でも呉れ、呉れと云う人は“クレクレタコラ”に思えてしまう。
私は“クレクレタコラ”にだけはなりたくない。

身体が丈夫な事だけがとりえの私。  22/03/23

2010-03-22 13:57:33 | Weblog
身体の丈夫な事にかけては人にひけは取らない。中学生の修学旅行で松島に行った時、同級生の中で船に乗って酔わなかった女子は私1人だった。先生と男の子と一緒にいた事をいつも思い出す。女子はみんなハンカチを手に持って口に当てていたようだった。それ以来、酔うような船に乗れば、だが・・・旅に出て困るような事態は起こらなかった。いつも旅行というと汽車の中で何人かがそんなふうになった。
耳の中の三半規管、特に耳石器系が刺激されて起きると聞いていたが、自分で運転する時は影響ないらしい。でも、女の中で私1人というのはなんだか恥ずかしかった。現在でもみんなが驚くほど丈夫で、そのように産んでくれた親には感謝している。けれどその身体を大事にする事も人様より数倍の努力をしている。風邪もひかないといっているが、ひくことはひく。けれど手当てが早い。風邪の症状が現われる頃には引っ込んでいるから結局はひいていない事になる。
その上、私の産まれた頃には杉花粉症なんて無かった。うちの姉妹にはアレルギーを起こす者はいない。尤もみんな70歳以上だけれど・・・
昔と今と比較するような簡単な事ではないらしいが・・・
犬や猫もあんなに寒い屋外にいて風邪をひかない。うちのジェニーは暖かい犬用のマットを敷いてやっているのにそれに座っているのを見たのはたったの1回だけ。それなら電気を抜いてしまおうかと思ったが、意地悪はしない事にした。又、猫も小さなマットを与えているが、座っているのを見た事はない。自然とはそのようなものだと思っている。
人間も原始、動物だった。(今も分類では動物だが、彼らのように自然の中では生きていかれない)私は原始、彼らと同じく動物であった点がたった一つ残っている。お化粧品の類がそれでこれは若い頃から一切使っていない。(お化粧して綺麗になるような顔ではないのが1番の理由だが・・・)使わなければ自然に油脂が毛穴から分泌されてきて何とかなると聞いた。これ以上肌が乾燥し切ればどうか知らないが、今は経済的にもこの状態を続けていこうと思っている。
犬や猫がその状態であると思えば良い。私が犬や猫と同じだと言っているのではないけれど、似たようなものだ。

空には黄砂、大気中には杉の花粉で覆い尽くされている。 3/22

2010-03-21 16:25:15 | Weblog
今日は嬉しい日曜日、何故ならプールが休みだから、休むのではなく、向こうがお休みなので行きたくても行けない日だから・・・
午前中美容院に行って、お昼から店に向かった。車は東に向かって進むが、お天気は良いのに厚い雲に覆われている。信号で止まった時上を見上げたが、東西南北、何処を見ても同じ灰色がかった薄茶色だった。そうだ、これは中国からの黄砂だ。あれだけ大きな大陸から季節風に乗って押し寄せるのだ。日本全土が黄砂で覆い尽くされているのだ。空からは黄砂や有害なガス、海からは韓国、北朝鮮、中国からの廃棄物が何十トン。それも触ったら危険な濃硫酸などが入っているものもあり、日本に漂着する。アメリカではトヨタいじめ、これは間違いなく日本の自動車産業に対する必要以上のものだと思っている。
それに加えて黒まぐろの騒動も日本いじめだと思っている。
出る釘は打たれるという。出た釘は打たれて引っ込んでいれば良いが、この場合そうはいかない!!!と思ってしまった。
若し日本が海流の関係で中国や韓国にこのような有害廃棄物を漂着させた場合はどんな報復を受けるか?どんなに大きな対価を支払わせられるか考えると良い。
日本ほどお人好しで大人しい国はない。請求をされたらジャーナリズムはこぞって“そうするべきだ“と煽り立てるだろう。それが文化人として当然の事だと云わんばかりに・・・
現在の中国や韓国は日本よりはるかに繁栄を誇っている。それが自国のこのような垂れ流しの事件に対して、何らの手も打っていない。
辛うじて日本と韓国の大学生が共同で漂着物の処理をしたというニュースを聞いただけだ。日本がどれだけの事を世界にしているかは具体的には知らないが、小さな国で資源を持たず、こんなに景気の悪い時に、何かあれば直ぐ率先してやらされる。やらなければ誹謗される。
何か云うと直ぐ過去を引き合いに出されるが、それなら日本だってこの戦争で罪の無い一般市民がどれだけ犠牲になったか考えてみると良い。日本が引き起こした戦争ではあるが、石油をめぐってA、B、C、Dという大国が日本を封じ込めたからだ。これ以上は書かない。