戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

23/04/30 白いカーネーション。

2011-04-30 14:41:57 | Weblog
 明日から5月。もう母の日の事が取り沙汰されてから久しい。今年は珍しく母の日に白いカーネーションを買ってみようか、などと思った。若いうちは赤いカーネーションなど買う気は毛頭無かった。大事な人(物)は失ってから始めてその有難さが分る、という教えの典型的な事に思った。何で母の日があって父の日が無いのか?とは思った。母を含め、その子まで慈しみながら育てるその資金を稼いでくるのは父親なのに・・・
その後、両親を失ってもついぞ思った事は無かったが、今年はやけに白いカーネーションが頭に浮かぶ。母を慕う心は幼子と同じなのか。照れないで今年は買うつもり白いカーネーションを・・・・・やっぱり親娘!!!

23/04/29 山桜が咲いて・・・

2011-04-29 16:34:20 | Weblog

 桜の花は散りもうこげ茶色に汚くなっているが、真ん中の木が山桜、白っぽい花を咲かせている。そうだ、山桜は葉が先に出るんだっけ。先に花が咲くような気がしていたが、今丁度満開のように咲きこぼれている。今日は数少ない祝日で私が午前中休める楽しい日だ。有効に使うように前から予定を立ててある。幸いお天気も曇りながら晴れている。でもやはり温度は低い。5月になるというのに今年は異常気象のような気がしてならない。それでも朝晩はストーブを点けると前のように暖かいとは思わず、暑いと思うようになった。それだけ季節は動いている。こんな老齢でも人様のお世話にならないようにしなければと運動や食物にも気を配っているが、ひとりでいると所在無く食べてばかりいて困る。でも、停電の時は食べる気も起きなかった。計画停電の時は何度も思い出す。暗くて暖かくもない物を食べる時が何度かあった。オール電化でガスを使わない我が家は温める術を持たなかった。ガスも電気で着火する式では点かない。毎日何処かのチャンネルで大津波の様子が放映になる。津波に耐えて咲いた桜や水仙。見事な松などを見て我が家族を攫われた人はどのように思うだろうか?1000年に1度の・・2000年に1度の・・・いや、3000年、5000年に1度の災害がやって来るかもしれない。私は家で地震が起きると、いつもそのように思って地盤のしっかりとした大曽でも倒壊して私はその下敷きになって死ぬと覚悟を決めている。40キロ未満の体重しかない私は間違いなく長くはもたずに死ぬ。ぐらりと来る度にそう思っている。それでもトマトの苗を3種類買って来て植えた。

23/04/28 突風が吹き荒れた。

2011-04-28 17:04:54 | Weblog
 27日の予報は突風が吹く事もある、という事だったが、午後になって本当に突風が吹いた。最近は雹が雪のように積もったり、急に寒かったり翌日は夏のように暑かったりと忙しくめまぐるしく変わる天候にご老体は追いついていけない。人間が自然を征服したように驕り高ぶっている事に対する反撃だろうか?それでも太陽はあまねく土に降り注ぎ、今朝はアスパラガスを7,8本収穫した。茹でてお昼にいただいた。朝どりの新鮮なアスパラで放射能に汚染されてもいない。今はそんな事まで考えるようになってしまった。食物だけで身体を維持していくには無理が生じる。暑さも次第に強くなって来るだろうからと又セントラルのプールで水中歩行をやってみようと思った。突風で吹き飛ばされるような体重しかなくなってしまったが、お医者様には体重を増やさないようにという指令が出されている。それが水中歩行を何十分かすると相当な運動になるらしく、ヘモグロビンエーワンシーの値は良い。5月から半年は続けたい。うちに帰って牛のように食べて直ぐ横になっているよりは良い。

