戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

24年12月28日 仕事納め。

2012-12-29 17:03:37 | Weblog

毎年28日が仕事納めだった。けれど戦後の大晦日は商人のかきいれどきで初詣の人波でごった返す中で除夜の鐘の音が静かに聞こえる、それが商人の仕事納めだった。今も二荒山は同じように賑わうのだろうか。うちも初詣の人が帰りがけに餅を焼く電熱器が良く売れて夜明けまで忙しかった。今では除夜の鐘が静かに聞こえてくる中でテレビを見ながら過ごす。その間に父を失い、母を失い、二人の弟まで失った。彼らを偲びながらの除夜の鐘を姉やその子達は寂しく聞く。今日から三が日はうちも休ませて頂きます。今年1年有り難うございました。来年もよろしくお願い申し上げます。

24年12月27日 裏切られた期待。

2012-12-27 16:02:02 | Weblog
去年の事を思い出すのは容易な事ではない。必死で思い出したが昨年の12月28日未明、自宅2階への階段途中で動けなくなり救急車で佐藤病院に搬送された。その大腿骨骨折からやっと1年が過ぎた。3ケ月の入院を終え、退院すれば直ぐもとのように動けると思ったのは横になっている間だけで、期待は見事に裏切られた。1年を経過してもひとりで買い物には行けない。入院中にお会いした女性がやはり大腿骨骨折で入院し、軽やかに歩いているお姿を見て、私もあのようになるのだ、と思っていたが1年も経つのにそのような気配は全く無い。その女性も年齢は70歳を越して居られる様子だった。症状、病状はその人によって違うと情けない気持ちだった。今度は2年目に賭ける。

24年12月26日 又狸現る。

2012-12-26 16:13:38 | Weblog
昨夜家に帰っていつもの猫用の餌を撒こうとしたらもう食べている姿を発見した。例の3匹組よりやや色が薄い。じっと見つめたらそれは狸だった。時々現れる同じ狸に違いない。痩せてやつれて毛も薄くなっている。哀れな姿に猫に撒いておくより多くの餌を撒いておいた。うちの周囲の山々、それは日光あたりの連山から八幡山まで連なっているというが、今は高速や市街地開発の為に分断されていて野生動物の生息の地を奪っている。嘗ては棲んでいても姿を見せる事は無かった。近くに餌となる食料が豊富だったのかもしれない。これから餌を出しておいた方が良いのか出さない方が良いのか悩んでいるところです。

24年12月21日 消えたなめくじ。

2012-12-22 14:08:21 | Weblog
昨日デパートの野菜売り場で有機栽培のほうれん草と小松菜を求めた。袋から出して洗わぬまま流し台に置いたら、小さな枯葉が落ちた。夜も遅かったので明日洗おうとそのままにしておいたら、枯葉は妙に膨らんでいて良く見るとなめくじだった。キャベツなどは良く洗わないと葉の間になめくじが潜んでいる事がある。1枚1枚はがして良く洗う事にしている。店に住み込みの店員などが大勢いた頃は直径40センチもあるような大鍋で母がざくざくと切ったキャベツを油で炒めて大皿に盛り、みんなで食べていた事もあった。葉の間など良く調べていたとは思えない。調味料はソースが高級品だった時代もある。つくづくと贅沢になったものだと思う。消えてもなめくじのあとはふき取るのが大変だった。いつまでもぬるぬるとしていた。このへんが嫌われる原因かもしれない。

24年12月20日 最後の赤い烏瓜 その2

2012-12-20 17:09:19 | Weblog
家に帰る度に眺めていた最後の烏瓜が先ほど郵便物を確かめに行った時、消えてなくなっていた。枯葉も無くなった枯れ枝の中にたった1つ朱色の烏瓜は目立つ存在だった。もう冬だと実感した。極寒の日の夜空には煌きゆれつつ星座は巡るが流れ星だとじっと見つめたら航空機のランプだった。流れ星の消えないうちに願い事をすればその願いが叶うと聞いて願った事が1度だけある。流れ星の方が消えるのが速かった。それ以来願い事は流れ星には頼まぬ事にしている。
あの時の願い事は何だったのか覚えてはいない。今願うとすれば6億円に当りますように・・・・・直ぐには出ないのでいつも思うようにしよう。自衛隊の航空機のテールランプを錯覚して願い事をしても夢があって良いではないか。

