大正11年2月 竣工
この橋を渡り突き当りが 銀閣寺
右へ行くと 哲学の道
白川
川床は白砂でした
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大正11年2月 竣工
この橋を渡り突き当りが 銀閣寺
右へ行くと 哲学の道
白川
川床は白砂でした
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当社、延喜年間もしくは大同年間の創立と伝えられる。
ただし所伝焼亡し明らかでない。住吉は八所大明神十禅師大明神と称す。
本社の大神様は万物を生み育て繁栄させると共に人の心を清め、
正しく導きお守り下さる神様です。旧浄土寺村の總氏神として崇敬されている。
境内社
稲荷社 創立年代不詳 五穀豊穣を司る稲倉魂命を祀る
雨之社 創立年代不詳 山林、水を司る 高龗神を祀る (由緒書きより)
第1鳥居 大正13年10月建立
社務所
第2鳥居
手水舎
八神社 明治44年2月 建立
明和元年(1764)
狛犬
雨社
石鳥居は昭和3年11月建立 昭和御大典と同じ年
樹下稲荷大明神
拝殿
狛犬
本殿
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大文字寺(浄土院)
如意ヶ嶽(大文字山)の大文字送り火を管理している寺。
というのが通称名の由来です。護摩木や松割木が多くの人から寄せられる。
現在の浄土院は浄土宗で、江戸中期の享保7年(1722)の建立です。
ルーツは平安時代の浄土寺にまでさかのぼる。
この寺は、戦国時代まで続いた天台宗の大寺院で、現在も近くの地名にその名が残っている。
応仁の乱で焼けてしまい、跡地には足利義政が別荘の東山殿を造営し後に銀閣寺となる。
これと別に浄土寺の名称を受け継ぐため浄土院が建立されました。
本尊・阿弥陀如来
本堂に義政公寺念仏(鎌倉仏)、旧浄土寺の阿弥陀如来坐像(藤原期)、
文殊菩薩が安置されています。
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石川丈山先生旧蹟詩仙堂 北十二丁
大正十四年十二月 京都三宅安兵衛の遺志に依りて之を建つ
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慈照寺(銀閣寺)
東山慈照寺と号する臨済宗相国寺派の寺で、
足利義政公の隠居所「東山殿」を遺命によって寺としたものである。
平成6年(1994)に世界文化遺産に登録された。
東山殿は、文明14年(1482)から建設が始まり、
東山文化の粋を尽くした数々の仏殿、
住宅や庭園が造られた。
しかし、永禄元年(1558)の兵火により観音殿(銀閣)と東求堂(ともに国宝)を残して建物が焼失し、
元和元年(1615)に現在の寺観が整えられた。
銀閣は、延徳元年(1489)建立の柿葺二層建てで、
下層は心空殿と呼ばれる書院造の住宅、
上層は観音像を安置する潮音閣と呼ばれる禅宗禄仏殿となっている。
実際には銀箔は貼られなかったが、北山鹿苑寺の金閣に対し、一般に銀閣と呼ばれている。
金閣に比べて枯淡幽雅な特色が見られ、東山文化を代表する名建築である。
東求堂は、文明18年(1486)建立の義政公の持仏堂で、
日常生活のための住宅の遺構としは最古のものといわれ、
内部には仏閣や同仁斎などがある。
同仁斎は茶室の原型・源流ともいわれるが、元来は書斎である。
庭園(国の特別史跡および特別名勝)は、
西芳寺(苔寺)の庭園を模して義政公が作ったものといわれ、
上段石組、下段池泉回遊式の二段から成り、銀閣とよく調和した名園である。(京都市駒札)
このようなものも ありました
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