goo

法然院

2010年02月26日 | 京都
銀閣からは、歩いて直ぐ近くの法然院にやってきました。

特別拝観時以外は内部の拝観はできませんが、静かな山内を歩くだけで満足です。

念仏道場として建てられたためだと思いますが、外部の雑音を遮断するように土塁や土壁が見られます。






山門は一段高い土塁の上にあります。



山門から白砂壇






本堂前に通じる石畳の参道 - 内部の拝観はできませんが、外から本堂にお参りすることはできます。






右端に高い土塁のような土壁が見えます。

ここは観光客がいなければ今でも静かな所です。昔は今よりもっと静かだったはずですが、徹底して外部の雑音を遮断しようとしているようです。集中して念仏に専念するようにという、精神的な意味合いもあったのだろうと思いますが ・・・。













陽も当たらず寒々とした雰囲気でしたが、帰り際に夫婦連れとすれ違っただけで、静かな法然院でした。
goo | コメント ( 0 )

慈照寺

2010年02月23日 | 京都
2日目 :

前日の最後が金閣でしたが、この日の一番は銀閣です。どうせなら朝一番の方が空いているだろうと思ったからです。

開門少し前に到着したのですが、何人かの修学旅行生などが既に開門を待っていました。

ここも金閣と同じです。最初が高校の修学旅行で、家族を連れてきたのが二度目、そして三度目の今回初めて一人でやってきました。



銀閣寺垣と生垣に挟まれた一直線の参道はなかなか素敵です。



一層を見ればわかると思いますが、残念にも銀閣は修復工事中でした。

金閣は舎利殿ですが、銀閣は観音殿です。

「向月台」は富士山を、そして「銀沙灘」は大海を表しています。



「銀沙灘」を掃除していた寺の人にきいたのですが 、「向月台」も「銀沙灘」も砂と水だけで固められているそうです。固めたあとに波紋をつける作業はたいへんじゃないですかと聞いたら、二人がかりでやるということでした。。



あちこちにある立て札が少々目障りです。もう少し場所を考えて設置して欲しいものです。






「東求堂」



「洗月泉」



「お茶の井」



「お茶の井跡庭園」



順路の一番高い場所からは銀閣や銀沙灘などを望めます。奥に見える丘は吉田山です。
goo | コメント ( 0 )

八坂ノ塔

2010年02月21日 | 京都
金閣の後、時間的にもう他を見て廻ることはできませんでしたので、ホテルのある東山に移動してきました。

しかし、一人旅では早めにホテルに入っても時間を持て余すだけです。

祇園から高台寺界隈をぶらぶらして時間を潰します。



霊山観音前から八坂ノ塔 - 右奥に小さく京都タワーも見えます。



大分暗くなってしまったので、二年坂を上がった所で右に折れます。



八坂ノ塔の下を通って戻ります。
goo | コメント ( 0 )

鹿苑寺

2010年02月18日 | 京都
酬恩庵の後の予定は決めていませんでした。地理的に近いこともあって、奈良に寄ることも考えたのですが、結局京都に戻ることにしました。

では、京都に戻って何処へ? 時間的に一箇所しか回れそうにありません。

そうだ、金閣に行こうと思い立ちました。夕日を浴びた金閣を観てみたいと思ったからです。

金閣は三度目です。最初が高校の修学旅行ですから、これは一応除外しておきます。何年か前、夏に家族を連れてきたのが二度目で、この時は途中でもの凄い雷雨に遭遇して退散するはめになりました。

結局、一人で真面目に訪れたのは今回が初めてということになります。



夕日を浴びた金閣は、まさに金色に光輝いていました。



「鏡湖池」には幾つかの島が浮かんでいます。






水面に反射した光が金閣を照らし、金閣に反射した光が周りを照らします。このような効果も夕刻でないと気がつかなかったかもしれません。

しかし、陽の光は強すぎます。これが月の光だったら、もっと素晴らしい効果を期待できるのではないでしょうか。

より陰影の深い、そして奥ゆかしい光に満ちた光景になるのでは ・・・ ぜひ、観たいものですが ・・・。




方丈の北側にあるのは、その名も「陸舟の松」 - あまりにもそのままの名前です。









「龍門ノ滝」 - 水を受けるのは「鯉魚石」ですが、これもあからさまです。



たくさんの投げ銭が ・・・。



池の名は「安民沢」、中の島にあるのは「白蛇の塚」。



夕日を浴びた茶室「夕佳亭」

寒い冬の時期の閉門間近の時間でも結構人がいました。一人で真面目に再訪することはないと思います。
goo | コメント ( 0 )

酬恩庵

2010年02月15日 | 京都
酬恩庵は、京都市内ではなく、京田辺にあります。

東福寺を観た後、JRの東福寺駅から奈良線に乗って木津へ、そこで乗り換えてJRの京田辺駅で電車を降りました。1時間弱かかりました。

わざわざそこまで出張るほど酬恩庵は魅力的なのか? 他の人はいざ知らず、私にとっては「はい」です。そもそも、私が酬恩庵にやってきたのはこれが二度目です。

元は妙勝寺といい、酬恩庵と名付けたのはかの有名な一休禅師です。禅師は戦火で失われた堂宇を再建し、その後半生をここで過ごしました。そして、亡くなった後も、ここに葬られています。それゆえ、一般的には「一休寺」とも呼ばれています。



総門から中に入ると、直ぐに手水舎があります。






石段ではなく、石を敷き詰めた坂道の参道です。

坂を上りきった所に拝観受付があります。

酬恩庵では、方丈の南・東・北の三面に庭園が広がります。江戸時代初期の枯山水庭園で、松花堂昭乗、佐川田喜六、石川丈山の合作といわれています。

さらに、一休禅師墓所前と虎丘庵の周りにも庭がありますが、こちらは拝観できません。

尚、一休禅師は後小松天皇の皇子ということで、墓所は現在宮内庁が管轄しています。宮内庁が管轄することに関して、一休禅師自身は何と思っているでしょうか。

【 南庭 】



奥に見えるのが一休禅師の墓所です。






奥に見えるのが虎丘庵です。






個人的には、庭の東の端の部分の意匠がすごく気にいりました。










【 東庭 】

十六羅漢の遊ぶ様子を表しています。土壁に沿って羅漢を模したと思われる石が並んでいます。











【 北庭 】

石組で枯れ滝を表現した枯山水の蓬莱庭園です。










他に、一休禅師の木像と肖像画なども残されており、京都市街からはいささか遠いですが、わざわざ出向くだけの魅力はあると思います。

goo | コメント ( 0 )
« 前ページ