goo blog サービス終了のお知らせ 

競馬マニアの1人ケイバ談義

がんばれ、ドレッドノータス!

エースに恋してる第14話

2007年08月25日 | エースに恋してる
 ワンボックス車がとも子のマンションの前に駐まった。あたりを見回したが、マスコミらしい人影はないようだ。
「明日11時になったら、迎えに来るから」
 運転手さんはそう言い残すと、ワンバックス車とともに行ってしまった。オレととも子は顔を見合わすと、マンションのエントランスへと歩き出した。しかし、さっと2つの人影がオレととも子の行く手に立ちふさがった。1人はカメラを構えていた。だれがどう見てもマスコミだった。
「キミたち、恋人同士なんでしょ!?」
 オレは慌ててとも子を自分の身の陰に隠した。
「な、なんなんだよ」
「ここで毎日やってるの?」
 何言ってやがるんだ、こいつ? カメラを構えたヤツのカシャカシャとゆーシャッター音が、急に耳障りになった。オレは思わずそのカメラを振り払おうとした。
「何撮ってんだよーっ!!」
「おーっと」
 カメラを構えてるやつが、さっとカメラを守るように身をそらした。すると、しゃべり担当の方が、その声色を変えた。
「おおっと、暴行罪が成立しちまったよ。このまま警察に訴え出りゃ、おまえらの甲子園行きは永久におじゃんになっちまうな。
 さあ、言えよ、おまえら、毎日ここでやってるんだろ!?」
 なんだよ、こいつら!? けっ、こーなったら、破れかぶれだ!!
「ああ、やってるよ!! 毎日やってる!! やっちゃ、いけねーのかよ!?」
 2人のチンピラマスコミは顔を見合わせニヤッとすると、道をさっと開けた。
 ふととも子を見ると、とも子は顔を赤くしてうつむいてた。もうどうにでもなりやがれだ。オレはとも子の手を引き、2人のチンピラマスコミに撮影されながら、エントランスに入った。
     ※
 このマンションはとっても背が高い。恐らくこの街で1番高い建物だとと思う。とも子の、いや、聖カトリーヌ紫苑学園が借りた部屋はその最上階にあるから、外から見られる心配はないのだが、それでもとも子は、すべてのカーテンを閉じた。
 とも子はすべてのカーテンを閉めると、目を閉じ、唇を突き出した。キスをねだるポーズだ。ここでキスをすれば、2人は行き着くところまで一気に行ってしまうと思う。でも、もう外堀は埋められてしまった。いや、自分で埋めてしまったとゆーのが正解だろう。もう後戻りはできなかった。
 しびれを切らしたのか、とも子の方から来た。思ったとおり、とも子は舌を入れてきた。しかし、とも子の身長は145センチ、オレの身長は185センチだから、とも子はむりな背伸びをする必要があり、すぐに唇を離した。その直後、とも子は仔猫のような笑みを浮かべた。そう、あのときと同じ笑みだ。そしてとも子は、あのときと同じように制服を脱ぎ出した。あのときと同じ、薄黄色のかわいいブラジャーがあらわになった。オレののどか異様に乾き出した。心臓が異常に早く、なおかつ強く打った。
 しかし、ここである疑問が浮かんだ。その疑問をストレートにとも子にぶつけてみた。
「とも子、キミは処女か?」
 その質問に対し、とも子はただ笑みを浮かべているだけだった。どうやらオレの質問が耳に入ってないらしい。しかし、とも子はきっと処女だと思う。女の初体験は心身ともにきつい負荷をかけることくらい、野球一筋のオレだって知ってる。今ここでとも子とやっちゃ、まずいだろ?
「とも子、今日はやめよ」
 とも子ははっとすると、とたんに情けない顔になり、首を横に振った。
「とも子、よーく聞いてくれよ。今キミの身体は、キミとオレだけのものじゃないんだよ。聖カトリーヌ紫苑学園野球部全員のものなんだよ」
 しかし、とも子の顔は、まだ納得してないようだ。
「とも子だって、甲子園に行きたいんだろ? 大事な試合の前の日にやっちゃだめだ。甲子園行きが決まったら、思う存分やろ」
 とも子はまだ納得してないようだ。もっと説得が必要なようだ。
「オレは聖カトリーヌ紫苑学園野球部のキャプテンだ。キャプテンはチームの勝利を優先させなくっちゃいけないんだ。
 オレは自己責任だから今ここでキミの身体に傷をつけたってどーってことないが、他のナインはどうする? 中井は? 唐沢は? 北村は? ここまで人一倍頑張ってきた箕島はどうする? あいつだって、ここまで来たら甲子園に行きたいだろ。
 オレは聖カトリーヌ紫苑学園野球部のキャプテンとして、甲子園までの残り2試合、キミに全力投球して欲しい。だから、今はやりたくないんだ。
 わかってくれよ、とも子」
 とも子はうつむいた。むりやり納得してくれたようだ。今度はオレが身をかがめ、とも子にキスをした。とも子は舌を入れてこなかった。本当に納得してくれたようだ。
     ※
 オレはとも子に導かれ、ダイニングキッチンに入った。どうやらとも子は何かご飯を作ってくれるようだ。ふと時計を見ると、順延となっていた準々決勝が行われている時間だった。とも子がつくるご飯も気になるが、その試合も気になった。実はその勝者と次の準決勝で当たるのである。
 オレはとも子に許しを得て、テレビをつけた。
     ※
 テレビに映し出された試合は、城島高校対鮎川工業戦。そう、あの因縁の城島高校である。一方の鮎川工業は、去年夏の甲子園に出場した古豪である。試合はすでに9回の表まで終わっており、2対0で鮎川工業がリードしてた。
 9回裏、城島高校最後の攻撃。トップバッターはカウント2─3から微妙なタマを見てフォアボールを獲った。なんか、若干ストライクぽかったが…
 続くバッターは、二遊間寄りのショートゴロ。ショートはセカンドにトス。セカンドはファーストに送球。ゲッツー… しかし、1塁塁審はセーフの判定。おかしい、今のはぎりぎりだが、アウトのタイミングだった。と、カメラが切り替わり、2塁ベースを映し出した。なんと、そこにはアウトになったはずのランナーが立っていた。テレビのアナウンサーと解説者の会話によると、セカンドが早く2塁ベースを踏んでしまい、ショートからの送球を受け捕ったときは、すでに2塁ベースを通り過ぎていた、と判定されたらしい。いや、それもおかしい。ショートからの送球を受け捕ったとき、セカンドの足は確実にベース上にあった。いったい、どうなってるんだ?…
 鮎川工業は抗議したが認められず、ノーアウトランナー1塁2塁で試合は再開された。
 バッターは柴田。カキーン!! 柴田の打球は、左中間を真っ二つに割った。このままだと2塁ランナーばかりか、1塁ランナーまで生還してくる。同点… しかし、打球は1バウンドでフェンスを越えた。エンタイトル2ベースだ。これだと2塁ランナーはホームインとなるが、1塁ランナーは3塁止まりとなる。
 しかし、なんと1塁ランナーが手を叩きながらホームインしてきた。続く柴田も、バンザイしながらホームイン。なんと、ホームランと裁定されたようだ。つまり、サヨナラ逆転ホームランである。そんなバカな!!
 テレビは別角度から撮った映像を流したが、どう見ても柴田の撃ったタマは、フェンス手前で1バウンドしてからスタンドインしてた。
 当然鮎川工業は猛然と抗議したが、審判団はさっさと引き上げてしまい、高校野球につきものの試合終了のあいさつも、校歌斉唱もなしに試合は終了してしまった。グランドにたくさんのゴミが投げ込まれた。
 あまりにもおかしすぎる。信じたくはないが、城島高校は絶対裏で何かやってると思う。オレたちはこんな汚いやつらと闘わなきゃいけないのか?…
     ※
 とも子がスパゲッティを作って持ってきてくれた。上に載ってるミートソースは缶詰っぽいが、それでも初めて食べるとも子の手料理は美味しそうだった。ふととも子も、テレビ画面の中の異常に気づいたようだ。彼女も心配してるようだ。
 とも子の気ががテレビ画面に向いてる最中、オレはなんとなく部屋の豪華さが気になり出した。なんで聖カトリーヌ紫苑学園は、こんなに立派な部屋をとも子に貸し与えたんだろ? 園長が言ってた「かなり特殊な事情」って、いったいなんなんだろう?…
 今日一日でさらにとも子の謎が増えてしまった。ああ、とも子の正体を知りたいなあ…
     ※
 ふとオレの目が、サイドボードの中段にある写真立てを捉えた。それは中学生らしい男女が1人ずつ写っている写真だった。2人はどうやら恋人同士らしい。色合いが微妙に不自然なところを見ると、古い写真を最新のデジタル技術で修正してあるようだ。
 驚いたのは男の方だ。オレとどことなく似てるこの男は、おじいちゃんにそっくりなのだ。それ以上に驚きなのが、女の子の方。髪形こそ違うが、とも子に酷似してるのだ。なんなんだ、この写真は?…
 ふとその写真立てを取り上げる手が。とも子の手だった。とも子はいつもと違う笑みをオレに見せると、その写真立てを持ったまま、部屋を出て行ってしまった。
 どうやらオレは、見てはいけない写真を見てしまったらしい。てことは、あの写真の女の子はとも子? じゃ、男の方は? とも子がいつぞや言ってた、甲子園で準優勝したピッチャーなのか? しかし、それにしても、おじいちゃんにそっくりだっだ… おじいちゃんも甲子園準優勝投手。もしかしたら、とも子の昔の彼って、オレのおじいちゃん?… いや、そんなバカなことがあるか。とも子はオレと同じ18歳だろ?…
 ああ、頭が混乱してきた…
     ※
 話によると、おじいちゃんはオレと同じ中学2年の頃から頭角を現わし、高校1年の夏から甲子園を席巻していたとか。しかし、いまいち勝ち運に恵まれず、最後の甲子園となった高3夏の準優勝が最高だったらしい。
 その後鳴り物入りでプロ野球に入団するも、ぜんぜん芽が出ず、一軍で1勝も挙げることもなく、退団したようだ。
 でも、おじいちゃんは夢を捨てきれず、一人息子、つまりオレの親父を幼い頃から徹底的にスパルタで鍛えた。親父はかなり嫌がってたらしいが。
 スパルタ教育のお陰か、親父はリトルリーグの頃から頭角を現わしたが、中学生に入ると肩とひじが痛み出した。でも、おじいちゃんはそれを仮病と思い、毎日苛酷なピッチング練習を課した。気が付いたときは、親父の肩とひじはボロボロになっていて、投手生命は絶たれた。
 おじいちゃんはそうとう反省したらしい。そして、2度と野球に係わらないと誓った。が、しかし、オレが生まれ、オレが左利きだとゆーことに気づくと、急に気が変わった。左利きは野球、特にピッチャーには貴重な人材なのだ。
 オレは物心つく前からおじいちゃんに野球を覚えさせられた。ただ、親父のときのような一方的なスパルタではなく、ほめられおだてられながらの野球教育だった。
 また、親父のときの反省から、最初オレは、ファーストを守らされた。ピッチャーに転向したのは、骨が固まった中2のとき。オレはすぐにチームのエースとなり、おもしろいように三振を獲りまくった。半年もしないうちに、オレは数十年に1人の逸材と言われるほどのスーパーエースとなっていた。
 すべてがおじいちゃんの計算どおりだった。しかし、あの事故。おじいちゃんは即死し、オレは投手生命を絶たれた。おじいちゃんはつくづく運のない人生だった…
     ※
 園長先生の話だと、そんな野球一筋なおじいちゃんにも、とも子みたいなかわいい彼女がいたらしいが、さっき見た写真は、明らかにおじいちゃんととも子だった。いったいあの写真はなんだったんだ?
 もしかしたら、あの写真の女の子は、とも子のおばあちゃんなのかも… オレのおじいちゃんととも子のおばあちゃんは恋仲だった。とも子はそんなおばあちゃんからオレのおじいちゃんのことを聞かされ育った。そのせいで、孫のオレに恋心を抱くようになった…
 ふっ、そんなバカな… だいたいとも子は、おじいちゃんを殺し、オレの投手生命を奪ったあのスポーツカーの運転手の妹だろ?
 いや、それも怪しい。オレの脳裏に焼き付いてるあの女の子ととも子は、どう考えたって別人だ。だいたい当時の新聞記事によれば、あの女の子もあの交通事故で大ケガを負ったはず。でも、さっき見たとも子の裸には、ケガのあとも手術のあともまったくなかった。だから、絶対無関係だ!! け、けど、声を失った原因は、あの事故だったとしたら?…
 食事が終わるといつものようにとも子とおしゃべりをしたが、いろいろと考えることが多過ぎて、いまいちおしゃべりに身が入らなかった。あの写真はいったいなんだったのかとも子に訊きたかったが、それもできなかった。

