今日は水曜日なので店は私ひとりです。間断なくお客様はお見えになり有難い事です。1週間に2日はデパートに買い物に行きますが水曜日は絶対に行けません。その上パソコンのお勉強が控えております。先週は祝日でお休みでしたので今日は何が何でも休めません。私は朝1段落するとすぐブログにかかるのですが、大概はいつも帰る頃になってしまいます。27日のように1日いないときは前の日に準備をしておきますが、普通の日のほうが遅くなる事が多いのです。12月に入ると店も忙しくなって来る事でしょう。明日何があっても予定が遅れないようにしないと私のように残り時間の少ない者はやり残した仕事がたんとあるままにあの世に行ってしまいます。先週は1週間で約半日の遅れでしたがこれからは何処かで詰めて遅れないようにしたいと思います。1週間で半日でも一年分だと物凄い日数になりますから・・・
好きな者だけで脇を固めてはいけない。そうすれば反対する者もひとりも居らず好きなように政治を行う事が出来る。確かにその通りです。私の今夢中になって見ているDVDのイ・サンの中に出て来るせりふです。私はこのようにテレビドラマの中に数多くの教訓を発見しています。ドラマを見ずともそのように思っていらっしゃる方も多いと思いますが、あのような時代から言われていたのだと思うと改めて人間の考える事はそれほど変わっていないのだと思います。
先月から楽しみにしていた第49回、太田ギターマンドリンクラブの演奏会も終わった。来年は節目の第50回を迎える。今から楽しみにしている。ここを出発して戻ったのは午後6時15分であった。以前は自分で運転して行ったが今回は大学の下級生御夫妻の車に便乗させて頂いた。パソコンの星野先生も御1緒で久しぶりの私のお休みとなった。雨も降らず風も無く薄日も射して暖かい行楽日和。沿線の街道も殆ど紅葉して行く時は充分見られたが美しかった。早く家に帰って夕食も済み横になっていたら右足首のくるぶしを中心として10センチほど上と足の裏に違和感がある。暫く経っても治らない。立ち上がり歩いてみたり跳びはねてみたりマッサージをしてみたが同じ。10時半ごろ甥の自宅に電話を入れてみた。長男の方は出なかったので次男の方にかけた。直ぐに応答があって用件を伝えると、私が心配している脳の場合は半身に影響があり真っ直ぐに歩けなかったり手のひらを握ったり開いたり出来ないという。お陰様でそのような事は無かった。そんな違和感は大概椎間板に原因がある、結局はそのような事も無かった。単なる疲れ、演奏会で同じ姿勢のまま長時間座り、冷えたのが影響したのであろうという事で私も納得した。姉達にも会えて楽しい1日でありました。
もう11月も終わる。あちこちに黄葉した葉を見つけ、あれっと思うと雑草だったりする。草も紅葉する。赤くなっているのはそれほど綺麗ではないがあかざだった。その中に名残惜しそうに小さい小菊がまじっていた。可憐そのもので黄色と赤だった。雑草に混じっているので取るのは容易ではないが、うちで咲いた花は全て仏壇に飾る事に決めている。無信心な私がせめてもの御先祖様に対する時である。昔ならもっと寒い。暖冬のせいで彼岸花さえ未だ咲いている。今日は演奏会で姉の住む太田に行く。姉の家にはもっと素晴らしい菊が咲いているが、こんな小菊でも宇都宮の妹が手折っていく実家の花。4,5本折って太田の仏壇に挿したい。ささやかな菊だけれど花屋の豪華な花束よりも心がこもっている。
今日は太田ギターマンドリンクラブの演奏を聴きにいきます。誘い合わせて4人で1台の車で行きます。太田の姉の家族にも会える嬉しい日です。帰ってから御報告致します。
我が家の玄関先には朝な夕な私が帰る度に野良猫が現れる。アメリカンショートヘアに似た薄いこげ茶色の猫、日本猫の代表のような白に黒のぶちの猫など。私はそれらに玄関を開ける度に餌を与えている。大きな袋に一杯のキャットフードで与えるのは一握り程度。最近はそれを狙ってカラスも来るようになった。うちの前の電線で見張りをしている。そんな時は猫が安全に食べられるように私が見張っている。人間は石油ストーブや暖房器具で部屋を暖かくしても寒い、寒いと言っているのにこの寒空で野良猫達は何処に寝ているのだろうか。併設した西の小屋は今は使っていないが、不用な物を入れているだけで壊す予定になっている。格好の猫屋敷になっていると思うとそのままにしてやりたい気もする。以前キャットフードも無かった頃、魚屋でなまりを毎日のように与えているのを見たおばさんに「あんたは死ぬまで食い物に不自由しないよ」と言われた事がある。私が何とか食えるのも猫の恩返しだろうと思って毎日野良ちゃんに給餌を続けている。
