今日は朝から一日中独協で診察を受けた。数々の検査があり、MRの時はとても怖かった。昔入院していた時の事や、救急車で搬送され田時の事を思い出してしまった。結果は脳は年相応との事だったが、眼科の宣告には落ち込んでしまった。パソコンや読書の禁止である。世界文学全集はとりあえず止めた。昔読んでいたものだからこれはあまり残念とも思わなかった。水滸伝の全19冊は去年読んでしまっておいて良かったと思った。テレビもあまり見るなという。先生は私を心配して云って下さっているに違いないが、たしかに眼底出血が続いているのは怖い。ずっと続けばレーザーで焼くとおどかされた。そうなると又これ以上に視力が落ちるというのだ。云う事を聞かないとそうなるおそれがあるというのに聞かないわけにはいかない。だから今迄より少なくしよう、そのうちに考えようと思った。だから今日はこれでおしまい。本当は昨夜見たテレビ、或る死刑囚と検察官との間に取り交わされたか感動的な話について述べたかったのだけれど、それは又あとに譲る事にしよう。
今日は日曜日、学生のように日曜日は嬉しい。会社に行くのは午後1時からだから、午前中だけでもゆっくりと出来る。そして午後もあまりお客様はお見えにならない。休みと思っている方が多いし、私も片付ける事を先決として出社している。今日は群馬から姉が最後の同窓会としてグランドホテルに来る事になっている。その後会社に寄るというのでまわりを片付け始めた。この前、自宅に来て1泊していったが、大宮から妹達も合流するのでいつも1人でいる時はテーブルの上は散らかっていても食事に困る事はないのでいい加減にしておいたが、4人一緒だとちとまずいと思って夢中になって片付けておいた。夜になって茶の間は賑やかになり狭苦しい感じもしたので「これでも一生懸命片付けたんだけれど・・・」と言い訳をした。そうしたら「これで片付けたの?」・・・・・老齢であっても私の姉妹は他の専業主婦とは異なる。けれど私ほど時間刻みの仕事をしているほでではない。みんな苦労しているほうかな?それでも片付けるのは自宅のみで、私のように会社と自宅ではない。2ヶ所を整然とさせておくのは至難の業だ。遣っている事が多すぎる。これでプールが無かったら・・・プールに行って歩くのは1時間でも往復と着替えでたっぷり2時間はかかる。行かなくても・・・怠け心が首をもたげる。続ける為には散らかしておくほかにない。でも、止めても片付かないようだ。そのほうが恥ずかしい。やっぱりセントラルは行っておくことにしよう。言い訳の為にも・・・
私の姉が日曜日に来ると連絡してきた。同窓会に出席しての帰りなので夕方になるという。それには今年で同窓会は最後、その解散なので・・・と書いてあった。私の行った高校は女子だけで今も男子は入れない。男女共学を唱える人もいるらしいが、私は女子校も良いと思っている。男子と付き合いたければ何処にでも門戸は開放されている。私は新制中学第一回生、姉達は旧制女学校の最後の生徒である。学年により多少の特徴があったが、昭和7年生まれの姉達の学年はスケールの大きさでも優秀さでも綺麗な方の多い事でも抜きん出ていた。その上に結束は固く、仲も良く、選ばれた人だけが行く学校の生徒としての品格もあった。そんな姉達は卒業してからも同窓会と称して度々集まっていた。楽しそうに群馬から出て来る姉を見て羨むというより、毎年何でそんなに集まるのか?と疑問に思っていたほどだ。子育てが終わると今度は毎年集まっていた。それが今年を最後に解散する事になったという。理由は聞かなくても判った。姉達はもう78歳になる。グループの中にはもう亡くなられた方もいる。みんな今度は自分の番だと思っている。死なないまでも今までのように自由に動き回れないと悟っている。姉も来る時、決して車を運転して来ない。両毛線を乗り換えながら電車で来る。私も以前のように太田まで運転はしない。おのれの分際を知りつつまわりに迷惑をかけないで生きていこうと思っている。
