戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

卒業式のシーズンでも春は名のみの冷たい風 22/03/27

2010-03-27 14:11:20 | Weblog
あちこちで桜の便りが聞こえる。その時必ずといって良い程「夜桜見物には寒いので厚いコートをお召しになって・・・」とか「傘をお持ちになって・・・」のアナウンサーの言葉だ。昨日も赤門前を何度も通ったが、うすらに赤くもなっていなかった。地球温暖化の煽りを受けて春は確かに早く、そして温度の高い地域も少しずつ北上しているけれど、その合間に入る冷たい寒気団は何だ!!!1週のうち半分は物凄く寒い。今朝も薄いけれど氷が張った。
今朝のテレビでは昭和20年3月10日から始まった東京大空襲で、卒業式の出来なかった77歳の人達が、念願叶って小学校の卒業式に集まったという夢のような話を伝えていた。あの時、校長先生が手書きで1人ひとりに作ってくれた卒業証書も映っていた。見事な毛筆だった。考えてみると私の卒業証書など一体何処にあるのだろう?最後のだけは洋服ダンスに入っている。お花の免状も非常に立派な物が2つ入っているが、何の役にも立ってはいない。嫁入り道具になるか、教える時役に立つか位の役目であるが、それにしては随分とお金がかかった。
卒業証書が必要だった事は1度もない。せいぜい履歴書に書けば済む事で、書くのは暗記するほど何度も書いたけれど、このように空襲でやれなかった卒業式というのは、誰もがやった卒業式より何十倍かの思いが籠められているに違いない。
77歳といえば私の姉と同じ歳、そんな女の人達が昔の小学校に集う姿を見て涙が浮かんだのは私だけではないだろう。
2度と戦争を起こしてはならない。