23/04/27 安曇野のせせらぎと同じ流れを見た時。

2011-04-27 13:32:31 | Weblog
 おはようの陽子さんが見た安曇野のせせらぎと全く同じ流れを陽子さんと同じ高校2年生の夏休みに私は眺めていた。上田 敏の勿忘草の一章が頭をよぎった。“ながれのきしのひともとは、みそらのいろのみづあさぎ“ロマンチックなおとなになる前の高校2年生だった。今日のせせらぎにはわすれなぐさは咲いていなかったけれど、私の佇む小川のほとりにはわすれなぐさが水に流されるようにして一生懸命に根を踏ん張っていた。安曇野ではないが、同じく信州は松本から電車で幾つか先の小さな山村の資産家で、蔵の幾つも有る大地主さんを訪ねて行った時の事である。おはようと違って戦争は終り、終戦から4年経っていた。母の妹の夫の赴任先がNHKの松本支局だったので母に云われて夏休みのひと時を遊びに行った。経済は未だ復活しておらず、叔母が松本から買ってくるジャムパンやクリームパンを相当贅沢なおやつとして食べさせて貰った。そのパン屋はいつも配給の小麦粉を持っていくと何匁で1個と取り替えてくれる。ジャムパンやクリームパン、あんぱん、コッペパンとそれぞれ代金は違う。小麦粉もその頃はすいとんやうどんにして食べていた時代だから、叔母は夫の出征中、うちで小さな娘と共に宇都宮大空襲から助けて貰った姉の娘に精一杯のご馳走をしてくれていたのだろう。それ以後私は信州のとりこになった。その後蔵王に鞍替えをしたが、本当は日本の自然は何処も素晴らしい。地震さえ 無ければ良いのに・・・

23/04/26 朝ドラのおひさまは見て来たが太陽は雲に隠れていた。

2011-04-26 18:14:12 | Weblog
 朝は相変わらず寒い。外に出て空を見たが厚い雲に隠れておひさまは見えなかった。直ぐアスパラを探したが、やはり2本しか見つからなかった。やや太いのと細いのが1本ずつ、そのままにしておくと固くなるので根元から折った。今年は食べられるような物は出ないだろう。そのままにして葉を楽しめば良かった。後は出てきてもそのままにして、葉を愛でよう。ささげが1個芽を出したようだ。未だ赤い皮をつけているがむっくりと首をもたげている。ベクレルとかシーベルトなどと考えているよりは気が晴れる。テレビをつければ原発と大津波の写真ばかり。うちに来る営業の人が顔さえ見れば「何か良い話無いですか?」というがそれは注文を下さいと云うことだけれど、私も最近は「何か良い話題無いですか?」と云いたくんあります。こっちは注文ではなく、世の中が明るくなるような事です。


23/04/25 その2 年のせいで失敗ばかり・・・

2011-04-25 18:22:48 | Weblog
 今日は大失敗を2つやらかした。同じ事で2回連続。やはり寄る年波には勝てない。詳しくは明日述べるとして、私の悪い癖は失敗をすると大慌てに慌てるという事で、その結果2つ目の失敗をやらかす。失くし物をしたのだが、その結果もう1つ失くしてしまった。経理士さんの関与する件だが、そちらは無くても良いといって下さったが私はそう簡単にはいかない。明日それを探す為に時間を費やす。1生のうちで探し物にかける時間の最も多い女かもしれない。それと居眠り・・・・・サイテー!!!

23/04/25 選挙も終わると連休の春本番

2011-04-25 18:01:03 | Weblog
 今朝の温度は低かったけれど春はやはり暖かい。庭に出て毎日アスパラの芽が出ていないかと探してもみつからなかったが、今朝は突然のように3本出ていた。もっともっと出る筈。じゃがいもの芽の出た所を幾つも切っておいたのでその辺に埋めた。埋めたというより捨てて土をかけておいたようなやり方だったが、これも必ず実を付けてくれる。なってもならなくても構わないといろんな種もばら撒いておいたから太陽と雨さえ降り注げば必ず私の食卓を賑わせてくれる。今度の日曜日にはミニトマトの苗を買って来て植えよう。