エースに恋してる第13話

2007年08月24日 | エースに恋してる
 学園に着くと、校門の前はかなり異様な雰囲気に包まれていた。マスコミのカメラマンの姿がたくさんあったのだ。いくらオレたちが世間に注目されてるとは言え、これはちょっと多過ぎのような… と、ふと、カメラマンたちがオレととも子に気づくと、ラグビーのスクラムのようにオレととも子をさっと囲んだ。
「ねえ、キミたち、恋人同士なんでしょ?」
「毎日キスしてるんだって?」
 な、なんなんだよ、こいつら?…
「あんたら、何やってんだ」
 我が学園の先生たちがものすごい勢いで飛び出してきて、カメラマンたちを押し出しにかかった。
「邪魔すんな!!」
「報道の自由だ!!」
 カメラマンたちから怒号が飛んだ。先生たちはそれを無視するようにオレととも子の手を取り、むりやり引っ張った。
「ちょっと来い!!」
 オレととも子は、何が起きてるのわからないまま、指導室と呼ばれる部屋に押し込められた。
     ※
 部屋の中では、オレととも子はソファの長イスに座らされ、数人のガタイの大きな先生が囲んだ。あまりの威圧ぶりに、とも子は泣き出しそうになってた。
 生活指導の先生が切り出した。
「おまえら、毎日デートしてるんだって? さっきマスコミから取材が来たんだ」
 ち、見られてたのか…
 オレたちを担任してる先生が続いた。
「いったいどーゆーつもりなんだ?」
「どーゆーつもりって… とも子とデートしちゃいけないんですか?」
「当たり前だ。おまえら、高校生だろ!!」
「それがどーしたってゆーんですか? オレもとも子も、もう18ですよ。何やったって、自由でしょ!?」
「ともかく、高校生でいる間は、デートすんな!!」
「ど、どうして?」
「おまえら、高校球児だろ? 高校球児が不純なことしていいと思ってんのか!? みっともないだろ!!」
 はぁ、デート程度で不純な行為だと?… さすがのオレも、これにはプツンと来た。こうなりゃ、売り言葉に買い言葉だ。
「ふっ、じゃ今すぐ辞めてやるよ」
「なんだと…」
「今すぐ野球部辞めてやるって言ってんだよーっ!!」
 さっきから勢いだけでしゃべってた生活指導の先生も、さすがにこれには絶句したようだ。他の先生の顔も、急にこわばり出した。
 オレは追い打ちをかけるように、怒鳴ってやった。
「オレが野球部辞めると、きっとも子も辞めるぞ。甲子園どころじゃなくなるんだぞ!! それでもいいのか?」
 しかし、これは逆効果だった。生活指導の先生が、いきなしオレの胸倉を掴み、ねじ上げてきたのだ。
「てめー、何様のつもりだ!!」
 さすがは柔道部の顧問だ。オレは身動きどころか、呼吸もできなくなってしまった。とも子が慌ててその手を引き離そうとしたが、とも子の手じゃ、とてもじゃないが歯が立つ相手ではなかった。すると、なんととも子は、その手にガブッとかみついた。さすがにこれはきいたらしく、生活指導の先生はオレを離したが、あろうことか、指導担当の先生は、次の瞬間、振り払うようにとも子を殴り飛ばした。
「何すんだっ、このクソガキーっ!!」
 小さい身体のとも子は、無残にも書棚に叩きつけられた。
「くそーっ!!」
 オレは食ってかかろうえとしたが、他の先生に両肩を押さえ付けられ、床に這わされてしまった。
「静かにしろっ!!」
 な、なんなんだよ、いったい!? オレととも子がいったい何したってゆーんだよ!!…
 と、そのとき、初老の女性の怒号が響いた。
「やめなさい!!」
 それは、部屋に入ってきたばかりの園長の声だった。とたんにオレを押さえ付けていた数本の腕の力が緩み、オレの身動きは自由になった。
 園長先生は生活指導の先生にビンタを食らわした。
「なんですか、この騒ぎは!?」
「こ、こいつら、毎日デートしてやがったんです」
 園長はあきれたって顔をして、生活指導の先生とその背後にいる先生たちをにらんだ。
「この子たち、もう18でしょ? デートしてどこがいけないんですか?」
 別の先生が反論した。
「お、お言葉ですが、、こんな大事なときにデートなんかされたら、甲子園行きは絶望的になってしまいます」
 園長先生はとも子に白いハンカチを手渡した。どうやらとも子は、鼻血を出してるようだ。
「なんてひどいことを…」
 園長は再び先生たちをにらんだ。
「この中に桐ケ台高校戦に応援に行った人はいますか?」
 先生たちはだれ1人返答しなかった。当たり前だ。監督とタクシーに同乗した先生を除けば、だれ1人球場に来なかったんだから。
「初戦はだれも応援してなかったのに、甲子園が見えてくると、とたんにがんじがらめにするなんて、虫がよすぎます!!」
 園長はオレととも子を呼んだ。
「2人とも、来なさい」
 オレととも子は園長に導かれ、部屋を出た。部屋を出る瞬間、先生たちの視線を背中に感じたが、無視するようにバタンとドアを閉めてやった。
     ※
「大丈夫?」
 園長は廊下を歩きながら、とも子に話しかけた。それに対しとも子は、いつものにこっとした笑顔で返事をした。どうやら鼻血はごく微量だったらしい。園長から借りたハンカチは、それほど汚れてなかった。
「まったく、なんでこんなに学園の中も外もギスギスしなくっちゃいけないの?…」
「す、すみません…」
 オレは別に悪いことしたわけではないのだが、反射的に謝ってしまった。
「ふふ、あなたは何も悪くないわよ」
 園長は当たり前で期待どおりの答えを返してくれた。そのとき、ふとオレの脳裏にある疑問が浮かんだ。おじいちゃんが甲子園に行ったとき、やっぱりこんなピリピリした雰囲気になったのだろうか? おじいちゃんの幼なじみの園長なら、なにか知ってるかも?
「おじいちゃんが甲子園に行ったとき、やっぱりこんなピリピリした雰囲気になったんですか?」
「さあ、どうだったんでしょうね?… 私、高校は別だったから、ちょっとわからないわ」
 オレは続いて浮かんだ質問を園長にぶつけてみた。
「おじいちゃんが甲子園に行ったとき、おじいちゃんにも彼女、いたんですか?」
 園長はちょっと間を空け、そして並んで歩くとも子を見た。
「いたらしいわよ。この子みたいなかわいい女の子が」
 もしかしたら、ちょっと失礼なこと訊いちゃったのかも? でも、おじいちゃんにもとも子みたいな彼女がいたなんて、奇遇だなあ…
     ※
 園長が廊下の突き当たりのドアを開けた。そこには1台の商用のワンボックス車が駐まっていた。園長はその中に入るように指示した。
「2人とも、これに乗って」
「で、でも、授業が…」
「今日はもう授業どころじゃないでしょ? 今日はもう帰って、鋭気を養いなさい。外にマスコミが張ってるようだけど、これに乗れば、だれにも気づかれずに外に出られるはずです」
 園長の心遣いはうれしいが…
「で、でも、オレたち、どこに身を隠せばいいのか?…」
「澤田さんのマンションがあるでしょ」
 オレは呆気にとられてしまった。あの部屋でとも子と籠もれとは…
 園長は説明が必要になったと思ったらしく、とも子を横目で見ながら話しを始めてくれた。
「実はこの子にはかなり特殊な事情がありまして、それで私が身柄を預かることになりました。あの部屋も、実は学園が借りてるものなんです」
 えっ、あの部屋は学園が借りてるもの?… 園長の説明は、不可解で唐突なものばかりだった。オレの頭は混乱してしまい、何も言えなくなってしまった。
 ワンボックス車の後部スライドドアが開いた。
「さあ、早く中に入って」
 オレととも子は園長に言われるまま、ワンボックス車に乗り込んだ。
「澤田さんを大事にしてね。お願いよ」
 園長がそう言い終わると、ワンボックス車は走りだした。
     ※
「もう顔を上げても大丈夫だよ」
 運転手さんのその呼びかけにオレは顔を上げると、オレたちを乗せたワンボックス車は、いつも通学で使ってる道路を走ってた。横に座ってたとも子が、オレの顔を見て、いつものにこっとした笑顔を見せた。しかし、オレの頭の中は、園長の不可解な説明で混乱していた。ともかく、整理し理解しないと…
 オレはとも子に話しかけた。
「園長とは、昔からの知り合いだったのか?」
 とも子は首を縦に振った。
「オレとの関係も知ってるのか?」
 とも子はまた首を縦に振った。そして、筆談用のノートを取り出し、こう書いた。
「毎日デートしてることも、キスしてることも知ってます」
 そこまで知られてたとは… たぶんとも子が逐一報告してたんだろうな…
 しかし、オレがあの部屋に泊まるってことは、オレととも子が1つになってもいいと言ってるようなものだぞ。いくらおっとりとしてるあの園長でも、それくらいはわかってるはず。いや、もしかしたら、すでに行くところまで行ってると思ってんのかも? ほんとうにあの人は教育者かいな?…