24年12月20日 昨日も医者通いで終わる。

2012-12-20 16:11:44 | Weblog
帰ってからは年末の医者通いのスケジュールを作る。結構にエネルギーを消費する仕事で疲れた。あげくの果てにパソコンに向う気がしなくなった。パソコンの先生の授業の日だが、先生も相当疲れたとおっしゃっていた。来週まで寝る暇も無いほどに忙しいという。私が忙しくてもブログに投稿しないだけで済むが、先生のパソコンは仕事としてのパソコンなので休むわけには行かない。私の店の仕事と同じで、辛いのを我慢してこの1週間を過ごされたという。私の半分は怠け癖。でも、何10年とわき目もふらず働いてきたのだからお許し下さいと毎朝仏壇に手を合わせる度に思っている。

24年12月18日 毎日病院通い。

2012-12-18 14:43:10 | Weblog
 去年の暮れの転倒事故以来、こんなに身体が弱るとは思わなかった。事故後直ぐ入院して1ヵ月はベッドに括りつけられたまま。その後2ヶ月は車椅子で室内にあるトイレまでは行ったが、それ以外はやはり寝たままで、美容師にまで部屋に来て貰い不本意ながらシャンプーやセットまでして貰っていた。3ケ月の生活を送り退院してからは松葉杖は余計危ないので、壁や手すりにつかまりながらの生活は辛い物だった。眼も白内障が進み、歯も点検をしていなかったので年末にも拘わらず懸命に通っている。そんなこんなで忙しく、いつも休まず書いていたブログを中断してしまった。虫歯も早くしなければ一層広がり悪くなってしまう。お金も余計にかかる。この次は毎月点検する事を絶対に忘れない。此の度の費用の掛かり方で身に沁みた。今度の治療が終わったら何が何でも1ヵ月に1度は通う。毎月定期的に来ていれば費用も安くて済む。これから何ヶ月かは病院通いで忙しい日を送らねばならない。それで明日の予定を今日のうちに書いて置く。明日は歯科。歯科が終わるのは半年後です。

24年12月15日 発酵の難しさ。

2012-12-15 16:06:36 | Weblog
毎日のようにホームベーカリーでパンを焼いている。このところ失敗続き。2個はどうしようもないので捨てた。食べるより作るほうが興味がある。イースト菌の働きが日によって違うからだ。今朝のテレビで牧場の牛もそれ以上にデリケートで搾乳量に響くとか。パンは部屋の温度も湿度も影響する。でも見事に膨らんだパンを見ると又焼きたくなる。日本酒や醸造して造る味噌、醤油,酢、甘酒はアメリカに住んでいる姉も欲しがる。米をお粥に炊いて同量の米麹をいれて炬燵のようなところに暖かくして寝かせると出来るとは知識だけで実際に作った事はない。出来ればアメリカの姉に麹を送ってやるつもり。米麹が航空便で送れればの話しだが、昨日の14日は赤穂浪士の討ち入りの日で、討ち入る寸前に甘酒を飲んだと聞いている。甘酒は多分夏の季語に入っているが、私はどうしても夏に甘酒は飲みたくない。これからお酒よりは自分で作った甘酒を飲みたい。

24年12月14日 快気祝い。

2012-12-14 16:29:14 | Weblog
骨折から1年経つが、今のところ寒いので具合が良くない。3ケ月の入院を経て現在に到るも完全な身体障害者となってしまった。杖を突きながらも何でも自分でこなす。但し買い物だけは手伝って貰っている。買い物をぶら下げて杖をついて転んだら危ないから注意の上にも厳重に注意している。病院もあまり広い所は付き添って貰っている。寒いと血液の循環が悪いのか、脚には良くない。でも今年のうちに快気祝いを配らなければ新年を迎えられぬ。アメリカの姉も同じ所を骨折した。アメリカにはお返しなどという風習はない。本当は私は自分でお赤飯を作って配りたい。でも年末で何かと忙しく年が明けないとそのような時間は作れない。私がお赤飯を作ったらそれで本当の快気だと思っている。

24年12月13日 道州制について。

2012-12-13 16:26:38 | Weblog
 私が道州制について耳にしたのはかれこれ五十数年も前の事です。道とは北海道の道と聞いていくらか納得いたしましたが、どうも他の県が纏まって州とは納得し兼ねるものでした。自民党大学院で学んだ人が2人いてその2人が帰ってから私にそのように告げたのです。今耳にしても同じような響きがあります。明治維新を経て県となった時も同様だったでしょう。今の政治家から道州制の言葉を聞いても同じような感じは拭い去れません。出来得れば私の生きているうちは栃木県であって欲しいと思います。今日も期日前投票で県庁の前を通りましたが、この県庁が道州制になったら何と呼ばれるのか、何処と一緒なるのかと考えてしまいました。小さい時から県庁と呼び、親しんで参りましたから今更他の呼び名では馴染めない。栃木県人として死にたいと思います。