戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

黄泉路(よみじ)の旅

2010-03-26 12:44:49 | Weblog
病み疲れし身に、黄泉路(よみじ)の旅は辛からむ。護らせ給え、南無阿弥陀仏。

弟の死後、私の父方の親戚の大谷家の方が、紺色の地に金泥で阿弥陀様の像を書いて送って下さった。
その仏画は左上方に阿弥陀如来がおわし、右手にこの文言(もんごん)がしたためられてあった。
芸術的にも格別に優れたものであるのは見ただけで分かった。
癌で倒れ、周りの者に別れを告げて黄泉路に向かった弟は、家族の全員に多大の衝撃を与えていた。
その悲しみのさなかにあった我々に届けられたこの仏画の功徳は少なからぬものであった。高貴でお優しいお顔の阿弥陀様がお手を合わせられるお姿に我々はすがった。勝ちゃんは阿弥陀様にまもられている。大丈夫だと安堵したものだった。
我が家は仏教徒で南無阿弥陀仏である。父の母方の家は信心深く、いつも京都西本願寺にお参りをしていた。
事ある毎にお札などを届けていてくれた。
悲しみの極みにあった我々に届けられたこの仏画は、お札(おふだ)より何より私達を癒してくれた。私はそれほど信心深くない。両親もきょうだいも同じであった。私が30歳になる前、我が家を訪ねて来られた知り合いのお坊さんに連れられて、高野山にのぼった事がある。厳かな深山幽谷の中に林立する杉の大木の間を縫うように歩くと、おのれの身体が清められる感を味わった。数え切れぬほどのお寺があり、其処で私は先祖の供養をお願いした。少なからぬお布施を必要としたが、20名ほどの僧達に依る読経は詠うが如く高く、低く流れて溢れてくる涙を拭ういとまも無かった。四国88ヶ所をめぐり、高野山にお参りをして終わるというのも頷ける。
それは神々しくさえあった。仏画も読経も残された者への為にある、と思っている。

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