エースに恋してる第12話

2007年08月23日 | エースに恋してる
 この朝、聖カトリーヌ紫苑学園は臨時全校集会となり、オレたちナインは体育館の壇上に招かれた。どうやら、祝福してもらえるらしい。ま、難敵桐ケ台高校に大勝したんだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
 式は二代目園長の祝辞から始まった。この品のいいおばあちゃん、中学時代はオレのおじいちゃんと同級生だったらしい。オレをこの学園に誘ったのは、実はこの園長なのである。
 園長の祝辞が終わり、いよいよ袖で待ってたオレたちが呼ばれた。全校生徒が大拍手で出迎えてくれた。と同時に、カメラのフラッシュをたくさん浴びた。見ると、後ろの方や端の方に、たくさんのマスコミの姿があった。オレたちは思ってる以上に、時の人になってるらしい。
 監督のあいさつ。大拍手。キャプテンであるオレのあいさつ。監督以上の大拍手。中学時代に何度もちやほやされたオレだが、これには感無量だった。しかし、次に紹介されたとも子は、オレ以上の大拍手、大歓声だった。オレはちょっとむっとした。こっちは3つも打点を挙げたんだぞ。ま、しょうがないか… ほれた女に嫉妬するのも変だし… なお、とも子以下は、ただ名前を呼ばれるだけだった。
 その後はいつものように授業を受け、放課後いつものように野球部員が集まり、いつもよりちょっと軽い練習を済まし、いつものようにとも子と北村とバスに乗り、いつものようにとも子と北村は並んで座り、いつものように途中で北村がバスを降りた。とも子はバスの外の北村に手を振り、そしていつものようにオレの横に来た。北村はいまだにオレととも子の関係に気づいてないようだ。もし気づいたら、やつはいったいどーゆー反応を示すんだろう?…
     ※
 2回戦の日が来た。相手は桐ケ台高校と打って変わって、まったく無名の江原高校である。しかし、スタンドは満員に近かった。マスコミの姿もたくさんあった。やはりオレたちは注目されてるらしい。桐ケ台高校戦では1人もいなかった応援団やブラスバンドもたくさん来てくれていた。でも、とも子ばかり応援してる。野球は9人でするもの。他のナインも応援してほしいのだが…
     ※
 メンバー発表。我が学園の監督は、大幅に打順を入れ替えてきた。なんと、1番バッターはオレ。
 とも子のバッティングピッチャーのお陰で我が学園の得点力は大幅にアップしたとは言え、オレが撃たないとこのチームはぜんぜん点が獲れそうになかった。現にオレを徹底的に敬遠した桐ケ台高校の3番手ピッチャーから、我が学園は1点も獲ることができなかった。江原高校もオレを敬遠してくる可能性がある。
 そこで監督が思いついた奇策が、オレを1番に据えるとゆーもの。1番バッターをいきなし敬遠するとゆー策は絶対ありえない。それはノーアウトランナー1塁とゆーピンチをみずから作る行為だからだ。うちの監督には珍しい奇策である。
 しかし、この戦術、オレが先頭打者ホームランを撃たないと、な~んにも効果がないじゃんか。ふふ、じゃ、初っぱなから大きいものを狙ってみますか。
     ※
 1回の表、しかし、オレがバッターボックスに立っても、江原高校のキャッチャーは座ってくれなかった。なんと、先頭打者敬遠である。おいおい、そこまでオレが怖いのか? 無条件でノーアウトランナー1塁をくれるなんて、こいつら、何考えてるんだ?
 さっそく2番バッターの大空が送りバント。3番中井が内野安打で1アウト1塁3塁。続く4番に座った唐沢が、左中間を大きく割るヒットを放ち、無難に2点を先取。その後も打線がつながり、この回、いきなり4点をゲットした。
 以降も我が打線は順調に得点を重ね、一方江原高校はまったくとも子を撃てず、6回で規定の点差になり、コールドゲームとなった。毎試合コールド負けだった我が学園が、なんとコールド勝ちである。桐ケ台高校戦の勝利は、フロックではなかったようだ。
     ※
 その後も我が学園は順調に勝ち進み、ベスト8に突入した。ここまで来ると、まじでチームのみんなが甲子園を意識するようになっていた。いや、野球部だけじゃかった。聖カトリーヌ紫苑学園全体が甲子園に行く気分になっていた。校舎の一番目立つところに、「目指せ、甲子園」の垂れ幕がかかった。試合になると、学園の生徒・先生全員が応援に駆けつけるようになった。まるでお祭りである。応援してくれるのはうれしいが、なんか、浮かれ過ぎてるような気もある…
 準々決勝も8回までとも子が0点に押さえ、9回は唐沢が締めるとゆー必勝パターンが決まった。ついにベスト4入りである。以前とも子に「とも子のピッチングがあれば、きっとベスト8まで行けるよ」と話した記憶があるが、それを楽々突破してしまった。ここまでチームの自責点は0。もう負ける気がしなかった。
     ※
 ところで、ベスト8まで来るとふつうは連戦となるのだが、明日の試合は急きょ順延となった。別の球場で行われるはずだった準々決勝が、雷雨で流れたのだ。これにより、この準々決勝が明日にスライドし、準決勝も1日順延となった。とも子にはスタミナの不安があるので、1日でもインターバルが入るのはいいことだ。それに、2人の関係も…
 実はここんとこ試合日程が詰まっていたせいか、とも子と2人になれる時間がまったくなかった。そのせいか、今日はどうしてもとも子とデートしたいのだ。
 しかし、弁護士の先生から会いたいとの連絡が来た。例の女の子の情報を手に入れたようなのだ。とも子とのデートも大切だが、例の女の子の安否も知りたかった。オレはまず先生と会い、その後とも子とデートすることにした。オレはとも子にいつものファミレスで会う約束をし、先生の事務所に向かった。
     ※
「ベスト4入りしたんだって?」
 と、先生が切り出した。
「はい」
「よくここまで復帰できたなあ。もうケガの方はいいのか?」
「はい」
 いや、正直なところ、オレの左腕の障害は、まだかなり残ってた。あの女の子の安否を一刻も早く知りたくって、ただ生返事を繰り返してるのだ。先生、前置きが長過ぎるよ。
「ひどいもんだな。身体が回復したってゆーのに、理不尽な判決が出るなんて…」
 先生がファイルを取り出した。やっと本題に入るようだ。
「例の妹さんだけど、調べてみたら、いろいろと出てきたよ。あの兄妹はどうも血のつながりはないようなんだ」
「えっ、な、なんで?」
「お兄さんの方はお父さんの連れ子で、妹さんの方はお母さんの連れ子だったらしい。両親とも再婚だったようだ。
 でも、お父さんとお母さんはすぐに仲が悪くなってしまい、別居となった。なのに、お母さんの連れ子だった妹さんは、なぜかお父さんが引き取った。どうやら、置いてかれたらしいな。
 お父さんに引き取られた妹さんは、継子扱いされ、毎日泣かされたようだ。
 でも、お兄さんは優しかったらしいな。
 お兄さんはクルマの免許を取ると、朝早く妹さんをクルマで連れ出した。どうやら、お母さんのところに連れてく気だったらしい。
 が、その途中、キミの乗ったクルマにぶつかってしまった」
「…訴訟の対象から外されたのは、お父さんの仕打ちですか?」
「のようだな。
 ひん死の重傷を負ったとゆーのに、病院に見舞いに来ないばかりか、一銭も治療費も出してないらしい。妹さんの治療費は、いまだに一銭も払われてないようだ」
「妹さん、まだ生きてんですか?」
「ああ、生きてるよ」
 先生が1枚の書類を手にし、それを裏側にしてオレに見せた。
「これが生きてるってゆー証拠だ。彼女の戸籍謄本だよ」
 戸籍謄本なら、彼女のことがすべて書いてあるはず。
「み、見せてください」
「見せてもいいが、これを見ると、たぶんキミは傷つくと思うよ。それでもいいか?」
 傷つく? なんで…
「どうしてもってゆーなら見せるが、覚悟はしておいてくれよ」
「覚悟はできてます」
 先生はちょっと間を開けると、戸籍謄本を裏側にしたままオレに手渡しくれた。
 いよいよあの子の正体がわかる… オレは固唾を呑み、そしてその紙片を引っくり返した。そこに書いてあった名前は、澤田とも子…
「お母さんが旧姓に戻ったとき、妹さんも旧姓に戻ったようだな」
 先生のその発言は、オレの耳にはぜんぜん入ってこなかった。
 とも子はあいつの妹だったなんて…
 いったいなんでオレに近づき、オレに抱かれようとしたんだ? 訴訟を取り下げさせるため?… わかんない、ぜんぜんわかんない…
 オレは失意のまま、真っすぐ家に帰った。とも子との約束をすっぽかして…
     ※
 しかし、オレはその夜、猛烈に悩んだ。オレの脳裏には、今でもあの事故の瞬間のとも子の顔が焼き付いたままになっている。寝ても覚めても、彼女の… とも子の安否を気にしてた。その女の子が無事とわかったんだ。うれしいことじゃんか!?
 だいたいとも子がいなかったら、オレたち聖カトリーヌ紫苑学園野球部は、1勝もできなかったじゃないのか? なのに今は、ベスト4まで駒を進めてる。とも子に夢を見させてもらってるとゆーのに、オレはいったい、何に不満を感じてるとゆーんだ?…
 何か裏があってもいいと思う。オレはとも子が好きなんだ。オレはもう、とも子なしじゃ何もできないんだ!!
 しかし、どうしても腑に落ちないことがある。本当にとも子は、あのときの女の子なのか? 実はどうしても顔が一致しないのだ。あのときあの女の子は恐怖に顔を引きつらせてたから、標準とはかなり違う顔をしてた。でも、それを考えたとしても、今のとも子とはあまりにも顔が違い過ぎる。仮にあのときの女の子がとも子だったら、もっとずーっと目が大きかったはずだろ?…
 もしかしたら、同姓同名の別人なのかも?… で、でも、戸籍謄本に載ってたあの子のプロフィールは、とも子のものと完全に一致してた… いったいどうなってるんだ?…
     ※
 試合が詰まってるので、オレたちはここ数日、マラソン登校を取りやめ、バス登校に切り替えていた。それでもオレは、とも子と時間を合わせ、同じバスに乗り合わせるようにしてた。今朝もそう。オレが乗り込んだバスには、すでにとも子が乗っていた。
 オレはとも子の横に座ると、さっそく昨日の約束のすっぽかしを謝った。幸いなことに、とも子はあまり気にしてないようだ。いつもの笑顔を見せてくれた。その笑顔を見て、オレはとも子に訊きたかったことすべてを忘れることにした。

エースに恋してる第11話

2007年08月22日 | エースに恋してる
 沈んでた桐ケ台高校ベンチにいつのまにか活気が戻っていた。とも子に代打が出され、替わりに唐沢がマウンドに立ったからだ。とも子には歯が立たなかったが、このピッチャーなら撃てるかも、とゆー希望が浮かんできたんだろう。
 が、最初のバッターの結果が、その希望をはかなく打ち砕いた。微妙に落ちる変化球を引っかけ、あえなく内野ゴロに倒れたのだ。しかし、今の唐沢の変化球は、あまり見たことがないものだった。カーブでもないし、フォークボールでもないし、スライダーでもないし…
 次のバッターも同じ変化球を引っかけ、内野ゴロに倒れた。どうやら、カットボールを投げてるらしい。カットボールとは、ストレートとスライダーの中間の握りで、それなりに変化する変化球である。ストレートとほぼ同じ速度だが、打者の手元で微妙に変化するので、バッターはジャストミートしたつもりでも、スイートスポットをはずされ、凡打に終わってしまう。撃たして取るタイプのピッチャーには、うってつけの変化球である。唐沢は短期間でよくこの変化球を会得できたものである。正直なところ、オレは唐沢のクローザーとしての力量に懐疑的であったが、これなら安心して見ていられる。
 とも子は完璧なピッチャーだが、唯一スタミナに不安があった。そこんところをクローザーの唐沢が補完してくれそうだ。なんか、まじで甲子園への道が見えてきたような気がしてきた。
     ※
 ついに唐沢が最後のバッターを撃ち取った。そのゴロをオレが捕り、そのまま1塁ベースを踏んだ。その瞬間、みんなが飛び上がった。夢にまで見た1勝、それを難攻不落の桐ケ台高校から挙げたんだ。しかも、6対0の圧勝。オレは天にも昇る気分だった。みんなもたぶんそうだろう。
 ホームベースを挟んで、桐ケ台高校ナインと試合終了のあいさつ。向こうのナインは、全員顔面蒼白、中には泣き出してるやつもいた。一方オレたちは、破顔になるのを必死にこらえていた。
 あいさつが終わると、初めての校歌斉唱。ある程度勝ち進むと校歌のテープを流してくれるのだが、1回戦だとそれはなく、代わりにブラスバンドが演奏し、スタンドの応援団と一緒に校歌を合唱する。しかし、オレたちははなっから負けると思われてたので、ブラスバンドも応援団も1人も来てなかった。仕方がないから、ナインだけで大合唱だ。スタンドのあちらこちらから罵声が飛んで来たが、オレたちはあざけわらうように、気分よく歌ってやった。
     ※
 校歌斉唱が終わると、ベンチ裏の通路で共同インタビューを受けた。オレと監督がお立ち台に上がった。記者の質問が矢継ぎ早に飛んで来た。しかし、オレの心はここにあらずだった。例の裁判の結果を一刻も早く知りたいのだ。いったいどのような判決が出たのだろうか?…
 ちなみに、記者の質問の大半は、とも子に関するものだった。でも、オレはとも子のことはあまりしゃべりたくなかった。それはとも子の障害を気遣って… いや、本音を言うと、とも子はオレ1人のものでいて欲しいから、世間にはあまり露出したくないのだ。
 きっと今日の試合のVTRが全国放送で流され、とも子は世間の注目の的になると思う。そうなったとき、オレととも子の関係は、いったいどうなってしまうんだろう?…
     ※
 ようやくインタビューが終わると、オレたちは長く暗い通路を歩いた。そのどん詰まりの扉を開けると、そこには数台のタクシーが駐まっていた。我が学園の教師の姿もあった。どうやら、学園が用意してくれたものらしい。
 野球部の活動に積極的な高校だと、我が野球部にはそんなものはなく、いつも路線バスか電車での移動だった。しかし、強豪桐ケ台高校に勝ったとなると、我が学園もそれ相応の扱いが必要になったと判断したんだろう。桐ケ台高校ファンのよからぬ仕打ちが怖かったので、これはありがたかった。
 タクシーはオレたちナインを乗せると、喧噪やまぬ球場をあとにした。
    ※
 タクシーの後部座席に乗ると、即座にオレの脳裏に「裁判」の文字が浮かんだ。無性に例の裁判の結果を知りたくなった。オレは助手席に座ってる先生から携帯電話を借り、ダイヤルしようとした、が…
「キャプテン、なんで澤田を替えたんですか?」
 それは隣りに座った北村の発言だった。くそーっ、こんなときに… しつこいぞ、こいつ!!
「とも子…」
 おっと、ここでは「とも子」はまずいな。
「澤田はあのとき、もう限界だったよ」
「なんでそんなこと言えるんですか? まだ1点も獲られてなかったんですよ!! ヒットも1本しか撃たれてなかったのに…」
「唐沢のことを考えて、替えたんだよ。
 いいか、北村、リリーフってゆーのはな、ピンチのときに替えられるより、回の頭で替えられた方が、ずーっと投げやすいんだよ。だから、あのタイミングで替えたんだよ」
 北村が黙った。でも、目は納得してなかった。もっと説明が必要なのか?
「北村、おまえ、今日の1勝で満足か?」
「え?」
「なあ、甲子園に行きたいと思わないか?」
「キャ、キャプテン、そんなこと考えてたんですか!?」
「いや、こいつは澤田の夢だ」
「え?…」
「澤田は甲子園に行って、優勝する気なんだよ」
 北村は唖然としてしまった。ま、それがふつうだろうな。
「甲子園に出るとなると、もう1人クローザーとなるピッチャーがいる。だからあそこで唐沢を試したんだよ」
 どうだ、納得したか?
「い、いつ、彼女とそんなこと、話したんですか?」
 ちっ、かえってまずいこと言っちまったか… まさか、デート中に聞いたなんて言えないし…
 追い打ちをかけるように、北村が質問してきた。
「キャプテンはいつも、彼女を下の名前で呼ぶんですよね…」
 オレはフリーズしてしまった。まさか、とも子自身の要望だとは言えないし、取り繕ううそもなかなか浮かんでこなかった。
 しばらく沈黙が続いた。と、ふいに裁判の結果を知りたくなった。オレは北村の視線をあえて無視し、携帯電話のダイヤルボタンを押し始めた。
     ※
 携帯電話で聞いた判決は、あまりにも意外なものだった。ほぼ向こうの主張に沿ったものだったらしい。オレは愕然とし、そして憤然とした。たしかにあの朝、おじいちゃんは黄色の点滅信号を無視して、交差点に減速せずに進入した。でも、向こうは、一時停止義務のある赤の点滅信号を無視して、時速100キロ以上の猛スピードで進入してきたんだぞ!! どう考えたって、向こうがいけないだろ!?
 桐ケ台高校に勝った余韻が、一気に吹き飛んでしまった…
 オレが乗ったタクシーは、一足早く学園に着いた。本当なら他のタクシーの到着を待つべきなのだが、そんな心の余裕はなかった。ともかく、一刻も早く家に帰りたかった。オレは先生に事情を説明し、一目散に帰路についた。
     ※
 家の中は完全に消沈してた。お袋は顔面蒼白でソファに座ってた。親父は真っ赤な顔で拳を握りしめていた。弁護士の先生も、苦虫をかみ潰したような渋い表情だった。先生も今日の判決に憤慨してるようだ。当然控訴である。
 今度はオレも裁判に出て、証言することとなった。実は、オレはあの事故の当事者の1人なのに、一度も裁判で証言してなかった。年端が行ってないとゆー先生の配慮だが、こんな判決が出てしまうと、そんなことも言ってられなくなったらしい。
 親父とお袋には退室してもらい、オレと先生だけで打ち合わせすることとなった。
     ※
 ふとオレの脳裏に、向こうのクルマの助手席に乗っていた女の子の顔が浮かんできた。ずーっと裁判に出てた先生なら、あの子はどうなったのか、名前はなんてゆーのか、きっと知ってるはず。
「あ、あの~、向こうのクルマに乗ってた女の子、どうなったんですか?」
「え?… あ、あの妹さんの方ね。
 いや~、それがどうなったのか、実は私にもわからないんだ」
「え?」
「なぜか知らんが、向こうの訴状に妹さんに係わる部分は1つもなかったんだ。そのせいか、裁判でもまったく触れられてないんだ」
 オレは唖然としてしまった。今まで彼女も、当然訴えの対象になってると思っていた。
「な、なんで?…」
「さあ… もしかしたら、それが向こうの弱みかも? 今度調べておくよ」
「お、お願いします…
 あの~、名前、なんてゆーんですか?」
「さ~て、なんと言ったかなあ…」
 先生はファイルを取り出し、それをめくり始めた。
「え~と、え~と…」
 先生はなおもファイルをめくった。その紙をめくる乾いた音が、部屋中に響いた。
 と、ファイルをめくる音が止まった。
「あった」
 名前が見つかったらしい。ついに彼女の名前がわかる。
「とも子… とも子だよ」
 とも子? とも子と同じ名前?… ま、まさか、とも子はあいつの妹?…
 いや、「とも子」なんて名前、この世には掃いて捨てるほどある。偶然の一致じゃないのか? だいたいあの娘のお兄さんの苗字は石川だろ? でも、とも子の苗字は澤田。ぜんぜん違うじゃんか。妹なら、同じ苗字じゃなくっちゃいけないだろ!?
 で、でも、苗字を変えたってことは?… いや、そんなかんたんに苗字は変えられないと思う。とも子はやつとは絶対無関係だ!!
 しかし、オレは「とも子」とゆー名前が気になってしまい、先生の事故に関する質問に生返事をくり返してしまった。なんか、無性にとも子に会いたくなった。会ってやつの妹じゃないことをたしかめたくなった。でも、時計は午後8時。まだ先生の質問は続きそうだ。今日はもう会えそうになかった。
     ※
 しかし、考えてみたら、とも子はオレのことを隅から隅まで知ってるのに、オレはとも子のことをまったく知らなかった…
 いったいとも子はどこで生まれ、どこで育ったのか? なんで声を失ったのか? どこで野球を覚えたのか? そして何より、どうしてオレ抱かれようとしたのか?… オレには知らないことだらけだった。
 ただ1つたしかなことがある。オレはとも子が好きだし、とも子もオレが好きだ。今はとも子を信じることにしよう。
     ※
 翌朝、いつものバス停。オレは体操着姿でとも子を待った。昨日は試合で100球以上投げたから、さすがに今朝はマラソンではなく、バスで登校してくるかも… しかし、とも子はいつものようにマラソンで現れた。とも子はオレの前に来ると、いつもの笑顔を見せてくれた。そして2人は、並んで走り出した。
 とも子はとても目が大きい。だからかわいいのだ。あの事故のとき、向こうのクルマに乗ってた女の子は、そんなに目が大きくなかった。「とも子」って名前は、偶然の一致だと思う。
 登校マラソンは途中でいつものように北村が加わった。いや、北村だけじゃない、センターの渡辺とレフトとの大空とセカンドの鈴木も加わった。学園に着くと、サードの中井とライトの唐沢もマラソン登校していた。さらに、ショートの箕島も控え組も、みんないつものようにマラソン登校して来た。桐ケ台高校に大勝したってゆーのに、みんな気を緩めてないようだ。

