曇華院
もと臨済宗天龍寺派であったが、今は単立寺院。
歴応年間(1338~42) 足利義詮の夫人良子の母智泉尼が、東洞院三条(中京区)に創建した通玄寺の塔頭だったが、通玄寺は退廃し、当院のみが江戸時代の延宝年間(1673~81)、後西天皇の皇女大成尼によって再興された。それ以来、歴代皇女の入寺される門跡尼寺となり、世に「竹の寺」と称せられたが、元治元年(1864)禁門の変に罹災した。その後、明治初年に鹿王院の塔頭の跡に再興された。
本堂は明治中期の建立、本尊11面観音像が安置されている。部屋には鶴沢探索筆の襖絵「琴棋書画図」、左右の部屋には山口雪渓の水墨画「弾琴図」「四愛図」の襖絵がある。
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