戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

8/31 その2 昨日決めておいた事なのに・・・

2010-08-31 16:07:50 | Weblog
 「明日は必ず歯医者に行くからね」と宣言しておいたのに、ぐずぐずして結局は行かなかった。歯医者は痛い、高いという固定観念でなかなか行く気になれない。お医者さんは総じてそんな按配である。このところ、検診の申し込みをしようと思っているのに毎日していない。怖いからだ。狭心症の騒ぎも収まってから、左の胸の表面が時々痛む。多分乳癌だろうと思って余計行けない。昨日甥に金子眼科に連れて行って貰った時にその話をしたら「それは肋間神経痛ですよ」という。「ぼくも時々そんな事があります。せいちゃん(従兄弟の整形外科医)に診てもらったら肋間神経痛だといわれました」との事。それは良かった。乳癌だったらどうしようと思っていた。入院費もかかるし、そんなに休んでなどいられないからどうしようと悩んでいた。うちの女性に話したら「癌は痛くないですよ」と云われた。これで又検診は先延ばしだな・・・

8/31 今日の郵便受けに入っていたものは・・・

2010-08-31 13:07:39 | Weblog
 日に1度は自宅に行き、郵便受けを見る。心ときめかすような文は来るわけがないが、早く見たいのは人の常。今日も銀行の帰りに寄って覗いたら高校時代の同級生の名前があった。なかなか顔までは思い出せないが間違いなく同級生だ。又同窓会だな、と思いながら風を切った。私の同窓会というのは毎年行われている。“毎年“ですよ!
私はそういう事に興味もなく、1度も出席した事はない。それほど逢いたい人もなく、話題にするような亭主や子供も無く、東大に行ったとか、フランスに留学したなどという誇れるような事も聞くだけでは詰まらない。最初の頃、そんな事を云うお方が何人かいて、出席した人からそんな事を聞くうちに、余計同窓会に出る気は失せていった。
逢いたい人にはいつでも逢えるし、第一そんな人はお互い忙しくて会っている暇もない。2級上の姉の所も今年で同窓会は終りにしたと聞いたが、毎年ではなく、何年に1度の同窓会だった。私は仕事が多くて1日24時間では足りない位の生活をしている。それに以前予想していた状態と大分違った世の中になっているので店の経営も生活も先が見えない。必死に働いてもやっと・・・という状況だ。私の人生は同窓会は終わりというような状態ではなく、これからも必死に働いていかねばならない。

8/30 その2 江野町のお魚屋さんに行った。

2010-08-30 18:38:19 | Weblog
 今日は瞳孔を拡散する薬のせいで午後3時頃まで運転をしないでいたが、やっと車で銀行や買い物に行った。お茶を買ったついでにその斜前にあるお魚屋さんに久しぶりで寄った。昔はここでお刺身を頼んでいったものだが、最近は此処まで来るほどの機会はなく、本当に久しぶりだった。奥さんは相変わらず、昔のままだった。私は激痩せで分るかどうか・・・「お変わりないですね」というとお「お痩せになりましたね」という。「分りますか?」と聞くと「そりゃあ、わかりますよ」と答えて下さった。1人暮らしで買うものとて少ないが、少しばかりの買い物の間中、この奥さんとの会話も楽しかった。これがいつかは「そうですか、この前お会いした時は痩せていても元気だったのにねえ・・・」となる。この頃日増しに募るこの思い・・・良いんだ、これが強くなればしたい事が沢山あっても、手に付けられないでいた事を一層早くしようという気になる。自分では焦っているのだ。生きているだけでは果たせない。脳が活性化しているうちでなければやれない事が未だ数多く残っている。焦りも必要だ。今日は眼底出血が治まった目出度い日だ。もう少し頑張ってプールで歩いてこよう。

