戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

消えてしまった昨日3月2日のブログ   22/03/03

2010-03-03 12:09:42 | Weblog
昨日プールに行ったらいつも一緒に歩いて下さる優しい男性が「にぎやかだったでしょう?」と笑いながら近付いてきた。
昨夜の事だな、と思った。ブログに久しぶりに姉や妹なんと4人合わせて296歳(これにアメリカの姉が加われば376歳)の姉妹が集まって12時過ぎまで喧々諤々、会話を楽しんだ事を書いたのでもう、読んで下さったのだと感謝した。ひとしきり昨夜の事を話題にしながら歩いてお別れした。翌朝、すなわち本日3月3日、どんな事を書いたんだっけ?とパソコンを開いてみたら3月1日で終わっていて3月2日の分がない。消えてしまった。アララララ・・・大変だ。今迄にこんな事はなかった。どんな日も頑張って、母の通夜、葬儀の日も大晦日、元旦も雨が降ろうが槍が降ろうが続けてきた私の日記が消えてしまった。同じような文章は再び同じには書けない。同じような文なら書けるが短歌や俳句と違い、長い文章はよきにつけあしきにつけ難しいと思い、残念に思った。今日パソコンの星野先生がお見えになるので聞いてみよう。でもそれほど価値のあるものではないので時間をかけるだけ無駄だ。
毎日パソコンをいじっているとこんな魔法のような事が間々ある。
先生が探しても見つからない時もあるが、違う分類の所に入っている事もある。そうだと嬉しいけれど、日記も学校に提出する必要する宿題のようなものでもあれば書き直しもするが、何の価値も無いものでは書く気も起こらない。
もう少し、新しいパソコンに慣れなくてはいけないと思った。
もうおひとかたはメールをしばしば下さるが、新しくしたパソコン以来、私がそれに返事を入れても自分の書いたメールが送り返されてくるだけで何も私の文面は入っていない、という。私はそれに対処するだけの技量はないので今晩星野先生に相談してからの事になる。
私のメールは人工衛星の若田さんのところへでも行ってしまっているのかしら?


と、思ってこれを投稿したあと、ゆっくりと昨日以前のものを読んでいたら今度も”アーーラララララ・・・・”あった、あった、3月1日が2つあったではないか・・・
3月2日なのに3月1日とやってしまっただけであった。これも歳のせいであろうか?と嘆く・・・でも休みでなくて良かった。
多分、睡眠不足で眠かったのでぼんやりとカレンダーを見ていたのでしょう。