戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

24年9月30日 宇都宮に生まれた幸せ。

2012-09-30 14:20:02 | Weblog
 今朝、アメリカに住んでいる姉に電話を入れた。家の中でもスーパーやデパートに置いてあるウォーカーというのを使って生活している。私と同じ大腿骨骨折患者である。アメリカでは部屋も広いのでウォーカーも転がして歩けるが、日本のように広くて8畳間位だとぶつかって生活出来ない。私は最初杖を使っていたが、今は良くなって家の中では使わない。会社でも普通に歩いている。でも万一転んだらそれでお終いと云われている為、外に出る時は杖を持ち、人と一緒の時は幾らか介助して貰っている。姉もドクターに1年位で立てるようになるでしょうと云われているらしいが、立っただけでは駄目で、歩けなければどうにもならない。私のほうが怪我は軽く、3ケ月入院という手厚い看護を受けられたが、私より重症であるにも拘わらず10日か 2週間の入院で帰らせられた。アメリカでは殆ど入院というのはさせない。日本が格段に優れた保健医療であるのに対し、アメリカを始めとして諸外国は勝手に治せといわんばかりの体制。今年は保険料の改正もあり、高くなっても安くなる事はない。そんなに健康保険は使っていない、という人に限って親きょうだいが病気になったり、本人も何時病気になるか分からない。なるかならないかは寿命が分からないと同じ事だ。地震は多いけれど私は日本に生まれ、その中でも栃木県に生まれ、宇都宮市に生活出来て本当に幸福に思っている。それは市民、県民の皆様にいうお礼かもしれない。皆様本当に有り難うございます。あと何年かは頑張ります。

24年9月29日 インターネットの恐ろしさ。

2012-09-29 12:41:52 | Weblog
 間違った情報がインターネットによって流されるという事が実際に私の身辺にもありました。我が恩師である安西果歩先生が6月から現在まで、心臓にペースメーカーを入れ、集中治療室に入っているという事でした。早速連絡を取ると、先生はペースメーカーは入っているけれど大変お元気でした。流れてしまった情報は元には戻りません。覆水盆に返らず。全くその通りです。インターネットの恐ろしさは実際に感じております。私が出さずとも、他人の手によって作品が投稿されるのです。個人情報といって電話番号も住所も×××××で記される事が多い反面、野放しと云って良い程情報は流されています。拙い私の作品位ならいざ知らず、世界中が誤解してしまう尖閣列島事件や旧日本陸軍による従軍慰安婦問題などは、ある団体が意識的に流しているのでしょうが、大変問題だと思います。便利な物ほど問題です。

24年9月28日 思い出した震災。

2012-09-28 16:50:04 | Weblog
 昨日帰る時、大きい交差点に警察官の姿があった。昨日は少し早かったので児童の下校時間にぶつかったらしい。しばらく見ぬ風景だった。あの震災の時、計画停電とかで会社でも店を早く閉め、社員は早々に帰した。町は薄暗くフクダヤも薄明かりで何とも不気味だった。デパートは自家発電の装置を持っているので商売は出来る筈だが、お客の方が出て来ないようだった。交通信号もつかず、遅くなればなるほど危ない。家に帰っても停電で何もする事がなかった。食事の用意も出来ないのではどうしようもない。あの時の暗澹たる思いがふっと蘇った。今日の警官は違うけれど再び地震で警官が交差点に立たないように心から祈った。

24年9月27日 我家の満開の彼岸花

2012-09-27 15:35:49 | Weblog
 午後になって所用あって市の豊郷出張所に出かけた。たんぼの中を通って4回も一時停止をストップさせながら行った。時々鮮やかな赤い彼岸花を見つけた。去年は10月に入ってから11月まで咲いていた、と日記にある。今年が暑いので早いのか、去年が寒くて遅かったのかは知らないが、彼岸花というからには今の時期が適当なのかも知れない。ピンクや黄色の彼岸花、ネリネもすばらしいが、やはり赤が1番美しくて好き。一体誰が作ったのか、本当に神様でなければ作れないほどの華麗さ。毎年見る花だけれど、見る度にその華麗さに感動する。我家より豊郷出張所は北に位置するせいで幾らか温度が低いのか、蕾んでいるだけで咲いているのはなかった。その傍らで朝顔が下を向いて咲いていた。多分こんな花園でもしばらくは楽しめる。