8/30 眼底出血は一応止まった。

2010-08-30 13:32:49 | Weblog
 今日は甥に乗せていってもらい、金子眼科に診察に行った。送り迎え付である。とはいっても眼底を見たり写真を撮ったりする為、瞳孔を開くので運転は禁止だ。開くまでに20分、それが治まるまでには5,6時間を要する。私は大体その日の夕方までは運転をしない事にしている。でも今日の診察の結果は嬉しいものだった。眼底出血は治まっているとの事で真ん丸く綺麗だった。しかし網膜が腫れているという事で漢方薬を処方してくれた。後から後から何処かに悪い所が現れる。それが加齢の為せる業だろう。加齢を止める事は出来ないから精々若い頃の事をほらで誤魔化している。甥は私の若い頃など知らないから何を云っても平気だ。それに私の書いている原稿も実話を基にしたノンフィクションだから何を書き足しても間違いではない。私の実録など、宮様ではないからしっかり書いても読んでくれる人はいない。昨夜の竜馬伝で、岩崎弥太郎が近藤勇に宙吊りにされるほどの拷問を受け、最初は言わなかった弥太郎もあまりの苦しさにべらべら全部しゃべってしまうが、余りにも本当の事全部なので近藤勇は「しゃべりすぎる・・・おかしい」と信用しない。私の原稿も一応はノンフィクションになっているが、事実をまげて書いている所は殆ど無い。それでも逃げ道として作っておく。まあ、私の原稿などあまり問題では無い所が有難くもあり、情けなくもあり・・・

8/29 その2 地球や宇宙は何時まで今のようなのか?

2010-08-29 17:47:25 | Weblog
 今日は8月の最後の日曜日。立秋が来ても猛暑が続くという予報だが、夜家に帰ると降るように虫の音がすだく。外国人は鈴虫や松虫を愛でる日本人の心が分らないらしく、うるさいというそうだ。私は嘗て虫の音をうるさいと思った事はなく、生粋の日本人だと思っている。蝉もうるさいと思った事はない。蛙の合唱も彼らにとってはうるさいのだろうか?国民性の違いはこんなにも大きいとは知らなかった。代々受け継がれてきたDNAとはこれからも受け継がれるのだろうか?私は若い世代は今までの日本人と違ってくるような気がしてならない。桜の花の爛漫と咲き誇る日に入学式を迎えられる地域も次第に北上しているという。何時の日にか紅葉散る日に入学式とならない事を願っている。そんな時は私は存在していないから良いけれど・・・地球はどんなに変わっていくのだろうか?宇宙も変わるのだろうか?知らないうちに消えて無くなる方が幸せのような気がして・・・

8/29 猛暑も続くが私の体力も結講続く。

2010-08-29 16:12:08 | Weblog
 今日も猛暑。決まっている。そんな事、昨日から予報でいっていたもの・・・それより電子書籍の人気ランキングは毎日のように変わる。これは予報ではなく、予想するが的中すれば上位なら嬉しいが下がればがっかりする。でも週間なので新しい本が多く出れば仕方がない。花泥棒は週間人気ランキングに食い込んでいるだけ有難い。七十五歳過ぎの婆さまが頑張っているのを見せてやれるのも今のうちだけ・・・ずっと変わらずに15位にいるだけでも私にとっては驚異だ。
体力は日に日に衰えている。歩けなかったジェニーも今朝も元気だった。昨夜はプールで40分の歩行をしたが、調子が良かったので5分おまけに歩いた。最近は調子が良くてもあまり余計にやらない事にしている。年齢を考えればその程度でも多い。セントラルでも1番の高齢ではないか?高齢で嬉しいのは9月の敬老の日にお赤飯をいただける事だ。自分で作る事は簡単だが、赤い紅しょうがを飾ったお赤飯を頂く事は格別に嬉しい。出る所と出ない所があるようだが、今年も出ますように・・・と期待している。

8/28 その3 電子書籍の週間人気ランキングが2位に・・・

2010-08-28 18:11:45 | Weblog
 昨日27日に見た週間人気ランキングが28日にはもう2位になっていた。星野先生が呟いていた「若しかして1位も・・・」という言葉が頭をよぎる。それと同時に花泥棒や死の予告、選挙は最大の賭けだ、と宇都宮大空襲も上位にランキングされている。出したもの全部だ。これは私も驚いた。未だ出すものは沢山用意されている。写真集は1年掛かっても終わらないほどだ。投稿した者にとって反応があるという事は大変な力になる。このところ、身体の状況はあまり芳しくなく、死ぬというような恐怖に怯えている76歳の老女には又とない力を与えてくれる。これで少しは力が付きますように・・・と神様でも仏様でも何様にでもお願いをしたい。未だし残した事が一杯あるのです。それが終わる迄、私の書いた原稿が電子書籍に投稿が終わる迄、神様、お願い致します。アーメンでもラーメンでも南無阿弥陀佛でも南無妙法蓮華経でも毎日唱えます。こんなやからには1番報いが無い事も知っておりますが兎に角お願いします・・・・・

