戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

24年8月31日 その② 爪切り。

2012-08-31 16:40:27 | Weblog
 骨折してから初めて経験したような事が多々ある中で定期的に継続しているものが爪切りです。入院している時、初めて爪切りをお願いしました。私は人工骨が入っているので左脚の自由が良く利きません。それで知り合いの専門の方に来て頂いて居ります。爪はさすがに自分で切るよりは綺麗でついでにマニキュアとペデキュアもお願いしました。この年になってマニキュアをつけるとは特に足までつけるとは思いませんでした。でもつけると気も変わりますね。これがお化粧の原点だと思いました。男性も汚いより清潔で健康的なおしゃれが望ましいと思います。

24年8月31日 無駄に捨てる食料の記録

2012-08-31 16:00:14 | Weblog
 3ケ月に及ぶ入院で退院して以来、出かける時は必ず誰かに付き添って貰っています。3ケ月寝て過ごすという事は脚の力をこんなにも萎えさせるんですねえ。以前も4ヶ月入院した事もありますが、胃の手術で起きられない期間だけは寝ておりましたが、若かったせいもありアッという間に歩いておりました。今度は大腿骨の骨折なので終生起きられない方もいると聞き、恐れをなして居りました。たしかに立つ時はぐらっと来る時が多いです。日常生活に不自由はないまでに回復したもののもう1度転倒して骨折すると今度は寝たままになる可能性があるとかで外出には必ず付き添いをお願いしております。デパートでのんびりと衣服を探すというような悠長な買い物だけは車椅子でないと許されません。食料だけは無いと困りますので必ず必要な物をメモに書いておき、外出した際に買い求めます。でもいつも帰ってきてから思い出すんですよねえ。あっ、こんにゃくを忘れた、とか油揚げを忘れたとか・・・買わなくて良いものを買って来るときも多いです。そして半月に1度は冷蔵庫の整理です。来月から捨てる食料のリストを作り、通帳のようにして銀行に貯めておいたらいくらになるか計算するつもりです。

24年8月30日 二百十日と二百二十日。

2012-08-30 12:40:17 | Weblog

 明日は二百十日です。十日過ぎれば二百二十日です。私が本当に小さかった頃は9月に入ると二百十日が近いからなどと云って暴風を恐れました。立春から数えて二百十日頃に襲う今の台風です。その頃は台風とは呼ばず暴風と云っていたようです。稲は実りの秋を迎えるので農家の厄日とされていました。戦争に入ってからは敵に気象情報を知られると不利とかで本格的に天気予報が始まったのは終戦後からです。今では小さい範囲での気象情報も料金を払えば教えてくれるそうですが、便利になったものだと思います。明日はどんな天気でしょうか。

24年8月29日 まつたけごはん

2012-08-29 17:34:02 | Weblog
 陽射しは暑いけれどそろそろ秋の気配を感じるようになった。秋というと松茸を思い出す。デパートで輸入物の松茸を見たが1050円で買う気が起きなかった。日本の松茸は洗わず硬く絞った濡れ布巾で拭くだけで料理するが、輸入物は輸入の段階で既に何度か洗われている為に香りや風味が落ちている。去年からインターネットで探して注文するようにしている。でも未だ早いらしく、注文しても送るのは入荷待ちとあり来月の半ば過ぎにならないと来ないらしい。それでも楽しみでまつたけごはんを作る心準備は出来た。インターネットで松茸ご飯の作り方と索引したら松茸お吸い物をベースにした物が何点か出ていた。やはり自分の作り方で作らないと美味しいのは出来ない。今は暑くて台所仕事もままならないが、しばらくすると凌ぎやすくなりご飯も美味しくなる。寒さは嫌だが美味しいものが手に入るみのりの秋を迎えて今から楽しみにしている。

24年8月28日 懐かしい乾燥芋の味は何処へ。

2012-08-28 16:10:06 | Weblog
 私は乾燥芋が好きだが今スーパーで売っている乾燥芋に気節は感じられない。それは工場内で太陽の光線にも当らず、霜にも当らないからだと思っている。私の子供の頃は乾燥芋は何処でも各家庭で作っていた。雨戸に新聞紙を広げて庭に干し、夜は雨が降らない限り出しっ放し。霜に当ると一段と味が良くなった。デパートで買った価格の高い物もそのような味ではなかった。我家の30坪ほどの芝生は戦争が始まってからさつまいも畑と化し、高等農林学校(現宇津宮大学)の学生であった知人がさつまいもを植えてくれたが、採れたのは中指ほどの太さの芋だけでお腹を満たすような量ではなかった。生い茂る緑色の葉っぱに大量収穫を夢見ていた子供達は、細いふかし芋を2,3本づつ貰っただけで葉っぱは醤油で煮て食べたが不味かったのを覚えている。
農業の何たるかも知らない素人が葉が茂るばかりの肥料しかやらなかったから・・・と知ったのは戦争が終わって何年も経ってからだ。戦争が終わってからも食糧難は続き、乾燥芋作りは続いた。不味い芋の乾燥したものは不味く、いくら乾燥させても美味しくはならなかった。今その乾燥芋は大きな工場で扇風機に煽られて作られている。何でも昔の方が良いとは思わないが、気候も変わってしまったのだから諦めている。