5月は決算月、本当は1月末だったが、たな卸し作業のあまりの寒さに辟易して1番季節の良い5月に変更したというわけだ。もう1つの会社は9月にした。どちらも寒くもなく、猛暑も避けて9月。両方の会社はお互いに手伝ってたな卸しをしたので4ヶ月位間をおいた。10月に入ると旅行などがあるので問屋の人が手伝いに来るのはやはり9月のほうが気楽だし、11月はもう暮れである。あの頃と比べると10分の1にも満たない商いであるが、商品のほうは負けず劣らずに多い。専門店であるので種類が多いのと、直ぐに欲しいという方が多いのでどちらかというと在庫主義だ。最近は在庫を持たずに商売をするのが流行っている。在庫主義がうちの良いところであり、苦しいところでもある。両方が成り立つようにするには商品が飛ぶように売れる事である。何とかそうなって欲しいと日々努力しているが、決してらくな事ではない。でも、このところの天候によっては農家の方は冷害に見舞われそうだという。畜産でも農業でも手厚く保護され、保障を受けられるというが、その悲しみはお金に代えられるものではあるまい。それよりは良いと思って頑張るしかない。世の中には上をみれば又
その上がいて、下を見ても同じ事だ。並より落ちてもその位が大多数で、それすら羨む人達もいる。まあ、これで満足としよう。が、本当に不景気だあ・・・・・
昔、こんな事を聞いた事がある。1点非のうちどころの無いようなお嫁さんがある時脳疾患で倒れ、うつつの中でいろんな事を口走り始めた。良く聞いてみると・・・それは嫁に来て以来の婚家からの数々の仕打ち、夫に対して、夫の両親やきょうだいに対してどんな辛い目にあわされたか、どれほどの思いで耐えてきたかを訴えるものであったという。皆それを聞いて、そんなに辛く思っていたのかと驚いたという。私が今何でそんな事をいうか・・・というと、私も75歳を越して東地区、宇都宮市立東小学校の運動会の招待状がきて、敬老者のお席が設けてありますと書いてあったのを見たからだ。そういえば去年から来ていたっけ・・・今年は自治会で此処3班の班長は当番制で私が勤めている。この3班で75歳以上は半田さんと私だけだ。何時倒れてもおかしくない年齢で、万が一倒れて脳がおかされた時、冒頭のお嫁さんのように、いろんな事を言い出したら・・・と思うようになった。平成元年8月に初めて全身麻酔をされて胃を切った時もそれを恐れた。手術の時は甥の衛が勤めていた東京の病院から駆けつけて、立ち会ってくれたが若しそのような時は口を塞いで欲しいと頼もうかとさえ思ったが、甥が現れた時は既に私は手術台に寝かされて姿の見えない甥を探し「衛さんは?」と目で追った。その時、甥が青い手術着で現れた。目で合図しただけですぐに麻酔に入った。何を口走ったかは聞きもしなかったが、後に見舞いに来てくれた甥が「独協の同級生が手術が終わった時、麻酔を醒まそうとしてあまりおばさんの頬をひっぱたくので、そんなに酷くするなよ、といったらこの位しないと醒めないよというんだ」と言うのを聞いて、何も云わなかったと安心した。でもこれからは判らない。スパイから真実を探り出す為には薬で頭を朦朧とさせるのが1番良いとも聞いている。兎に角脳疾患にならないように注意するのが肝要だと思って日々励む事にしよう。
金の力は恐ろしい。金さえあれば最後の最後迄とはいかなくても命すら買う事も出来る。現代に於いては尚更である。だからみんな金、金と金儲けに走る。総理大臣におもねっておかなければ大臣にしては貰えないから云う事を聞く。健康保険の利かない薬も買える人は生き延びられる。時間が無くて医者にいけない場合もこれに当てはまる。今私が読んでいるモンテクリスト伯も、莫大な富、ファリア法師によって齎された富無くしてはどんな方法を以ってしてもエドモン・ダンテスの復讐劇は為し遂げられない。お金は私も欲しい。若し、これだけお金が有ったら・・・と夢のような事ばかり考える毎日。税金ばかりかかって処理すると売るより高い処分費のかかる家や売れない土地、老齢化して何をするにも時間ばかりかかる姉妹達、お金さえあれば全てきれいさっぱりと処分して、姉妹が家にいると同様、パソコンも使え、携帯電話も使えるような同じ施設に生活出来るようにする!!!(こんな事を考えるのは私だけで、他の姉妹には断られるかな?)勿論、姉妹の子や孫には心配のいかないだけの生活が出来るようにしていく。ああ、3億当たっても無理だ。足りない!!!