8/28 その2 ジェニーさんが立てない・・・

2010-08-28 17:04:31 | Weblog
 毎朝起きて仏様にお線香を上げると直ぐ外に出てジェニーさんの小屋に行きます。ジェニーさんの家は2つあって1つは台所の裏、東向きに建っています。もう1つはもっと広いのですが東の端にあり、今までは台所の裏にいました。けれど足腰が弱くなり、少し位遠くても地面から上がる平らな木のフロアの上に置いてある犬小屋に入るには東の方が段差が小さいので岩上獣医さんの勧めで東に移しました。もう眼は白内障で見えないのです。いつもごはんを持って行く時に感じます。「ごめんね、ジェニー・・・私も同じくらいなんだよ、お前をみてやるのもこれで精一杯なんだよ」と心の中ではそう思っております。2,3日前、、ジェニーがよたよたしていました。昼間家に帰った時です。這いつくばってフロアに上がろうとしていますが、なかなか上がれません。暫く見て居りました。ジェニーも長い命では無い事は分っております。兎に角眼も見えない位ですから・・・仕方がないと思いました。ジェニーが1番好きな場所は今のところフロアの上ではなく、下のコンクリートの端なのです。暑いので其処だと冷やっこいのでしょうか?水も下にあります。私はそれを見て居りましたが手を貸さず、そのままにしました。もう、寿命だと思いましたから・・・その夜遅く帰宅した私は1番先にジェニーを見に行きました。彼女は何事もなかったように犬小屋の中で寝ているようでした。そうです。夜は犬小屋で寝るのです。それからジェニーが這いつくばっている様子を見た事はありません。ジェニーも頑張っているのです。私も頑張らなければ・・・と思いました。

22/08/28 夢去りて・・・

2010-08-28 16:20:01 | Weblog
時々車を運転する時、NHKの放送でいろんな方からのお手紙をアナウンサーが読む場合にぶつかる。あの時、申し込んでいたら・・・とかあんな素敵な彼女と思っていた人から結婚を申し込まれたが、あんまりびっくりして気後れがし、楽しく付き合っているうちに申し込めなくなり、彼女は他の人と結婚してしまったとか、世の中にはいろんな人がいると毎日のように思ってしまう。人は二つの人生を送る事は出来ない。どんな理由で別の道に入ろうとやり直す事は不可能で、仮に出来たとしてもその人生は嘗て自分の想像した人生とは異なる事に気が付く訳だ。やり直してもその時は既にあの時の自分ではない。10月に行われる姉の家の法事で電話をしていた時「みんな年をとって集まれる事も大変になったねえ。この次の集まりは私の葬式かもしれないよ」と笑っていた。きょうだいとはあまりにも近すぎて喧嘩が絶えず、口の減らない妹は姉に突っかかってばかり・・・妹には苛めてばかりでこの年を迎えてしまった。もう少しあの時、素直になっていたら・・・もう少し妹や弟の言い分を聞いてやっていたら・・・と思う事ばかりの毎日に胸が痛む。母が云っていた言葉「子供がたくさんいてお金が無くておかずを取り合うような時代が1番楽しいんだそうだよ」それは真実だと思う。今は子沢山の家もなく、みんな平等に分け合うようなお上品な世の中だけれど、私は子沢山で何でも取り合うような物の無い時代に育った。又生まれるとしたら一人っ子で貰ったカステラを全部自分で食べられるような家に生まれたいと思ったが、やっぱり、子沢山の我が家に生まれて来たい。姉も妹もそう思っている。夢はもう1度現実になるだろうか?
尤も、もう人の世には生まれたくないと全員が云っているが・・・

8/27 やっと投稿する時間が出来ました。

2010-08-27 20:08:27 | Weblog
 今日は雷もならないと思うが、忙しくて何も出来なかった。ブログに投稿する為の時間も今、8時過ぎてしまった。先ほどまでパソコンの星野先生がお出でで、お帰りになったばかり・・・私の投稿した電子書籍の人気が5位になっているのでそちらを優先して仕事をした。何とかもっと上位に食い込めるように先生が投稿する作品を選んで下さる。私は未だ一人では完全にそれらをこなす事は出来ないが、材料だけは山ほど持っている。これからも満75歳過ぎの老いぼればあさんだけれど、頑張ってやり抜いていく。皆様も応援して下さい。これで帰ります。さようなら、又明日。