戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

25年3月28日 お花見。

2013-03-28 15:23:29 | Weblog

会社から市内に行く用事が出来て宇商通の南から二荒山に向かい、思いがけず大変素晴らしいお花見が出来ました。陽北中学の桜を見ながら西へ向うと宇都宮商業学校のほぼ満開の桜、進行方向には八幡山の桜、そして次が二荒山の桜です。用事のある病院の手前には私の母校である一条中の桜も見られます。どこもほぼ満開に近く、例年より早い感じです。私の家にも桜はありますが、家の建っている段より一段高い所なので見上げなければ見えません。あと一週間も過ぎると車を降りた時、足元に小さな花びらが落ちていて、見上げると満開の桜か見えてこの方が風情があって私は好きです。会社に多くの人が居た時、お花見はやらないのですかと聞かれ、お花見とはお酒やご馳走を食べる事だとも知りました。その後、何年かは桜の見えない料亭でお花見をしました。私は目の前の桜より遠くに霞んで見える霞のような桜が好きです。いつか吉野の千本桜を見に行くのが望みでしたが無理のようです。八幡山やうちの桜で充分です。又二荒山の前を通る時は散っているでしょう。本当に桜は美しいものです。

25年3月27日 低温やけど

2013-03-27 14:14:02 | Weblog
25年3月27日 低温やけど

春というのに未だ冷たい日が続く。もう、必要は無いと思っいたオンパックスだがあちこちに貼る羽目になった。貼っていないのになんだかヒリヒリする感じで調べて貰ったら低温やけどとの事だった。医者に行っても治らないとの事で時間をかけて治すだけと言われた。
もうあちこちで上手にホーホケキョと鶯も啼き始めたというのに、今年はオンパックスを貼るような冷たさ。これからはこんな物に頼るのは止めよう。電気毛布も原因になり得ると聞いたので昨夜はこれもスイッチを切って寝た。でも、寒いので眼が覚めた。早く暖かい春になりますように

25年3月14日 小金井の桜。

2013-03-15 16:41:01 | Weblog
自治医科大学眼科に行った。道の両脇には桜が植えてあった。未だ咲いていないが咲く頃は来られない。1年に3,4回来るだけで後は市内の病院で診て貰っている。私の入る診察室は黄斑変性症の部屋で、眼科は非常に混んでいた。この混み具合では時間がかかる。いつもはそれ程では無いのに午前中には終わらないかもしれないと不安だった。聞いて見ると大方はスギ花粉症による患者らしい。杉、ひのきに始まりぶた草や諸々の花粉により眼科を訪れる患者は冬の一時期を除いて増える傾向にあるらしい。アレルギー体質の人間が増え、特に昨年の猛暑により花粉が多いらしい。私の年代で花粉症とは聞かなかった。うちの会社では私を除いて全員が何らかの花粉症でいつおさまるのかと聞いたら冬を除く期間は全部駄目との事だった。良かった、花粉症ではなくて・・・・・

25年3月11日 震災記念日。

2013-03-11 17:03:26 | Weblog
あれからたった2年しか経っていない。遠い昔のような気もする。時間を戻してみると去年の3月11日は大腿骨骨折で入院していた。去年も震災記念日はやってきたわけだけれど、何故か今年の方が思い出される。ベッドに横になりひとりで迎える震災記念日より、机に向かいその時一緒に激しい揺れを感じて逃げた仲間達とその話をしながらだから余計現実感を感じているのかもしれない。3階建てのこのビルが倒壊してその下敷きになるように感じた。停電で信号は点かず警官の持つ長い警棒で家に帰ったけれど今度は長い停電で暖房が一切使えず、寒い思いをした。会社はガラス製品が落ちてその破片の掃除に掃除機は使えず、危ない思いをした。震災は2度あって欲しくない。アメリカに住む姉は地震など無いフロリダに来いというけれどそう簡単には行かない。結局は自分で防備出来るだけはして置くというところに落ち着く。日本人として生まれた以上これも運命と思うほかは無い。改めて震災の恐ろしさを感じている。

25年3月8日 歯の微調整。

2013-03-08 16:34:20 | Weblog
1本の歯に振り回されている。歯の治療をなおざりにした為に殆どの時間を歯医者がよいに時間を取られてしまっている。何でも同じ事で初めが肝心と気がついた時にはもう遅かった。これほど残念な事はないが、癌のようなものではなく、時間さえかければ治る事なので諦めるほかはない。残された人生の多くを歯の治療に奪われてしまう事が惜しい。パソコンに向う時間が1番削られる。しかも食べる、嚙む、飲み込む時の微調整だ。あくびをする時も口の中が気になる。暖かくなったらプールにも行きたいと思っていたのに、早く微調整が済みますように・・・・・