お絵描き日記~イラストレーター照井正邦

職人、照井正邦の似顔絵、意匠など。画力の向上を目的に練習しています。

自然からのイメージ(お絵描き雑記)

2021-05-23 12:55:09 | 雑記
自然の質感を見ていると
自分の今まで描いてきたモチーフが見えてくる
そのうち質感のないものにも見えてくるが
ふと不安がよぎる
これは自分のイメージなのだろうかと
立ち止まり少し戻ってみる
くしゃくしゃにした紙だったり水に垂らしたり
現実に生まれた偶然の創造の力を借りたりする
人の絵の力である危険性を極力さけ
様々な見えるを組み合わせていく
言葉で自分と自然を分けねば客観視できないけれど
言語化しすぎるとポリシーになり
他の人との共有財産になり得るかもしれないけれど
肝心の光は見えにくくなる

頭が痛いときには、足の裏を揉む(雑記)

2021-05-18 08:40:13 | 雑記
傷口が出来てからでは遅い。

頭が痛いときには、足の裏を揉む。

「問題点の提示」がなされたときには、すでにそれに反対したものが賛成せざるを得ないシナリオができてしまっている。
かと言って関わらない場合には、特定の宗教に指摘させる方法が考えられるので、「その問題以外」を今まで通り、愚直に、ときには楽しげに関わっていこうと考えています。

絵にピタッリの題名と、題名にピタリの絵(お絵描き雑記)

2021-05-16 17:51:24 | 雑記
作品に、他の人が描けそうにない、描けたとしても別の方向性へいくような題名、つまり「絵にピッタリの題名」を付けたら、自分でも別の題材で発想できませんでした。
題名から題材を作るのは大変だと知りました。

結果的に「題名にピタリの絵」は描けるけれど、言葉ピタリ賞では、発展や向上させるという点では、続けて描くのは難しい。

題材を見つけることは難しいけれど、常に考えたり、考えないことを考えたり、感じてみて考えたり、それ意外を模索したりしているので、題材を見つけたときの時間は一瞬に感じてしまうのかもしれません。

知らないうちに、自分が視覚的に見た人の作品を忘れてしまい、それが模倣になってしまうかもしれないので、絵では視覚的ではない別の感覚器官の作品から、あるいは最近では視覚化できないものから影響を受けるようにしています。