アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

寺院東0498 正林寺 浄土宗 小松谷御坊

2018年09月09日 19時54分26秒 | 寺院

 2018年画像追加

 2015年10月8日の記事

 

 

門前の地蔵尊  小松谷地蔵尊

 

明和元年 (1764)  の建立  圓光大師 舊跡

小松谷御坊 舊跡

このあたりには、その昔平清盛の長男・重盛の別邸であった。

重盛は境内に持仏堂を建て、48体の仏に毎夕48の燈籠をともしたという。

重盛は治承3年(1179)7月29日、42歳で病死。

平家滅亡後、関白九条兼実の山荘となり、兼実はその後、

法然上人に与え、建永元年(1206)7月、

法然は東山吉水の庵室から移り住み、小松谷御坊と称した。

治承元年(1207)に突発した弟子 住蓮坊・安楽房の罪過の連座し、四国配流の身となり、ここから旅立った。小松殿は応仁の乱で焼失したが、燈籠堂は文安年中(1444~49)定意上人により下京区東洞院通高辻下ル灯籠町に再興され、名を浄教寺と改めた。

天正年中(1573~92)さらに下京区寺町四条下ル貞安前ノ町に移転した。

重盛像を安置する。平家ゆかりの寺。

江戸中期に同じ浄土宗の正林寺が当地に移り、坊が再興した。

正林寺

 

文字がたくさん彫られていますが 内容不明

 

 

浄土宗 もとは北野真盛町にあったが、

享保年間(1716~36)恵空上人が師の義山上人の遺命を奉じ、

法然上人小松谷坊址に近いこの地を選んで移築された。

再建にあたっては九条家の庇護を受け、

大師堂には関白九条尚忠の扁額「正林寺」が掲げられている。

また「阿弥陀経石」が境内墓地にある。

 

知恩寺にも「阿弥陀経石」がある。

 

 

連記事 ➡  浄教寺    寺院下0035  浄教寺  浄土宗  平家・平重盛ゆかりの寺

寺院 前回の記事 ➡ 寺院山0497 阿弥陀寺 浄土宗

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます



最新の画像もっと見る