24年9月26日 日本人の証拠。

2012-09-26 14:47:47 | Weblog
 身体も思うように動かない。云いたい事も云えない。そんな毎日を送っていると頭が変になる。身体が動かないのは死ぬまで治らないとすると頭がおかしくなるのも治らない。この辺で方向転換をしないと死ぬほかない。今は仔犬も脚に纏わりつくので危なくて飼えぬ。それで外にいる野良猫で我慢している。親子で3匹朝晩に現れる。私は犬猫共に好き。兎も何十羽、めだかも飼っていた。鳥も生き物は何でも好き。姉と暮らした横田米軍基地内の家には、シーザーという大きな犬がいた。何の種類かは知らないが今通行中に見かける盲導犬ほどの大きさがあった。家の中で飼っていたが時折犬やさんが来て風呂場でシャンプーをしてバリカンで調髪していった。姉は電話をする度に1度はフロリダにお出でよ、というがこんな脚でタラップは上れない。何か食べたい物ある?と聞いたら沢庵との事。お煎餅や甘納豆の類いは既に8月に送った。私が食欲が無くても沢庵さえあれば・・・というように姉もやはり日本人だと思った。

24年9月25日 骨と皮の振袖。

2012-09-25 16:28:37 | Weblog
 私が育ったのは昭和9年生まれだから、大体戦争たけなわの頃で、贅沢は敵だという婦人会の行進まであったのを覚えている。それでもお正月などはお金持ちや有力者の子女は素晴らしい振袖を着て学校の式典に臨んだ。どちらにも属さない我々は、少し良いセーラー服で登校する。着物は帰ってから銘仙の着物を着せて貰って羽根つきやカルタ、トランプに興じた。今は振袖とは2の腕のたぷたぷした余分についた贅肉だと聞いた時は驚いた。触らせて貰ったら、彼女の2の腕はたしかにたぷたぷして振れる。では私の腕は何というだろうと触ってみた。骨と皮だけでも振袖のように揺れた。でも彼女には敵わない。肉の振袖の方が感触は良かった。会社に来て男性の腕に触らせて貰ったら、棒っきれか薪だった。 

24年9月24日その2 今夜の食事。

2012-09-24 15:49:27 | Weblog
 毎日の献立に苦労している。夏は物がいたみ易いので沢山は作れない。今日は妹が自分で作ったゴーヤとほうれん草を持って来てくれた。もう野菜作りは止めるように云っている。なまじ土地を持っている為に面白半分で作り始めた野菜作りについつい熱中してしまった。でもこれからは矢張り止めると云っていた。作っただけは当然食べられない。やる人も限られてくる。必要な分だけ買ったほうが良い。私などは買っただけでも消化出来ず、纏めて捨てている。私は今食パン作りに凝っているがその食パンですら処理するのに苦労している。日本人はやはり白いごはんと沢庵なら3度3度でも飽きないらしい。暫く食パンはお休みとしよう。

24年9月24日 蛆虫がわいていた。

2012-09-24 15:20:33 | Weblog
 妹が久しぶりに顔を見せた。さいたまなので一人で来るのはなかなか大変だ。話しはもう少し経ったらどうしようというものばかり。さいたま市に大変良い施設があり、順番待ちでなかなか入るのが難しいらしい。母は97歳で亡くなった。女は長生きするので私もその位生きるだろうといわれているが、その年になったら誰の世話になるか、というような話題ばかり。近所の老齢の弾性が、3日ばかり新聞がそのままになっているし、覗いたら嫌なにおいもするので、警察立会いの上で中に入ってみたら死後3日は経過しており、臭いの何のって酷かったらしい。臭みも酷いが寝床には蛆虫がわんさと湧いていたとか・・・・・私はまさか蛆虫の餌食にはならないだろうが、その寸前に発見されるような気がする。そうにならないうちにさいたま市の施設に申し込んでおくのが得策だと思った。妹は帰ったが、無事に行き着く事を祈る。

24年9月23日 暗い日曜日。

2012-09-23 16:00:45 | Weblog
 朝から雨だれの音。起きるまでに消えるかとと思ったが雨脚は強くなるようだった。同じ雨でも暗い雨だ。最近は寝ていても聞こえた鶯の声や小鳥のさえずりも無くなった。朝の仕事を終え、美容院へ出かける為に玄関を開けたら、いつもの可愛い猫ちゃんが朝ご飯をねだりに何処からか現れた。最近は玄関を開けた時だけでなく、外出から帰った時にも寄って来る。一握りかふたにぎり与える。美容院では行く時間が決まっているので、車を降りた時から乗る時まで私に付き添って下さる。本当に有り難い。脚を痛めているので片手で傘を持つと危ない。ほんの少しの段差、穴ぼこ、砂利などで滑ると大ごとになる。晴れた日の有り難さを感じる。今日は晴れそうにない。暗い厚い雨雲。安西果歩先生は未だペースメーカーを心臓に入れたまま未だ御入院している。先生の1日も早い御回復を祈る。