又何もしないうちに午後4時を過ぎてしまった。まあ、いろんな細かい事や雑用はしたけれど、格別に大きな商いがないうちに・・・というような意味である。今朝、久しぶりに姉妹4人が集まっていろんな話をしたけれど、話題は自然と此処にいない1番上の姉、アメリカに住んでいる姉の話になった。昭和5年生まれだからじきに80歳になる。次の姉が時々電話をするけれど、アメリカの景気は相当に酷く、日本以上だという話である。その姉も近いうちにアメリカに行く予定を立てている。年をとり、元気のなくなっている長女を元気付けて、もう1度引っ張って日本へ連れてくるらしい。末の妹の子3人はアメリカに永住しているので近いうちにアメリカに行くというが、どんな景気なのか自分の目で確かめてくるのだろう。姉妹5人共70歳を過ぎてこのような不況下、みんなどんな思いで生きているのだろうか?必死に耐えてお互いに辛い事は口に出さず、みんな他の姉妹を思い遣っている。そのような姉妹が未だ元気でいてくれる事だけでも有難いと思っている。今朝みんなが帰る時、本当に頼りになる姉や妹がこれから先、元気でいてくれる事を心より願わずにはいられなかった。
亭主が嫌う女房の1番嫌なところという番組があった。それはスーパーなどで豆腐などを入れるサービス用の半透明なポリ袋を何枚も何枚も持って来てしまう女が1位だった。では、女房が嫌う亭主の1番嫌なところは・・・私は同じくポリ袋を何十枚もかっぱらって来る亭主ではないかと思ったが、如何なものであろうか?昨日の日曜日、私はサンユーに買い物に行った。いろいろと買って、重いのでレジの方が北側の台に置いて下さった。頂いた大きな袋2枚に詰めていたら隣にいた小柄な60歳過ぎと思われるおじさんが、両手を激しく動かしながら何かをかき出しているように思われた。不思議に思ってちらと視線を向けたら、そのおじさんは薄いポリ袋を夢中になって取り出し丸めている最中だった。どの位取ったか知らないが、私がその場を去るほうが早かった。スーパーではそれも価格のうちに入っているのだろうが、それを見て“一事が万事”ということわざを思い出した。こういう人は何処でどんな事があろうとも同じような事をする。私の知り合いにもそれ以上の人がいる。この人は巻いてあるものを1本そっくり持って来てしまう。“それは泥棒じゃないの?”といったら、平然として、お客様へサービスの為に置いてあるのだから良いという答えであった。
その男は結局、勤めていた会社から小さな物を持ち出し、それが原因で退職した。世の中のだんな様方、奥様もだんな様も同じ事をやっている。決して女房だけではない事をご承知置き下さい。あんなポリ袋100枚束になって100円もしないで買える。さもしいと思われるのは金額では計り知れない。あなたならどうする・・・
その男は結局、勤めていた会社から小さな物を持ち出し、それが原因で退職した。世の中のだんな様方、奥様もだんな様も同じ事をやっている。決して女房だけではない事をご承知置き下さい。あんなポリ袋100枚束になって100円もしないで買える。さもしいと思われるのは金額では計り知れない。あなたならどうする・・・
目が見えなくなったら・・・私の恐怖はこの1語に尽きる。毎日進んでいく眼のかすみ・・・私は左しか見えないので余計に恐ろしい。死より怖い。それなのに今もモンテ・クリスト伯に夢中になり、読むのを止められない。最初、この本が気に入らず子供の頃読んだ世界文学全集のほうを図書館で借りてきて読もうと思ったけれど図書館に行く時間がない。やむを得ず読んでいくうちに華麗なるこの物語に完全にひき込まれていた。万が一、そんな事になったら・・の次は目の見えなくなった私にこの続きを読んでくれる人はいるだろうか?という事だった。もっと大事な重大な事があるのに、それはさておいてエドモン・ダンテスの事を考えている。幼い頃体に焼き付けたのは世界文学全集だった。今読むとこんなに難しい内容を小さい子供が理解する訳が無いが、疑問に思うまでの知識は皆無だったから却って良かったのかもしれない。今竜馬伝に熱中している私でも、アレクサンドル・デュマの比類ない大きさの前には影を潜めてしまっている。でもこの分厚い3巻を読み終える頃にはどれほど眼が駄目になっているかと思うと空恐ろしい気もする。おのれの栄達と女を奪う為にダンテスを2度と社会に戻れない牢獄へ追いやった3人の陰謀が、どのように復讐されるかがこの次あたりから出て来る。目が離せない理由がお分かりと思う。今月が決算なのに、私の管轄である自宅倉庫のたな卸しにも未だ手を付けていない。やれやれ・・・
ゆうべはセントラルで45分の水中歩行を終え、帰る時にいつも車の止まっているところが空いていたので其処から出ようと思い、うっかりして段差のある所から出てしまった。軽なら2台は置ける其処はいつも車で出られなかった。たまに空いている時でも必ず北のほうまでまわり、きちんと出て来るのになれていないのと、よそ見も手伝って勘が狂ったのとで1番高い所から出てしまった。セントラルの男の方2名と女の方1名と私で車を持ち上げ元へ戻し、それで動かす事が出来た。老眼で目が霞み、いつもの出られる所を見損なったのも大きな原因である。やはり危ない事には違いない。来年が免許の書き換えだが、もう1度は書き換えたいと思っている。その次の書き換えの時は80歳を超える事になるのでどうするかその時までに考えておく。そして本日、22日の午前中、用事があって自宅に帰ったところ、ドンドン山に突き当たる所を右に曲がる時、郵便配達のオートバイとあわや衝突しそうになった。向こうは上のほうから南を向いて左折、私は田原街道からドンドン山へ向かって右折しようとしてあわや衝突であった。どちらにも油断があった。大方の事故は慣れに因る油断と、不注意である。免許証が無くては生活していけない私は、注意、注意の毎日なのに私ですらこんな状態である。これから先ももっともっと気を付けていきたい。セントラルの皆様、有難うございました。
そして郵便局のオートバイさん、もっと気をつけて下さい。
そして郵便局のオートバイさん、もっと気をつけて下さい。