23/04/24 2週続きの選挙も終わって。

2011-04-24 16:16:51 | Weblog

 帰宅すると幾らかの夜食を摂ると直ぐ横になって寝てしまう。小さいころはお行儀が悪いと叱られたものだが、今は叱る人もいない。牛になると脅かされていたが、未だに牛にはならない。テレビをつけても毎日瓦礫の山か原子力発電所の写真ばかりで面白くない。それでつい、疲れも手伝って寝てしまう。眼が覚めるのは大体11時頃、急いで夜の薬を飲んで後片付け。今日はお風呂に入り髪を洗って日曜は9時半迄に美容院に行き、 投票、買い物と予定は決まっている。ベッドインしたのは日も代わっていた。それでも5時前に起きて洗濯、それを干してから今週食べる物の調理と大忙しだった。今週のメインはお魚、大きな干物を幾つも解凍しておいた。洗濯物は殆ど外には干さないが今日の洗濯物は大方がタオルだったし、あまりにも良く晴れていたので久しぶりに物干し竿にかけた。足元のプランターに黄色いチューリップが2輪開いている。牡丹の蕾も大きく膨らみ始めた。いよいよ連休も近い。自治会の班長さんが1年分の会費4800円を集金に来た。うちの次の順送りの班長さんである。未だパジャマ姿の私は慌てて着替え、それから投票用紙を持って外出。台所を片付けていた時、じゃがいもを6,7個見つけ、芽が出ているので其処を切り取り植えようとしてそれだけが残ってしまった。明日朝埋めておけば7月頃には1年分位の収穫がある。生きる張り合いも希望も何も無いが、花が咲きアスパラが芽吹きじゃがいもが育ちゴーヤも芽を出す。捨てるようにして蒔いたささげも幾つかは芽をだすだろう。こんな小さな喜びもある。これだけでも良いか!津波で流されるよりは・・・・・と思いながら生きて行く。今夜は開票。選挙の好きな私の数年に1度の胸躍る日である。

23/04/23 期日前の投票は本庁のみ。

2011-04-23 18:30:33 | Weblog
 日曜日に投票に行くよりは、と期日前の投票に支所に行くつもりでいたが、今のラジオでアナウンサーが期日前は本庁庁舎のみと云っていた。昨日は市役所に行く用事があってついでに投票してこようと思った。でも他の人の車に乗せて貰って行ったのでついうっかりした。投票用紙が無くても出来るらしいが、乗せて貰ったので遠慮した。いつも自分の車に入っている。ま、たまには無理しても投票日に行けば良い。美容院から歩いても宇都宮商業高校までは近いから午前中には終わる。お天気も良さそうだし、毎日ウォーキングマシンで歩いている私には有り難い様な話。でも最近の天候の不順には驚く。5月にもなるというのに昨日の寒さは酷かった。東北の被災地では雪も降ったようだ。未だ避難生活を強いられている方達の事を思うと辛い。寒いと思うと5月のような暖かさが来る。今年の夏は矢張り酷暑だろうと思うとうんざりするが、節電の為に今から準備をして置かなくてはならない。寒さは着るだけ着て丸まっていれば或る程度は凌げるが、暑いのはどうやっても暑い。脱いでもそれ以上は不可能。暑さで倒れる人も出るかもしれない。エアコンが有っても倒れる老人がいた昨年を思うとやはり津波には勝てない。この際何党が政権をとっても政治家に頑張って貰わなければならない。菅総理は被災地を訪れ「頑張ります」と云って避難民に「何を頑張るのですか?」と云われたが・・・・・何でも頑張って下さいよ、総理!!!

 23/04/22  とうとうアメリカに単一を注文。

2011-04-22 15:33:38 | Weblog
 「昨夜は揺れたね」「そうだっけ?」お早うの挨拶の代りが揺れたの揺れないのの言葉になった。それほど毎日のように揺れる。テレビでは漏れた量が1年の許容量の何倍にも増えたようだ。今までは大丈夫だといっていたんではなかったのか?毎日いろんな事をいうので揺れたのと同じで良く覚えていない。7時前に家に帰ったが暗いので単一乾電池が6本入る強力ライトを持ち歩いているが、点けようとしたら点かない。自家用なのでその辺に残ったあり合わせの単一を入れておいたのだが、もう無くなってしまったらしい。単一を作る工場も被災してしまったので日本では当分出まわらない。売れないとしてもうちの分位欲しいと思っていた私はとうとう決心してフロリダの姉に電話を入れた。地球の裏側のフロリダは地震など無いらしく、極めてのんびりとした口調であった。単一は太い方というと直ぐ分って送ってくれると約束をした。近いうちにアメリカ生まれのアルカリ単一が入って来る。売れなくてもうちの 強力ライトや懐中電灯位はまともに使いたい。