アートプラス京めぐり

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まち歩き井手1130  JR奈良線・玉水駅  水難記念岩石

2019年12月26日 19時45分50秒 | まち歩き

 

 

水難記念

昭和28年8月15日

南山城水害。それはこの町にとっては忘れ難い悲運な記録である。

前夜来の雨は時間雨量150ミリを超える稀有の集中豪雨となった。そして暗夜の中に猛り狂った水魔は町も人も一瞬のうちに蹂躙一夜明けた町は107人の犠牲者を含む無惨な受難地獄であった。当駅も駅舎ホームは文字通り河原と化したがこの石(6トン)は東南約500メートル先の玉川から押し流されてきたものである。

昭和56年1月15日建立 玉水駅


この辺りの川は ほとんどが 天井川になっています。

 

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き長1129 大きな燈籠 千眼講 柳谷

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寺院長0700 寂照院 地蔵尊

2019年12月26日 15時16分19秒 | 寺院

 

 

寂照院は、平安時代初めに僧道雄(?~851)が乙訓郡木上山に華厳宗に道場として建立した「海印寺」の子院の1つとされています。本尊は木造千手観音坐像(鎌倉時代)で、木造菩薩坐像(平安時代)、木造四天王立像(鎌倉時代、京都府指定文化財)などが伝わっています。

仁王門には、仏法の守護神である木造金剛力士像が安置され、目鼻立ちや筋肉の抑揚、衣の皺や動きをやや誇張気味に表現する様式は、鎌倉時代の写実様式が形式化した頃の作例に特有のものです。

昭和40年(1965)の解体修理によって、両像の像内から納入品が発見されました。それら納入品や吽形像の刻銘かどから、木造が康永3年(1344)に西岡地域の人々からの寄付で、海印寺のために造立されたことがわかりました。制作年の明らかな南北朝期の金剛力士像の基準作例であるとともに、造像の過程やその背景を知ることができる貴重な例です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院中0699  革堂 (こうどう) 

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神社長0210 走田神社(はしりだ)

2019年12月26日 06時00分21秒 | 神社

 

 

 

 

 

 

 

 

走田神社(はしりだ)

奥海印寺・長法寺両村の産土神。式内社で、「延喜式」にのる乙訓19座の1つである。祭神は天児屋根命・武甕槌神・経津主神・姫大神の春日4柱を祀る。

かつては「妙見社」と言われ寂照院の鎮守であったが、明治以後、正式に「走田神社」と呼ばれるようになった。社名の「走田」は初穂をつくる田を指し、早稲田の守護神であったであろう。なお、正月13日には御千度詣りや弓講が行われる。また、明治初め頃まで同じ祭神を祀る小倉神社(大山崎町円明寺)の神輿がこの社まで渡御し、その道がまだ古老たちによって語り継がれている。

 

 

 

 

 遠くに 見えるのは 石清水八幡宮・男山でしょうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤマモモ  

 

 

 

 

 

 

 

 

神社 前回の記事 ⇒ 神社城陽0209 天満宮

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