「骨格に依存していません」
似顔絵はたいがい骨格を描くことを目的としていません。
ドラマ内で
「フィクションで演じています」
と言い続けるかのような可笑しさかもしれません。
よく絵画では「レアレテ」という言葉を用います。
「写真のように描こうが、マンガのように描こうが、レアレテ」と、くだけて言えばそう言えるかもしれません。
なので、「リアル似顔絵」と「そうではない似顔絵」ということが、実のところ分かっていません。
「レアレテではない、レアレテがない似顔絵」も応募しているのですが、なかなか掲載されません。
「リアルではない似顔絵」の重要性は最初から強く感じているのですが、それも現実的であることが多くて、それだったら「レアレテ」を目指すほうが自分にとって整合性があって、向上していけます。
英語かフランス語かの違いなだけかもしれませんが、それはルーツが風刺画であるか肖像画であるかの違いにも思えてきます。
私の中では、風刺精神と風刺画は違うものとして捉えています。
また、モデルに対する風刺や描き手に対する風刺、人に対する風刺と、そうでないものを分けて考えています。
人に対する風刺ですと、風刺画の風刺抜きという方法が浮かび、絵画でも「最後は様式美だけが残る」という考え方もあるので、間違いではないと思います。
けれど、それでは描き手への風刺だけが残り、それを忘れて様式化されてしまった場合、なぜ批評ではなく、批判されるのかが理解できずに問題が複雑化してしまう危険性があると危惧しています。
個人的には、諷刺精神で似顔絵を描く方向性を考えていて、
「そういう時代もありましたね、そう言えば大分前にも同じようなことがありましたね」
というような時代性の共感であり、風刺画を描いている人から見ると、なまっちょろい似顔絵を描いているのかもしれません。