24年8月27日 日本語の美しさ。

2012-08-27 12:25:36 | Weblog
 毎朝会社に来る途中聞いているラジオで夏休みらしく子供の質問があり、これは私にとってとても良い勉強になります。テレビも難しい字は画面に出るし、特にインターネットは良く活用しています。でも字は読めても書けないという場合が多く、辞書を引いた場合は何度も書いて覚えるようにしていますが、あまり使わない字は直ぐ忘れてしまいます。私の場合はこれから高校や大学を受験するわけではありませんから良いのですが、領収書を書く必要があります。最近は書けてもそうではないと云われ、書いて頂くと普通には読めないような当て字だったりする事が多いですね。食べられないとか着られないという言葉が“食べれない“”着れない“という”ら抜き言葉“が罷り通っておますが、変な当て字が定着しないように、と思っております。

24年8月25日 アメリカではハリケーン。

2012-08-25 15:04:48 | Weblog
姉と電話で話をした。昨夜の事、こんばんはと云ったらお早うが返ってきた。時差は丁度9時間。熱いねと云ったら熱いは同じだけれど、今フロリダではハリケーンが通過中で50万とも云われる避難民が行く手を阻む洪水やら風雨に難儀しているという事だった。やはりいつもの年と違い、異常気象と感じられるような雨の振り方だったという。日本も北海道から九州、小笠原まで長いけれどアメリカも広い。長さも横幅もある。栃木県はその点で恵まれている。特に宇都宮は雷雨も酷くない。2,3日前に会社を出た時は土砂降りなるかと思ったが直ぐ止んでしまった。同時に会社を出た者が矢板方面に向った時、氏家まで行かないうちにバケツをひっくり返した以上の大雨に見舞われしばらく氏家氏役所に避難してから帰ったという。バケツをひっくり返した以上というと盥かフロ桶でもひっくり返したほどというのでしょうね?  

24年8月24日 その2 パリジェンヌになったような私。

2012-08-24 17:48:49 | Weblog
 私が水道の水を飲んでいた頃、随分前の話だがパリジェンヌは水を買って飲んでいるという話を聞いて驚いたものです。その私は今パリジェンヌと同じく水を買って飲んでいます。たまたま入院した事がきっかけで水やお茶を買うようになりました。退院後もその癖がついてお米をとぐ時も水道を使わなくなってしまいました。習い性となるとはよくいったものでこれからの私はパリジェンヌのように水は買って飲むようになります。年をとってもパリジェンヌとは嬉しいですね。

24年8月24日 エアコンが消えた。

2012-08-24 14:50:39 | Weblog
 台所のエアコンの効きが悪いので使わない部屋の比較的新しいエアコンを外して小屋に入れておいた。そのまま付け替える時間も無かったので一旦小屋に保管しておいた。あまりの暑さに耐えかねて催促をしてやっと行って貰ったら無いという連絡があった。古いものだし多分盗まれたのだろうと新品を手配した。もう時期はずれだったので商品は無く未だ入らない。それよりうちに泥棒が入った事に衝撃を受けた。直ぐ警備保障に連絡しようと思ったが、盗もうと思えば小屋の中には少なからぬ新しい商品も入っている。おかしいがうちは見晴らしが良く、近所の家からは何でも見える一番泥棒の入り難い家だ。その上外したエアコンだ。そのまま捨ておいて3週間が過ぎた。新しいエアコンは猛暑で良い品物が手に入らず、熱さも一段落した昨日、家の解体を頼んだ業者がやってきて「エアコンは未だお預かりしていてよろしいですか?」と聞くではないか。私は頼んでいない。私以外にも誰も頼んでいない。もうこの業者には何も頼まない。

24年8月23日 これ、売る、ある?

2012-08-23 14:03:31 | Weblog
 お客様のうちにこんな話し方をされる方に出会います。充分通じます。これ、売る、ある?とはこの品物ありますか?です。私も外国に行ったら恥ずかしがらずこの方式でやろうと思います。 何も話せず字も書けなくてもこの方式で通じます。赤ちゃんは何も知らなくてもいつの間にか話せるようになります。私の姉も国際結婚ですが最初から何不自由なく話せたわけではありません。傍で聞いている私が笑ってしまうような事もありました。でも=これ、売る、ある?=だった姉は暮れかお正月に娘を連れて我家を訪れるそうです。いや、娘に連れられてです。姉も私と同じ大腿骨骨折ですから二人共寝たきりにならず幸いでした。お互いに死ぬまで頑張りましょう。