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安土城址

2005年12月16日 | その他の地域
4日目:
今日は青春18切符で帰る日ですが、例によって午前中は寄り道をします。JRの安土で下車し、ここから回遊コースで繖(きぬがさ)山から信長の安土城址を歩きます。

繖山は、別名観音寺山ともいい、山頂近くに観音正寺があり、西中腹には桑実寺があります。また、日本最大の山城遺構といわれる観音寺城址もあります。安土駅から南腰越を通って表参道の登り口石寺に向いました。石寺は、最初に楽市が開かれた場所です。参道は石段が続きます。



観音正寺本堂。本堂は、平成5年に本尊の千手観音立像と共に焼失してしまい、平成16年に再建されました。また、観音正寺は西国観音霊場の第32番札所でもあります。



繖山頂からの眺め。実際は山頂より少し北西に下った地点からの眺めです。ここから下は山火事で焼失しているので展望をさえぎるものが何もありません。そのかわり、冷たい季節風が吹きつけます。手前から、北腰越、安土山、西の湖、奥島山、琵琶湖、比良山地。



桑実寺参道。ここも石段です。北腰越を通って安土城址に向います。



天守跡への石段。天守跡には大きな礎石がかなり密に残っており、それから判断すると天守はかなり規模の大きな建物だったのではないでしょうか。

この日は石段の連続でした。予定よりやや遅れましたが、安土駅まで戻ってきました。これから各駅停車を乗り継いで帰ります。

旅の間冬晴れのいい天気が続いたのですが、寒気が日本列島を包んでいましたので、とにかく寒かったです。
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上醍醐

2005年12月15日 | 京都
上醍醐は二度目でした。最初は大津の三井寺から音羽山、牛尾観音を越えて横嶺峠から入山しました。下山はもちろん下醍醐です。今回は下醍醐から往復しました。醍醐寺の始まりは上醍醐にあるわけで、足に自身のない人も頑張って上がる価値はあると思います。今回下山途中で、両手に杖のお婆さんが一人でゆっくり下りていく姿を見ました。



上醍醐への道。道は広く整備されていますが、普段歩きなれていない人には少しきつかもしれません。登り口の女人堂の標高が70mほどで、開山堂の標高が430mちょっとです。標高差は約360mあります。



薬師堂。平安時代に建てられたという国宝のお堂です。周囲が狭く、うまく全体を写真に収められません。



開山堂。現在の建物は、桃山時代に再建されたものだそうです。



如意輪堂。開山堂の脇にあります。これは桃山時代に建てられたそうです。写真でもわかるように舞台作りになっていますが、舞台は立入禁止でした。



五大堂。



准胝堂。西国三十三観音霊場の第十一番札所です。札所巡りの人達はここまで上がってこないといけないわけです。



准胝堂と醍醐水。醍醐水の両脇の石段が准胝堂へと上がっていき、准胝堂とあわせて醍醐水を囲むような形を成しています。この二つのお堂の配置は洒落ていると感じました。



醍醐水。前回来た時には向って左側で醍醐水を味わうことができたと記憶していますが、今回は水は都合により停止している旨の張り紙がありました。冬の凍結の為だけなのか、今後は味わえないのかは不明です。



清龍宮拝殿。室町時代に建てられたそうで、国宝に指定されています。

この日は京都に宿泊しました。
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醍醐寺

2005年12月15日 | 京都
三上山から棚倉に下山しJRで六地蔵まで来ました。ここで地下鉄に乗り換えて醍醐まで行きます。目的は上醍醐です。

桜の時期の醍醐寺は華やかで、花見の喧騒に溢れています。しかし、冬の醍醐寺は静かで、ある種の厳しさを感じさせます。真言密教のお寺である醍醐寺の本来の姿は、冬にこそ感じ取れるのではないでしょうか。



金堂。秀吉の命によって、紀州から移築されたものだそうです。太った福禄寿を連想してしまう堂々とした建物です。国宝。



清龍宮拝殿。



清龍宮本殿。



五重塔。誰にも邪魔されずに落ち着いて見ると、美しい塔だと気づかされました。京都府では一番古い建物だそうです。国宝。



弁天堂。全く人影がなく、池の水面が風に波立つだけでした。ここから上醍醐に向いました。



仁王門への参道。上醍醐から下りてくると辺りは薄暗くなりかけていました。仁王門への参道には下校途中の小学生が一人いるだけでした。



三宝院前から。ここも散歩中のお年寄りが一人いるだけで、静かな醍醐寺でした。
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海住山寺

2005年12月15日 | 京都
3日目:
本日の開始は海住山寺です。海住山寺は、京都といっても南に位置し、むしろ奈良に近いです。しかし、山城国分寺址があるように、古い昔から大和(奈良)ではなく、山城(京都)だったわけです。JR関西線加茂駅から歩いていきました。恭仁京址(山城国分寺址)に寄ってから、登大路地区を通って行きました。この道は普通の山道です。山歩きに慣れていない人は、仏生寺経由の自動車道を行くのがいいと思います。



山城国分寺址。石碑が建つのみです。背後の山の中腹に海住山寺があります。



恭仁京址。これまた石碑が建つのみで、脇にあった古い学校の校舎に目がいってしまいます。



本堂。静かに山寺の雰囲気に浸れると思っていたのですが、境内では数人の職人が敷石の工事をやっていました。そして、しばらくしたら、本堂から三十人近くのお婆さんがぞくぞく出てきて、いっせいに境内の掃除を始めました。拝観にきていたのは私一人で、何か場違いな感じがしました。



五重塔。初層の下に裳階がついていますが、これは昭和38年の解体修理の時に復元されたものだそうです。五重塔で裳階があるのは、この塔と法隆寺の五重塔だけだそうです。国宝です。



海住山寺からの恭仁京址・鹿瀬山方面の眺めです。結局、山寺の静かな雰囲気を感じることはできませんでした。

せっかくここまで登ってきたので、少し北側にある三上山に登って棚倉に下りることにしました。
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須磨寺

2005年12月14日 | その他の地域
2日目:
神戸から京都・奈良に行くにしてもそれなりに時間がかかりますので、午前中にもう一つ山を歩いて、それから奈良に向かうことにしました。



須磨アルプスと高取山を歩きました。鉢伏山展望台から神戸の街並みの眺めです。

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下山後は、須磨寺に寄りました。寺そのものは源平合戦の約300年前に創建されたそうですが、やはり一の谷の合戦との関連で考えてしまいます。実際、真偽は別にして、一の谷の合戦ゆかりのものが幾つかあります。



仁王門。山陽電鉄の須磨寺駅から真っ直ぐ歩いてくるとこの門が現れます。



本堂。



敦盛首塚。一の谷の戦いで、熊谷直実に討たれた平敦盛のものです。尚、胴体は須磨浦公園(本日の山歩きの開始地点)にある「敦盛塚」に祀られています。

これで、播磨(兵庫県南部)の部は終わりで、大阪に出て、鶴橋から近鉄線で奈良に向かいます。
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