エースに恋してる第10話

2007年08月21日 | エースに恋してる
 ベンチに戻ると、みんな、歓喜でオレを出迎えてくれた。しかし、オレはあまりうれしくなかった。こんなやつからホームランを撃ったって、なんにもうれしくないのだ。でも、2ランホームランは2ランホームラン、一気に2点ゲットだ。いや、今の岡崎なら、もっと点が獲れるかもしれない。次のバッターは、チーム一器用な中井…
 オレはバッターボックスに向かう途中の中井を呼び寄せ、耳打ちをした。
 中井への1球目。指示通りのセーフティバント。打球は岡崎の右手側に転がった。右ピッチャーの岡崎は、左手のグローブでそのタマを捕りに行った。が、逆手となった岡崎のグローブは、タマにはちょっと届かず、結局ショートが捕った。当然のように、内野安打。ふふ、思った通り、岡崎は浮足立っている。
 次の鈴木は、最初っからバントの構え。打球は岡崎の守備範囲内に転がり、今度は無難に処理… と思った瞬間、岡崎はすってんころりんと尻もちをついてしまった。こいつ、まじで身体を作ってなかったようだ。
 次の北村には、初球尻にデッドボール。これでなんと、ノーアウト満塁。大量得点のチャンスだ。このチャンスにまわってきたバッターは箕島。そう、野球歴2年とちょっとのあの箕島である。
 あの事件以降、箕島は人一倍練習をし、とりあえず守備は合格の域に達していた。しかし、バッティングの方は、まだこれからとゆー状態である。
 ここはバッティングのいい森に代えるべきか?… いや、森はまだ1年生。ここで1年生に代えたら、やつのプライドはズタズタになってしまう。こんなところでやつを傷つけてどうする? オレは箕島にこのチャンスを託すことにした。
 バッターボックスに入る寸前、箕島がオレを見た。オレは特にかける言葉はなかった。ただ瞳で「やれ」と言ってやった。箕島はなんの反応も見せず、バッターボックスに立った。
     ※
 1球目、空振り。2球目、空振り。やっぱりだめか…
 しかし、3球目、バットにボールが当たった。ふわふわ~とした打球が3塁後方に飛んだ。なんとこれは、城島高校との練習試合で箕島が醜態をさらしてしまったあのフライとまったく同じフライだ。ふつうならショートフライだが、当のショートは前進守備中。慌てて下がるショート。しかし、届いてしまいそうだ。ランニングポケットキャッチ。が、グローブとユニホームの透き間からボールがこぼれ出た。おまけに、勢いが止まらないショートの足が、そのボールを蹴飛ばしてくれた。ボールはそのままファールゾーンを転々とした。岡崎のファンの悲鳴が響くなか、3塁の中井と2塁の鈴木がホームインした。バッターの箕島は、2塁ベース上でガッツポーズ。エラーっぽいが、なんとあの箕島が2点もの得点を叩き出してくれた。
 これで、この回4点、都合5点。桐ケ台高校のファンも応援団も、完全に沈黙した。騒いでるのは、オレたち聖カトリーヌ紫苑学園のベンチだけだった。
     ※
 ノーアウトランナー2塁3塁。まだチャンスは続いていた。このチャンスにバッターはとも子。そういや、とも子が昔ほれてた男も、甲子園準優勝投手だったんだっけ。オレに野球を教えてくれたおじいちゃんも甲子園準優勝投手。今マウンドに立っているだらしのない男も甲子園準優勝投手。なんて皮肉な巡り合わせだ。
 とも子はピッチングに専念させたいので、打順が廻って来たらバッターボックスの一番外側に立つように指示してたが、とも子はその指示どおり、バッターボックスの一番外側に立った。岡崎にはアウトを1つくれてやるってゆーのに、なんと初球は、とんでもない暴投だった。3塁ランナーの北村は、労せずしてホームに帰って来た。この回、5点目、都合6点となった。
 別に岡崎を弁護するわけではないが、まったく撃つ気のないバッターは、意外と投げにくい。オレもよくフォアボールをやった。おまけに、とも子は超小型だから、ストライクゾーンもかなり小さく、とても投げにくいと思う。
 しかし、ここまで外すのは論外だ。すでに岡崎は限界を越えてるようだ。桐ケ台高校の監督もそう思ったんだろう。敵ベンチから伝令が走った。結局、アウトを1つも獲れずに、降板である。
 今日の岡崎は明らかに調整不足… いや、まったく調整してなかった。どんな弱い相手でも、万全に調整しておくのがエースの心構え。岡崎、おまえはエース失格だ!!
     ※
 桐ケ台高校の3番手ピッチャーは友部。投球練習を観察したが、こいつはちゃんと調整してるようだ。岡崎よりも、その前の安藤よりも手ごわそうだ。
 このピッチャーに、とも子は見逃しの三振。1番渡辺も2番大空も、あっとゆー間に撃ち取られた。しかし、この回、我が学園は5点も挙げた。都合6点。もう楽勝ペースだ。
     ※
 その裏の桐ケ台高校の攻撃は1番から。そいつが見事な流し撃ちを見せた。打球はオレを襲い、オレは思わずはじいてしまった。が、はじいたボールはオレの目の前にあり、それを素早く拾って直接ファーストベースにタッチし、事なきを得た。どうやら敵さんは、バットを短く持ってこつこつと当てていく戦法に切り替えたらしい。ふふ、ならこっちもベールを脱ぐとしますか…
 オレはブロックサインを送った。とも子はそのサインに気づかなかったが、北村が気づき、とも子にサインを送った。するととも子は、はっとしてオレを見た。その顔はいつも見せてるかわいい笑顔だった。ふふ、そんな顔を見せるなんて、とも子もあのタマを投げたかったんだな。
     ※
 とも子はここまでセットポジションで投げてたが、このときはぎこちなく振りかぶって投げた。次の瞬間、とも子独特の伸びのある豪速球が、あっとゆー間に北村のミットに納まった。低めのストレートを待っていただろう敵バッターは、あまりのスピードに、ストライクゾーンど真ん中にボールが来たとゆーのに、びびってバッターボックスを飛び出してしまった。主審もびっくりしたらしく、ストライクのコールがかなり遅れて出た。球場全体が一瞬沈黙し、そして徐々にざわめき出した。桐ケ台高校のベンチも、ただ唖然とするしかなかった。ふふ、どんなもんだ。これがとも子の本性だ!!
 それでも桐ケ台高校打線は、とも子の低めのストレートに狙いを絞った。しかし、ときどき混じる超ハイスピードボールと、ストライクゾーンからボールゾーンに逃げて行くカーブに惑わされ、まったく勝負にならなかった。結局この回の桐ケ台高校の攻撃も、3者凡退に終わった。
     ※
 次の回、うちの攻撃。3番唐沢が撃ち取られ、オレの打順。よーし、また大きいの狙ってやろーとバッターボックスに立ったが、敵のキャッチャーはなかなか座ってくれなかった。どうやら敬遠らしい。敬遠はホームランバッターの勲章。どうやらオレは、一流のホームランバッターと認定されたようだ。ま、正直なところ、撃ちたかったのだが…
 オレは1塁ベース上に立つと、なにげにスコアボードを見た。スコアボードの巨大な時計は、1時30分を指し示していた。もうあの判決が出てる時間… 今すぐ電話か何かで結果を聞きたいが、今は公式戦の真っ最中。試合に集中しないと…
 5番中井、6番鈴木は凡退し、この回は無得点に終わった。以後我が聖カトリーヌ紫苑学園は、オレが再び敬遠された以外、まったく撃てなくなってしまった。一方桐ケ台高校打線も、相変わらずとも子を撃てず、試合はトントン拍子に進んだ。
     ※
 8回の裏、桐ケ台高校の攻撃。この回の先頭バッターは4番。ついにそいつのバットが火を噴いてしまった。打球はセンター前に転がった。さすがは桐ケ台高校の4番である。これでとも子のパーフェクトは消滅した。
 パーフェクトやノーヒットノーランが途切れると、そのとたん緊張の糸がぷつりと切れ、集中打を浴びてしまうことがよくある。ここは内野手全員をマウンドに集め、インターバルを兼ね、とも子をはげました方がいいかも…
「ドンマイ!!」
 と、サードの中井がとも子に声をかけた。とも子はその中井に笑顔で「はい」と答えた。
 そう、我が聖カトリーヌ紫苑学園のエースはとも子。エースはもっと信頼しないと。ヒット1本くらいでいちいち内野手を集めてどうする? ここは中井の一言で十分だと思ろう。
     ※
 ノーアウトランナー1塁。とも子はランナーがいなくてもセットポジションだが、実際ランナーを背負ってのセットポジションには、ちょっと不安がある。それに、投球回数も気になってきた。次のタマがちょうど100球目。とも子のスタミナは、はたしてどれくらい持つのだろうか? 桐ケ台高校は岡崎を中心とする守備のチームだが、その気になれば、10点くらいは平気で獲れると思う…
 心配してた通り、次のバッターにも狙い撃ちされてしまった。打球はとも子の右側を鋭く抜けて行った。完全にヒット性の当たり… が、なんと、ショートの箕島がダイビングキャッチ。寝転んだまま、セカンドの鈴木にトス。鈴木は振り向きざま、ファーストのオレに送球。なんと、ダブルプレイが成立した。あ、あの箕島が、こんなすごいプレイを見せるなんて…
 箕島は野球を続けててよかったと思う。本当によかったと思う。その箕島を野球部に引き戻したのはとも子。だから箕島は、とも子のためなら一生懸命プレイできる。いや、箕島だけじゃない。みんな、とも子を信頼してる。ナインに信頼されてるエースがいるチームは、本当に強くなるチームだ。もしかしたら、オレたちはまじで甲子園に行けるかも…
     ※
 次のバッターも、快音を響かせた。打球は大きな放物線を描き、レフトスタンドへ。しかし、フェンス手前で失速し、大空のグローブに納まった。もしもう少しとも子のタマが高かったら、フェンスを越えてたと思う。ここはもう潮時だろう。オレはベンチに帰る途中、とも子の肩を叩いた。
「とも子、お疲れさん。今日はここまでにしよう」
 とも子はいつもの笑顔を見せることで「はい」と返事してくれた。まだ投げたいと思うが、とも子は素直にオレに従ってくれた。が、北村から意義が出た。
「え、まだ1点も獲られてないのに、交替?」
「とも子はもう限界だよ」
「で、でも、まだヒット1本しか撃たれてないんですよ!?」
 一理ある意見だ。もしオレがとも子の立場だったら、絶対腐ると思う。スタミナ的には限界であっても、6点差ならまず引っくり返される心配がない。先発ピッチャーはマウンドに登ったからには、最低完投はしたいもの。とも子だって、完投したいと思う。しかし、相手は桐ケ台高校だ。石橋を叩いてでも渡りたい。
 ここでとも子を替えたい理由がもう1つある。うちの監督が唐沢をリリーフに使いたくなったらしい。例の城島高校との練習試合で唐沢がラスト3人を完璧に押さえたことに監督が注目したようだ。唐沢もその気になってるようで、最近よくピッチング練習をしてた。やつを試すんなら、6点差ある今がちょうどいいタイミングだと思う。
 北村はまだけげんな顔をしているが、すでに唐沢はベンチ脇でピッチング練習を始めており、この回2人目のバッターになるはずだったとも子にも、すでに代打が告げられていた。
 そして9回表の我が校の攻撃が終了した。試合はいよいよ9回の裏、桐ケ台高校最後の攻撃である。

