戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

春の受験シーズンに思う私の失敗。  22/03/12 

2010-03-12 10:40:49 | Weblog
3月11日の朝、未だ雪の消えない山からけたたましく“ちょっとこーい、ちょっとこーい”の鳴き声が響いた。春本番だ。車を走らせ田原街道に出ると、えにしだの黄色い花びらが、木の下に沢山散っている。ラジオからは高知で染井よしのの開花を告げている。
それなのに未だあちこちで雪が見える。人の住んでいない空き店舗の前には道路に積もった雪などが捨てられたらしく、そこだけが白く積み上げられていた。ラジオからは卒業式のシーズンも終えて、今度は受験の発表の風景が聞こえてくる。私の初めての受験は高校だった。絶対に大丈夫だと云われていた私は、課外授業も受けずに遊んでばかりいた。受験の前夜、お茶を飲めないほど濃く煎じるようにして飲み、枕元に教科書を積み上げてそれでも尚且つ勉強しないで寝てしまった事を覚えている。サボるのは私の常習だった。初めての新制高校の試験だ、という事で試験の内容は推し量る事は出来ず、難しい問題が出ると思っていたので課外授業は難しい問題ばかりだったらしい。でも実際の問題は殆どが学校で習った事ばかりでそれほど難しくはなかった。勢い付いて私は全部答案用紙を埋めた。
発表の前の日だったと思うが、私はその時3年生になる姉にこういわれた。
「猪瀬先生がね、お前の妹はそそっかしいな、選択科目なのに全部書いてしまってあれでは点数にならないぞ」・・・・
選択科目とは家庭科、園芸科、工業科などの何科目のうちから1科目を選んで答えを書く科目である。割合易しかったことしか覚えていない。それから私はこの高校の受験は失敗だと思い、悩みぬいた。
発表の日は見に行かれず、中学に来て受持だった先生の所に隠れていた。
そこへ姉がやって来た。「受かっていたよ」と・・・・・
それ以来、試験の発表だけは見に行かれない。
高校を卒業して東京の学校も翌日友達と一緒に・・・
運転の試験も見てをられずに帰ってしまった。
試験結果の発表をその場で見た事のない人間などいないだろうけれど、私はその珍しいひとりだ。