智積院から北上して、五条までやってきました。清水寺への五条坂の入り口に大谷本廟があります。大谷本廟は親鸞の廟所です。しかし、親鸞は最初からここに葬られたわけではありません。
大谷本廟の資料によれば、”親鸞は1263年90歳で亡くなり、遺骨は鳥辺野北辺の 「大谷」 に納められる。その後、末娘の覚信尼が、吉水の北辺(現在の知恩院山門北側の「崇泰院」付近)に改葬し、お堂を建てご影像を安置する。この廟は「大谷影堂」とも呼ばれ、後に「大谷本願寺」となる。1603年、徳川幕府の政策によって五条坂の現在地に移転し、この地を「大谷」と呼ぶようになった”、ということです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/1c/e29fe12229be50f917ab8c903098f52e.jpg)
円通橋。この橋を渡って行きます。この入り口の前はタクシー乗り場になっていて、タクシーが客待ちをしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/21/4c82eceb0490f2057915b13fcb1ab518.jpg)
仏殿。この写真には人が写っていませんが、参拝の人は日常的に結構いる様子です。もちろん観光客が訪れる場所ではありませんから、信者の方が多いのだと思います。
大谷本廟の資料によれば、”親鸞は1263年90歳で亡くなり、遺骨は鳥辺野北辺の 「大谷」 に納められる。その後、末娘の覚信尼が、吉水の北辺(現在の知恩院山門北側の「崇泰院」付近)に改葬し、お堂を建てご影像を安置する。この廟は「大谷影堂」とも呼ばれ、後に「大谷本願寺」となる。1603年、徳川幕府の政策によって五条坂の現在地に移転し、この地を「大谷」と呼ぶようになった”、ということです。
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円通橋。この橋を渡って行きます。この入り口の前はタクシー乗り場になっていて、タクシーが客待ちをしています。
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仏殿。この写真には人が写っていませんが、参拝の人は日常的に結構いる様子です。もちろん観光客が訪れる場所ではありませんから、信者の方が多いのだと思います。