エースに恋してる第9話

2007年08月20日 | エースに恋してる
「明日桐ケ台高校に勝ったら、甲子園に行けますか?」
 と、真顔のとも子が筆談で話しかけてきた。大切な試合の前日であっても、オレととも子はいつものファミレスでいつものようにおしゃべりをしてた。
「ああ、もちろん行けるよ」
 と、オレは返答した。とも子の表情は、とたんに笑顔になった。
 桐ケ台高校に勝てるほどの実力があれば、間違いなく甲子園に行けると思う。でも、桐ケ台高校に勝てる確率は、正直1%もない…
 しかし、そんな絶望的なこと、チームのエースに面と向かって言えるはずがなかった。
「明日、がんばろうな」
 それくらいしか言えなかった。
 しかし、大事な試合の前日だとゆーのに、オレはこんなところでチームのエースとデートしてていいのか? 今日は早く帰るべきじゃ… オレはそう判断すると、いつものようにとも子とキスをし、そそくさと家路についた。
     ※
 家に帰ると弁護士の先生がいて、親父とお袋と打ち合わせをしてた。そう、明日は例の判決の日でもあるのだ。オレも裁判に出たいが、大事な試合と重なってるので、それは絶対にむり。ま、この裁判、どう考えたってこっちが勝つに決まってる。あの朝おじいちゃんは黄色の点滅信号を無視して交差点に進入したが、向こうは赤の点滅信号を無視して、猛スピードで突っ込んで来たんだ。黄色の点滅信号は「徐行」だが、赤の点滅信号は「一時停止」。絶対に向こうが悪い!!
 でも、やっぱ裁判に出たい。裁判に出れば、あの助手席に乗っていた少女の行方がわかると思う。あの子は今でも生きてんだろうか? 生きてるとしたら、今どうしてるんだろうか?
 その夜、またあの女の子が夢に出て来た。やはり恐怖に顔を引きつらせていた。
     ※
 いよいよ試合当日となった。桐ケ台高校が出るとあって、1回戦だとゆーのに球場は満員だった。通常1回戦だと外野席は開放されないのだが、その外野席まで人があふれていた。マスコミ関係者もたくさん来てた。満員の観客とマスコミの目的は、主に3つあるようだ。
 1つ目はとも子。女子でしかも障害のあるエースってことで、注目されてるらしい。しかし、とも子の真の実力は、実のところ、だれも知らないと思う。城島高校との練習試合以後どことも対戦してないし、城島高校と対戦したときのとも子は、今とは別人と言えるほど貧弱だった。
 桐ケ台高校は、きっととも子をなめてくると思う。
     ※
 2つ目は、桐ケ台のエース、岡崎の人気。やつは去年春の大会で甲子園のマウンドをたった1人で守り抜き、決勝戦まで進出。しかし、連投につぐ連投がたたり、最後は力つきた。そのたんたんと投げる姿が人々の共感を呼び、やつは時の人となった。
 ま、これだけならよく聞く話だが、実はこの話には続きがあった。準優勝を祝って桐ケ台高校の応援団が酒盛りしてしまったのだ。悪いことに、その中に当時の野球部員が数人加わってたことが発覚し、野球部は謹慎に追い込まれた。で、1年間の対外試合自粛。つまり、岡崎にとって、今日の試合は1年ぶりの対外試合なのである。スタンドを埋めた観客は、ほとんど岡崎に注目してるはずだ。
 ちなみに、我が聖カトリーヌ紫苑学園の応援団は、だれ1人来てないようだ。オレたちは母校に見捨てられたらしい。
     ※
 3つ目はオレとか。いや、正確に言えば、オレ対岡崎。かつての岡崎のライバルがスラッガーに転向して、岡崎と対決…
 バカゆーな!! たしかに岡崎と何回か投げあった記憶はあるが、やつをライバルと思ったことなんか一度もなかったよ。中学時代のオレは常勝だったんだ。敵と言えるピッチャーは、1人もいなかったよ。
     ※
 先攻は我が学園が取った。桐ケ台高校の先発ピッチャーがマウンドに上がり、ピッチング練習を始めた。だが、そいつは岡崎ではなく、安藤とゆー初めてその名を聞くピッチャーだった。そーいや、桐ケ台高校は去年春の反省から、岡崎以外に何人かのピッチャーを育ててるとゆー話を聞いたことがある。きっと安藤は、その中の1人なのだろう。ちなみに、安藤はまだ1年生。ふっ、なめられたものだ。
 安藤のピッチング練習をベンチから観察したが、たしかにエース級の実力はありそうだ。が、明らかにとも子よりは下。そのとも子に鍛えられたんだ。うちのナインが撃てないはずがない。絶対撃ち崩してやる!!
     ※
 いよいよ試合開始。1番バッターの渡辺がバッターボックスに立った。
 安藤の1球目。低めに押さえられたストレート。が、とも子のタマから見れば棒ダマだ。渡辺はやつらしく、コンパクトにバットを振り抜いた。
 カキーン!! 打球はショートの横をするどく抜け、センター前に転がった。渡辺は1塁ベース上でガッツポーズ。いや、渡辺だけじゃない。聖カトリーヌ紫苑学園野球部員全員が、「やったーっ!!」と大はしゃぎをした。もちろん、ただのシングルヒットだ。1点も獲ってない。でも、うれしいのだ。なんか、まじで桐ケ台高校に勝てる気がしてきた。
 2番バッターの大空だが、ここはやはり1点が欲しい。で、絶妙な送りバント。1塁ランナーの渡辺は、難なく2塁に進んだ。
 続くバッターは唐沢。その1球目は明らかなボールダマ。敵のピッチャー安藤は、完全に浮足立っている。チャンスだ!! 行け、唐沢!!
     ※
 ネクストバッターサークルで試合を凝視してたら、ふと視野の端に白いものが入ってきた。それはとも子が掲げている大きなスケッチブックだった。「ヘイヘイ、ピッチャービビッてるよ!!」とゆーヤジがそこに大きく書いてあった。オレは思わず苦笑してしまった。
「ヘイヘーイ、ピッチャービビッってんよーっ!!」
 オレが代わりにヤジを飛ばすと、とも子がにこっと笑ってくれた。こんなときでも、とも子の笑顔はかわゆいんだようなあ…
     ※
 カキーン!! 唐沢がうまく流し撃った。ライト前ヒット。渡辺が俊足を活かし、一気に3塁を回った。しかし、これはちょっと無謀だった。渡辺の足がホームベースに到達するより早く、ライトからの返球がキャッチャーミットに到達してしまったのだ。
「ドンマイ!! ドンマイ!!」
 みんな、このアウトには失望しなかった。逆にこのピッチャーなら点が獲れると確信できた。しかも当の安藤は今のホーム寸前タッチアウトに安堵してるらしく、隙間だらけになっている。これは1球目から狙うべき!! オレはそう決断すると、左バッターボックスに立った。
 1球目は案の定、棒ダマだった。カキーン!! オレが思いっきりバットを振り抜くと、タマは弾丸ライナーでサードの頭を越え、レフトの脇を襲い、外野フェンスを直撃した。1塁ランナーの唐沢が、長躯ホームイン。やったーっ、先取点ゲットだ!! オレは2塁ベース上で思わずガッツポーズしてしまった。いや、オレだけじゃない、聖カトリーヌ紫苑学園野球部員全員がはしゃいでた。オレはその中でも、ちょっと冷静になってるとも子に瞳で話しかけた。
「あとはまかせたぞ」
 とも子はこくりとうなずいた。
     ※
 5番中井が凡退し、攻守交替。いよいよとも子のピッチングのお披露目のときが来た。とも子がマウンドに立つと、桐ケ台高校のファンばかりのスタンドから、嘲笑とヤジが聞こえてきた。出てきたピッチャーが小さい女の子だったから、みんなでバカにしてるようだ。正直こんなやつらは、球場に来て欲しくない。桐ケ台高校も、岡崎も、つまらないファンを持ってしまったものである。
 ここは一発、とも子の目が覚めるような豪速球を見せつけてやりたいところだが、それは大事なウイニングショット。しばらくは重たいストレートを投げさせておいた方が得策だと思う。オレはそう判断すると、キャッチャーの北村にサインを出した。ピッチャーのリードはキャッチャーの仕事だが、重要な局面ではオレがサインを出すことになっていた。
     ※
 敵の1番バッターが右バッターボックスに立った。いよいよとも子の1球目。サイン通りの低めのストレート。撃つ気満々の敵バッターがジャストミートした。しかし、打球はレフト大空のグローブに難なく納まった。撃ったバッターが首をひねってるが、手元で微妙に落ちる重たいストレートを闇雲に撃ったら、よくても今のような外野フライである。敵さんは見事術中にはまってくれたらしい。
 続く2番3番バッターも闇雲にバットを振ってくれ、三者凡退。2回3回もとも子は桐ケ台高校打線をパーフェクトに押さえた。この間に追加点を取っておくと楽になれるのだが、うちの打線も2回以降、安藤をまったく撃てなくなってしまった。
 しかし、4回表、先頭打者の唐沢は、簡単には引き下がらなかった。厳しいタマをファールファールで逃げ、ついに来たあまいタマをセンター前に撃ち返した。
 敵ベンチがざわついてきた。むりもない。次のバッターはさっきホームラン寸前の2塁打を撃ったオレだ。敵ベンチから選手の1人が飛び出し、主審に走り寄った。伝令だ。続いてベンチ脇で肩を作っていた岡崎が、マウンドに向かって歩き出した。今度はスタンドがざわつき出した。ふふ、桐ケ台高校の監督さんよ、なかなかおもしろいことしてくれるじゃんかよ。
     ※
 いよいよ岡崎がマウンドに立った。甲子園準優勝投手、最高の対戦相手だ。
 はたして岡崎はどんなタマを投げるのか? オレはやつの投球練習をじっくりと観察した。しかし、「あれ?」って感じになってしまった。甲子園準優勝投手が投げるタマではないのだ。切れも伸びもない…
 こいつ、本当に肩を作ってたのか? いや、それ以前に、コンディションそのものを作ってなかったんじゃ?… ともかく、身体がゆるゆるなのだ。そう言や、1回戦と2回戦の間って、日程の都合上、5日も空くんだっけ。こいつ、オレたちが弱いからって、ここは控えのピッチャーにまかせ、次の試合から出てくるつもりだったな。ふっ、なめられたもんだ…
     ※
 試合再開。マウンド上の岡崎が、オレを見てにやっとした。こいつ、投手として復活できなかったオレを嘲笑してるのか? 
 岡崎がセットポジションに入った。スタンドのボルテージが、一気に最高潮に達した。
 1球目。来たタマは、思った通りの大あまだった。野球をバカにすんな!!
 カキーン!! 思いっきりバットを振り抜くと、打球はピッチャーマウンド上の岡崎を襲った。慌てて両手で顔を防御する岡崎。が、打球はその岡崎の頭上でぐーんと伸び、センターの頭もはるかに越え、バックスクリーンを直撃した。
 スタンドがシーンとなった。あの岡崎がこんなホームランを撃たれるはずがない。だれもがそう思ったんだろう。
 マウンド上で腰砕けになってる岡崎が、わなわなと震え出した。オレはダイヤモンドを廻ってる最中、ずーっとしらけた視線を岡崎に浴びせてやった。けっ、ざまーみろだ!!

