戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

おにぎり欲しさに歩いた赤門迄の道と腹ごなしの為に歩く赤門迄の道

2009-12-31 17:22:55 | Weblog
今日は大晦日、泣いても笑ってもあといくらも無い。
それで朝からお風呂に入り、部屋中をあたため、自分も温かくなって家中の御掃除をした。でも、馴れぬ事をした為か、家の半分だけで疲れてしまい、茶の間と玄関と廊下は後まわしにした。勿論2階は手を付けていない。それで早めに昼食をとり、このところ運動不足なので買い物がてらに東武まで歩く事にした。お天気は良いが、風は強く、いかにも木枯らしという感じだ。赤門まで来て終戦の年、昭和20年7月12日の宇都宮大空襲を思い出した。何故そこまで出かけたかというと、炊き出しのおにぎりが貰えると聞いたから・・・でも、私はあまりにも空襲のあとが悲惨で、水道からは水が流れっぱなし、電柱は1本として立っている物はなく、焼け爛れて両側から道路に倒れこみ、小学生の通れるような道ではなかった。
曇り空でどんよりとした中を、そのまま家路についたのを覚えている。それから61年後の平成21年12月31日、年老いたかっての少女は、食べ過ぎて腹ごなしの為、同じ道を赤門まで歩いている。何という違いよ・・・
テレビを回せば美味しいおせちの紹介・・・
何処にも溢れている食物、そして捨てられていく賞味期限直前の厖大な食べ物。
私は今年はおせちを用意していない。その全ては1年中あるからだ。
第一、ひとり暮らしとか2人の生活では1パックづつ買っても、何時までもある。若い時のように沢山食べないし、ピロリ菌で胃の悪い私は食べる物も、量も調整しながらだから、それなら無いほうが良い。
ようかん、きんとん、黒豆、数の子、だてまき、昆布巻き、田作り、
なます、かまぼこ、お煮しめ等々・・・
東武の地下で1人分のセットは無いかと探したが無い。帰ってから近くのサンユーでも探したが無い。胃炎の私には今年のおせちは無理だ。お雑煮だけで済まそうと思う。そうだ!!!帰りにフクダヤに寄って探してみよう。小さなセットがあればそれを買うとして、無かったら姉に頼んで1人前だけ貰えば良い。
悲しい大晦日かな?
1年間、有難う御座いました。また明日、元日から掲載を始めます。
皆様、良いお年をお迎え下さい。


日清、日露戦争の時代の我が国の国家予算について。21/12/29

2009-12-29 09:01:01 | Weblog
私には3年後輩ながら、知識の乏しい文科の私に政治経済出身の彼は何かにつけ、詳しい情報を提供して下さる。今回も坂の上の雲の感想を書いたら次のような正しい明治時代の国家予算について書き送って下さった。以下は其処から抜粋した物だが、殆ど全文に近い。

 山本権兵衛(ごんのひょうえ)は司馬遼太郎の「坂の上の雲」によりますと、日本帝国海軍の装備と言うか、軍隊自体の近代化を成し遂げた、ただ一人の男と表現しております。当時、日本の狂気といわれる国家予算のことが次のように記されています。

 「日清戦争は明治28年に終わったが、その戦時下の年の総歳出は九千百六十余万円であった。翌29年は、平和の中にある。当然民力をやすめねばならないのに、この29年度の総歳出は、二億円あまりである。倍以上であった。このうち軍事費が占めるわりあいは、戦時下の明治28年が32パーセントであるのに比し、翌年は48パーセントへ飛躍した。
 明治の悲惨さはここにある。
 ついでながら、われわれが明治という世の中をふりかえるとき、宿命的な暗さがつきまとう。貧困、つまり国民所得の驚くべき低さがそれに原因している。
 これだけの重苦しい予算を、さして産業もない国家が組み上げる以上は、国民生活は苦しくならざるを得ない。
 この戦争準備の大予算(日露戦争までつづくのだが)そのものが奇蹟であるが、それに耐えた国民のほうがむしろ奇蹟であった・・・」
 大建艦計画
 「実際のところ、日清戦争当時の日本海軍というのは、劣弱そのものであった。
 一等戦艦というのは一応の基準として一万トン以上の艦をいう。それも日本は持っていないが、ロシアは十隻ももっている。二等戦艦は七千トン以上、日本はゼロ、ロシアは八隻。三等戦艦は七千トン未満、日本ゼロ、ロシア十隻。一等装甲巡洋艦は六千トン以上、日本ゼロ、ロシア十隻。日本がもっていたのは、二等巡洋艦以下の艦種ばかりである。それが、十ヵ年で巨大海軍をつくろうという。」実之が被弾したのはこの二等巡洋艦だったのでしょう?
 明治維新から30年もたたずして。と言うセリフが昨晩ありましたが、本当にこれを奇蹟と言わずして何が奇蹟なのか?と思いました。

坂の上の雲の第4回分を見て   21/12/21

2009-12-21 18:40:03 | Weblog
これだけが楽しみで早目に店も閉めてしまった。
本当に見応えのあるドラマで、特にこの日清、日露戦争は見ていてもあまりの難しい展開にもう1度放送してくれないと分らない。
次々と歴史で習ったような偉い人の名前が出て来て追いついていけない。その人達が確かに日本を動かしていた事は事実だが、あんまり展開が速くて困った。全部が歴史に残る事ばかりだ。歴史の教科書にも出てこないような話もあるが、大方はそれらもいろんな歴史小説になっている。5回目は来週の日曜日だが、再放送が有る事を願っている。私の鈍い頭では3回見ても未だしっかりと飲み込めないような気がする。妹か誰かがビデオに撮っているわけだから、もう1度良くみよう。何回見ても見応えのあるドラマで、こんなドラマに出会えた事も嬉しい事の一つだ。もっくんという名前は聞いていたが、こんな素晴らしい役者だとは・・・・・本当に驚いた。