度々デパートへ行きますが広い駐車場の何処へ入れたか、何度か苦労して探した事があります。現在は忘れる事はありません。入れた場所をしっかりとインプットしてから出かけるようにしているからです。でもいい加減にすると忘れてしまいます。要はしっかりと頭に入れる事です。日によって頭の冴えない時があります。それは昔もそうですがこの年齢になると呆けの初期ではないかと心配になりす。その為に人間ドックに入るように用意をしておりますが、却って心配になってしまいました。脳が侵されているとはっきりと出たら治しようがないのでは・・・と思いました。脳は訓練によって幾らかでも鍛えられるのでしょうか?年をとっても尚お元気な方の爪の垢でも煎じて飲みたいです。そして出来るだけ難しい仕事に挑戦しています。文章もなるたけ難しい問題で書いて訓練するようにしておりますが結果や如何に・・・
平成元年、胃の後にあった腫瘍を切り取る事に決めた時、1番恐れた事は麻酔から醒めた時、誰の名を呼んでしまうかという事でした。私の甥が外科医として参画したのでそのような時は急いで口を塞いで欲しいと頼もうかとも思いましたが、そんなに生易しい事ではありませんでした。私が何で気がついたかというと激しい痛みと高熱でした。ドラマ“イ・サン”でも主人公のソンヨンが意識不明で助け出され、想う人のセソンに看取られながら、次第に意識を取り戻し、セソン様と呟いてしまいます。麻酔から醒めた時にこのソンヨンのように誰か私の意識下にある人の名前を呟いてしまうのかと大変心配しておりましたが実際にはいなかったのか誰の名前も出ませんでした。けれど今も心配ですよ。心の底にある人の名前でも出てきては困りますからいつも心配しています。でも私の手術のあとはそんなドラマのようでは有りませんでした。私が黄泉の国から生還する時は誰に導かれて来るのか、と考える時がしばしばあります。私の場合は色気無く”お母さん“位しか思い当たりません。せめて”セソン様”に該当する人が欲しいです。
ドラマではソンヨンの幼馴染のタク・テスが“セソン様が待っていて下さると思えばあいつは三途の川を泳いでも帰ってきてしまいますよ”と云いますが、私の場合は早く三途の川を渡れと追いやってしまわれる可能性が大です。
ドラマではソンヨンの幼馴染のタク・テスが“セソン様が待っていて下さると思えばあいつは三途の川を泳いでも帰ってきてしまいますよ”と云いますが、私の場合は早く三途の川を渡れと追いやってしまわれる可能性が大です。
“あの者は遠く離れていてもあなた様を支えているのです”これは今私が夢中になって毎日のように繰り返し見ている“イ・サン”の主人公イ・サンの正妻の嘆きの呟きです。身分の卑しいソンヨンが意識不明になって倒れているのをお付の女性はそのままにすれば正妻の為に良いと思って助けるのに反対するのですが、正妻は夫を支えているのは自分ではなくその女と分っているので助けます。捨ておけばドラマにはなりませんが、一般的にはドラマではなく実人生なのです。確かに私は誰かに頼って生きております。私もささやかではあるけれど誰かを支えております。どんなに威張っても自分ひとりでは生きてゆけません。時々そんな人を見かけますが米のひと粒でもどんなに多くの人の手をかりて稔っているのか、それを考えただけでも改めて自分を支えていてくれる周囲の人達に感謝したいと思います。
独協は私が大きな病気をする度にお世話になった病院です。何度かの入院を経験いたしましたがお陰様で無事にこんにちに至っております。自分でも運転して行ける範囲ですが妹と道中ゆっくり話をしたいと思い、運転を頼みました。とても良く晴れ渡った日です。診察もお薬を貰うのにも時間はかからず割合に早く済みました。ついでに妹と一緒に人間ドックをしたいと話し合いながら来たので健康管理課に向かってパンフレットを貰い家に帰ってからゆっくりと見ました。案内書には日帰りのドックや1泊2日のドック、3泊4日のドックなどオプション付きで詳しく書かれて居ります。後は妹と日程の調整だけです。3泊4日などそんなにゆっくりと妹と話など出来ません。本当に良いチャンスです。出来れば姉も誘って姉妹3人で人間ドックに入りたい。今年は暮れも迫っておりますので年明けになるでしょうが、出来るだけ3人一緒にやりたいと願っております。