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2015年10月8日の記事
門前の地蔵尊 小松谷地蔵尊
明和元年 (1764) の建立 圓光大師 舊跡
小松谷御坊 舊跡
このあたりには、その昔平清盛の長男・重盛の別邸であった。
重盛は境内に持仏堂を建て、48体の仏に毎夕48の燈籠をともしたという。
重盛は治承3年(1179)7月29日、42歳で病死。
平家滅亡後、関白九条兼実の山荘となり、兼実はその後、
法然上人に与え、建永元年(1206)7月、
法然は東山吉水の庵室から移り住み、小松谷御坊と称した。
治承元年(1207)に突発した弟子 住蓮坊・安楽房の罪過の連座し、四国配流の身となり、ここから旅立った。小松殿は応仁の乱で焼失したが、燈籠堂は文安年中(1444~49)定意上人により下京区東洞院通高辻下ル灯籠町に再興され、名を浄教寺と改めた。
天正年中(1573~92)さらに下京区寺町四条下ル貞安前ノ町に移転した。
重盛像を安置する。平家ゆかりの寺。
江戸中期に同じ浄土宗の正林寺が当地に移り、坊が再興した。
正林寺
文字がたくさん彫られていますが 内容不明
浄土宗 もとは北野真盛町にあったが、
享保年間(1716~36)恵空上人が師の義山上人の遺命を奉じ、
法然上人小松谷坊址に近いこの地を選んで移築された。
再建にあたっては九条家の庇護を受け、
大師堂には関白九条尚忠の扁額「正林寺」が掲げられている。
また「阿弥陀経石」が境内墓地にある。
知恩寺にも「阿弥陀経石」がある。
関連記事 ➡ 浄教寺 寺院下0035 浄教寺 浄土宗 平家・平重盛ゆかりの寺
寺院 前回の記事 ➡ 寺院山0497 阿弥陀寺 浄土宗
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