戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

23/05/31 お別れ。

2011-05-31 09:01:59 | Weblog
私の下らないブログも何年も続きました。途中であまりの拙さに気付き、何年ものブログを消し去った事もあります。私の師とする先生も同じ思いで愕然としたけれど、その時既に文字は世界中にばら撒かれた後だったとおっしゃっていました。何年も続いたけれど年齢的にみても無理に無理を重ねていた事は事実です。老兵は消え去るのみと申しますが、消えるのではなく、充電期間が欲しいと思います。いつか又お会いしましょう。平成23年5月31日を以ってこのブログは終わらせていただきます。有り難うございました。

23/05/30 私が生きているという証拠のブログ。

2011-05-30 11:50:41 | Weblog
こんな台風の激しい吹き降りのさなかにも救急車のサイレンが聞こえ、私は左に寄って車を止めた。救急車には何度もお世話になっている。意識不明の中で運ばれた事もあるし、かかりつけの病院から運ばれた事もある。意識不明の時は一過性脳虚血症だった。そんな人は呆ける事が多いと聞いて毎日気をつけているが、何かを忘れたり混乱すると直ぐ???と思ってしまう。私の動向を毎日見守ってくれている元社員の一人と、アメリカ在住の姉に毎日電話をするわけにもいかないのでその代わりに休まずブログを書き続けている。それが辛い時もあるが、見て下さる方が「今日も元気だな」と思って下さるようにしている。恋人なら毎日電話をかけても長電話もしようが、姉さんだとそんなに話は続かないものです。

23/05/29 その2 やわはだの熱き血潮に触れもみで・・・

2011-05-29 16:29:01 | Weblog
 寂しからずや道を説く君。与謝野晶子の有名な恋歌と現代の高校生の恋歌の比較を今朝のテレビで解説していた。私にとってはやはり“やわはだの・・・の方が心にしみいる。現代の短歌、例えば俵万智さんのようなものを単独で見るとそれはそれで素晴らしい。これは比較する問題ではないが私はやはり万葉の相聞歌が好き。古い人間だからかもしれないが、ゆうべは桑田佳祐の音楽に終わる迄テレビの前を離れられなかった。あの時間帯にやる歌手はどれもそんな感じで惹き付けられてしまう。だから決して古いものだけ好きなわけではない。桑田佳祐の音楽の殆どが恋歌に類するものだった。人間は死の寸前まで恋心を忘れてはいけないのかもしれない。萎びて乾ききった心では乾いたものしかうまれない。今日は台風の余波で薄暗く暗い日曜日になってしまった。台風は明日まで居座るらしいが、心は明るく恋心も捨てずに毎日を過ごそう。恋といっても実際にしなくても心だけでできる安価なものだ。

23/05/29 その1 あなたが噛んだ小指が痛い・・・

2011-05-29 14:11:04 | Weblog
という歌が流行った事があるが、うば桜の私には親指に枯れ枝が刺さる位しかない。先日たけのこ掘りに山へ行った時に枯れ枝が左親指に刺さってほぼ治りはしたが、完治していない。もう筍は止めようとも思いシーズンも終わったが、昨夜の夢に落ちた崖の辺りにとても立派なたけのこがすっくと伸びていた。山も竹やぶも手入れが必要だが、その費用は容易なものではない。だからうちの竹やぶも足を踏み入れるのに倒れた竹を掻き分け掻き分け苦労する。いつもその仕事をする人が地震で真岡方面の軟弱な地盤の所の作業に行っている為、今年のうちの竹やぶはそのままで終わってしまう可能性がある。たけのこの出ない裏作の年とはいえ、充分頂いたし来年に期待しよう。

23/05/28 その3 フクダヤに行ったが西田敏行の声が聞こえてこない。

2011-05-28 16:44:45 | Weblog
 いつもフクダヤに行くと西田敏行がガンガンと響くような大きな声で3億円の宝くじの宣伝をしている。小雨がぱらつく中を傘もささずにフクダヤに行ったが、今日は彼の声が聞こえてこない。立ち止まって見上げたら3億円と書いてある。でも良く見たら(ここの売り場から)4年間で3億円出ました。とある。もうひとつのロトシックスのほうも何とも書いて無い。多分どこかで出てしまったのだろうと思った。私は1億でも良い。2億ならもっと良い。いやいや1000万でも良い。当った時の使い道も考えてある。でも下の方に買わなければ・・・と書いてあった。確かに・・・買った事はない。この次は買おう。

23/05/28 その2 心に残る運動会。

2011-05-28 16:26:00 | Weblog
 中秋の名月が天高く輝いている。家に帰る途中の私は自転車で小林先生と斉藤先生の3人でお堀の西側を走っていた。11月といえばいくら月初めでも寒かった。3年生だけで1学級65名としても13クラスあるマンモス校の運動会は、どんな事をしてもその位の時間はかかる。2年生と1年生を加えれば2千数百名に及ぶ。最後の劇的なリレーに私も最終走者として走った。今のように順位を決めないなどというリレーではなく、走者は全員必死で走り、未だその興奮醒めやらない状態だった。今は5月に入ると時々朝早くにドーンッ・ドーンッと花火が上がる。何かと思えば運動会だとか。それも雨で順延になることが多く、家庭ではなかなか予定が立たないという。春より秋の方がお天気が安定している。時は昭和24年11月、これが新制中学3年生の時の忘れ得ぬ運動会だった。朝ドラのおはようは時代がほぼ同じなのでいろんな事を思い出させてくれる。

23/05/28 その① からころも着つつ馴れしつましあれば・・・

2011-05-28 15:51:19 | Weblog
57577の句の頭をとればかきつばたとなる有平業平(ありひらのなりひら)の有名な和歌だが、その杜若の花盛りと見え、テレビでは方々の庭園や池の写真を見せている。大宮の妹の庭園ではなく、畑でもそれは咲いていた。温度によって咲く次期が同じではなく、だんだん北上している。大宮は5月の連休が盛りで株分けして貰って来た物が我が家の庭の片隅にうまく活着せずに倒れて枯れているが、来年は幾らか咲くだろう。いずれがあやめ、かきつばた・・・の季節もそろそろ終わる。台風と共に梅雨の季節に入る。朝からぐずついた空模様。明日の日曜日は本降りとか、草むしりも園芸もお休み。

23/05/27 その3 筍はもう終りです。

2011-05-27 17:38:44 | Weblog
 今日は終り、又次の日も終りと云いながら毎日山へ筍を採りにいっていた。沢山は出ないが毎日のように2,3本採れた。自分で採ったたけのこは又格別。さすがに今日はおしまいだった。小さな小さな筍。それでも1日おき位に筍ご飯が作れた。昨日採れたのはほんとに小さな1本だけ。中身をはかってみたら130グラムしかない。吸い汁にでも入れましょう。筍さん、有り難うね

23/05/27 その2 台風の余波にしては寒い。

2011-05-27 17:23:41 | Weblog
 1日のうちに相当な温度の変化がある。本日の温度は何回も変わり、覚えていられない位だ。台風の余波であれば生暖かい風と思うが、今日の風はいろいろ・・・私は台風の1番強い時間を見計らってお父さんの後をついて行く。戦後のぼろ家では台風の時は板でも打ちつけなければ壊れる。雨戸だって普段からがたぴししていたから補強が必要だった。現在の台風はあの頃の台風と全く違う。特大の台風が近付いているというがアメリカのたつまきと言い、日本の台風と言い不気味な予感がする。