浄土宗知恩院派 京都市左京区正往寺町461
当寺の開基 村井主膳正重勝(見性軒)は、織田信長の庶子と伝わる。
幼い時は 村井長門守貞勝(春長軒)に養われた。
天正10年(1582)の本能寺の変には、
養父 貞勝は二条御所にいて、織田信忠とともに戦死した
重勝は実父と養父を弔うために一宇を建立し、
信長から贈られた「直指人身見性成仏」としるした旗を埋め、
見性寺と号したのが当寺の起こりと伝わる
天正16年(1588)の信長7回忌法会には、
豊臣秀吉も参詣し、寺領を寄進したという。
当寺ははじめ 中京区東椹木町にあったが
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宝暦年間(1751~1764)に現在の地に移った。
村井貞勝の墓は 寺町四条下ル春長寺にある
境内墓地の入口近くには 阿弥陀石仏がある
1325年の鎌倉時代のもので 京都市内にあるものとしては珍しい
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