エースに恋してる第8話

2007年08月19日 | エースに恋してる
 とも子の野球熱は、練習にも現れていた。カーブはあっとゆー間に会得してしまった。ピッチングホームも自ら矯正し、振りかぶるタイプからセットポジションに近いタイプに変えた。このホームだとスタミナの消耗が少なくなるうえ、コントロールがよくなる。とも子は野球のデスクワークにも、力を入れてるようだ。
 練習のフィニッシュのランニングも、とも子の提案で学園の周囲2周6キロが3周9キロとなった。それでももの足りないとも子は、4周12キロにしたいと言い出した。しかし、いくらなんでもこれはオーバーワークだ。オレはキャプテンとしてそれは却下した。ともかく、とも子のやる気はすさまじく、押さえるのが大変だった。
 いつしか聖カトリーヌ紫苑学園野球部は、とも子を中心としたチームになっていた。みんな、守備練習に心血を注いだ。一生懸命投げ込むとも子を見て、エラーしたら申し訳ないと思ったんだろう。あの箕島さえ、別人のように守備がうまくなった。バッティングも全員向上してきた。かつての大あま体質は完全に消えた。いつしか、みんなの心に「行ける」とゆー想いが芽生えて来た。
 そして、いよいよ夏の全国高校野球の県大会が近づいて来た。
     ※
 夏、陽はすでに昇っているが、早朝のせいか、町はまだ眠っていた。オレはおじいちゃんが運転する軽トラックの助手席に座っていた。ほとんどの信号は点滅状態で、その交差点の信号も点滅してた。黄色の点滅だった。黄色の点滅信号は徐行して進入するのがルールだが、おじいちゃんは減速せず、その交差点に進入した。その瞬間、右側からものすごいスピードのスポーツカーが突っ込んで来た。おじいちゃんは慌ててハンドルを切った。しかし、もう間に合いそうになかった。そのとき、ほんの一瞬だが、スポーツカーの助手席に座る、恐怖に顔をひきつらせた少女の顔が見えた。
     ※
 ここでオレの夢は途切れた。久しぶりにこの夢を見た。あのときの事故そのものの夢。とも子と出会って以来、あの恐怖にひきつった顔は夢にあまり出てこなくなったのに、なんで今になってあの忌まわしい事故の夢を見たんだ? そういや、あの事故の判決の日が決まったんだっけ。オレも当事者としてその裁判に出席したいが、悪いことに、県大会の1回戦がそこに入りそうな雰囲気がある。そう、もう夏の大会がすぐそこまで来てるのだ。ともかく、1勝。今は1回戦でくみしやすそうな相手に当たることを祈るだけである。
     ※
 が、しかし、抽選は最悪の結果となった。1回戦は判決の日となったのだ。それ以上にショックだったのが、対戦相手…
 桐ヶ台高校。去年春の甲子園で準優勝した高校…
 その大会をたった1人で投げ抜いたエース岡崎は、当時2年生だった。てことは、現在3年生。さらに進化してるはず。オレたちはそんな剛腕と戦うハメになってしまったのだ。
     ※
 この報告を聞いて、オレたち聖カトリーヌ紫苑学園野球部ナインは消沈した。とも子がいれば、最低1勝はできるはず。だれもがそう思ってた。特に3年生は1度も勝ってなかったから、最後の戦いとなるこの夏の大会は、どうしても1勝が欲しかった。だが、相手が岡崎を擁する桐ケ台高校じゃ、どう考えてもそれはむりだ。オレたちゃ、つくづく運がないらしい。
 けど、いつまでもため息ばかりついてちゃいけないと思う。ここはキャプテンのオレがなんとかしないと…
「みんな、たしかに岡崎は強いが、岡崎だって人の子だろ? オレたちが撃てないはずがないだろ!!」
「で、でも、相手は甲子園の準優勝投手ですよ。どう考えたって、撃てませんよ…」
 さっそくナインの1人から、弱気な発言が飛び出した。この弱気をなんとかしないと…
「ふふ、岡崎からだって、1点くらいは獲れるだろ?
 いいか、うちには澤田がいるんだ。澤田なら、桐ケ台高校を0点に押さえることができる・」
 オレは自信に満ち満ちた目でとも子を見た。
「そうだろ、澤田!!」
 とも子も自信満々な目で大きくうなずいた。
「ともかく、1点だ!! 1点さえ獲れば、絶対勝てる!!」
「岡崎から点を獲るなんて、絶対むりですよ…」
 オレの狙いとは逆に、ナインの口からは、ただ消極的な発言しか出てこなかった。が、ここで唐沢がおもむろに口を開いた。
「みんな、キャプテンの言う通りだ。岡崎だってオレたちと同じ高校生だろ? 1点くらい獲れなくってどうする?
 たしかに岡崎はすごい。オレだって認めるよ。だがなあ、なんにもしないで負けんのは、オレのプライドが絶対許さない!! おまえたちは、どーなんだよ!?」
「オ、オレだって、それくらいのプライドはあるよ!!」
 中井がそう答えた。それを聞いて唐沢は、さらに発言した。
「試合まであまり時間がないが、どうだ、みんな、悔いを残さないように一生懸命練習しないか? 全力で岡崎にぶつかってやろうぜ!!」
「そ、そうだな… 一生懸命やってそれでも負けたんなら、悔いも残らないよな」
 あっとゆー間に部員たちにやる気が出た。唐沢はみんなを後押しするように、さらに発言した。
「さあ、みんな、練習をおっ始めようぜっ!!」
「おーっ!!」
 どうやら唐沢の話術で、みんなにやる気が出たようだ。オレの役目なのに… ふふ、まさか唐沢に助けられるとは…
 当の唐沢が、一瞬「どうだ」って顔をしてオレを一べつした。オレはなんとなく照れ笑いをしてしまった。
     ※
 ここんとこ守備練習がメインだったが、今日からは岡崎を意識したバッティング練習をメインにすることにした。バッティングピッチャーはとも子が買って出た。しかし、低めにコントロールされたストレート、高めにホップする豪速球、右バッターから見てストライクゾーンからボールゾーンへ逃げて行くカーブのコンビネーションに、1番渡辺と2番大空はファールさえ撃てず、続く唐沢も当てるのがやっとだった。とも子のタマの切れは、さらに増してるようだ。また、ピッチングの組み立てもうまかった。どうやら、北村がうまく組み立ててるようだ。北村もそうとう勉強してるらしい。
 しかし、こんなに完璧なピッチングをされちゃ、バッティング練習にならないよ…
     ※
 打順はオレの番になった。オレは左バッターボックスに立った。とも子と本気で対戦するのは何日ぶりだろう? しかし、毎日デートしてる女のタマを撃つなんて、なんか不思議な気分だ…
 1球目。前3人の初球は低めの重いストレートだったのでそれにヤマを張ったが、来たタマは高めの豪速球だった。空振り。こりゃ、とも子も北村も本気だな。
 2球目。外角のカーブ。オレはボールと判断して見送ったが、ホームプレート近くで思った以上にカーブして来た。
「キャプテン、今のはストライクですよ」
 得意満面に北村がしゃべった。
「ふっ、ボールだよ」
 と、オレの反論。でも、正直今のタマは、外角低めぎりぎりに入ってた。こんなすごいカーブを短期間で会得してしまうとは… なんてすごいピッチャーなんだ、とも子は。
 3球目。いよいよオレが待っていた低めのストレートが来た。ジャストミート… のつもりが、なぜか凡ゴロになった。どうやらスイートスポットをはずされたようだ。重たいストレートはほとんど回転してないので、引力にもろ影響されやすい。とも子のストレートはほんのわずかだが、バッターの手元で引力に負け変化してるのである。
 オレはたった3球でとも子の進化を確認した。これなら桐ケ台高校打線を0点に押さえることができる!!
 しかし、今は練習とは言え、勝負のとき。高めの高速ストレートはとても撃てそうにないし、カーブはほとんど見せダマ。となると、やはり低めのストレートを待つべきか?
 次の打席、今度も低めのストレートを待ってると、狙った通りのタマが来た。今度こそジャストミート。いい手応え!! が、ふつうの外野フライだった。とも子の回転しないストレートは、回転による反発がまったくないうえ、低めによくコントロールされてるので、ジャストミートしてもタマがぜんぜん飛ばないのである。
 結局、だれ1人、とも子からヒットを撃てなかった。
     ※
 下校。とも子とオレは、いつものように北村と一緒にバスに乗り、いつものように名残り惜しそうに北村が途中下車。一方オレはとゆーと、自分が降りるべきバス停で降りず、いつものファミレスにとも子といっしょに入った。で、いつものようにとも子とおしゃべりといきたいのだが、その前にとも子に注意しなくちゃいけないことがあった。
「とも子、バッティングピッチャーの役割、知ってるか?」
 とも子はオレのいつもとは違うトーンの声に驚き、オレの目を見た。
「いつものようにバッターを撃ち取ることだけを考え、投げただろ? あれじゃ、ピッチング練習だよ。
 バッティングピッチャーの役割は、バッターをその気にさせることだよ。バッターを絶望的にさせてどうする? 次バッティングピッチャーをやるときは、バッターのやる気を引き出すように投げないとだめだよ」
 とも子は目で「はい」とうなずいた。真面目な顔も、またかわいいんだよなあ。
 オレは急にキスしたくなり、さっとファミレスを出ると、例の場所でとも子といつものように、いや、いつもより長いキスを交わした。
     ※
 次の日も、とも子を仮想岡崎にしてのバッティング練習。オレはその前に全員を集め、闇雲にバットを振らず、1つの球種にヤマを張り、それを撃つイメージを思い浮かべ、それからバッターボックスに立つように指示した。
 で、1球目。低めの重たいストレート。1番バッターの渡辺は、それにヤマを張ってたらしく、バットに当てることができた。が、ファール。しかし、昨日渡辺はとも子のタマにかすりもしなかったから、これはかなりの進歩である。いいバッティングのイメージ、渡辺はこれをうまく描けたようだ。
 2球目。同じく重たいストレート。が、さっきよりちょっと高い。渡辺はそのボールをバットに当てた。しかし、打球はセカンドの守備範囲のゴロ。
「やったーっ!!」
 と、渡辺は思わずガッツポーズした。むりもない。例え凡ゴロでも、とも子のタマをインフィールドに撃ち返すなんて、今の渡辺にはほとんど奇跡だ。それができたんだから、渡辺のうれしさはひとしおだろう。もちろん、今のとも子のタマは若干あまかった。たぶん意識的にあまいタマを投げたんだと思う。
 次のバッター大空にも、4球目にあまいタマが来た。その打球も内野ゴロだったが、それでも大空は、渡辺同様何かを掴んだようだ。こうしてオレを除くレギュラー全員が、インフィールドに1つか2つ、ボールを飛ばすことができた。正直ヒット性の当たりは1つもなかったが、それでも全員満足できたようだ。
 みんな、頭の中でいいイメージを描けたようだ。もちろん、とも子の微妙な計算もあった。もしとも子がもっとあまいタマを投げ、みんながヒット性の当たりを撃ってたら、とも子の手心がばれ、みんながしらけてたと思う。内野ゴロ程度の当たりだったからこそ、とも子の意図にだれも気づかなかった。しかも、内野ゴロ程度の当たりだと、次はもっといい打球を飛ばそうと努力し、工夫しようとする。そう、向上心を育てるのである。
 人心までコントロールしてしまうとは、とも子、キミはなんてすごいエースなんだ。しかし、オレのときだけあまいタマを混ぜないなんて、ふふ、憎たらしいやつだ。
 毎日毎日とも子のタマを撃ってるうち、みんな、徐々にヒットを撃てるようになり、桐ケ台高校と激突する前日になって、ついに全員とも子からヒットを撃てるようになった。もちろん、すべてがとも子の術中だった。

