以前、トゥクタミシェワ選手を描いてアップロードしたところ、似顔絵の誇張や特殊な表現と受け取られず、骨格として赤ペン先生のように勝手に添削されたものをアップロードされたことがあります。
似顔絵は顔が主役ですので、大きく描いた顔から枠内におさめた足までを、階調でつないだ表現として描きました。
けれど、似顔絵を知らない画家、あるいはアーティストにとって醜い描き方に思えるのは至極当然で、似顔絵としてではなく、アートとして馬鹿にされる必要があったのかもしれません。
パラリンピックもあり、似顔絵であるとはいえ、誇張が現実であると判断してしまう方がいらっしゃることを想像できなかったことを反省しています。
この似顔絵も、頭身は短いです。似顔絵としては、顔が認識できなくなってしまうので、この頭身が(私の画力の中では)限界かもしれません。
身体の太さについてですが、細く描けば描くほど喜ばれるのは知っておりますが、拒食症を肯定することは難しく、見る人とともに苦しむための藝術ではないので、かつ過食症も問題であると考えています。
文章としての批評や仮説がデマとして扱われたりする等で書けなくなってきている現実を考えると、絵も描けなくなりつつあるのは時代なのでしょうか。
似顔絵を文字化させた説明を求める検閲官的な立場の存在は理解できますし、禁止させる側も生きていけない苦しみを負っていることは知っておりますが、「諷刺精神のない似顔絵」という骨抜きな絵になってしまっている自分の絵を、模写から習おうとしないで頂きたいです。
西洋では模写というのは、「自然から」であり、写真からではないようです。
自然の模写ができる環境をつくるのは難しい時代であると思われますが、他者の絵の模写による問題、「次第に形状が描けなくなる」ことも減ることと思います。