 日露戦争と日清戦争の真実 21/12/14

2009-12-14 10:30:47 | Weblog
今、のめり込んでいるのは坂の上の雲である。13日の日曜日はどんな事があっても8時にはテレビの前に座る事にしている。そして絶対に眠らない。
昨夜の第3回も素晴らしかった。大体は知っている夏目漱石や正岡子規の事も、こうしてつまびらかに目の前にすると明治人として、現代では失われているような細やかな交流(交友)を発見して感激した。
これが早くから映像化されなかった理由“金が掛かり過ぎる”も良く分った。殆どが主役をやるような大物俳優ばかりで、そういう事の知識の無い私でも名前は知っている。
1番良かったのは、日露戦争と日清戦争の起きた本当の原因、大体分っていても改めて関係する人を配して説明があると、うろ覚えで良く勉強もしなかった私には始めて聞くような思いがした。
このような大事件は作者の考えでまるで反対のような事件になる。
ロシアや中国、朝鮮寄りの作者であれば正反対の理由にもなろうが、最初の頃の作者の解説によれば日本人の真実、日本国の真実を書きたいと思った、とあった。
太平洋戦争も真珠湾攻撃からしか説明が無ければ日本が全面的に悪い。その前の“どうしてこうなったか?”に迫ればまるで正反対でなくても幾らか考えも違ってくる。それが正当な理由で太平洋戦争を肯定するわけではないが、裁判には人殺しですら弁明の余地が残されている。
それが敗戦後の東京裁判では勝者の一方的な見地から進められたと聞いている。
今後の坂の上の雲はそのような詳しい日本と日本人の立場を知る上で、私は多いに期待している。

“坂の上の雲“の解説の司馬遼太郎の談話に学ぶ。21/12/09

2009-12-09 15:03:42 | Weblog
昨夜、12月8日大東亜戦争勃発の日らしく、「さまよう兵士達の日の丸」というような番組を見せて貰った。その解説の1部分だったと思うが、司馬遼太郎の談話があった。明治時代の秋山好古の時代が終わってから何時の間にか日本人は思い上がってしまった。
その上、日露戦争に勝っても列強国は日本を認めないばかりか、アジア唯一の先進国として警戒の目を向けるようになり、日本の国防は新たな方向へ向かって行く。
辛うじて勝ったとはいえ、精神だけでは勝てないのを誤った過信により、本当の力と思った所から破滅の道に入って行く日本、そんな意味の事をおっしゃっておられた。
お陰様でもう1度、日露戦争について詳しく勉強した。
大体は知っている事だが、改めて読むと一層感慨深かった。
これからも見る度に学ぶ事が出て来ると思い、楽しみにしている。
強大国に立ち向かう1匹の蟷螂(かまきり)のような物なのに、そう信じたのも他の国を見ていないからだ。
その意味でアメリカやイギリス、フランス、ドイツに留学するのはとても良い事だと思う。
そういう意味で行ける能力のあるお子様を持った親御さんはどんどん留学させて下さい。

坂の上の雲 その2  21/12/07

2009-12-07 16:27:16 | Weblog
ゆうべの坂の上の雲もやはり引き込まれてしまった。
もっくんと言う呼び名はかねてより耳にしていたし、多分知っていたと思うが、改めて見たのは初めてで、想像以上に良い役者さんだと思った。兄、秋山好古役の阿部寛は天地人で上杉謙信役の人ではないか?随分偉い人ばかりになる人だ。
今年、こんなに良い番組を見られ、有難いと思うだけ・・・
役者も良いが、実際にこのような時代があり、このような日本人がいたというのを知る事が新発見であった。私のような年令の者が感じるような事を、現代の若者はどのように受け取っているのだろうという疑問を持った。
私は死出の旅の用意の為、身辺の物を処理し始めているが、食器の数だけでも売る程ある。そんな物は売れないという事で棄てるほかに無い。好古と真之の2人で茶碗1つという考えも極端に思うが、これからはその手でいこう。ある意味ではそれに近い生活もしている。
ごはん茶碗は1つしかない。みな割ってしまった。セットでは有るが、気に入らないので使わない。お茶碗が必要な時は、適当な小鉢で間に合わせている。ストックしてある多すぎる食器や鍋を処分するのは大変だが、早く秋山兄弟の所のように簡素にしていきたい。
そして3年後も見られるように身体に気をつけていきたい。

坂の上の雲に寄せる想い。  21/12/06

2009-12-06 14:45:25 | Weblog
今晩は”坂の上の雲“がある。見たい番組があるとどんな事をしても都合をつけて帰る。この”坂の上の雲“は近来になく私を惹き付ける。これを見始まってから自分で書く意欲を喪失した。3年に亘って放映されるというが、このような大作は滅多にお目にかかれない。
何しろ時代背景が手に取るように分る。各家庭における親子関係も、友人達との交遊もそれぞれの性格も、司馬遼太郎というひとりの天才の手にかかると斯くまでに再現出来るのかと驚くばかりだった。
司馬遼太郎記念館にあった厖大な資料を基にして10数年かかったと説明があったが、後世に名を遺した実在の高名な文化人や政治家、軍人だからこそ、一層時間もかかったであろうと推察した。
私の師である安西果歩先生も、時代背景と人物の観察が大事だと常々おっしゃっておられる。比較などおこがましい考えは毛頭無いが、これ以上恥の上塗りはしたくない、やはり私は読むだけで良いと思った。
油も充電も切れたのだろう。少し考える時間が欲しくなった。
今夜の”坂の上の雲“を見て、何か思う事があったら感想だけでも書いてみようかな・・・