エースに恋してる第7話

2007年08月18日 | エースに恋してる
 とも子が注文したのは、巨大なイチゴのパフェだった。とも子はスプーンでパフェの先をすくい口の中に運ぶと、とたんに御満悦なほほ笑みを浮かべた。しかし、思いっきり身体に悪そうな食べ物だ。ちょっとこれはやめて欲しいなあ…
 とも子はテーブルの上に筆談用のノートを出し書き始めた。が、ふと何かを思い、立ってオレの横に来た。相対して座ってると文字が上下逆になるから、こっちに来たようだ。とも子はオレの顔を見て、いつものようににこっと笑った。そして、筆談用のノートに書いた。
「今日のヒット、お見事でしたね」
 意外にも、野球の話だった。
「低めのストレートばかり投げていれば、いつかは撃たれるよ。たまには高めにホップするタマも投げないと。ピッチングはコンビネーションが大切なんだよ」
「でも、私には2種類のストレートしかありません」
「ふふ、じゃ、今度はカーブを教えてあげるよ。キミには150キロを超すストレートがあるんだ。緩いカーブとコンビネーションすれば、絶対撃たれないよ」
「カーブを覚えれば、強くなれるんでか?」
「もちろん」
 その答えを聞くと、とも子はいつものようにほほ笑んでくれた。
     ※
 ファミレスを出ると、とも子はマンションのエントランスにオレを誘った。
「部屋には入らないよ」
 とも子はにこっとした顔を見せることで、「かまわないですよ」と答えた。
 オレととも子はエントランスの奥に入ると、人目のつかないところに行き、キスをした。もしまた舌を入れてこようとしたら今度は許すつもりだったが、舌は入ってこなかった。とも子はオレの気持ちがわかってくれてるようだ。
     ※
 次の日、いつものようにバスで登校してると、歩道を走る少女の後ろ姿をふと見かけた。体操着姿でリュックサックを背負ってる少女。その後ろ姿は、なんとなくとも子っぽかった。バスがその少女を追い越し、その直後少女の顔を確認すると、やはりとも子だった。オレは学園前のバス停で降りると、走ってくるとも子を待った。とも子はオレの目の前で立ち止まると、いつものようににこっと笑った。長距離を走って来たとゆーのに、よく笑えるものだ。
「オーバーワークになるなよ」
 オレの忠告に、とも子はほほ笑みで「はい」と答えた。とも子はまた走り出し、校舎の中に消えた。オレはふと自分の定期券を見た。期限は今日まで。オレも明日からマラソンで通学するかな。
     ※
 放課後。約束通り、今日はとも子にカーブを教える日。一口にカーブと言っても、いろんなカーブがある。とりあえず、一番初歩的なカーブを教えることにした。オレはとも子にカーブの握りと腕の振り方を教えると、いつもとは逆の右バッターボックスに入った。
「キャプテン、いきなり立つんですか?」
 と、キャッチャーの北村からの質問。
「カーブは目標を置いて投げさせた方が覚えやすいんだ」
「へぇ~」
 さあ、練習開始だ。オレは右手で自分の左肩を指し示した。
「とも子、ここ目がけて投げろ・」
 右ピッチャーの場合、右バッターの左肩目がけ投げると、カーブを覚えやすいのだ。
 とも子はこくりとうなずくと、セットポジションのような体勢から投げた。タマはオレが指定した通り、オレの左肩に飛んで来た。しかし、最初から曲がるわけがなく、明らかにデッドボールのコース。オレは間一髪でそれを避けた。とも子が心配になったらしく、慌ててマウンドを降りて来た。
「大丈夫だ、気にすんな」
 オレはとっさに声でとも子を押し返した。しかし、とも子は心配顔だ。
「カーブは当たっても、そんなに痛くないんだ。気にせず、投げろ」
 ふっ、カーブだって、当たりゃ痛いさ。けど、手っ取り早くカーブを覚えさすとなると、この方法が一番なんだ。ここはオレのためにも、とも子のためにも、頑張らないと!!
     ※
 5球10球と投げてるうち、タマがカーブし出した。
「よーし、その調子だ!!」
 しかし、ついにオレは、あごにタマを受けてしまった。正直、これは痛い。一瞬あごがはずれた感覚があった。
「キャプテン!!」
 オレがあごを押さえ痛みをこらえてると、北村の心配する声が聞こえてきた。ふと見ると、とも子も心配そうにオレの顔をのぞいていた。オレは慌ててあごを押さえてる手を離した。
「だ、大丈夫だよ」
「で、でも、血が出てますよ」
 あごを押さえていた手のひらを見ると、本当に血が付いていた。
「心配すんな。これくらいのケガ、野球じゃ日常茶飯事だろ?
 ほら、とも子、マウンドに戻れよ」
 とも子は表情を変え、こくりとうなずいた。とも子はこれで投げる手が縮こまったかと言えば、そうでもなく、引き続きオレの左肩目がけ投げた。オレもびびることなく、右バッターボックスでとも子の目標になり続けた。20球30球と投げてるうち、タマもはっきり曲がるようになり、50球目になると、ど真ん中にカーブが来るようになった。しかし、オレはここでカーブの練習を打ち切った。そして、いつものように50球ストレートを投げさせた。ピッチングの基本は、あくまでストレート。カーブの練習中はカーブに集中させたいが、半分は基本を優先させた。
     ※
 その後はみんなといっしょに守備練習。そして6キロのランニング。練習後が終わると、いつものようにとも子と北村とバス下校。とも子は登校はマラソンだったが、帰りはバスにしたいらしい。
 いつものようにバスの中で北村と別れると、オレととも子は昨日と同じファミレスに入った。
     ※
 オーダー。とも子は昨日と同じように、メニューの巨大なイチゴのパフェを指し示した。とも子の横に座ってたオレは、慌ててその手を押さえた。
「だめ!! そんなの食べてたら、強いピッチャーになれないよ」
 とも子は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔で「はい」と答えてくれた。そんなわけで、今日のオーダーは、アイスコーヒー2つとなった。
 とも子がさっと筆談用のノートに書いた。
「あご痛くないですか?」
「大丈夫だよ」
「でも、赤くなってますよ」
「ふっ、言ったろ。野球じゃ、デッドボールは日常茶飯事なんだよ。これくらいで痛がってたら、野球なんかやってられないよ」
 とも子は安心したのか、ちょっとほほ笑んだ。が、すぐに真面目な顔になり、ちょっと間を空け、そしてノートに書いた。
「私、甲子園で優勝できますか?」
 い、いきなり何書くんだ?… オレは一瞬絶句したが、すぐに我に返り、答えた。
「しょ、正直言って、ちょっとむりじゃないかな」
「私の力が足りないからですか?」
 とも子の恐ろしいほどの真剣な目が、オレの目を捉えた。いいかげんな返答じゃ、納得してくれそうになかった。
「とも子のピッチングはすごいよ。カーブを身につければ、かなり行けると思うよ。
 でもね、野球は9人でやるもんなんだよ。とも子のピッチングがすごくっても、残り8人のレベルが低いと、どうしようもないんだよ。うちらの力じゃ、甲子園で優勝どころか、甲子園に行くレベルにもないんだよ」
 とも子はとても残念そうな顔をした。ふととも子の手が伸び、オレの左腕の醜い手術あとに触れた。そう、あの事故がなきゃ、オレは甲子園の優勝旗を握ってたはず。とも子もそれを知ってるらしい。
 ふととも子の目に哀しいものを感じた。とも子はまじで甲子園で優勝する気だったのか? 夢を見るにしても、限度ってものがある。かと言って、とも子の夢を簡単に否定したくはないし…
「ともかく夏の地区大会は、行けるところまで行こう。とも子のピッチングがあれば、きっとベスト8まで行けるよ」
 オレはとりあえず、ぎりぎり実現できそうな夢を提示した。しかし、とも子は笑顔でうなずいてくれた。
 その後、2人は例のマンションのエントランスでまたキスをし、別れた。
     ※
 5分、10分… とも子はいつまで経っても来なかった。皆川一丁目、オレが毎朝使ってるバス停。今朝のオレは、学園の制服姿ではなく、体操着姿だった。制服は背中のリュックの中である。
 15分後、ようやくとも子の姿が見えてきた。オレがちょっと早過ぎたようだ。やはり体育着姿のとも子は、オレの前にくると、いつものにこっとした顔を見せてくれた。そして2人は、聖カトリーヌ紫苑学園へと並んで走り出した。
     ※
 放課後。今日もカーブの練習。とも子はもうど真ん中にカーブを投げられるようになっていた。しかし、今とも子が投げているカーブは、右バッターの肩口からど真ん中に曲がって来るもの。これはもっともホームランになりやすいカーブ、いわゆるハンガーカーブである。しかし、ちょっとずらす… 例えば、最初っからど真ん中に投げた場合、右バッターの撃ちごろゾーンからボールゾーンに逃げて行くカーブになる。超ハイスピードボールのあとにこのカーブを投げると、たいていのバッターは空振りするか、凡打に終わる。逆も同じ、このカーブのあとに超ハイスピードボールを投げれば、バッターはまったく手を出せないはず。このカーブはとも子の切り札の1つとなるはずだ。
     ※
 練習が終わり、いつもの6キロランニング。そのあともオレは、とも子とマラソンで帰るつもりだったが、とも子はどうしてもバスで帰りたいらしい。そんなわけで、この日はいつものように、北村とともに、とも子とバスで帰路についた。北村が途中下車したあと、また例のファミレスに行き、またとも子とおしゃべりを楽しんだ。とも子はこのおしゃべりを大切にしたいようだ。だから下校はバスにしたいらしい。でも、とも子の話すことは、野球のことばかりだった。とも子はまじで甲子園に行き、優勝したいらしい。筆談でも熱い思いがひしひしと伝わってきた。しかし、なんでそこまで甲子園優勝にこだわってるんだろう?…
     ※
 いつしかオレととも子は切っても切れない仲になっていた。2人は野球部の練習が終わると、必ずどこかのファミレスに行き、おしゃべりを楽しんだ。でも、相変わらずとも子は、甲子園で優勝することばかり話してた。
 一度なんでそんなに甲子園で優勝したいのか、訊いてみたことがあった。どうやら昔ほれてた男がものすごいピッチャーだったらしく、甲子園に出たものの、決勝戦で負けてしまったらしい。その男に代わって、深紅の優勝旗を手にしたいとか。いったいどんな男だったんだろう、そいつは?…
 しかし、甲子園の準優勝投手にほれてたなんて… 実はオレのおじいちゃんも、甲子園の準優勝投手だったのだ。縁とは不思議なものである。

エースに恋してる第6話

2007年08月17日 | エースに恋してる
 とも子の投球回数が、ちょうど100球になった。オレととも子と北村は、また学校周辺を走り始めた。1周回って戻ってくると、そこには意外なものが待っていた。昨日北村が立っていた場所に、なんと今日は、野球部員全員が立ってたのだ。後ろの方だが、箕島の姿もあった。
 オレととも子と北村が唖然として立ち止まると、部員の先頭にいた唐沢が口を開いた。
「キャプテン、水臭いっすよ」
 しかし、オレはまだ状況が掴めず、何を返答すればいいのか、いまいちわからなかった。
「オレたちゃ、置いてけ堀ですか? 一緒に走らせてくださいよ」
「いいのか?」
「キャプテンとバッテリーが走ってんのに、オレたちが走らないなんて、なんか変でしょ?」
 た、たしかに…
「じゃ、みんなで走るか?」
 オレの問いかけに、唐沢が、そしてみんなが一つの声で返答した。
「はい・」
 こうして2周目は、みんなで走ることになった。先頭を走るのはとも子だ。3日前初めて走ったときはあっぷあっぷだったのに、今日はみんなを引っ張るほどの元気さだ。とも子の身体はたやすく進化できるのか?
 ふと唐沢が走りながらオレに寄ってきた。
「キャプテン、なんで箕島が戻って来たと思います?」
「さあ?…」
 唐沢はにやっとしながら、真っすぐ前を見た。
「彼女ですよ」
 唐沢の視線の先は、先頭を走るとも子だった。
「昨日うちのクラスに来て、箕島を説得したんですよ」
 オレは唖然としてしまった。
「今日も来たんですよ。結局箕島が折れたようですね」
 とも子が説得してくれたなんて… とも子はオレの悩みに気づいて、それで箕島を説得したのか?…
 オレの胸にのしかかっていた重たいものは、とも子がはね除けてくれたようだ。ありがとう、とも子。
     ※
「キャプテン、声出して行きましょうよ」
 突然中井が提案してきた。たしかにかけ声のない野球部のランニングは、なんか変だ。しかし、オレは目の前を走るとも子が気になった。そう、彼女はまったく声を出せないのだ。
「いや、それはいいだろう」
 が、利発なとも子は、瞬時にオレの配慮に気づいてしまったようだ。とも子は振り返ると、首を横に振った。ふふ、わかったよ、とも子。
「じゃ、みんな、声出して行くぞーっ!!」
「おーっ!!」
「イチ・ニ!!」
「そぉれ!!」
「イチ・ニ!!」
「そぉれ!!」
 オレのイチ・ニのかけ声に、みんなが続いて声を出してくれた。箕島も声を出していた。どうやらオレは、キャプテンの地位に戻ることができたようだ。そればかりか、以前よりチームがまとまってるような気がする。すべてはとも子のお陰だ。オレは何もしてないのに…
 とも子、キミはなんて素晴らしい女なんだ。オレはキミに逢えて幸せだよ。
     ※
 その日はとも子と北村と一緒にバスに乗り、帰路についた。北村はとも子と帰るのは久しぶりだが、いつものようにとも子と並んで座った。オレはしばしの我慢… でも、北村がバスを降りたあと、とも子と2人きりになれる時間は、停留所2区間分だけ。北村のせいで今日のキスもおあずけになりそうな雰囲気だ。野球では北村たちとよりを戻して万々歳なのだが、プライベートまでこれじゃあねぇ…
     ※
 北村がバスを降りると、さっそくとも子がオレの横に来てくれた。そしてオレに筆談用のノートで話しかけた。
「今から私の部屋に来ませんか?」
 オレはフリーズしてしまった。女の子のうちに誘われるなんて… いったいオレはどうすりゃいいんだ? 
 ちょっとの間ぼーっとしたが、とも子の真剣な眼差しにふと気づき、オレは我に返った。とも子は返答を待ってるようだ。ええーい、こうなったら、
「わ、わかったよ、キミの部屋に行くよ」
 とも子はにこっと笑ってくれた。ま、いいか。オレだってできるだけ長くとも子と一緒にいたいんだし。
 バスはオレが降りるはずだったバス停を素通りした。
     ※
 バスは街中に入った。このバスの終点は鉄道の駅だが、とも子はその1つ手前のバス停の名前がコールされると、ボタンを押した。その停留所の背後には大きなデパートがあった。まさか、このデパートでデートする気なのか? いや、とも子はバスを降りると、その隣りのマンションのエントランスにオレを誘った。デパートよりさらに背の高い、超高級なマンションだ。これがとも子の住みかなのか? こんなところに住んでるとなると、とも子の親は相当な金持ちってことになるが…
 エントランスの1つ目の自動ドアを開け入ると、とも子はそこにあったテンキーにカードを差し込み、数字を入力した。すると、2つ目の自動ドアが開いた。と、とも子はオレの手を取り、オレの顔を見た。どうやら「入ろう」と言ってるようだ。オレは少々怖くなったが、別に拒否する理由もないので、とも子に求められるまま、エントランスの奥に入った。
     ※
 とも子の部屋は最上階にあった。とも子がドアを開けると、室内は外観以上に立派な部屋だった。オレがその豪華さにただ唖然としていると、ふととも子の視線を感じた。とっても真剣な上目使い。突然その目が閉じた。と同時に、とも子は唇を突き出した。キスをねだる仕草。で、でも…
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。だれか来たら、どうすんだよ」
 するととも子は、筆談用のノートを取り出し、さっと書いた。
「ここは私専用の部屋です。だれも来ません」
 そんなバカな、こんな豪華な部屋を女子高生1人が使ってるなんて… オレは疑惑の目をとも子に向けた。するととも子は、また書いた。
「本当です。信じてください」
 とも子はまた目を閉じ、唇を突き出した。正直信じられないが、オレの欲求もちょっと限界に来てた。オレは少々かがみ、とも子にキスをした。するととも子は、オレの身体をきつく抱き締めてきた。な、なんだ? 前2回は軽く唇を重ねただけなのに…
 さらにオレの身体に衝撃が走った。とも子の舌がオレの唇をこじ開け、さらに前歯もこじ開けようとしてきたのだ。オレは慌ててとも子の手を振りほどき、身体を離した。びっくりしてとも子の顔を見ると、とも子は仔猫のような笑みを浮かべていた。明らかに何かたくらんでる顔…
 次の瞬間、とも子がとんでもない行動に出た。なんと、制服を脱ぎ出したのだ。オレはフリーズしてしまい、ただとも子の動作を見てるしかなかった。しかし、とも子の美しい肌と薄黄色のブラジャーがあらわになると、オレは我に返った。
「バ、バカ、何やってんだよ!?」
 オレはブラジャーに手をかけたとも子の手を押さえた。
「オレたちゃ、まだ高校生だぞ!!」
 するととも子は、哀しい目をして、首を横に振った。そして、3文字分唇を動かした。
「抱いて」
 …そう言ったようだ。
「だ、だめだよ、オレたちは、まだ高校生だよ」
 しかし、とも子は哀しい目をしたままだった。考えてみたら、オレもとも子ももう18。別に身体の関係があっても許される歳だと思う… でも、オレの中の何かがそれを許さなかった。それは野球…
 この夏の大会でオレの高校野球人生は終わる。なのにオレは、この3年間1度も勝ってなかった。だからどうしても1勝が欲しい。その1勝は、とも子の右腕にかかってる。もし今オレととも子が大人の関係になったら、その大事な右腕が汚れてしまうような気がする…
     ※
 オレはとも子が脱ぎ捨てた制服を拾い上げ、とも子に渡した。とも子はしょんぼりとしていた。なんか、まだ納得してないようだ。
「ありがとう、とも子。でも、まだ早いよ」
 オレはさっき思ったことを洗いざらいしゃべった。それを聞き終わると、とも子は笑顔を浮かべてくれた。そう、いつもの笑顔だ。どうやら、納得してくれたらしい。ごほうびに今度はこっちの方からキスをした。でも、オレとて男。本能が爆発すとまずいから、そそくさととも子の部屋を出た。
 しかし、とも子はいったい何考えてんだ? 身体は子どもっぽいけど、意外とほれやすい体質で、しかもすぐに身体を許しちゃうタイプなのか? いや、そんな尻軽女じゃないだろ、絶対…
     ※
 とも子にこんなことされたせいで、その日の夜はなかなか寝付けなかった。翌日の授業中もそう。ずーっとうわの空。
 でも、野球はオレの天分。放課後の練習は、さすがにうわの空ではなかった。
 この日はとも子がバッティングピッチャーとなり、ナインがとも子のタマを撃つことになった。各ナインに与えられた打席は3つ。1番渡辺、2番大空、3番唐沢は3打席とも凡退。オレの最初の打席も、とも子の重たいストレートの罠にひっかかりライトフライ。しかし、2打席目はちょこーんと当て、レフト前ヒット。3打席目は左中間を大きく割った。いくらオレがとも子に弱いからと言ったって、ダイヤモンドの中では容赦しなかった。
 バッティング練習が終わると、各ナインは守備練習。とも子は北村相手に数十球投げ込み、その後全員で6キロのランニングをこなした。
 練習が終わると、オレととも子と北村はバスに乗り込み、いつものように北村が途中下車。そしてまた、とも子と2人きりになった。
 とも子はさっそくオレの横に来て、筆談用のノートで話しかけてきた。
「デートしましょう」
 おいおい、またあの部屋に連れて行く気か? が、とも子はそれを察してか、筆談用のノートに続けてこう書いた。
「ファミレスはどうですか?」
 ふふ、それなら断る理由はないな。オレととも子は昨日と同じバス停を降りると、例のマンションの隣りにあるファミレスに入った。

エースに恋してる第5話

2007年08月16日 | エースに恋してる
 再びユニホームに着替えたオレは、とも子とともに路上を走り出した。野球部がいつも使ってる学校周辺のコース、1周3キロ。
 とも子は今日の試合の疲れのせいか、オレのスピードについて行くのがやっとだった。それでもオレは、とも子がぎりぎりついてこられるペースで走った。ピッチャーは走ることが基本だ。走れば足腰が鍛えられ、安定したスピードとコントロールが得られる。苦しいだろうが、頑張ってくれよ。
 そしてとも子は、1周3キロを走り終えた。
「今日はここまでにしよう」
 しかし、とも子は首を横に振った。そして、右手の指を1本立てた。どうやらもう1周走りたいと言ってるらしい。
「大丈夫か?」
 とも子はにこっとした顔で首を縦に振った。
「OK」
 いい根性だ。オレととも子は、再び走り出した。ただ、今回はとも子のペースに合わせ走った。
     ※
 オレの身長は185センチ、それに対し、とも子のそれは145センチくらい。だから並んで走ると、とも子を見下ろしたかっこうになる。とも子の胸は同年代の女の子と比べるとかなり小さいけど、それでもユニホームの胸元の透き間から2つの膨らみのふもとがちらりちらりと見えた。オレはなぜかそれが気になって気になって、しょうがなかった。
 その視線に気づいたのか、ふととも子がオレの顔を見た。オレは慌てて視線をそらした。気づかれた? しかし、とも子はいつもの笑顔を見せてくれた。それを見て、オレはなんとなく赤くなってしまった。
     ※
 ランニングコースを2周走り終えたオレととも子は、野球部の部室に戻った。
「ごくろうさん。今日はここまでにしよう」
 とも子はうなずいた。と、次の瞬間、とも子は思わぬ行動に出た。そーっと目を閉じ、少し唇を突き出したのだ。こ、これはもしや、キスをねだるポーズ? しかし、こんなの、オレには初めて。何をすればいいのか、ぜんぜんわからなかった。と、ともかくオレは、この状況をやり過ごすことだけを考えた。
「さ、澤田さん、もう帰ろ」
 するととも子は目を開け、「なんで?」とゆー顔をした。そして再び目を閉じ、唇を突き出した。
 女の子がキスをねだってきた場合、男はそれを拒否してもいいのだろうか? やっぱキスすべき? でも、正直なことをゆーと、オレはキスとゆーものをこれまでしたことがないのだ。でも、そんなのは拒否の理由にはならないと思う。オレは意を決した。
 オレは2・3歩を進めると、少し身をかがめ、とも子にキスをした。ほんの少し唇と唇が触れたとゆーのに、その瞬間、オレの心臓は爆発しそうなほど作動した。
「ありがとう、澤田さん」
 オレはとも子に感謝した。が、とも子はふと哀しい目をして、首を横に振った。そして部室の隅に掛けてある小さなホワイトボードに向かうと、専用のペンでこう書いた。
「とも子と呼んでください」
 オレはドキッとした。ま、考えてみりゃ、他の部員はみんな呼び捨てなのに、とも子だけ「澤田さん」じゃ、おかしいと言えばおかしい… でも、下の名前で呼ぶのはちょっと変だと思うし… けど、本人がそう言ってんだし、オレだっていつも心の中で「とも子」と呼んでるんだ。「とも子」でもいいか…
「あは、わかったよ、とも子」
 とも子はまたにこっとした。
     ※
 オレの左腕はこれ以上回復する見込もないし、今日の醜態… もう潮時だと思う。このへんできっぱし野球をやめ、学業に専念すべきなのかも…
 でも、オレにはとも子との約束がある。オレの知ってるピッチングのいろはをとも子に教えるまで、ユニホームを着続けなくっちゃいけないと思う。オレの野球部での人望は地に墜ちたが、とも子だけはオレを信じてるんだ。もうしばらくは、野球部にいることにしよう。
 でも、なんでとも子はキスをねだってきたんだ? やっぱオレにほれてるのか?…
     ※
 翌日授業が終わると、オレととも子の特訓が始まった。場所は例のグランドの端っこに設けられた、ブルペン用のスペース。本来のキャッチャーは北村なのだが、オレがチームで孤立してることを考え、オレがとも子のタマを受けることにした。
 ダイヤモンドでは、いつものようにナインたちが練習をしてた。彼らはオレの気持ちをくんでが、それとも本当に嫌われてしまったのか、オレたちを無視してくれていた。
 ふとショートに目をやると、そこには1年生の森の姿があった。箕島は退部届を出したらしい。オレは自分の暴言にあらためて後悔したが、2割くらいは「しかたがないか」とゆー思いもあった。正直箕島は、野球には向いてないと思う。
     ※
 とも子のタマを受けるたび、オレのミットはバシッバシッといい音がした。キャッチャーは通常右利きのプレイヤーがやるので、オレみたいな左利き用のキャッチャーミットは、特注しない限り存在しない。しかたがないから、ファーストミットでとも子のタマを受けた。しかし、ファーストミットはキャッチャーミットより薄い。とも子の豪速球を受けるたび、オレの手がしびれた。でも、ある意味、心地よい痛みだ。
 だが、オレのファーストミットが小気味よく鳴るのは、正直あまりいいことではなかった。
 とも子のストレートの握りは、中指と人差し指をボールの縫い目に直行させたもの。野球の教科書を開くと、ストレートはだいたいこの握りが書いてある。この握りで投げると、ボールは下から上へ回転しながらバッターに向かって行く。浮上する回転なので、ボールがホップしやすくなる。ホップするタマは見た目以上に速く感じるので、速球には有効である。とも子と対戦するバッターはよくポップフライを撃ち上げるが、これはとも子のタマが打者の手元でホップしている証拠なのである。
 しかし、この握りには大きな欠陥がある。バッターから見て下から上へボールが回転してるので、ジャストミートされると上昇する方向にボールが反発し、感触以上にボールが飛んで行ってしまう、いわゆる「軽いタマ」になってしまうのである。さっきからオレのファーストミットが小気味よい音を立ててるのは、実はとも子のタマが軽い証拠なのである。城島高校に連続ホームランを撃たれたのは、この球質が関係してると思う。
 オレは回転しないストレートの握りをとも子に教えた。とも子は飲み込みが異様に早かった。あっとゆー間に、回転しない、いわゆる「重いタマ」を投げてみせた。
     ※
 ふとグランドを見ると、ちょうどナインの練習が終わるところだった。オレは立ち上がると、言った。
「とも子、走るぞ」
 とも子はいやな顔をまったく見せず、うなずいてくれた。
 今日とも子は100球近く投げた。くたくただと思うが、ここがピッチャーの肝心なところ。ピッチャー、特に先発完投型のピッチャーに一番必要なのはスタミナだ。スタミナを豊富にさせたければ、練習後のくたくたなときに長距離を走らせるといい。
 オレととも子は、昨日と同じく、1周3キロの周回コースを2周走った。昨日の2周目はとも子のスピードに合わせゆっくりと走ったが、今日は2周ともとも子のペースより少し速いスピードで走った。でも、とも子は耐え、3キロ×2周、計6キロを走り抜いてくれた。
 オレととも子は部室に戻ると、昨日と同じようにキスをした。ただ、今日はオレの方から求めた。とも子は快く唇を重ねてくれた。キスの時間は昨日よりう~んと長かった。
     ※
 翌日も同じように、オレはグランドの端でとも子のタマを受けた。とも子は重いストレートをほぼ手に入れたようだ。こうなると、今度はとも子の豪速球を活かす変化球が欲しくなる。ま、そうせかすこともないか。
 ふとダイヤモンド内で練習してるナインを見ると、今日もショートは森だった。もう箕島は戻って来ない… 昨日はいくぶん開き直った感情があったが、今日は100%箕島に謝りたい気分だ。でも、もうどうしようもなかった。
     ※
 今日はとも子にきっちりと100球投げさせ、ランニングに移った。いつものコースを1周回って元に戻ってくると、そこには北村が立っていた。オレととも子が北村の横を通り過ぎると、北村も並んで走り出した。
「北村、オレにかかわらない方がいいぞ」
「なんでです? チームのキャプテンと一緒に走っちゃいけないんですか?」
 ふふ、たしかにそうだな。オレはまだキャプテンを辞めてなかったんだっけ。ま、とも子が目的なのは、バレバレなんだが…
 しかし、北村は迷惑なやつだ。こいつのお陰で、練習後のキスはお預けになってしまった。
     ※
 次の日もとも子はグランドの端で投げた。ただ、キャッチャーは北村だった。やつは最初、とも子の重いタマを受けたとき、いつもとは違う感触に、ちょっと戸惑ったようだ。
「どうだ、重いタマの感触は?」
「お、重いタマ?…」
「このタマさえ覚えておきゃ、もう連続ホームランは撃たれないはずだ」
 が、北村はいまいちピンと来てないようだ。
「おまえ、まさか、タマの重さは、投げてるピッチャーの体重で決まると思ってんじゃないだろうなあ?」
「そ、そんなことないですよ、あはは…」
 図星か… そう、聖カトリーヌ紫苑学園野球部の部員は、みんな、その程度のレベルしかないんだ。だから、利き腕の自由がきかないオレでも使ってくれてる。オレも同じレベルの仲間なんだ。それなのにオレは、箕島に罵声を浴びせ、野球をやめさせてしまった… 
 最低だな、オレって…
     ※
 ふとオレの目が、監督と話をしている1人のユニホーム姿を捉えた。そいつはオレから見たら後ろ向きなのだが、背番号の「6」とゆー数字ははっきりと見えた。6と言えば、ショートのレギュラーメンバーに与えられる背番号。もしや…
 その背番号6が振り返ると、案の定そいつは箕島だった。箕島が帰って来た? ふと箕島と目が合った。と、やつは慌てて視線をそらした。オレはなんとなく照れ笑いをしてしまった。
 ダイヤモンド内は守備練習中。森に替わって箕島がショートの守備位置に着いた。どうやら箕島は、本当に戻って来てくれたらしい。オレは急に晴れ晴れしい気分になった。胸を圧迫してた重たいものが、突然取れたような気分になった。
 ふととも子を見ると、とも子もほほ笑んでいた。